3 繋がり
教皇サマのお名前は、アルカンシェル・なんとかかんとか……なんとか。
全然覚えられなかったが、レメクと同じぐらい、やたらと長くて立派な『名前』の御方である。
名前が長いのは、たいてい『正当な血の流れ』をくんでたり、特別な領地をもってたり、先祖代々の家を継いでたりするせいなのだが、この条件が全部揃ってたりするとものすンごく長い名前になる。
例えばヴェルナー閣下とか、レメクとか、アルなんとかじーちゃんみたく。
迷惑だ。
(えーと……アルカンシェル・オルト……ヴォ……ヴァ?)
フェリ姫に書いてもらったメモを片手に、あたしは口の中で『尊い名前』を繰り返した。
しかし、いくら繰り返しても覚えれない。
名前なんて一個あれば十分だろうに、なんでこんなに、四つも五つも六つも七つもくっついてるんだろうか!
(もう、アルルじーちゃんでいいや)
ムスッと結論をくだして、あたしはメモをバックに仕舞った。
教皇様にお会いするということで、フェリ姫に着飾ってもらったあたしのドレスは青。
これは元々レメクに着せてもらったものなのだが、飾り襟と飾り袖を豪華なものに替えられていた。白い総レースのそれにあわせて、レースのショールも豪華になっている。
それと一緒に持たされたのが小さなバックで、中には可愛い手鏡とハンカチが入っていた。ついでに、アルルじーちゃんの名前メモも。
また、外に出る時には必ず付けろ、と言われたのが帽子で、これはレースのショールや髪飾り、またはティアラを代わりにすることができるらしい。
そういや、王宮にいる人はみんな何か頭に乗っけてたな……
メイドさんのフリフリ布とか、フェリ姫の髪飾りとか。
「帽子を被るのには、何か意味があるのですか?」
フェリ姫と手を繋いで廊下を歩きながら、あたしは頭の上に乗っている帽子をつつく。
綺麗な刺繍と鳥の羽根で飾られた帽子は、日差しを防ぐ帽子、というよりどちらかと言えば装身具だ。
「『身につけなくてはいけない』という規則はありませんわ」
あたしの問いに答えながら、フェリ姫は優雅に廊下を歩む。
いつもならその後ろにズラズラとメイドさん達が続くのだが、今は誰もおらず妙に廊下はガランとしていた。
見慣れた光景が広がってないと、なんだか妙な感じがしてソワソワしてしまう。
だが、聞けばメイドさん達を引き連れて歩いていたのは、あたしの世話をさせるためだけであって、フェリ姫自身のためではなかったらしい。
で、今から向かう先は教皇様のお膝元、大神殿。
そんな場所にメイドさん達を連れて行くわけにはいかない、ということで、あたしとフェリ姫の二人で廊下を歩いているのである。
ちなみにフェリ姫のメイド部隊は、今現在、あの大量のチューリップを分配するという使命に燃えていた。
どこに何を飾るべきか、などを熱く討論する彼女らに任せておけば、たぶん、帰って来たときにはすっからかんになっているだろう。
やれやれ。これでポテトさんの機嫌も治ればいいのだが……
「ナスティアは日差しが強い国ですから、直接太陽を頭に浴びないように、ということで誰でも昔から帽子を被っていたでしょう? その流れなのですわ」
言葉を続けたフェリ姫に、あたしは目をパチクリさせ、ジーッと美しいお義姉さまを見上げた。
「あたしみたいな貧民は、帽子なんて持ってませんでした」
「き、貴族にとってはそうだったんですのっ」
慌てて言い直し、フェリ姫はコホンと咳払い。
「もっとも、日差しを防ぐのでしたら日傘が一番良いのですわ。でも、乗馬中は日傘を差していられませんでしょう? だから、どうしても帽子を被りますの。なら、その帽子は美しく趣味の良いものであるべき。それで、帽子にも趣向を凝らしますの。ドレスに流行があるように、帽子にも流行がありますから、それをしてないと『遅れてる』とか『センスが無い』とか『きっと帽子を身につけることもできないんですわよ。おほほ』とか、他の方に馬鹿にされてしまうのですわ!」
過去に何かあったのか、フェリ姫がギリリ、と羽扇子を握りしめた。
「馬鹿にされるのが悔しいから、身につけるの?」
おっと、デスマスが抜けてしまった。
「べ、別に、全てがそうだというわけではありませんのよ? 美しく着飾りたいのは女として当然のことなんですもの。着飾る内容は多い方が良いということですわ。帽子、髪飾り、耳飾り、首飾り、腕輪、指輪、つけ爪、扇子、ドレスや靴もそうですし、ショールやベールも凝りたいところですわね。我が国では流行していませんけれど、バルディアでは付け黒子も流行っていますのよ? 星形とかハート形とか」
それは果たして黒子と言うのだろうか?
「アクセサリーの一つですわね。でも、黒子一つで印象がガラッと変わってしまうんですもの。それはそれで楽しそうでしょう?」
ウキウキと言うフェリ姫に、あたしは「はぁ」と気のない返事をしてしまった。
綺麗な服を着させてもらうのはすごく嬉しいのだが、元々そういう暮らしに慣れていないからか、着飾る、という言葉にはあまりドキドキしない。
なんというか、綺麗なものは遠目に憧れるほうが楽なのだ。
今着ているドレスだって、そりゃあもう細かいレースやら深みのある青色やらですごく綺麗なのだが、こんな服では街中を走り回るなんてできやしないし、ご飯の用意もできやしない。
掃除の手が行き届いていて、なおかつ絨毯が敷き詰められていて、埃や汚れとは無縁のお城の中でしか身動きできないような服だ。
ぶっちゃけ、生活するための服とは思えない。
考えてもみてほしい。
こんなドレスで掃除したり洗濯したりご飯作ったり買い物に行ったり、そういう普通の生活ができるかどうかを。
もちろん、できっこないのである。
綺麗なものは「綺麗だなぁ」と憧れるし、実際、街の服屋の前で、友達と一緒に飾られた服を憧れの目で眺めていた時もあった。
だが、実際こうして着飾られれば、嬉しい反面、どうにも落ち着かない。変な言い方だが、座りが悪いような気がして、なんとなくモゾモゾしちゃうのだ。
汚したり破いたりしたらどうしようっていう、気持ちが強いからだろうか?
考え込んでしまったあたしを見て、フェリ姫が背筋を伸ばして言う。
「ベル。上流階級の姫、特に王女は、自ら動くものではありませんの。それは褒められた行為ではありませんの」
「どうしてなの? です?」
おぅ。危うくデスを忘れるところだった。
「だって『姫』なんですもの」
意味不明。
「簡単ですわ。人はね、自分の見たいように相手を見るんですの。ワタクシ達は相手が望むよう振る舞わなくてはいけないんですわ。姫といえば、美しく清らかで愛らしい微笑みを浮かべ、時に言葉で相手を翻弄させながら無邪気そうにくすくす笑っているのが理想なんだそうですわよ」
無理だ。
「それから外れた行為をすると、途端にコソコソ裏で噂されてしまいますの。自分で何でもかんでもするなんで、育ちが悪いのではないかしら? とか。だから、動かずに『困ったわ』という仕草で他人を動かすのですわ。そうすると、ほら、服が汚れるような事態にはなりませんでしょう? そういう前提のもとに、こんなに動きにくい姿になっているのです」
ハッキリとそう言うところを見ると、フェリ姫もこの着飾った姿を『動きにくい姿』だと認識しているらしい。
だが、そもそも動かないことを前提にしているのだと言われれば、なるほどなぁ、と思うしかない。
「自分から動いたりしたら、所詮は没落した貴族の娘だから仕方がありませんわね女王様もあんな方を養女になさるなんてどういうことかしら、とか言われるのですわッ!」
またギリギリと羽扇子を握りしめるフェリ姫に、あたしはハラハラしながら周囲を見渡した。
お昼になっていないせいか、それともここが王宮の奥の方だからなのか、廊下はガランとしているがそれでも無人というわけではない。ちょっと離れた所には衛兵がいて、チラチラとこちらを見ていた。
まぁ、あたし達の声は小声だから、内容が駄々漏れってことは無いと思うけど。
「心配なさらなくても大丈夫ですわよ、ベル。あの方達は、ワタクシがこんなことを言っていても聞こえていませんもの。人はね、自分の聞きたい言葉だけを聞こうとするのですわ。よほどのことがない限り、言っても聞いてもらえませんの。今だってそうですわ。あちらにいらっしゃる方の頭の中にあるのは、可愛らしい姫君が二人でどこへ出かけるのだろう、ということだけですの」
「心を読んだのですか?」
「読まなくても聞こえてくるんですもの。ちょっと耳を塞ぎたい気持ちですわ。……塞いでも無駄ですけれどね」
はぁ、とため息をつくフェリ姫は、一瞬だけひどく疲れた顔をした。
人の心の声が聞こえ続けるというのは、いったいどんな感じなんだろうか。
あたしにはサッパリわからないが、きっと年中あちこちでザワザワと喋り続けられているような感じなんだろう。
って、今思ってることも聞こえてるのかな?
「聞こえてますわ。けれど、あなたのはあまり気に触りませんの」
そう言ってから、フェリ姫はピタリと足を止めた。
ちょうど下に降りる階段の近くだったので、あたしはキョトンと首を傾げる。
道を間違えたのだろうか?(とはいえ、あたしには今居るのだ何処かなんてサッパリわからないのだが)
「そういえば、ベル。ワタクシ不思議だったんですけれど、あなたの声は、聞こえたり聞こえなかったりで、なんだかすごく波があるのですわ」
「波?」
波というと、港でザザーンザザーンとくるアレのことだろうか?
「大きいときと小さい時がある、ということですわ。独り言のように考えが全部伝わってくるときがほとんどなんですけれど、時々、怖いぐらいシンとしてる時がありますの。他の方はたいてい全部筒抜けに聞こえてくるんですけれど……」
と言われても、その感覚がわからないあたしに分かるはずがない。
「アザゼル族同士だと無意識の『声』が聞こえにくいという風に、メリディス族にもそういうのがあるのかもしれませんわね。陛下みたいに特別な紋章を持っていらっしゃる方が相手の場合は、向こうから語りかけられない限り聞こえないように……」
ぶつぶつとフェリ姫が呟く。
どうやらフェリ姫にとってソレは大事なことであるらしい。
種族の特徴を把握するのは王族の務め、と言いきっていたフェリ姫だから、無視できない内容なのだろう。うん。
「……ベル。他人事ではありませんわよ? あなたの特徴なんですから」
「……う。そうでした」
「なにか心当たりはありません? 私に問いたそうな声はすごく聞こえるのに、深く考えてそうな時は全く聞こえてこないのですわ」
と言われても困る。
頭で考えるのは苦手なのです。
い、いや、頭脳プレイだってちゃんとできるんですけれどもっ!
例えばおじ様のお風呂に入る時間帯を察知して奇襲をかけるためには、まずおじ様がどのタイミングでお風呂に行こうとするのかを把握しないといけないわけで、それを分析するためにはその時の帰宅時間と疲れ具合と足運びと重心のほんの少しの差違を見分けて……
「……ベル。侯爵のお風呂の時間については考えなくてかまいませんから」
「なぜ筒抜けなのです!?」
すっごく深く考えているというのにっ!
「あなたの侯爵に関する声はそれはもうヒシヒシと感じるというか、聞こえてくるというか声高に叫ばれているような感じなのですわ」
それはもう、心の底から叫びたいという愛が迸っているのですよ!
この愛が! 愛が!! 愛がッ!!
「『それ』は聞こえてるのに、どうして真顔で考えているような時には何も聞こえないのかしら? 何かを考えてる、というのは分かりますのに。い、いえ、さっきも真顔ではありましたけれど」
「ナゼ真顔じゃアカンみたいな顔で言うのですか……」
ぼやきながら、あたしは顔をゴシゴシと手で擦った。
元々、フェリ姫自身『聞こえる声と聞こえない声があって、全部が聞こえるわけじゃない。それに自分から無理に心の中を読もうとはしていない』と言っていた。
なら、それでいいんじゃないかと思うのだが。
「ちょっと気になっただけなのですわ。だって、あなたの場合、その『聞こえる声と聞こえない声』の状況が全然一定じゃないんですもの。何の理由もなく『そう』だというのなら、相手の心の動きによって『聞こえてくる』幅が違うのではなく、ワタクシの力のほうに波があって、それで心の声が聞こえてこない、ということになるのですわ。この二つは全然違うことでしょう? もし、今まで思っていた『自分の能力の把握』が違っていたとしたら、大変なことですわ。いざ何か起こって、力が必要となった時に、手痛い失敗をしてしまいます」
なんだかすごくムズカシイことを言っている。
残念ながら、あたしにはサッパリだ。
もう『相手の人に問いかけたい内容だから聞こえてる』とか。
『大声で叫びたいぐらいの気持ちだから聞こえてる』とか。
『自分だけで考えたい内容だから聞こえてない』とかいう分け方でいいんじゃないかと思う。
あとは、その時一緒にいた誰かの存在でかき消される声があるとか。
ほら、いろんな人が一斉に喋ってたら、言葉じゃなくてワァアンていう音になっちゃうみたいな感じで。
「!? なるほど、そういう考え方もありますのね」
目を見開いて納得したフェリ姫に、あたしはとりあえずウンウンと頷いてみせた。
どうやら今の考えは筒抜けだったようだが、口で説明すると頭で考えるようにはうまくいかないから、ある意味ありがたいことだった。
あれですよ。
あたしは口下手なのです。うん。
「……そこは果てしなく疑問ですけれど」
どういう意味ですか?
ぼやいたお義姉さまをジーッと見上げるが、フェリ姫はまだ何か気になることがあるらしく、心ここにあらず、といった顔をしていた。
「むぅ」
困った。
あたしは立ち止まったままのフェリ姫の手を引っ張り、ピョンピョン跳ねながら言った。
「お義姉さま、それよりも教皇様、なのですよ」
「え? あぁ! そうでしたわね。いけませんわ。ワタクシとしたことが」
跳び回ったのがよかったのか、フェリ姫はハタと我に返り、慌てたように階段の方へと向かった。
考えに夢中になっていただけで、道はそのままで正しかったらしい。
それに安心しつつ手を引いてもらいながら歩き出したところで、またフェリ姫の足が止まる。
「お義姉さま?」
「……出ましたわ」
ぽつりと、あたしだけに聞こえる声で一言。
出ましたわ?
あたしはキョトンと瞬きをし、フェリ姫の視線を追って納得した。
階段の下から、こちらへ上ってこようとしている二人の青年。
よく似た面差しのその二人のうち、背の低い方がこちらを認めてニッコリと微笑む。
青年は、美しい金髪と青紫の瞳をしていた。
「御前を失礼いたしました、フェリシエーヌ王女殿下、ベル王女殿下」
階段の端に退き、丁寧に一礼する青年に、フェリ姫はあたしを背に庇うような形で相対する。
「あら。どなたでしたかしら?」
微笑みを含ませた愛らしい声。
優しく愛らしく柔らかい声、というのはこういう声のことを言うのだろう。あたしはうっとりとしながら、フェリ姫の声を頭の中に叩き込んだ。いつか真似してみるのである。
あら。どなたでしたかしら?
レメクに言ってみせたら、レメクもうっとりしてくれるだろうか?
「失礼いたしました、姫君。私の名はクリストフと申します」
フェリ姫は答えない。ただ、小首を傾げる仕草で「それで? どなた?」と表現する。
あたしの位置からは後ろ姿しか見えないが、きっとフェリ姫は無邪気そうな愛らしい表情をしているに違いない。
あたしは自分がフェリ姫の影に隠れているのを利用して、こっそりと相対する二人の様子を観察した。
美青年だ。大事なことなので二度言います。美青年だ。
どうも王宮という場所は美形があちこちから湧いて出るらしい。レメクを筆頭にいろんな美形がいっぱいだ(ちなみにポテトさんは別格なので数に数えない)。
「レンフォード侯爵様の所でお世話になっている者でございます」
恥ずかしげにそう言う相手の名が、クリストフ、というらしい。
なんか忘れそうなのでクリさんと呼ぼう。
綺麗な金髪は柔らかそうで、クリンクリンと癖がついている。曲がりのない真っ直ぐな髪にしようと思えば大変な苦労をしそうな髪だった。
顔立ちはすごく良い。レメクには負けるが、ケニードとはいい勝負だろう。
外見から推測するに、年は二十を過ぎたところ。
ただ、なんか変な感じがした。もやっとしたような感じだ。
なんだろう?
肌の色は白くて、瞳の色は青紫。
アウグスタと同じ目の色だ!
ただ、アウグスタみたいな爛々と輝く『綺麗さ』は無かった。なんかちょっと、濁ってる感じだ。
簡単に言えば、キラキラした美青年なんだけど、なんかドロッとした感じ。
……近づかない方がよさそうである。
その隣にいるのは、クリさんよりやや背が高い青年だった。
顔は隣のクリさんに似てるけど、こっちの人のほうがちょっと男らしい。日に焼けてるせいだろうか? 髪の色はやっぱりキラキラした金色で、クリさんよりはクリンクリンしていない。でもなんか、触ると気持ちよさそうな髪だった。
瞳の色はやっぱり青紫。
爛々としてないけど、濁ってもない。けど、なんか冷たくて暗い目の色だった。
ドロッというよりシーンッとかツーンッて感じ。あと、やっぱりなんかモヤモヤした感じがする。
これまたあんまり近づかない方がよさそうだった。
と思ったら相手と目があった。
思わず怯むが、向こうは一瞬、あたしよりも怯んだ顔をしていた。
だがすぐに無表情になる。
……おや?
「レンフォードというと、シーゼルのお知り合いかしら?」
朗らかな声でクリさんに尋ねるフェリ姫。
クリさんは恥ずかしそうに顔を伏せた。
「知り合いなど、とんでもございません。私は、しがない身の上ですので」
恐縮しきった声だったが、あたしは見た。
シーゼルの名前が出た瞬間、わずかに目元がひきつったのを。
フェリ姫も何かを感じ取ったのだろう。あたしの手を握ってる掌が、一瞬だけピクッと動いていた。
「まぁ……。それで、そちらの御方は?」
フェリ姫の声に、もう一人の方がちょっと目を瞠る。
自分に声をかけられるとは思ってもいなかったらしい。
……そういや、さっきからずーっと傍観者みたいな顔でいたな、この人。
出会ってから今まで、視界の片隅にあった相手の表情を思い出して、あたしは一人首を傾げていた。
クリさんなんかは恐縮したような態度でいるのだが、この男はちょっと違っている。
あたし達のこともあんまり興味無さそうな顔で眺めていたし、目があっただけで怯んでいたところを見ると、自分が見られているってことにも気づいていなかったらしい。
自分に無頓着な傍観者。敢えて表現するなら、そんな感じだ。
どういう人なんだろうか?
「レンフォード家の、アルトリート、という」
ぶっきらぼうな声で、彼は答える。
クリさんみたいに礼をするでもなく、突っ立ったままの返答は、フェリ姫の神経を逆撫でしたらしい。ピクッとまた掌が動いて、さっきまでふんわりしていたフェリ姫の空気が一変した。
「まぁ。では、あなたがシーゼルの異父兄様ですのね?」
どこかヒヤッとした気配を宿して、フェリ姫が言う。
アルトリートは軽く片眉を上げ、皮肉そうに笑った。
「そうなるな」
言葉の前に、フン、という笑いつき。
……あたしが言うのもなんだが、貴族にしてはガラ悪いぞ、この人。
シーゼルがフェリ姫に忠告してきたのも、このガラの悪さのせいかもしれない。
そういや、街に遊びに来る貴族にはこういう手合いがよくいたなぁ……金持ちのボンボンだってのに、ゴロツキみたいな感じの人。
まぁ、宿のおねーちゃん達には面白いぐらい簡単に手玉にとられてたけど。
「フェリシエーヌ、ってことは、あんたが次の公爵夫人か。確かに、見たことないぐらい綺麗な顔してるな」
「アル! 駄目だよ、お姫様相手に。謝らないと……」
慌ててクリさんが注意するが、相手は顔をしかめるだけで、お姫様相手に頭を下げる気はまるでない。
いや、まぁ、今の対応で、どこをどう謝ったらいいのかはあたしにはサッパリだが。
綺麗っていうのは、褒め言葉なのです。
「あら。褒めてくださって嬉しいですわ。けれど、見たこともないぐらい、というのは褒めすぎでしてよ」
「そうか? あぁ……そっちのちっこいのもそうか」
ちっこいの、というのはあたしのことらしい。
なんか、口は悪いけどおべんちゃらは上手いようだ。
ちっこいの、というのは余計だが。
「……いや、だけど……ちっこすぎないか? ベルっていう姫なら、たしか九つだって聞いてたが」
ムカッ!
さすがにムッとして、あたしはフェリ姫の後ろから飛び出し、彼女の横でムンと胸を張ってみせた。もちろん目はギンギンだ。
しかし、アルトリートは口の端をニィとつりあげる。
「やっぱりちっこすぎだろ」
失敬なーッ!
シャーッと飛びかかった途端、慌てたフェリ姫に抱きしめられてしまった。
とはいえ、フェリ姫の力はあんまり強くない。結果、あたしを抱きしめた格好のまま、フラフラと足下をふらつかせた。
「ベルっ! 落ち着きなさいませっ」
「お、おねぇしゃまっ!? 危ないのですよ!?」
「誰のせいだと思っているのです!?」
「おい馬鹿! 段差!」
フランフランと階段から落っこちかけたあたし達に、アルトリートも慌てたらしい。
ギョッとした顔で手を伸ばし、下へ落ちかけたフェリ姫ごとあたしを抱えて体勢を整えた。
「危ねぇだろ!? 階段だぞ!? ここ!」
「失礼な事を言うのが悪いのですよ!」
「ちっこいのをちっこいって言って何が悪いんだよ!?」
「人の身体的特徴をあげつらってはイカンと教わらなかったのですか!」
怒り心頭のあたしに、アルトリートは「教わってねぇ」とぼやく。
ちなみにあたしは現在進行中で教わっている最中である。
ぺちぺちとフェリ姫ごと抱き留めてくれている手を叩くと、アルトリートは嫌そうな顔であたしとフェリ姫を見下ろし、何を見て思ったのか、やおら低い声でぼやいた。
「くそ……ガキを相手にしたのが悪かった」
「「ガキ!?」」
あたしとフェリ姫の声がハモる。
なにやら頬を染めていたフェリ姫が、眦をつり上げてバシッとアルトリートの腕を叩いた。けっこう痛そうな音だ。
「あなた! 誰の許しを得てこのワタクシに触れているのです!」
「うをっ!?」
怒鳴られたアルトリートがギョッと目を剥く。
怒ったフェリ姫の迫力たるや、地獄の悪魔に等しいから当然であろう。
……って、あっあっ! お義姉さま!? なんであたしをギューする力が強くなるのです!?
「ぐぇえ」
ジタバタするあたしを抱きしめたまま、フェリ姫は素早くアルトリートの腕の中から逃げ出した。
あ、あたしも逃げたいのですよぐぇえええ……
「シーゼルの異母兄とはいえ、この王宮に入る許可を得ていない者が、なぜこんな奥深くまで来ているのですか! 衛兵に摘み出されないうちに立ち去りなさい!」
「はぁ!? なんなんだおまえ達は……くそっ。王宮の女はこんなのばっかりか!? さっきの女といい……て、おまえらそういや礼もねぇのかよ! 助けてやったってのに!」
「助けて!? あなたがベルに暴言を吐くから起こった事態でしょう!? ご自分の言ったことをまず謝りなさい!」
「だからちっこいのをちっこいって言って何が悪いんだよ! これから成長すりゃいいだけのことだろうが!」
「その『ちっこい』という言葉が女心を傷つけるのですわ! ベルだって好きでこんなに『ちっこい』わけではありませんのよ!? これからの成長だって、どうなるかわかりませんのに! あなたの言う『ちっこい』という言葉に、どれだけ傷ついていると思いますの!?」
「……今も傷ついているのですよお義姉さま達……」
「「あっ」」
どんよりとしたあたしの声に、二人して声をあげる無神経ども。
力の緩んだ隙にフェリ姫の腕の中から逃げ出して、あたしは階段の隅っこに丸くなった。
……くしょぅ。あたしだって好きでちっこいわけじゃないんだからね!?
「べ、ベル。ほら、これからいくらだって成長するわけですからっ」
「……さっきこれからの成長がどうなるかは分からないって言ってなかったか……?」
「うるさいですわ! あなたちょっと黙りなさい!」
ガァッと怒鳴られて、アルトリートが嫌そうな顔をしながら離れていく。
「くそ……本気でここの住人ってどうなってやがる……」
あの赤毛女といい、とぼやくのを聞いて、あたしはムッツリとふくれた顔のままアルトリートを見た。
赤毛女って誰だろう?
涙目でジトーッと見上げたのを何と誤解したのか、アルトリートは気まずそうな顔で視線を反らした。
「……悪かったな。ちっこいって言って」
また言ったな!?
「あなた学習能力が無いんですの?」
ツンツンしはじめたフェリ姫の口調はものすごく冷たい。
言われたアルトリートとクリさんが変な顔になったのも、たぶんそのせいだろう。元々綺麗な顔をしているだけに、フェリ姫が冷たくなるとすごい迫力なのだ。
……ええ。何に似てるのかなどは、もう怖くて口に出せませんが。
「さぁ、ベル。猊下にお会いしに行きますわよ」
あたしを覗き込み、ニコッと笑うフェリ姫に、あたしは目元をゴシゴシ拭いてから頷く。
「……あい。行くのです」
「あ、あのっ。姫君方」
そのままさっさと階段を下りはじめたあたし達に、慌てたようにクリさんが声をかけた。
振り返ると、ふてくされた顔のままそっぽ向くアルトリートに困ったような目を向けてから、クリさんがこちらに頭を下げる。
「申し訳ありません。実は王宮で迷ってしまっているんです。私達も連れて行ってはいただけませんか? 城の入り口まででかまいませんから!」
クリさんのその言葉に、フェリ姫とアルトリート、二人が揃って嫌そうな顔をしたのが印象的だった。
「まったく! 王宮で道に迷うですって!? 一本道を真っ直ぐに行けば玉座の間にたどり着くというのに、いったいどういうつもりだったのかしら!」
馬車の中、豪華な椅子の上のクッションに体を預けながら、フェリ姫は憤慨したように叫んだ。
実際、彼女はこのうえなくオカンムリだ。
「どういうつもりだったと思うのです?」
お義姉さまの怒りと言葉の意味がわからず、あたしは首を傾げて問うた。
フェリ姫の対面側に座っているあたしは、床に届かない足をプラプラさせながらクッションの海に埋もれている。
白地に花の模様が刺繍されている馬車内は、恐ろしいことに床も壁も天井も椅子も全部布張りでフカフカだった。レースやフリルもふんだんに使われている上、一緒に乗っているクッションもフカフカのフリフリ。
ちなみに外側は、陶器で出来たような艶やかな白に、金の装飾が施されている。もちろん、牽く馬は美しい白馬が二頭。
なんか魔法使いとかが魔法で出してきそうな馬車である。
ケニードの家の馬車と違い、恐ろしく可憐なこの馬車は、フェリ姫のためだけに作られた専用馬車であるらしい。
道理で凄まじく乙女チックなはずだ。
「どうせ王宮が物珍しいと探検していたに違いありませんわ。田舎者ですのね! けれど、萎縮せずに堂々とあちこちを回っていたというのなら、たいした度胸と言うべきかしら。それともなんという厚顔な、と怒るべきかしら! あぁ、それにしても、あの男、誰の胸が小さいですって!?」
「?」
そんな一言、言ってたっけかな?
あたしは思いっきり首を傾げ、ややあって「ああ」と思い至った。
「心の声が聞こえたのですね?」
「『うわ、胸、ちっさ』ですのよ!? あの男ッ! あンの男ぉッ!!」
怒りのままに叫びながら、フェリ姫はクッションをギューギューと両手で絞める。
哀れなクッションは、もう二度と元に戻らなさそうなぐらい絞られてしまった。
……心の声が聞こえるというのも、考えものである。
「オネーサマは、あたしのために怒っていたわけでは無かったのですね?」
「ワタクシ達二人のために怒っていたのですわ!」
クッションがいっそうギューギューと絞られる。そのうち縫い目から中身が飛び出しそうだ。
「それよりもお義姉さま。あの人が言っていた『赤毛女』という人に心あたりはあるですか?」
あたしの問いに、フェリ姫は怒り顔のまま顔をあげ、パチクリと目を瞬かせた。
「赤毛……? あぁ、アデライーデ姫のことですわね」
「アデライーデ?」
初めて聞く名前だ。
というか、赤毛女だけでよく名前が思いついたなぁ、お義姉さま……
「イメージが流れ込んで来たのですわ。赤毛、姫、眼鏡、胸が大きい、不躾、やや変態気味、観察、突拍子もない」
……そんなイメージってどーなんだろうか……
「そして十六、七才。これらの条件に該当するのは、アデライーデお姉様だけですわ」
全該当で断言!?
てゆか、どういう人なのです、そのお姉様は!
って……アデライーデ『お姉様』……?
その呼び方を使うということは、つまり──
「王女様……?」
「ええ。第十王女アデライーデ殿下。豊富な知識をもっていらっしゃる、通称『本の虫』ですわ」
……ヤな通称だな。
「ワタクシもどうかと思うのですけれど、ご本人が自らそう仰っているんですもの。あとは『真実の探求者』とか『智を求める者』とか『世界を読み解く者』とか」
「自分で言ってるのです?」
問うあたしに、フェリ姫はコックリ。
「ええ。ご自分で」
……危なそうな人だ。
忌憚無い意見を申し上げれば、そう「変人」。そう言わざるをえないだろう。
というか、そんな姫がいるのか……えらく個性的な人を選んだんだなぁ、アウグスタ。
「というか、アウグスタが養女にしてるのって、そういう人ばっかりなのかな……」
あのナザゼルという美女も、なかなかに一筋縄ではいかなさそーな人だった。フェリ姫も言わずもがな。なにやら個性的な面々ばかりだ。
「ベル。あなたもその例に漏れないということをお忘れ無く」
なにやらジト目のお姫様。
え。あたしも変人なの!?
「誰が変人でして!? そういう変な一括りにするのはおやめなさい! ……それにしても、あの男達、どうやってアディ姉様と知り合ったのかしら? むしろ、姉様の方から近寄って行ったのかしら……」
あたしを叱ってから、フェリ姫は思案する顔で小さくぼやく。
アデライーデ姫という人は、どうやらアディ姫と呼ぶらしい。短くて呼びやすいから、あたしもそっちで覚えよう。
「あの方は、好奇心をくすぐることがあるとすぐに飛んで行ってしまうから……あなたにも会いたがっていましたから、今日中にはお会いできると思いますわよ。もしかすると、猊下とお会いした帰りに待ちかまえていらっしゃるかも」
なかなか行動的な姫君のようだ。
フンフンと頷いていると、フェリ姫は苦笑して締め上げていたクッションを解放した。
クッションは完全にヨレてしまっている。
「まぁ、それにしても、あの二人……シーゼルの話を聞いた時にはどういう相手かと身構えましたけれど……」
呟いて、彼女はふと真剣な目をあたしに向けた。
「……ベルはどう思いまして?」
「モヤモヤなのです」
思ったままを言ったあたしに、フェリ姫が首を傾げる。
「どういう意味ですの?」
「それがよくわかんないの。……デス。なにかこう、二人ともモヤッとしてて、なんか違うなっていうか、でも何が違うのかはわからないっていうか、モヤモヤしてる感じ。あと、クリさんはドロッとしてて、アルトリートって人は暗い感じ」
「よ、よく分かりませんけれど……あなたの直感がそう思わせているのでしたら、何か意味があるのでしょうね」
フェリ姫いわく、メリディス族は直感で相手を判別する一族らしい。あたしが感じる『人の匂い』とやらも、その直感によってもたらされるものなのだろうと言っていた。
匂い。
「って、あれ? そういや、匂いがしなかったわ。あの二人」
「匂いがしない……?」
同じ言葉を繰り返して、フェリ姫は眉をひそめた。
「匂いを感じるのは特別な感情をもつ相手に限る、ということかしら」
そしてそのまま何かを考える顔になる。
「ということは、少なくともあの二人はあなたに対し、特別な感情を一切持っていないということですわね。マルグレーテ様の尖兵、と考えるのは早計かしら。いえ、違わないとしても、感情まで左右されてはいない、ということかしら。……それにしても、あの二人が王宮に着いているということは、マルグレーテ様も王宮に着いていると考えていいわけですわね。あの二人を登城させたのもあの方かしら。でなければ、誰が登城を……? それに、前王の妹君が到着したというわりには、王宮で騒ぎになっていないのが不気味ですわね。いったい、あの方はどこで何をしようとしているのかしら……」
ぶつぶつと呟くフェリ姫に、あたしは同じようなムズカシイ顔を作って腕組みをしてみる。
けれど、姿を真似たからといって、あたしの頭がフェリ姫みたいにいろんな想像を膨らませれるはずもない。
「マルグレーテって誰なのです?」
しばらく真似してから諦め、情報を集めようと口を開いたあたしに、フェリ姫は一瞬大きく目を見開いて言った。
「レンフォード公爵夫人ですわ」
知らなかったの? と問いたげな眼差しに、あたしはチョロッと視線を逃す。レメクから聞いたことがあるような気もするが、長そうな名前の人をこのあたしが覚えているはずもない。
……いや、そろそろ本気で覚えなきゃまずいとは思うのだが。
「えっと、シーゼルのオカアサマなのですね?」
「お母様、の呼び方が何やら微妙な感じでしたけれど……そうですわ。レンフォード公爵閣下の正妻でいらっしゃる方で、シーゼルの実のお母様。そして、陛下にとっては実の叔母にあたる方です」
「……えぇと。王族じゃない他人が王族になるのをすっごく嫌がってる人でしたよね?」
「ええ。ワタクシは王女の地位を得てシーゼルと再度婚約いたしましたから、そのことについてはそれほど文句は言われませんでしたけど……。あの方は、ある意味『貴族らしい貴族』ですから」
「貴族らしい貴族?」
「ええ。昔シーゼルの婚約者だった頃、家が没落した瞬間に婚約を破棄されてしまったことがありますの。地位が無ければ価値が無い、という考え方が徹底している御方ですわ。また、地位はあっても血筋が悪ければ同じく価値が無いという考え方の御方ですから、他の方が王女の地位を得たときはそれはもう大反対なさって……」
言って深いため息をつき、フェリ姫は言葉を続けた。
「ワタクシはまだその被害が少なかったとはいえ、やっぱりブツブツ言われましたのよ。今のあの方にとって、自分の血を引く息子で、なおかつ地位も血筋も良い姫君と娶せられるのはシーゼルだけですから。陛下の養女にならなければ、シーゼルとはもう一度婚約できなかったでしょうね」
皮肉な笑みを浮かべるフェリ姫に、あたしはちょっぴり身を乗り出す。
「お義姉さまの言い方だと、シーゼル以外にも血筋の良い息子さんがいたっぽいのですが」
「え……。え、ええ」
フェリ姫はわずかに顔を強ばらせ、視線を逸らした。
その様子にあたしは首を傾げる。
「性格がよくない息子さんだったの? ですか?」
「まさか! むしろ非の打ち所のない方でしたわ。穏やかで、優しくて、頭が良くて、とっても素敵な方でしたの。シーゼルにとっては憧れのお兄様でいらっしゃったのですわ」
ほぅほぅ。
「シーゼルより五つほど上で、小さい頃はシーゼルと一緒に遊んでもらったこともありますのよ。うんと小さな頃ですけれど」
ほんのりと頬を染めて微笑むフェリ姫は、なんだかとっても可愛らしく見えた。たぶん、フェリ姫にとっても『憧れのお兄様』だったに違いない。
……シーゼル。嫉妬したんじゃなかろーか。おにーさんに。
「でも、四年前に突然いなくなってしまいましたの」
「えぇ!?」
言われた言葉に驚いて、あたしは思わずビョンッと飛び上がる。
フェリ姫は一瞬だけビックリした顔をしてから、ややあって真面目な顔に戻り、何も知らないあたしに語ってくれた。
「シーゼルが末の公子であることは、知ってますわよね? シーゼルのお兄様やお姉様は、全員で五十八人。それでいて次の公爵と目されているのは末の子であるシーゼル。どうしてかは、わかりますわよね?」
「えーと……」
問われて、あたしはここ最近のレメクの授業を一生懸命思い出した。
確か、貴族の子供がいっぱいいる時、最も有力な後継者として候補に挙がるのは───
「『お母様の身分が一番高い』から?」
フェリ姫は大きく頷いた。
「そう。前国王陛下の妹君であるマルグレーテ様の御子以外に、レンフォード家を継げる人はいませんわ。畏れ多いことでしょう? 他の方を据えるなんて。でも、最初はシーゼルではありませんでしたの。シーゼルより年長で、マルグレーテ様と公爵閣下のご子息がもう一人いらっしゃったのですわ。だからこそ、当時王女ではなくシュヴァルツブルク侯爵の子であったワタクシとシーゼルは生まれながらの婚約者となったのです。もしシーゼルだけしかご子息がいらっしゃらなかったら、マルグレーテ様はワタクシを婚約者に据えようとは思わなかったはずですわ。是が非でも陛下に早く子を産めとか言いそうですし」
「アウグスタに子を産めって……」
「生まれた子が王女だったら、婚約者にできますでしょう? そういう意味ですわ。けれど、シーゼルより前に生まれているご子息がいて、その方は陛下のご養女と婚約なさっておいででしたから、シーゼルとは格下の家である侯爵家のワタクシでも婚約できたというわけです。いちおう、シュヴァルツブルク侯爵家にも、昔王女殿下が降嫁されたことがありますし、領地も大きかったですから、マルグレーテ様にとっては『許容範囲』だったのでしょうね」
なかなか生々しい話である。
というか、両親が同じお兄さんがいて、なおかつその人も『王女殿下』の婚約者だったんだ。
……そのわりに、そういう話がどこからも伝わっていないのだが。どうしてだ?
「伝わっていないのは当然ですわ。ある意味そのお話は禁忌ですもの」
「なんで?」
「だから、出奔なさったからですわ」
「あ!」
言われて、あたしはなるほどと納得した。
確かに、いなくなってしまった人なのだから、内緒にしてても不思議じゃない。
しかも相手が『前の王様の妹さんが産んだ子供』で、さらに言えば『レンフォード侯爵の跡取りになるはずだった』人だとすれば、誰もが口を噤んでしまったとしてもおかしくないのだ。
誰だって、自分より力の強い人の悪い噂をベラベラ喋りたくないはずだから。
……いや、敵対してれば、逆にベラベラしゃべるだろうけど。普通は挑発したくないから、ソッとしておくものなのである。喧嘩っ早い下街でさえそうなのだから、ドロドロした王宮ならもっと『そう』であるに違いない。
かわりに、裏側がすごいドロドロになってるかもしれないけど。
しどけなくクッションにもたれかかっていたフェリ姫は、あたしがちゃんと納得したのを確認してから、姿勢を正しながら当時を思い出そうとするように瞳を閉じた。
可憐な唇が言葉を紡ぐ。
「家も婚約者も放り出して、どこかに消えてしまって……四年前のことですから、当時お兄様は十四才──いえ、十四になる直前だったはずですわ。レンフォード家では代々十四になると同時に正式に後継の名乗りをあげることになっていますの。十四になるまでは、いつ後継者の身に何かあるかわからないから、という昔の教えを守っていらっしゃるから。……その儀式の前に、姿を消されたのです。レンフォード家は大混乱でしたのよ。……陛下は、驚いていらっしゃらなかったですけれど」
「……アウグスタは、驚かなかった……?」
その言葉に、あたしは首を傾げた。
公爵様のお家のことで、なおかつ王族の血をひいてる子供のことで、さらに自分の養女の婚約者でもあった人がいきなり消えたのに、驚かなかった?
「おそらく、陛下は知っていらっしゃったのではないかしら。その方が決して公爵家を継がないということが。……だから、ワタクシを『公爵夫人にするべく』シーゼルの婚約者にしたのですわ」
そういえば、前にもそんな感じの話を聞かされていた。
もっとも、その時にはシーゼルに同じ両親をもつお兄さんがいたなんて、聞かされなかったけど。
「陛下が本当に知っていらっしゃったのかは、確認していないから分かりませんわ。けれど、そう考えなければ、つじつまがあわないのです。陛下は何かを知っていて、それでワタクシをシーゼルの婚約者に据えたのだと思いますわ」
「尋ねたら答えてくれるんじゃないかな……?」
「それは分かりませんわ。情報というものには、与えるべき情報と、与えてはならない情報とがあるのです。ワタクシ達があの方がいなくなってしまったことに、どれだけ動揺していたか……陛下はご存じでいらっしゃいますわ。それなのに、何も言ってはくださらなかった。それはつまり、何かを知っていらっしゃったとしても、それをワタクシ達には知らすことはできない、という類のことなのでしょう。……それにね、あの方のことはシーゼルにとって深い傷なんですの。大好きなお兄様で、憧れの人で……それなのに、突然何も言わずにいなくなってしまったんですもの。陛下と問答をして、それがシーゼルの耳に入るのだけは、ワタクシ、嫌ですの」
「……お義姉さま……」
「大変でしたのよ、あの当時のシーゼルは。ワタクシに対しては、何も心配ないっていう顔をしてみせてましたけど……心の中はボロボロで」
心の声を聞いてしまうフェリ姫にとっては、シーゼルの本音は筒抜けだったのだろう。
けれど、たぶんシーゼルは表面だけはいつも通りに振る舞っていたに違いない。
あたしは知っている。男の子というのは、そういうものなのだと。
孤児仲間の男共にも妙にそういう意地っ張りなところがあった。たぶんあれが、男の矜持というやつなのだ。
「昔からお兄様と比べられながら育ってきた、ということもありますしね。それでもお兄様に表だって反発したりしなかったのは、お兄様のことが大好きだったからですわ。それなのに、そのお兄様もいなくなってしまった。残されたレンフォード家の人達は、すぐにシーゼルを次の公爵と見なしてお兄様のことは無かったことにされてしまった。クレマンス伯爵の地位を押しつけられ、いっそうお兄様と比べられながら育てられ……」
「…………」
「……もし、クラウドール侯爵がシーゼルに言葉をくれていなかったら、とっくの昔に心がどうにかなっていたかもしれませんわ」
「……? おじ様、が?」
「ええ。昔に、王宮でお会いした時にお言葉をいただいたそうですわ。その時はまだお兄様もいらっしゃって、シーゼルはただ、優れたお兄様と比べられてる末の公子、っていう状況でしたけど」
「……普通にその時点で拗ねたりすると思うんだけど」
誰だって、人と比べられながら過ごすのは嫌なはずだ。
その人が優秀であろうがなかろうが、それに違いはない。
「ええ。そうですわね……。シーゼルはお兄様のことがとっても好きでしたけど、それでもやっぱりいろいろ抱えていましたもの。でもお兄様のことは大好きで……苦しかったと思いますわ」
「それで、王宮でおじ様に会って、なにか言ってもらったのですね?」
それがどういう状況でなのかは知らないが、きっとシーゼルにとってはすごく印象的で、大事な言葉だったに違いない。
最初にシーゼルに会った時、ふてぶてしくて傲慢そうだった彼が、レメクに対してだけは人が変わったようになったのを覚えている。
あれはきっと、そういう過去を経たからこその態度なのだ。
「どういう言葉をいただいたのかは、ワタクシにも教えてくださいませんでしたわ。でも、心の支えにしているのだと思いますの。……ちょっと妬けますわよね。殿方同士のそういうのって」
少しだけ拗ねたように言うフェリ姫に、あたしは大きく頷いた。
確かに妬けるのです。
けれど同時に、レメクの言葉を──それが何であったのかは知らないが──心の支えにしただろうシーゼルの気持ちもよくわかる。
レメクの言葉には、そういうところがあるのだ。
例えどんなことがあっても、ギリギリの線で大事なものを守らせてくれるような、そんな力が。
「……ワタクシはね、ベル。本当は知っていますの。シーゼルが沢山の姫君とお話をして、情報を集めているのは……お兄様の消息をつきとめたいからなんだって」
「…………」
「沢山の情報を集めて、それを有効利用することが大事だと言ったのはワタクシですわ。そして、シーゼルはすぐにそれを実践した。その動機は、いなくなってしまったお兄様なのです。見つけてどうしたいのかは、分かりませんけれど。見つけたいと、そう思って、今なお探し続けているのですわ」
「……でも、お義姉さま」
シーゼルは、たぶん、それだけのためにお姫様の間を回っているのではないと思う。
その中には、確実にフェリ姫のための部分もあるはずだ。たくさんの情報を仕入れて、その中で大事なものを選択して、フェリ姫に伝えたりとか……
「ええ。分かってますわ。そういう一面もあるということは。……それに、女の人と会話することを心から楽しんでいるということも!」
……あ。なんか、いい話になりそうだったのに、最後に違うモノが混じってきた。
見れば、しんみりしていたフェリ姫が、眦をつり上げてしまっている。
「名を負う者として、果たさなくてはならぬ責務を負う者として、立派になってくれるのはワタクシとしても嬉しいですわ。……ですけどっ。レンフォード家のいらない習性を受け継ぐ必要は無いと思いますのよ!? あんの女好き一族……!」
姫君にあるまじき罵倒をするフェリ姫に、あたしは乾いた笑いをしながら遠い目になった。
そーいやアルトリートだかいう異母兄さんも、アディ姫とかいう巨乳の王女のこと口にしてたり、フェリ姫見て胸が無いとか言ってたりと、女の人に妙にからんでいる印象だ。
なんというか、血筋なのだなぁ……きっと。
あたしはプリプリ怒り出したフェリ姫を見ながら、ちょっとだけ思う。
人には、本当にいろいろなことがあるのだな、と。
最初に会った時には、あのシーゼルにそういう過去があるだなんて想像もできなかった。
フェリ姫にしてもそうだ。
王女になった際の経緯も、シーゼルと幼なじみであったことも、全く想像ができなかった。その時に教えてもらった言葉だけで、相手を判断して見ていた。
きっとその場かぎりの人であったなら、こんな風に過去を知ることはなかっただろう。
繋がりが深まることで、驚くような過去を垣間見て、少しまた少しとその人を理解する。
そしてその人達を通して、もっと沢山の人と繋がって、様々なことを知っていく。
不思議だと思う。
そういうのを何と表現するのかは、あたしには分からない。
けれど、レメクに聞けば微笑んで答えてくれるだろう。
確信をもって、そう思う。
答えはいつだって、あの人が持っているのだと。
だって今のあたしの全ては、レメクからはじまっているのだから。
※アデライーデ姫の赤毛は誤りではありません。理由はご本人登場までしばらくお待ちくださいv※