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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
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5 アデライーデ

「あんと、わーるさん?」

 どこかで聞いたことのある名前に、あたしは首を傾げた。

 おじいちゃんは口の端を皮肉げに歪ませて、後ろに置いてきた絵を顎でしゃくる。

「この世で最も愚かな男に嫁いだ……愚かな女だ」

「はぅ……」

 振り返り、見上げた先にいる美女は、冷ややかな目でこちらを見下ろしている。

「どことなくアウグスタに似ているのです」

「母親だ。似るのも道理であろうよ」

「お母さん!? というと、第二王妃様に負けちゃったという、あの!?」

「負けた、か……言いにくいことを言う娘だな」

 おじいちゃんはあたしを見下ろしながら、なんとも言えない微苦笑を零した。

「確かにな……『あの女』も、外見だけならアントワールにも勝る美しさであった。だがな……ああいう女は、国を滅ぼす元にしかならぬ」

「国を、なのですか」

「そうだ」

 頷いて、おじいちゃんは深く嘆息をついた。

「『傾国の』とは姿の美しさを称えての言葉であろうが、実際に国を傾けるのは、美しさ云々よりも中身の軟弱さだだ。アリステラを見れば分かろう? 外見の美しさだけでなく、中もまた強靱な女であるなら、国が傾くことはそうそうない。……前王の第二妃は弱かった。あまりにも弱かったのだ……アントワールと同様に、な」

「…………」

 ゆっくり歩くおじいちゃんに連れ添いながら、あたしは皺の深いその顔をジッと見つめていた。

 あたしは前王を知らない。

 第二妃様や、アウグスタのお母さんのことも知らない。

 知っているのは、他人から聞いた話だけだ。

 ずいぶん前に亡くなったという第二王妃。──綺麗で、無欲で、儚い人。

「ヴェルナー閣下は、無欲で綺麗な人だって言ってたです」

「フン……ヴェルナーの小僧か……惚れた相手のことだ、良い部分しか見えなくても、仕方のないことであろうよ」

「閣下は小僧さんなのですか」

「儂からすれば、たいていのものは皆、小僧や小娘だ」

 言って、おじいちゃんはあたしを見下ろした。

「おまえなど、赤子も同然であろう」

「し、しっけいなのです! あたしだって、それなりに成長してるのです!」

「ナリが小さいのは、栄養が足りておらなんだからであろうよ。あの馬鹿たれがついておるのだ。放っておいても肥えるであろう」

「こ、肥えるのはイカンのです。あたしには、格好良いベッピンさんになっておじ様を誘惑するという、すーこーな使命があるのです」

「……おまえは本当に、あの娘に似ておるな……」

 苦笑を深めて、おじいちゃんは部屋の外に一歩を踏み出した。

「猊下!?」

 すぐ近くから悲鳴のような声があがる。

 見れば、慌てたようにフェリ姫と神官一同が姿勢を正していた。

「御前をお騒がせして申し訳ありません!」

「……いや、よい。この娘を捜していたのであろう」

 チラッと見下ろされ、あたしはチョコチョコとおじいちゃんの横に並んだ。

「ベル!」

「おねぇしゃまっ!」

 パッと飛び出してきたフェリ姫に、あたしもポンと飛びついた。

「あなた! どこに行ったのかと思ったら……!」

 ひしと抱き合うあたし達に、おじいちゃまは苦笑して言った。

「儂を見つけて、足を止めてしまったらしい。伝令を受けながら、このような場所にいた儂にも責があろう」

「あ、猊下っ。し、失礼いたしました」

 慌ててあたしを背に庇い、フェリ姫が綺麗な一礼をする。

「この度は、ワタクシの妹が」

「よい」

 フェリ姫の言葉を遮って、おじいちゃんは言葉を告げる。

「もう、話しはすんだ。二人とも、王宮へ戻るがよい」

「え!? ですが、あの……」

「どのような娘なのか、分かった。だから、もうよい」

「そんな……」

 フェリ姫の顔がみるみるうちに青くなる。

 あたしは首を傾げ、おじいちゃんを見上げた。

「おじーちゃんが、教皇サマなのですね」

「そうだ。……察しておらなんだのか、おぬし」

「偉いおじーちゃんだということは、分かっていたのです。立派なお洋服着てるし」

「べ、ベル!」

「よい。……娘よ」

「だから、ベルなのです!」

「それは、愛称であろう」

「?」

 愛称?

「おぬしの名は、もっと長い。儂は、ナザゼルのような『目』も、リーシェのような『耳』も、おぬしのような『鼻』も持っておらぬが、真なるものを探り当てることはできる。おぬしが人の善し悪しを嗅ぎ分けられるようにな」

「ふに?」

 意味がわからず、あたしは首を傾げた。

 もしかして、おじいちゃん、じゃなく、教皇サマも、種族的な何かを持ってるのだろうか?

「一段落ついたら、同胞のいる森を尋ねるがよい。あの馬鹿たれも、再三希望を出しておった……。儂が女王を説得しよう。おぬしは、もう少しおぬし自身のことを知らねばならぬ。……あの馬鹿たれのこともな」

「シャーリーヴィの森に行くのですか?」

「あぁ。一度、会っておくとよかろう」

 そういえば、レメクもあたしをそこに連れて行こうと頑張ってたな……

 置いて行くわけじゃない、と約束してもらっているので、行くのもいいかもしれない。

 そう思った瞬間、ぎゅっ、と腕を掴まれた。

 って、お義姉様っ!?

「ですが……ですが、ベルはワタクシの妹ですわ! 誰が何と言おうと、ワタクシの妹になったのですわ!」

「……リーシェよ」

「森になんかやったりしないのですわ! ワタクシの妹として、城で暮らすのです!」

「……落ち着くがよい、その娘が王族となることに、儂は異を唱えておらぬ」

「え……っ!?」

 驚いて叫ぶのをやめたフェリ姫を見つめてから、教皇サマはあたしを見下ろして「娘」と呼びかけた。

 ……どーあがいても、ベルとは呼んでくれないようである。

「おぬしには『ステラ』の名を贈ろう」

「すてら?」

「王族となった者には、教皇が名を贈る習わしになっている。つまりは、そういうことだ」

 言われて、あたしはフェリ姫を見た。

 お義姉さまは安堵のあまり涙混じりにあたしをぎゅっと抱きしめる。

「素敵な名前ですわ、ベル!」

「親族か、それに準ずる者でなくば、名を贈ることはできぬ。おぬしはこれで、王族となった。……ステラよ」

 ぬぉ。自分のつけた名前で呼びやがりますか、教皇サマ!

「王女としての責務を果たすがよい」

 王女としての責務。

 なんでしょう、それは。

 あたしはジッと教皇サマを見上げ、冴え渡る頭脳を煌めかせて自ら答えを出した。

「任せておいて! おじ様はあたしがメロメロにしてあげるのです!」

「……どういう経緯でそうなる?」

 なぜかご一同様が顎を落っことしたが、違うと言われなかったからきっと正しいのだろう。

 セイリャクケッコンが王女様のお仕事なのだから、あたしも頑張っておじ様をデレデレにするのだ。

「まぁ、よい……さぁ、二人とも、王宮へ帰るがよい。おぬし等に会いたがっている者も多くいよう」

「あ、は、はい」

「あい! おじ様の所に帰るのです!」

「ベル!」

 窘められ、慌てて首をすくめるあたしに小さく苦笑して、教皇サマが踵を返す。

 相変わらずゆっくりと動くその背に綺麗な一礼をして、フェリ姫はふと表情を引き締めて言った。

「猊下。一つだけお尋ねしたいことがございます」

「……なにかな」

 ゆっくりと歩きながら、教皇サマが呟くように促す。

「つい先程、先王陛下の御落胤という殿方と会いました。猊下は、かの殿方を王族と認められたのでしょうか?」

「……あの若造か……」

 ピタリと足を止めて、教皇サマは呟いた。

 だが、こちらを振り向かない。

 声に苦笑を滲ませて、教皇サマは言った。

「愚王の息子のわりには、まだ分別のある若造であったな……」

「!?」

 その一言に、フェリ姫はビックリして目を見開いた。

「ですが……あの殿方は……」

「王族の血を引く者は少ない。……もともとクラヴィスの血統は、身に持ちたる魔力が強すぎる。受け止められる母体でなくば、新たな生命は宿らぬのだ。血が濃くなれば濃くなるほど、その傾向は高まる。……愚王の下劣な振る舞いに反し、子が少ないのはそのためだ」

「す、少ない血統を守るためでしたら、お認めになると仰るのですか!?」

「正統なる血は、評価せねばならぬ。だが……どのような血であってもよいというわけではない」

 あたしには意味不明なやりとりをして、教皇サマはまた歩き出した。

 フェリ姫はギュッと拳を握りしめて佇む。

「リーシェ。そして、ステラよ。時間があれば、また参るがよい。おぬし達ならば、よい退屈しのぎになろう」

 フェリ姫は弾かれたように顔を上げ、顔をほころばせて頷いた。

「ありがとうございます、猊下」

 教皇サマは答えない。ただ、ゆったりとした足取りで廊下の向こうへと去って行った。

「お義姉さま……?」

 あたしは残された神官達とフェリ姫を交互に見る。

 フェリ姫はなにやら獲物を狙う猫のような瞳でニッコリと笑った。

「さぁ、ベル。早く陛下にお会いしなくてはいけません。すぐに王宮に帰りますわよ!」



 教皇サマという人は、本当に本当に偉い人である。

 お城から大神殿に行く最中にフェリ姫が教えてくれたところによると、こうだ。

 貴族───政策を決め、王様に可否や裁可を申し出る人。

 国王───政策を決定する国のボス。

 教皇───唯一、国王の決定を覆せる人。

 本当はもっと詳しく教えてもらったのだが、もちろん半分以上覚えていない。

 で、前の王様の時代は、王様そのものがダメダメな人だったから、無茶苦茶な政策を止めるのにかなり大変だったらしい。でも、教皇サマが王様を押さえていてくれたので、変な命令を出さずにすんでいたのだそうだ。

 とはいえ、教皇サマが「駄目だ」って言っても、何人かの偉い重臣と国王が結託してしまえば、ダメダメな案だって通してしまえたらしい。三方のどれかに力が傾かないように、という配慮から、そうなっているんだそうだ。

 詳しくは教えてくれなかったが、綺麗なおねーちゃんはお城の女官にならなきゃいけないとか、そういう「あはん?」な命令があったとかなかったとか。

 前の王様……イロイロ困ったちゃんな人だったんだなぁ……

 しかし、今、大神殿から城に戻りながらフェリ姫が語るのは、昔の困ったちゃんな王様のことではなく、城で見た困ったちゃんぽい二人組のことである。

「つまり、猊下もあの『殿下』をすぐに王族と認めるつもりは無い、ということですわ」

 鼻から息を吐きそうな勢いでフェリ姫はそう言った。

「『殿下』って、あのガラの悪い人と一緒にいた、もう一人の方?」

「ええ。あのサイッテーな殿方と一緒にいた、影の薄そうな殿方ですわ」

 ……なにげに酷いことゆってる。

「先王によく似たご容姿といい猊下のお言葉といい、あの御方を先王陛下のご子息とみて間違いないようですわね。問題は、どうしてこの時期においでになったのかということですけれど……」

 言って、フェリ姫はあたしを見た。

 あたしは首を傾げる。

「あたしが、関係しているのです?」

「……そう考えるのが妥当でしょうね。シーゼルのご母堂たる御方を悪く言いたくはありませんけれど、相変わらず器の小さなご婦人ですわ。正当な血をひかない名前だけの王族を増やされるぐらいなら、馬番の子であろうともいっそ血をひいている子供のほうがマシだとでも考えたのでしょう」

「今まで隠していたのに、ひどいのです」

「まったくですわ! ワタクシ、これから陛下のところに文句を言いに行くつもりですの。どうせあの二人も陛下に謁見を願うつもりでしょうし! ……それにしても、嗚呼! なぜわざわざ他国からの賓客の多いこの時期に!? 悪意あるにしてもあんまりにも考え無しですわ!」

 ギリリ、と歯を食いしばるフェリ姫に、あたしは途方に暮れた顔で肩を落とした。

「それも、あたしのせいなのです?」

「なにを言うのです! あの女の根性悪さがあなたの責になるはずがないではありませんの! あの女は……失礼! あの女性は昔っから選民思想に凝り固まった前時代的な遺物なのですわ!」

 ……だいぶ酷いことゆってる。

「でも、前の王様の妹さんで、アウグスタのオバサンなのです」

「ええ。最低の王の最悪の妹ですわ。あの兄妹がいなければ、この国はもっと豊かでありましたでしょうに!」

 ぼすんぼすん、とシワのよったクッションを殴っていたフェリ姫は、ふと何かに気づいたようにあたしをジッと見た。

「それより──あと少ししたら正午ですわね。ベル、昼食はどちらでお召しになるの?」

「ご飯です!? もちろん、おじ様と一緒に食べるのですよ!」

「まぁ」

 目をキラリと光らせたあたしにフェリ姫は上品に微笑み、そっと声をひそめて言った。

「では、これを忘れてはいけませんわ。今まで言い忘れていたかもしれないのですけど、侯爵と同じ場所で起居されていることを決して口にしてはいけませんわよ?」

「ほぇ?」

「以前ならともかく、今は婚姻公示の期間なのですもの。本来、その期間は、婚約者となる二人は同じ家で住んではいけませんの」

 なんと!?

「婚姻公示は四十日間。その間は同居不可ということです。なので、侯爵は王都のお屋敷で起居されていることになっているのですわ。王宮で見かけた場合は、陛下に呼ばれて来た、ということにしていますの」

「でも、お城には門番さんがいるのですよ? 門のところで出入りが無かったら、やっぱりばれちゃうのではないのですか?」

「そこは大丈夫です。あの侯爵ですもの。人知れずこっそり城にあがっても不思議ではありませんし、面と向かって尋ねられる人なんて少ないですから、うやむやにしてしまえますわ!」

 ……レメクって……意外とグレーな人なのですね……

「だから、あなたも喋ってはいけませんわよ?」

「でも、侍女さん達には見られたのですよ?」

「ワタクシの侍女達なら問題ありませんわ」

「違うのです。花を持ってきた侍女さん達なのです」

「……何時頃、ですの?」

「朝早かったのです。おじ様に髪を編んでもらってた時に来たのですよ。あと、朝食を持ってきてくれた料理長さんにも見られているのです」

 そして料理長さんは輝く笑顔で謎のサムズアップをくれました。

「料理長なら大丈夫ですわ。あの方、昔から侯爵贔屓ですもの。……他の侍女達についてはワタクシ達のほうでなんとかしてさしあげます。平気ですわよ。あなたと侯爵の濃い間柄を考えれば、いくらでも言い訳が作れますもの!」

「お願いするのです!」

 頼りになるお義姉さまに、あたしはギュッと抱きついた。フェリ姫もあたしをギュッと抱きしめてくれる。

「では、昼餐会まで一時間ほどありますから、ワタクシと一緒に陛下にご挨拶に参りましょう! その後、侯爵のところにお帰りになるとよいですわ」

「にょっ!? お昼ご飯は正午では無いのですか?」

「市井ではそうかもしれませんけれど、貴族の昼餐は一時頃ですわ。その後、三時にお茶会があって、七時頃に晩餐となるのです」

「お昼とお茶の時間にほとんど間が無いですよ?」

「ええ。だから、昼餐は軽いものがほとんどなのです」

 あたしは毎回ガッツリ食べてた気がするのだが……

「それは、侯爵があなたのために特別に料理を作っていらっしゃったからではないかしら?」

「う……」

 そういえば、最初の頃などは食べる量に唖然とされたものだ。今では慣れてしまったのか、大量のご飯を用意してくれているのだが。

「閣下はきっと、ベルが大事でしかたないのですわ。お顔を見ればわかりますもの」

「ほ、本当?」

「ええ。もちろんですわ」

 力強く請け負って、フェリ姫は輝く笑顔で言った。

「だってワタクシ、あの方の笑顔なんて、あなたと出会うまで見たことも聞いたこともありませんでしたもの!」


   ※ ※ ※


 王様のいるお城のメインといえば、やはり謁見の間だとあたしは思う。

 なにせ雲上人である王様と会うことができる場所なのだ。それはそれは凄い造りに違いない。なんたってあのアウグスタが人と会う部屋なのだから!

 そう思っていたあたしは、フェリ姫と共に訪れた部屋を見てキョトンとした。

 普通の広間よりやや広めの部屋。

 大広間ほど大きくも広くもないそこは、造りだけなら大広間と同じような形になっていた。

 高い天井も、つり下げられた豪華なシャンデリアも一緒だ。

 違うといえば、大広間のように両端に二階席がなく、頭上から見下ろされることはないということ。

 そして、正面最奥に設置された玉座の後ろが、ガラス張りになっているということだった。

 ……なんか、思ったよりフツーなのだな……

「来たな、リーシェ。ベル」

 背後に光を従えて、豪奢な美貌が宛然と微笑む。

 謁見の間にはすでに何人もの人々がいたが、そのほとんどは両端に避けられていた。どうやら、謁見が終わったあとの何人かは──おそらくかなり高位の人々だろうけど──そのまま部屋に留まることを許されているらしい。

 その中にバルディアの王太子を見つけて、あたしは目を丸くした。

(王太子妃は……いないのね……?)

 別に居てほしくはないのだが、いなければいないでレメクのところにちょっかいかけに行ってやしないかとハラハラする。まぁ、ポテトさんがいる以上、よっぽどでないと誰も近寄れないだろうけど。

「ご機嫌麗しゅう、陛下」

「ごきげんうるわしゅー、陛下」

 アウグスタの前で綺麗な一礼をしてみせたフェリ姫に、あたしも習って一礼する。

 アウグスタは相好を崩してあたし達を抱きしめた。

「はは! おまえたちは本当に可愛いな! 教皇に会いに行ったのだろう? どうだった?」

「さすがは猊下、素晴らしい威厳に胸が高鳴りましたわ」

 ……そんな様子は欠片も無かったと思うんだけどなぁ……お義姉さま……

 アウグスタにギューされながら遠い目になったあたしは、綺麗な瞳を向けられて慌てて言葉を紡いだ。

「た、たくさんお話をしてもらったのです。名前もつけてもらったのですよ」

「ほう! 名前を貰ったか!」

 ザワッと揺れた周囲に、あたしは咄嗟に頭を巡らせかけ───

「んふふ! さすがの頑固者も、おまえの愛くるしさには敵わなんだということか!」

「ぎゅむっ!」

「へ、陛下! ベルが窒息してしまいますわっ」

 相変わらずスバラシイむっちりんに圧迫されて、そのまま腕に閉じこめられてしまった。

 ……とはいえ、この感触……どうやらまだ偽乳っぽい。

「それで、どんな名前をもらったのだ?」

 暴れるに暴れられず(なにせ暴れれば乳がズレる)、解放されるのを待っていたあたしは、ぷはっと息継ぎをしながら答えた。

「ステラ、なのです」

「ステラか……良い名だ。実に良い名だ」

 深々と頷いて、アウグスタはあたしの額に唇を落とした。

「ふふふ、私とお揃いだな。ステラとは星という意味だ。ベル。教皇はおまえを王族として認め、祝福した。おまえとレメクの結婚が楽しみだ! なぁ、リーシェ」

 すぐ近くのフェリ姫の額にも唇を落として、アウグスタは満足げに微笑む。

 フェリ姫もニッコリと微笑んだ。

「ええ、とても楽しみですわ、陛下」

「その前に、おまえがレンフォード家に嫁ぐのが先か。ん?」

「まぁ、いやですわ、陛下ったら」

 可愛らしく照れてみせるフェリ姫に、あたしも同じような仕草を真似してみた。

 なぜかアウグスタにはニンマリ笑われてしまったが。

「レンフォードといえば、叔母上がなにやら珍しい話題を持ってきてくれていたな。本人はまだ城に到着していないが」

「「え?」」

 あたし達を手放しながら言ったアウグスタに、フェリ姫とあたしは思わず顔を見合わせた。

「陛下。噂のお二方でしたら、ワタクシ達、猊下にお会いする前に王宮の奥で顔をあわせましたが」

「案内の人がいなかったので、お義姉さまと二人でお城の入り口まで連れていってあげたのです」

「ほぅ……? さすがだな、リーシェ。叔母上の話をおまえはもう知っているのか」

「はい。猊下からお言葉もいただきました。口ぶりから察するに、猊下はすでにお二方とお会いしておいでのようでしたが」

「ふむ。だが、私のところには挨拶はおろか、到着を知らす伝令も来ておらんぞ? それに、叔母上自身はまだ王都にも着いていないらしい」

「まぁ……」

 フェリ姫が驚いて眉をひそめ、あたしも首を傾げた。

 当人があれだけ堂々と城の奥まで来ていながら、王様に連絡がいっていないってどういうことなんだろう?

「解せませんな……」

 ふと渋い声が聞こえて、見ればヴェルナー閣下が眉をひそめていた。

「どなた様であれ、王宮の奥に足を踏み入れるのなら、陛下の許可を得なくてはなりません。まして、新参の者が勝手に歩き回るなど、あってはならぬことです」

「左様。例えレンフォード公爵の御一族といえど、王城内で勝手な振る舞いは許されません。そもそも、公爵夫人はこのたびの春の大祭も、欠席すると仰っておいでだったはずですが」

 そう言ったのはヴェルナー閣下の隣にいた男の人で、四十前後という感じのハンサムさんだった。彫りの深い顔が、なかなかに渋い。

「無茶を言うのは王族の常だな。私からして無茶の大盤振る舞いだから、大きな声では言えないが」

 口の端に笑みをくっつけて言うアウグスタに、周囲に満ちはじめた不穏なざわめきが微苦笑に変わった。一瞬ヤな感じに動きそうだった空気が軽くなって、あたしは目をキラリを光らせる。

 アウグスタは、場の空気というのをよく分かっているのである。

「何にせよ、今宵の舞踏会には顔を出すであろうよ。出さぬなら、不法侵入者としてしょっぴくと兵どもに伝えておけ。ヴェルナー、指示は頼むぞ」

「畏まりました」

 恭しく一礼する閣下に、アウグスタは頷く。すぐに視線をあたし達の方に向けて、柔らかく微笑んだ。

「さて、我が娘達よ。私はこれから二、三人と顔をあわせてから昼食なのだが、どうする?」

「ご一緒してもよろしいの?」

「かまわんよ。……とはいえ、ベルは他に一緒に食事をしたい相手がいるだろうがな」

 にや、と口の端を上げた女王様に、あたしはキラッと目を光らせる。

「おじ様の様子を見てくるのです!」

「ふふ。ならば、明日は二人揃って私の所に来るようにな。久しぶりに家族揃って食事といこうじゃないか」

「伝えておくのです!」

「よし。では、行け。───ポテト」

 その声と同時に、広間にいた全員が息を呑んだ。

 玉座の傍らに、いつのまにか凄まじい美貌の主が佇んでいたのだ。

「案内してやれ」

「畏まりました」

 ポテトさんが浮かべた微笑みに、一撃でノされてしまった一同がバタバタと倒れてゆく。無事だったのは顔を背けていた閣下等、わずか数人だ。

 ……ぬぉ!? バルディアの王太子さんも無事だ!

 あの笑顔に耐えるとは、なかなかの胆力である。ちなみにフェリ姫は早々と失神していた。

「さぁ、参りましょうか、お嬢さん」

 にこっと笑ったポテトさんに、あたしもニコッと笑う。

「よろしくお願いするのです!」

 視界の片隅に、倒れたフェリ姫を抱きかかえるアウグスタが見えた。

 その美しい顔には、苦笑と、どこか疲れたような笑みが浮かんでいた。



「アウグスタは大丈夫なのですか?」

 城の奥へと向かいながら、あたしは手を引いてくれるポテトさんに声をかけた。

 城の表側付近は人でごったがえしていたが、この辺りにはほとんど人がいない。

 表にいるのは他国からの来客や、昼頃になってようやく起き出して来た貴族の方々なのだろう。彼等貴族にとっては、正午を回ってからが一日の始まりなのだ。

「なんだか疲れてるように見えたのです」

「まぁ、ようやくレンさんが落ち着いて、ホッとした途端に新たな問題がやって来ましたからね」

「馬番さんの所の弟さん?」

「ええ、まぁ」

 ポテトさんは苦笑して頷く。

「あの姫君の情報網は侮れませんね。……いや、真に侮り難いのは伯爵の情報網ですか」

「ポテトさんは、シーゼルのお兄さんのこと、知ってる?」

「私がこの国を出たのは十三年も前のことですからね。まぁ、名前ぐらいは聞いたことがありますが、正直、たいして気にもとめていませんでしたから」

「そっか……ポテトさんなら、なんでも知ってそうな気がしてたけど、そーだよね……」

「帰ってきてすぐにイロイロ話しは聞きましたけどね。……なかなか興味深い方のようですが、私は深く関わるのを遠慮させていただきます」

「え。なんで?」

「面倒そうな人達が絡んでますからね。まぁ、どうせ出会うことは無いだろうという人は別にいいんですが、ご主人様の養女である方のほうはいつバッタリ会うかわからないから、あんまり近寄りたくないんですよね」

「なんで?」

「苦手なんですよ、どうにも。研究対象にされそうで」

 なんとも言えない顔で言われて、あたしは思わず口を半開きにしてしまった。

「ポテトさんでも苦手な人っているんだ!」

「いますよ~、もちろん。その苦手がイッパイ詰まってるような人に押しかけられると、私としても面倒でかないませんからね。件の兄君というのはその人に深く関わってますから、あんまり口にしたくないんですよ。ということで、このお話はここまででお願いします」

「はゃ~……」

 無敵に見える黒い人の意外な言葉に、思わず変な声が出る。

 世の中には凄い人もいるもんだ。

「話しは元に戻しますが、ご主人様のことに関しては、そんなに心配する必要はありませんよ。むしろ、義弟がもう一人いたって聞いて喜んでましたから」

「えっ!? そうなの?」

「ええ。自分より年下の王族って、今まで一人しかいなかったですからね」

「あ! 行方不明だっていう、メリディス族の王子様ね!」

「王子様……まぁ、そうですね」

 ポテトさんが微妙な半笑いになる。

「元々血の近い親族も少ないものですから、血の濃い『正統な』血筋をどうにかしないと、と悩んでいましたからね」

「……王様って、大変なのです」

「そうですね」

 苦笑して、ポテトさんはあたしの頭をポンポンと叩いた。

「まぁ、件の新しい弟とやらが、どこまでの人物なのかによってこれからの対応も違ってきますがね。そういえば、お嬢さんはもうお会いしたんですよね?」

「そうなのです!」

「どう思いました?」

「モヤモヤなのです!」

「そうですか」

 あたしの言葉に、ポテトさんは頷き、なるほど、と口の端を歪めた。

「どうやら、面白いことに……………………」

「……ポテトさん?」

 ナゼか途中で変な顔のまま硬直したポテトさんに、あたしはきょとんと首を傾げた。

 ポテトさんは青ざめた顔で硬直したまま、お嬢さん、とあたしを呼んだ。

「通路をこのまま真っ直ぐ進むと、中庭に出ますから、匂いを辿ってレンさんの所まで行ってくれますか?」

「にょ? 案内は?」

「申し訳ありません。ちょっと苦手がイッパイの人が待ちかまえているようですので、このあたりで失礼させていただきます。ああ、いっそその方に案内させてもらうのもよいかもしれませんね。聖女の木陰、という場所だと言えばわかりますからってもうこっちに突撃してきてます失礼ッ!」

 最後の部分は早口で告げ、ポテトさんはサッと身を翻した。途端、その姿が幻のように消える。

 と同時に、カカカカカカカカッと凄まじい音が今まで向かっていた先から聞こえてきた。

「あっ! いたわっ!」

 そちらに向き直り、真っ先に飛び込んできたのは紅蓮の髪。

 長く艶やかな髪に薔薇の髪飾りをつけ、その美少女はあたしの前に滑り込んできた。

「いやぁああああああ! メリディス族だわすごいわ本物よ! この髪ってばどんな色素でこうなってるのっ!?」

 バインバインと大きな胸を揺らせて駆け込んできたのは、見た目十七・八ぐらいの少女だった。胸はアウグスタよりは小振りだが、巨乳ぞろいの宿のおねーちゃん達と同じぐらいには大きかった。そして形がよい。

「うわぁカッワイイわ! さすがメリディス族ね! 肖像画のレティシア様とは印象が違うけど、バッチリ美少女だわ! いや、これはもう美幼女と新分類をつけるべきね! うん! そうするべきだわっ!」

 フンフンと鼻息も荒くあたしの全身を嘗めるように眺めるオネーサマに、あたしはじりじりと後ずさりながらポテトさんの気持ちを理解した。

 そうか。この人か。この人がポテトさんの『苦手がイッパイ』な人なのか!

「この愛くるしさはアレね、子猫とかが強者の保護を受けるために愛くるしく出来てるのと同じ理屈ね! この瞳! この鼻! この口! ちっさい体に、短い手足! そのくせ大きな頭! 間違いないわ!」

「……なにげに酷いこと言ってるのですよ……」

「声も可愛いわ! メリディス族は美声揃いって文献は正しかったのね! その歌声で魔法を発動させるんだったっけ!? ね、ちょっと歌ってみて! ねぇねぇねぇ!」

 ずいっずずずずいっと迫ってきた乳と顔に、あたしはいっそうじりじりと後ろに下がった。

 しかし、下がった分だけ両手をワキワキさせた変態美少女ににじり寄られる。

 あたしはぎゅむっと唇を引き結んで活路を探した。

 しかし、この美少女、細いナリのくせに妙に隙がない!

「お……」

「『お』!?」

「おじしゃま……っ」

「か、可愛いワッ! 可愛いわその涙目っ! ん~スリスリしたいわっ!」

「ってもうスリスリしてるのですみょぎゅん!」

 アウグスタほどでは無いものの、なかなかの圧力をもつ凶器に顔面を圧迫され、頭のあたりにズリズリと頬ずりをされてあたしはもがいた。

(ぽ、ぽ、ポテトさんの馬鹿ーッ!)

 相手がこんな危険人物だっていうのなら、もっと前もって情報を! 情報をくれていたら! そしたらあたしも逃げれたのにッ!

 あたしは短い手でペンペン抗議を行いながら、この少女が誰であるかを確信した。

 アルトリートが言っていた相手。

 フェリ姫が言っていた相手。

 その特徴が示す変態───すなわち、アディ姫であると!

「もにゅーっ!」

「奇声も可愛いわっ! これは大分類『愛玩』小分類『人科』に区分けしてじっくり研究をすべきねっ!」

 ハァハァと熱い意気込みを語る変態少女に、あたしの顔から血の気が下がった。

 イカン。本気で研究対象にされている。

 ここまで身の危険を感じたのは、最初にケニードと会った時以来である。

「もっ、もたしあっ、おじゅしゃまのところっ、いくですよ!」

「あっ! そんなに暴れないでよ、末姫ちゃん。おねーちゃんと一緒にいよーよー」

「やだっ! おじ様の所でご飯食べるんだからっ!」

 グネグネ動いて巨乳の間から顔を突き出し、あたしは短い手足でがんばった。

 しかし! 巨大な蛭のようなむっちり美少女は、そんなあたしを体を使って束縛する!

「じゃー、ご飯終わったら研究させてね!」

「うぁあん!」

 逃げられないあたしをモッチリと腕の中に捕獲したまま、アディ姫はスタスタと歩きはじめた。その様子に、あたしは慌てて声をあげる。

「おじ様がいるのはそっちじゃないもん! 中庭だもん! 聖女の木陰だもん!」

「およん? それって王族専用の庭園じゃない。侯爵ってば本当に特別視されてるわ~。うん。確かに食指をそそられる相手だけどね~」

 ……なぬっ!?

 あたしは抵抗をやめ、目をギラッと光らせてアディ姫を睨みあげた。

「おじ様はあたしの旦那様なのです!」

「およよっ? あっは~、末姫ちゃんヤキモチだー」

「ヤキモチだって焼くのです! おじ様を食べるのはあたしなのです!」

「そーゆーのは食べ方知ってから言わなきゃ駄目よ~?」

 むぅ! ピンポイントで痛いところをついてきましたね!?

「それはこれから勉強するのです!」

「まぁ、年からしてそうなるだろうけど。……って、聖女の木陰でいいの?」

 あたしが指さす方向に方向転換し、スタスタと歩いていくアディ姫。あたしはウンウンと大きく頷いた。

「そこでお昼ご飯を食べるのですよ。ようやくおじ様に会えるのです!」

「でも、聖女の木陰ってけっこう広いわよ?」

「近くまで行けば匂いがわかるのです! もう匂ってきてるのですよ!」

 あたしは通路の匂いをフンフンと嗅ぐ。フンフンフン……フンフンむっはぁ~!

「おじ様の匂いがするのです!」

「……メリディス族の嗅覚は個体を識別するほどに能力高し」

 ブツブツと呟いて、アディ姫がニヒルな笑みを浮かべる。

「んふふふふふ……これは、領地から王宮に来た甲斐があったってものね。メリディス族にクラウドール侯爵、この二つの研究対象を確保できるなんて! 春の大祭様々だわ!」

「あたし達を研究しても面白くなんてないのです!」

「いやいや~? 面白いわよ~? この世の不思議神秘謎不明解、全て解明しなきゃ気がすまないじゃな~い?」

「そんなの気にもならないのです!」

 というか、不明解って何だ?

「あと気になるのが、新顔のニーさんなのよねー。どーも後ろ暗いこと抱えてそうでさ~、血も気になるし、ちょっと裏とってみようっかなー?」

「そうです! そっちのニーさんを研究すればよいのです!」

「でもそのニーさんも、さっき聖女の木陰と同じ中庭に行こうとしてたのよね。基本、王族以外立ち入り禁止っての、知らないのかもねぇ」

「ええっ!? あの二人組、そんなところにまで行ってるのです!?」

「およよん? 二人組じゃなくって一人だったけど?」

「ええッ!? てゆか、それ以前にどーしてアディ姫はそれを止めなかったのですか!」

 あたしの声に、アディ姫はニンマリと笑って赤毛をくるくると指に巻き付けた。

「だぁってさー。そんなことしちゃったら、それをネタに研究協力させられなくなっちゃうじゃない? 相手の罪は、徹底的に利用しなきゃ駄目よ~?」

 ……キケンだ。

 このオネーサマは途方もなくキケンだ。

「あ。大丈夫よ、末姫ちゃんは、家族だからそういうのナシ! それにこんなに可愛いんだもの! 家族割引兼可愛い割引でいてあげるわ!」

「わ、割引以前に何の利用なのか怖いのです!」

「んふっ」

 笑って、アディ姫はぎゅむっとあたしを強く抱きしめた。

「それにしても~、私は名乗った覚えないんだけどな~? なんで末姫ちゃんは私を知ってるかな~?」

「アルとぇーとなんとかさんと、フェリお義姉さまから聞いたのです」

「おー。フェリ経由かー。あと、アルトリートね。ふむふむ。そういや、二人組っていうぐらいだから、本当なら二人セットでいるのが普通なの? で、噂じゃその二人って顔似てそうなんだけど、どれぐらい似てるの?」

 ……えーと、あの二人はどんなだったかとゆーと……

「……顔の作りとか、あと、目と髪の色が似てるのです。でも、身長とか、髪の質とか、ちょっと違ってるのですよ」

「お! いい観察眼持ってるね~」

「そういうの分からなくちゃ、下街では生きていけないのです」

「んんっ! 賢いぞっ! それが出来なくちゃ王宮でも生きていけないから、がんばるのよ~?」

 グリグリと旋毛付近に顎を擦りつけられ、あたしは「ぎょむー」と思わず悲鳴をあげてしまった。

 うう……早くレメクに会って、このモッチリ地獄から解放してもらわなくては!

 あたしはアディ姫に無理やり運ばれながら、口をギュムッと引き結んだ。

 アディ姫は長い足でサクサク歩き、はやばやと中庭に降り立つ。

 建物の中にポカンとできた空白のように、そこは吹き抜けの庭になっていた。

 その広さたるやかなりのものだ。あの大広間より一回りは大きい。

 建物の屋根を越えた風が、勢いを殺されながらあたし達のところにふんわりと降りてくる。それは直接受ける風にくらべて真綿のように柔らかく、弱かった。

「…………?」

 あたしはフンフンと匂いを嗅ぐ。

 大好きなレメクの匂いと一緒に、もう一つ不思議な匂いがした。

 スッとした潔さと、泣いてるような湿っぽさと、迷ってるようなモヤモヤ感がある匂いだ。そしてその中に、なにか甘くてしょっぱいものが混じっている。

 誰の匂いだろう?

 とりあえず、あたしを抱えている変態王女の匂いでは無さそうだ。

 あたしはヒクヒクと鼻を動かし、ふとあることに気づいて目を見開いた。

 アディ姫は、足音を殺して歩いていた。

 その歩みは今までと変わらず、なのにコソとも音がしない。

 完璧な無音で歩くお姫様の顔は、好奇心と欲望にギラギラと輝いていた。


「……が! どうして!」


 音をたてないアディ姫に反し、行く手からは声が聞こえてきた。

 なんだか悲鳴のような声だ。しかもどこかで聞いたことがある声である。

(あれは……)


「ですが……の色は!」


 確か、アルトリートとかいう、あのガラの悪いにーちゃん。

「誰と……」

「しっ」

 思わず呟いたあたしに、アディ姫が短く警告を発する。

 あたしは咄嗟に口を噤み、そそくさと声に近づくアディ姫を見上げた。

 アディ姫は真剣そのものの表情だ。

 小径と生け垣を迷路のように仕立て、道順を間違えればそれこそ出てこれなさそうなその庭をアディ姫はスイスイと泳ぐように歩いていく。

 そうして、とある生け垣の近くにソッと身を潜めた。

 あたしは鼻をヒクヒク動かす。

 集中しなくてもわかるほど、強く濃いレメクの匂いがした。


「俺は……!」

「静かに」


 驚くほど近くから、アルトリートとレメクの声がした。

 あたしは思わず飛び上がりかけ、アディ姫にムッチリと押さえつけられる。

 だが、


「ベル、そこにいますね?」


 バレてました。ナゼでしょう?

 唇を尖らせて目線を上げると、驚いたような困ったような顔をしたアディ姫と目があった。

 見つめ合うこと一秒。

 すぐにアディ姫は生け垣の向こう側へと身を滑らせる

「あっ! 赤毛女! と、ちみっちょ!」

「誰がちみっちょですかっ!」

 予想通りそこにいたアルトリートとレメクに、あたしはとりあえずアルトリートの方にクワッと眦をつり上げてから、ビョンッとアディ姫の腕の中から飛び出した。

「おじさまーっ!」

 全力で突撃。

 ごふ、とか言われた。

「べ、ベル……少し、加減していただけませんか」

「ご、ごめんなさいなのです」

 そういえば、レメクは病み上がりのヨワヨワさんだった。

 しゅんとなったあたしの頭を撫で、レメクがやんわりと抱きしめてくれる。アウグスタやアディ姫みたいな力一杯でない分、優しくて暖かいギューである。

「猊下にお会いしてきたそうですね」

「そうなのですよ。お名前もらったのです。ステラなのです」

「そうですか……星と名付けられましたか」

 そう呟くレメクの口元には、ハッキリそれとわかる微笑みが浮かんでいた。なんだか安心したような笑顔だ。

「……アデライーデ姫には、四月前にお会いした以来でしたね。素晴らしい隠行の術に感服いたしました」

「い、いやぁ……別にそんなたいしたことないし?」

 なぜかポカンとしていたアディ姫が、レメクに話しかけられバツの悪そうな顔になって視線を逸らせた。

 ……てゆか、おんぎょーの術ってなんだろうか?

「ベルを案内してくださったのですね。お礼申し上げます」

「あーうん、はい」

「これからベルと二人で昼食を摂るのですが、お二方もご一緒にいかがですか?」

「「「えっ!?」」」

 レメク以外の三者からあがった声に、レメクは素早くあたしに視線を向ける。

 めっ、とやられて、あたしはシオシオと首をすくめた。

 えー……レメクと二人っきりがよかったのにー……

「お二人とも知らぬ仲というわけではなさそうですし、食事は大勢でとったほうが美味しいようですから」

 言いながらあたしを降ろし、レメクは近くに置いてあった大きなバスケットに手を伸ばした。パカッと開くと、中にはパンやら肉やら果物やら。

「この通り、食べるものは沢山あります。飲むものも。私としましても、お二方にはお聞きしたいことがありますから」

 そう言って、レメクはいつもと変わらない静かな表情で、こちらを見ているアルトリートとアディ姫を見つめた。

「今この時に、あなた方が、この王宮においでになったことについて」

 と。



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