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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
66/107

7 ちみっちょ

「しっかし……おまえ等って、おかしな関係だよな」

 やたら広くて長い廊下を進みながら、アルトリートがそうぼやいた。

 磨き上げられた白大理石に、分厚くて豪華な絨毯。

 それを踏みつけて歩くアルトリートの姿は、お世辞にも格好良いとは言い難い。

 彼自身は間違いなく美青年なのだが、立ち姿とか歩く姿とかがどーにもこーにもガラ悪いのだ。

 なんというか、成金貴族の道楽ボンボンだったらこんなかな? という感じ。

 そのせいか、廊下に等間隔で立っている警護兵が訝しそうな目でこちらを見ていた。

 不審そうな目はアルトリートに向けられるものであって、その小脇に抱えられているあたしに対してではない。たぶん。

 ……てゆか、なんでこんな抱えられ方なんだ? あたしは……

「おまえ等、って、あたしとおじ様のこと?」

 左脇に荷物か何かのよーに抱えられているあたしは、歩くリズムで揺れる視界の中、少々「うぇっぷ」な気持ちになりつつ尋ね返した。

 彼は「あぁ」とぶっきらぼうに返事を返す。

 ちなみにあたしの口調は完璧『素』だが、アルトリート相手なら別にかまわないだろう。

 どっちかってゆーと、アルトリートの言葉遣いの方があたしよりヒドイのだから。

「あたしとおじ様は、それはもーらぶらぶなのよッ!」

 あたしの声に、アルトリートはそれはそれは胡乱げな顔になった。

 あたし達がいるのは、王宮の奥、あたしが寝起きしている『青の間』へと続く(はずの)廊下である。

 食後のお茶をことごとく台無しにしたレメクは、用意していた外国製のティーセットを全て壊した挙げ句、欠片を拾う真似をしつつ吹っ飛ばすという、新しい遊びを見せてくれた。

 飛んだ破片を追いかけてどこかへと消えていきそうなレメクに、慌てた他一同が力をあわせてお片づけ。

 なぜか心が仄暗い海の底に沈んでるレメクを囲んで、いったい何事かと問おうと思ったのだが、ここで絶望的な現実が発覚した!

 お勉強の時間が迫っていたのである!!

 そんなものこの際無視しちゃってもいい気がしたのだが、これにはレメクが猛反対。

 結果、様子のオカシイレメクの見張りにアディ姫を残し、お勉強のあるあたしは泣く泣くお部屋に帰ることになったのである。

 ……あたしも一緒にいたかった!!

 なにせレメクが一人遊びをするなど初めて見たのである。

 彼の心におこった唐突な変化を、ぜひとも知らねばならぬのだ! そう、ツマとして!!

 も、もちろん心配だってしてるんだけど、ええ、心配ですとも!

 ちなみにレメクはというと、お勉強に向かうあたしに大変真摯な眼差しでこう言った。

「あなたはまず、人の名前を覚えることをなさい。覚えることを。そして忘れないように」

 ……彼のココロは謎ばかりだ。

「なぁ……アノやり取りのどこににラブがあったっつーんだ……? 俺はおまえがあの人を弄んでるよーに見えたがな……」

 残してきたレメクに未練たらたらのあたしを抱え、アルトリートが疑わしそうにぼやく。

 ちなみにアルトリートは、あたしの勉強につきあうよう、レメクに命令されている。

 アルトリート自身、あたしと同じがあたし以上にダメダメな言動だから、言われるのも当然だろう。

 なぜレメクが彼の勉強にまで心を砕いているのかは不明だが。

「そんなアクジョなことしてないわよ!? だいたい、あの愛あるやり取りのどこをどう見ればそう見えるっての!?」

「あきらかに仲のいい知りあいに向かって『どちらさま?』とかフツーは言わねェ」

「あ、あれは素敵言動だったんだからっ!」

「素敵っつーより悪意言動だったぞ、アレ。どーせおまえの義理の姉とやらの言動を真似たんだろ?」

「そう!」

「……悪いことは言わねェ。もう真似すんな」

「なぁ……!?」

 あっさり駄目だしされて、あたしは愕然とした顔になった。

「気づけよ。使いどころが間違ってんだよ。ちったぁ場面とか相手とか考えて使えよ。あれじゃあただの嫌がらせだろうが。さっきの反応見ただろ?」

 ま、まぁ、確かにレメクはコップ割りやがったうえ、破片を拾おうとしながら吹っ飛ばすという不思議な遊びをしていたが。

「あ、あれはきっと動揺してくれたのよ! 珍しくこう、シトヤカな仕草したから!」

「……まぁ確かに激しく動揺してた気はすっけどな……」

 そうか。そんなに激しい動揺だったのか。

 やはりフェリ姫の言動は良い手本になる!

「……いや、目ぇ光らせてないで、ちょっとは頭使えよおまえ。アレどうあがいてもイイ意味での動揺じゃねーだろ。……ったく、ほんっと、どーゆー関係なんだおまえ等は……」

 呆れたような疲れたようなため息をついて、アルトリートはあたしを抱え直した。

 左脇から右脇に。

「……ところで、なんであたしはこんな抱えられ方なの?」

 移動と一緒に向きまで逆になったあたしは、進行方向とは逆を向いてしまっている。

 今まで歩いてきた廊下の向こう側で、兵士さん達が唖然とこっちを見ていた。

 ……とりあえず、手でも振っとこう。

「あ? あー……いや、おまえちっこいからこれでもいいかな、と」

「いいわけないわよっ!?」

「かといって下手に降ろしたら変なところに飛びついてきやがるし……おまえな、あの人にも同じことやってんのか?」

「あの人ってのはおじ様のこと?」

「他に誰がいんだよ?」

 嫌そうに聞き返されて、いないけど、と思わずぼやく。

 てゆか、アルトリート……なんか微妙にレメクに対して腰低いな……

「言っとくけど、おじ様相手なら、もっとガッツリガップリかぶりつくわよ? あたし。一度引っついたら離れないんだから!」

「……よくやれるな、あの人相手に……」

 呆れきった嘆息に、あたしは頭をグンと上げた。

 まぁ、そーやっても見えるのは相手の背中ぐらいなのだが。

「アルとえーとなんとかさんは、なんでおじ様相手だと一歩引いちゃってるの?」

「はぁ!?」

「だって、あたし達に対するのとあきらかに態度違うじゃない。なんてゆーか、兄貴分を見る弟分て感じ」

「な……だ……ダレがだよッ!?」

 ……自覚無かったんだろうか……?

 あたしのツメタイ視線に、アルトリートは激しく動揺したらしい。

 抱える力が緩み、危うく落っこちかけたあたしは相手にしっかと張り付く。

 尻に。

「ってオラァ! おまえはどこに引っ付いてやがるっ!?」

 おしり。

「もうちょっとエライヒトを見る感じだったら、親分を見る子分な感じなんだけど、そーでもないからやっぱ兄貴分を見る弟分って感じなのよ」

「なんでそーなる!? てかそのココロは何だ!?」

「ゴロツキ」

 アルトリートの拳があたしの頭に押しつけられた。

「いちゃいいちゃい~っ」

「て、てめぇな……野生児みてぇな言動やりまくってるヤツが、ヒトをゴロツキ扱いかよ!?」

「自覚はもちょータイタイタイタイッ」

 ぐりぐり頭を抉ってくる拳に耐えかねて、あたしはガブッと反撃した。

 尻に。

「ぎゃぉーっ! 痛ぇてどこ噛みついてやがんだッダダダダダっ!!」

 おしり。

「離せコラ! はな……ギリギリすんなーッ!!」

 あたしの必殺歯ぎしり攻撃に、アルトリートが悲鳴をあげる。

 フッ。愚かなっ!

 このあたしに攻撃したのが悪いのだっ!

 何を隠そうこのあたし、三番街のベルと呼ばれたこともあるゆーめーじん!

 自分から喧嘩売ることはホドホドしか無いけど、売られた喧嘩はモリモリで買い取るオンナなのです!

 ぎりぎりぎり。

「ぐぉお!? こ、この……てめェ! 最終手段使うぞコラ!」

「ふふぁっふぇみふふぁふふぁ(使ってみればいいわ)」

 勝利の予感にキラリと目を光らせたあたしに、アルトリートは据わった目でボソリと言った。

「屁ぇひるぞ」

 ……逃げ!!

 すかさずビョンッと飛んで逃げたあたしは、しかし、次の瞬間、ワシッと両手で捕らえられる!

「ああっ!?」

 逃げるの失敗!

「く、離ちぇっ! 離しぇっ! くちゃいのはっ! 駄目なのよっ!」

 なにせ鼻が特別イイものだからっ!

 ジタバタ暴れるあたしに、アルトリートは呆れ顔。

「まだやってねぇーよ。つーかお前臭いが弱点かよ。………………よくそんなんで孤児なんてやってこれたな」

「そんなの鼻が麻痺しちゃってたからに決まってるじゃない」

 真正面から見上げて言うと、「うっ」とアルトリートが動揺した。

「あたし自身がそーとー臭かったはずだから、そりゃあ鼻も馬鹿になってるわよ。そうでしょ? あんまり嗅ぐ機会のないご飯の匂いはビンビンに感じとれたけど、悪臭の類はいつだって満ち満ちてたから、ぜぇんぜん感じなかったわ」

 そう───レメクに会うまでは。

 沈黙したアルトリートに、プランプラン足を揺らしながらあたしは言葉を続けた。

「おじ様に助けられて、石鹸(サポーネ)とかでゴシゴシ洗ってもらって……そうやって初めて、今まで居た場所がすごく臭い場所だったんだって思い知らされたわ。それまでは全然、そんなこと思わなかったのに」

 知ったからこそ、わかってしまった。

 本当に、自分が『底辺で』生きてきたのだと。

 そこには食べ物も無ければ体を綺麗にする術もなく、汚れても交換する服も無ければ、温もりを求めて羽織るわずかな布すらも無い。

 人々が捨てたものや残したものでなんとか食いつなぎ、布をかきあつめて寒さから逃れ、自分の姿がどうであるかなど考える余裕もなくただひたすら生きていた場所──

 それが、あそこ──人々が貧民街と呼ぶ、最下層区なのだ。

「体はね、ちゃんと洗わないといけないんだって。どうしてかっていうと、体の中から汚いものとか古いものとかが毎日肌の上に出てきてて、それをちゃんと洗い流さないと体に悪いからなんだって。おじ様がそう言ってたわ。汗とか、垢とか、そういうのは、その汚いものや古いものの集まりなんだって。だから洗い流して、綺麗なままでいるの。そうすると、病気になる確率も減るんだって!」

「…………」

「でもねぇ、あたし達を入れてくれるお風呂屋さんなんてどこにも無かったし、孤児院のお風呂は院長達だけしか使えないから、あたし達が体洗おうと思ったら、こっそり水路に飛び込むしかないじゃない? でも、水路って、綺麗なやつは飲み水用だからドボンしちゃ駄目だし、飛び込んでもいい水路の方は、大きし流れ早いし岸と水の高さに差があるから、飛び込んだら海まで流れてっちゃうし……そうすると、よっぽど泳ぎが上手くないと生きて帰ってこれないから、命がけなのよ」

 実際に川に飛び込み、帰ってこれなかった子供をあたしは何人も知っている。

 頭はいつもドロドロでシラミがわき、かゆくて気持ち悪くてたまらなかったが、どうしようもないことだと諦めていた。

 得にあたしは最悪だった。

 なぜなら、髪を洗えばメリディス族特有の色がわかってしまうため、洗いたくても洗えなかったのである。

「雨が降った時にね、みんな外に出て頭洗ったり体洗ったりするの。でもね、あたしってメリディス族でしょ? だから、バレないように髪洗わずに、体だけなんとかゴシゴシ洗おうとしてたのね。屋根の下とか、たまった雨水とか使って」

 もっとも、汚れ果てていたあたしは、雨水を多少被った程度では髪の色など元通りにならなかったのだろうが。

「そうすると、ちゃんと洗った子より汚れたままだから、臭いとかも残ったままなのね。だから、お仕事もあんまりいいの貰えないのよ。掃除とか、汚れる内容なら平気でまわってくるけど。あたしがもうちょっと体が大きかったら、お掃除の仕事も楽だったと思うんだけどね」

 しかし無い物ねだりしてもしょーがない。

 やれやれ、と嘆息をついて話をまとめたあたしに、しかしアルトリートは何も言わなかった。

 ただ、やたらとバツが悪そうな、妙に追いつめられたみたいな、変な顔で俯いてしまっていた。

 …………おや?

「アルとぇーと……えーと?」

「……アルトリート、だ」

 あたしの声に、ボソッと呟くアルトリート。

 ……なんかねぇ、口に出して言おうとすると、なんでか上手くいかないんだよねぇ、アルトリートって名前。

「……ちみっちょ」

 ……コイツもあたしの名をちゃんと呼べないんだから、まぁいいか。

「ベル!」

「……悪かったな」

 ………およ!?

 謝罪に目を剥くあたしに、アルトリートはぶすくれた顔のままぼやく。

「おまえの体が『ちっこい』って言って……。一応、悪い意味じゃなかったんだぞ。なんつーか、ちまっとしたモンて、ほら……子猫とか子鹿とか、カワイイだろ」

 ……喧嘩売ってんだろーか、この男は……

 カワイイの一言がなければ、もう一度ガブッとやっていたところである。

「ちゃんとメシ食えなきゃ、ちっちぇえのは当たり前だよな。鳥だって何だって、餌があたらなきゃチビのまんまだし……下手すりゃ死んじまうもんな」

 この男……?

 あたしはジッとアルトリートを見上げ、こっそりと首を傾げた。

 ……もしかして、基本、イイヤツなんだろうか……?

 どうもシーゼルやフェリ姫は、アルトリートにいい感情持ってなさそーだったんだけど。

「おまえ……よく……生きてたな」

 あたしを見下ろして呟くアルトリートの目は、とても深く、そして澄みきっていた。

 その瞳にあたしは目を瞠る。

 最初に会った時に見た、濁った色がまるで無かった。

 とても綺麗なその色は、どこか悲しく寂しげで、少しだけ暖かい色を含んでいる。

 あたしは直感する。

 たぶんこれが、アルトリートの本当の瞳なのだ。

 嘘偽りのない『彼』なのだ。

「あたしは運が良かったのよ」

「……運かよ」

 胸を張ってみせるあたしに、どこか苦笑じみたものをこぼすアルトリート。

 あたしはエヘンとさらに胸を張ってみせた。

「運なのよ。今まで他の人にメリディス族だって見破られなかったのも、生き抜いてこれたのも、あの雨の日におじ様と出会えたのも、全部、あたしがどーのっていうんじゃなくて、ただ、運なのよ」

 そうでなくて一体なんだというのだろうか。

 それ以外に、あたしと、失ってしまった大事な友達の間に違いは無かったはずなのだ。

 あっては───いけないはずなのだ。

「だって、あたし……友達より、何か努力してたってわけじゃないもの」

 プリムより、優れていたとか、劣っていたとか、そういう差って無かったはずだ。

「いつ誰が、どこで、死んじゃっても、不思議じゃなかったんだもん」

 ふいにぼやけた視界の中で、アルトリートが何かを口にした。

 声が小さすぎて聞き取れにくかったが、ほとんど呼吸の音のようなそれは、たしかに『泣くなよ』と言っていた。

 ……な、泣いてなんかいないんだからね!?

「俺もなぁ、ちみっちょ。治安の悪い所によく出入りしててよ……そこにゃ、おまえみたいなのがゴロゴロいてよ……」

 アルトリートはあたしを普通に抱っこして、ワシワシと頭を撫でてくる。

 遠慮のないその手つきは、下街にいた年配の孤児達の手つきとよく似ていた。

「いい奴等だったぜ。ガリガリに痩せてても、抜け目ねぇっつーか、イイツラしててよ。目ぇキラキラさせてるやつもいて……へっ……お屋敷の奴等よりずっと生き生きしてやがった」

「…………」

 あたしはゴシゴシと目元を拭って、改めてアルトリートを見る。

 公爵夫人と、公爵以外の誰かとの子供だというアルトリート。

 そういえば、彼はいったいどういう思いで、どういう風にレンフォードとかいう屋敷の中で暮らしていたのだろうか?

「なかにな、一際ちっちぇえのがいてよ。こいつがまぁ……おまえみたいにカワイイツラしてねぇんだけどよ、歯もだいぶ欠けてたし……けど、ちっこい手足でがんばるからよ、なんか可愛くてな……」

 そう言って「へっ」と鼻で笑うアルトリートは、けれどどこか暖かくて優しい顔をしている。

「そいつも、そこらにいた連中と変わらず捨て子でよ。親から名前ももらってねぇようなヤツだったんだ。そういう連中は珍しくなくてよ、たいていみんな好き勝手に名乗ってるんだが……そいつ、馬鹿でな……名前も思いつかなくて、他の連中からはチビって呼ばれてた。……ちっちゃくて可愛かったからな。別に悪気があって言ってたわけじゃねぇんだけどよ」

「……でも、言われた方にとっては、そうじゃないかもしれないのよ?」

「……ああ」

 アルトリートは俯く。

 目が痛みを堪えていた。

「……後で知った。俺もな、ちみっちょってそいつのこと呼んでた。チビって呼ぶとどのチビかわかんねぇっつー理由だけだったんだけどな。けどよ、あいつ、なんかと勘違いしたのか、やたら喜んでてよ……笑いやがるんだよ。嬉しそうに。くそ……もっとマシな名前つけてやりゃあよかったよ。けど……なぁ、オンナの名前なんて、そんなにスッと考えつくか? いくらチビだって、そいつオンナだったんだからよ。ゴンザレスとかサドンデスとかつけられねぇだろ?」

 むしろそのネーミングセンスに文句をつけたい。

「ああいうところにいる連中ってよ、おまえならわかると思うが、無事に生きられる可能性がむちゃくちゃ低いだろ? ……ゴロツキまがいやって、裕福な連中からかっぱらいやって、捕まれば袋だたきで殺されるし、捕まらなくても全員が喰う分にはならねぇし……。俺も一緒にイロイロやったけどよ……駄目でな。あいつもあっさり死んじまいやがった。別に病気でもなんでもなくてよ……」

 アルトリートの声に、あたしも顔を俯かせる。

 あたしにはわかった。病気じゃない死に方の理由が。

 餓死だ。

「なぁ……あいつ、墓に、なんて名前いれればいいんだ? ちみっちょって、呼び名なんか彫れないだろ? そんなの名前じゃないだろ。それなのによ、あいつ、その名前いつも嬉しそうで……」

 声が歪むのを聞いた。

 あたしはただ沈黙を守る。

 呼吸が、鼓動が、こういう時、どういう風に軋み、どういう風に弾けるのかをあたしは知っていた。

「ちくしょう……なんだで俺、もっとちゃんとした名前考えなかったんだよ!?」

 慟哭と、人はそれを指してそう呼ぶ。

 あの地の底のような生活の中で、失った命の前で、体験したあたしにはよくわかる。

 そして、アルトリートの声に、ようやくあたしは理解した。

 最初に会った時から、アルトリートに対して、がんばった王女さまぶりっこでなく、素で反応してしまっていたのは何故か。

 同じ匂いがしたのだ。

 鼻でヒクヒク嗅ぐ匂いじゃなく、気配で感じる匂いが。

 彼とあたしは、同じ場所を知る者同士だったのである。



「くそ……俺、なんでこんな話してんだよ……」

 噛みしめた歯の間から、アルトリートがそう零した。

 それは彼が声も嗚咽も何もかもを飲み込んでから、数十秒経った後のことだった。

 あたしはそれを素直に凄いと思った。

 あたしだったら、思う様ワンワン泣いてただろう。思い出したこととか、そういうもののために。

 けれど彼は、大声で泣いたりせず押し殺してしまったのだ。

 それが良いことなのかどうかは分からないが、少なくとも、これが子供と大人の差なのか、と思わずにいられなかった。

「ちみっちょ、は、その子の名前だったんだ」

 アルトリートの言動には気づかなかったフリで、あたしはそう口にした。

 宿のおねーちゃんが言っていたのだ。

 オンナには、オトコのプライドを守る義務があるのだと。

「まぁな……おまえがな、なんか、あいつと似ててよ……ちっこくって、一生懸命で、けどなんか変な方向に間違ってる感じで」

 ……どーゆー意味だ。

「見てて飽きないっつーか、世話しなきゃなんねぇみたいな、そんな感じでよ。……まぁ、おまえはもう王女様だし、あの人がついてるんなら、あいつみたいに手ぇ引っ張ってやんなきゃならねぇわけじゃ、ねェだろうけどな」

 ……手を引っ張ってあげていたのだろうか。アルトリートは。

 その、死んでしまった『ちみっちょ』の手を。

「……あたしは、大丈夫なのです」

「……そうだな」

 アルトリートの声に、あたしは心の中で呟く。

 そしてその手を失ったのか───と。

「食べるものが無いってぇのは、悲惨なことだ。居る場所がねぇのや、名前が無いのも、悲惨なことだ。……俺はよ、王様ってのが一番偉くて立派な人ならな、なんであんな風に死んじまうヤツがいるんだって叫びたかった。金なんか溢れるほど持ってて、贅沢三昧してるヤツなんだろうって思ってたからさ」

 そんな!!

「けど、アウグスタは……!」

「さっき聞いた」

 反射的に叫んだあたしに、アルトリートはほろ苦い笑みを浮かべる。

「……ちょろっとだけどな。だからよ、分かんなくなっちまった」

 どこか迷子になった子供のような目で。

「ここに来たのは本当にただの付き添いで、ぶっちゃけた話、俺なんかいなくてもいいだろ? って散々言ったもんなんだぜ。それでも一緒に行こうって言われてよ、しぶしぶ来たのは……あいつに……いや、それより、王様ってやつを一目見たかったってのもあったんだ。こんな綺麗な場所にふんぞりかえってるヤツをさ」

 けど、アルトリートは聞いた。

 アウグスタが王位に就いたとき、王宮の金蔵がカラッポだったことを。

 もちろん、それだけでアウグスタの苦労の何もかもにピンとくるはずはない。なにせあたしも未だにピンときていない。苦労したんだろうな、ってだけで、どれほど苦労したのかは分からないのだ。

 それでも、ただふんぞりかえっていただけじゃないことはわかる。

 それに、あたしみたいな子供を王女に迎えたりと、いろいろやっていることも。

「あの人にも言われたよ。時間をかけてゆっくり知りなさい、だってよ。へっ……そんな時間、俺には無ぇと思うけどな」

「……なんで?」

 自嘲するアルトリートの目はどこか悲しげで、あたしは思わずギュッと服を握りしめていた。

 アルトリートは苦笑する。

「ンなに長いこと王宮になんざとどまれるわけねぇだろ? だいたい、呼ばれて来たわけでもねぇんだからよ、用事がすめば、さっさとレンフォード家の屋敷に帰るに決まってるじゃねぇか。だいたい、ここに用事があるのは俺じゃなくて……あいつのほうなんだからよ」

「クリスーなんたらさん?」

「……おまえはほんっっっとに名前覚えないな……」

 ……だってー……

 しゅん、と肩を落としたあたしに、アルトリートは盛大にため息をつく。

「あいつの用事がすんだら、俺は帰るさ」

「えー」

「なにが不満だ。それが普通だろが」

「だって、アルとぇーと……」

「アルでいい、アルで」

 どこか呆れたように言いながら、アルトリートはあたしを抱え直した。

 そうして廊下を歩き出す。

「どーせ長い名前苦手なんだろうが」

 ……バレてる……!

「お、覚えられないんじゃないんだからね!? 覚えにくいのは確かだけど!」

 正直に言うと、なんか変な苦笑をされた。

 どっちかというと自嘲に近いような苦笑だ。

「いーさ、別に。どのみちどんな呼び名でも一緒だからな。好きに呼べよ」

「じゃあ、アルルン」

「……なんで長くするんだよ。つかその名前、本気でヤメロ」

 ……好きに呼べっつーのは嘘だったんだな……

 あたしは胡乱な目でアルトリートを見あげ……って、いやいや、とりあえずそれよりも言うべきことがあるのだった。

 あたしは姿勢を正すと、アルトリートに向かって言った。

「あのね、アル」

「あ?」

「アルはね、『よい子』なのよ」

 アルトリートの顎が落っこちた。

「おじ様がそう言うんだから、もう間違いなく『よい子』なの。おじ様がね、守るなんて言うのはそうそうないことなのよ」

「…………どういう意味だよそれ」

「だから、おじ様は、アルがここにいたほうが嬉しいってことだと思うの」

 アルトリートの目が丸くなった。

 しばしそのままでいてから、

「はぁ!?」

 なんかすごい素っ頓狂な声をあげる。

「なん……でぇ!? 嬉……!?」

「理由なんて知らないもん。けど、この子は守らなきゃだめだな、って思ったってことは、大事だってことで、大事だってことは、好きだってことなのよ」

「!?!?!?!?」

 アルトリートの顔色がイロイロ忙しい。

 青くなったり赤くなったり紫に落ち着いたり白くなったり。

「じつはアルトリートって、おじ様と面識あったの?」

「ねぇよ!!」

 ものすごい否定がきた。

 なんかかえって嘘くさい。

「ねぇよ! マジで! あの庭で会ったのが初めてだ! だいたい……会えるわけねぇだろ!? 俺はレンフォード家にいて、あの人は王宮にいるんだぞ!? どうやって会うんだよ!? だいたい、おまえ達もあの人に普通に接しすぎだろ!? なんで料理作ってもらってんだよ!? ありえねぇだろ普通!」

 ……まー、確かにレメクの世話やきっぷりは、最初に見る全ての人の常識を粉々にするシロモノのよーだが。

「ありえねぇだろ? なんか普通に王宮内で過ごしてるし。噂とだいぶ違うじゃねぇか。それともあれか? 世の中に満ちてる噂は全部デマか? 馬鹿な考えを起こす奴等を引っ捕らえるための罠……」

 そこまで言って、アルトリートはまともに顔色を変えた。

 血の気が完全に下がりきり、目まで虚ろによどんでしまう。

「……そうだ……駄目だ……駄目だ!」

 なにが駄目なのか。

 問う前にアルトリートは走り出した。

 いや、走りだそうとした。

「おや。珍しい。……龍眼ですか」

 声と同時止められたアルトリートの体には、芸術のような白い手が触れている。

 あたしは顔を上げ、アルトリートの肩越しに見える凄まじい美貌に顔を輝かせた。

「お義父さま!」

 神殿の神々よりも美しいそのヒトは、アルトリートを見つめながら、どこか亀裂のような笑みを浮かべていた。





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