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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<虚飾の玉座編>
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2 動き出す者達

 あたしにあてがわえた部屋は、大小あわせて十室ある。

 廊下側から順に、待機室、応接室、鏡の間(大)、青の間、鏡の間(小)、談話室、執務室、寝室、浴室、化粧室兼衣装室。

 これらを全部まとめて『青の間』と呼ぶ。

 本来は四番目の大きな部屋を指す言葉なのだが、十室全部『高貴なる青』で統一された部屋なので、全部まるごとを指してそう呼ぶのだそうだ。

 正直どうでもいい話ではあるが、城の内部構造はきちんと把握しないといけないため、あたしの乏しい脳みその中にも、いろんな部屋の名前が詰め込まれていた。

 詰め込み人であるフェリ姫は、あれでなかなかの教育者である。

 その教え方ときたら、レメクと違って途轍(とてつ)もなく……い、いや、よそう。なんか変な汗が出てきた。

 それはともかく。

 部屋の一つ、執務室にフェリ姫がやって来たのは、予定よりも早い朝十時のことだった。

 あたしは丁度クッキーを頬張っていたところ。

 さくさくのクッキーはうまうまなのだが、一人で食べるのは妙に味気なかったり。

 誰か来ないかな、と思っていた矢先だったので、フェリ姫登場にはちょっぴり心がトキメキました。お義姉さまなんてイイタイミング!

 ちなみになんで一人執務室で食べているかというと、あたしが居るとレメクがちっとも安静にしないせいである。

 レメクときたら、安静にしていないといけないというのに、起きている間中ずっと王宮での心得を諭してくれちゃうのです。

 ええ。ぐるぐる巻きのアノ姿のままで。

 ……レメクいい人。愛ち(・)てる。

 とはいえ、そんなことばっかりしていてはレメクが全然休めない。

 ということで、泣く泣く離ればなれとなったわけであります。

 そんなあたしがいるこの執務室は、本来はお仕事のための部屋なのだそうだ。

 執務机だとかいう重厚な黒い大机の前には、大机の倍以上あるおっきなテーブルがドンと座っている。

 聞くところによると、前にこの部屋を使っていた王子様や王女様は、ここで重臣 (ヴェルナーのおじいちゃまみたいな人達ね!)達と様々な会議を開いていたらしい。

 王子様達が重臣達と会議するなんて、王様はどーしたのだろうかその場合、とか思っちゃうが、まぁ、前の王様も政治に全然興味が無かったというし、きっとそういう困ったオトーサンをもった王子様達だったんだろう。

 王様の子供というのも、イロイロ大変そうである。

 まぁ、そんなテーブルも、今はあたしのお菓子置き場と化しているが。

 しかし、あたしも今では『王様の子供』。

 そして、メイド部隊を引き連れてやって来た、お義姉さまことフェリシエーヌ姫も『王様の子供』である。

 ……あんまり他人事と思わない方がいいかもしれない。

 今日も清楚で可愛らしい美少女姫様は、取り次ぎの侍女さんを間に挟まず、ちゃっちゃと部屋に入って来た後、クッキーを頬張っていたあたしを認めてニッコリと微笑んだ。

「さぁ、今から教皇猊下の元へ参りますわよ!」

 部屋に入って開口一番。

 フェリ姫の第一声がソレである。

「ふ……! ふんぐぅ!? ぐぅぅッ!」

「まぁ!? ベル! あなた何を喉に詰まらせて……!」

「ふごぶぉ!?」

 喉に詰まったクッキーの塊に、あたしはビッタンビッタン机を叩いて助けを求めた。

 慌ててお義姉さま達がすっ飛んで来たのだが、ドンドンと容赦なく背を叩かれ、口の中には水を突っ込まれ、助けられてるのか追いつめられているのかサッパリな状況に。

 ……コロしゅ気ですか?

(おじ様助けてーッ!)

 あたしは全力で最愛のおじ様に救援発信。

 モチロン、未だに隣室でグルグル巻きにされてる彼の人が、助けに来てくれるはずはないのだが──


「ベル! いきなり何事ですか!?」


 来ましたよ。

 縄と布団の残り物を体にくっつけて、微妙に寝乱れちゃってるレメクが登場───

 ──かと思いきや、瞬時に黒い何かに捕縛され、あっという間にドアの向こうへと消えてしまった。

 きぃ~パッタン。

「「…………」」

 ……ごっくんこ。

「ぐふ! と、とれた。てゆか飲み込げふっ!」

「あら?」

 やっとこクッキーを飲み干したあたしの背に、容赦なくキマるメイドさんの一撃。

 あたしの体が吹っ飛んだ。

「ひ……ひどいのです……」

 綺麗に床に飛ばされたあたしをメイドさん達が慌てて起こす。涙目で見上げれば、そこにはキラキラしいお姿の美女達が。

「申し訳ございません、妹姫様。お体は大丈夫でしたでしょうか?」

 ……相変わらず、あたしの名前はイモウトヒメサマであるらしい。

 どうでもいいが、綺麗な顔してけっこう力強いぞ、このオネーサマ達。

「と、ところで、ベル。さっきチラッと見えた、半分お布団に包まれてた方……ドナタダッタノカシラ……?」

 寝室への扉を凝視したまま、あたしの顔をぐいぐいハンカチで拭こうとしているフェリ姫が、顔をひきつらせながらそう問うてきた。

 ちなみにハンカチは、あたしの頬とか喉とかをぐいぐい拭ってくれてます。

 ……おねーさま。とりあえずこっち見ろ。

「おじごふ、様、にゃげふ、のです」

 ちょっと喉えぐられた。

 どうやらレメクの『半分蓑虫』姿は、お義姉さまに少なからぬ衝撃を与えたようだ。

 メイドさん達が寄って来て、引きつった顔のまま寝室を見ているフェリ姫から、あたしを救出してくれる。

 ゴシゴシと顔を拭かれて、あたしはようやく一息ついた。 

「で、ですけれど、ベル? あの黒い物体は……」

「アレはポテトさんのオヤゴコロなのです」

「あのウネウネしていた縄みたいなのが!?」

 モチロンですとも。

「それよりも、お義姉さま」

「ぇえ!? あぁ、な、なんです?」

 何か非常に動揺している姉姫様に、あたしは部屋を見渡して首を傾げた。

「この部屋に、何か言うことはないのですか?」

 もちろん、部屋には所狭しとチューリップが飾られている。

 もはや飾っているというより並べているという有様だったが、フェリ姫は何度かの瞬きの後、軽く首を傾げてからこう言った。

「青の間が美しいということは、この前じっくりと堪能させていただきましてよ?」

 ……異様な数のチューリップは、どうでもいいことらしい……

 唖然としたあたしの心を読み取って、フェリ姫は「あぁ」と笑った。

「お花のことでしたのね。ベルは初めてだから驚いたのでしょうけれど、バルディアの方はお花を贈るのが大好きなのですわ」

 大好きって……

「祝いの時、慰めの時、お詫びの時。時節や挨拶、お手紙のついで……それはもう、いろんな理由で花を贈るのだそうですわ。とても有名なことなのでしてよ?」

 といっても、限度ってもんがあると思うのだが。

「まぁ……これほど凄まじい量なのは、王族ならではでしょうけれど」

「……おじ様もびっくりしてたのですよ」

 なにせ十室ある部屋全部が花で埋まっている。寝室にまで持ってこざるを得なかった花々は、正直アリガタイというより迷惑だ。

 おじ様、で先程の光景を思い出したのか、フェリ姫が頭を抱えて唸る。

 しかし、ほどなく復活してシャキンと背を伸ばした。

「普通、殿方に大量の花を贈る殿方、というのはいらっしゃいませんもの。そのせいですわ」

 けっこう立ち直りの早い人である。

 しかし、男の人に花を贈る男の人。……別のものを贈りまくってる人なら約一名、心当たりがあるのだが。

 なんとなく遠い目になったあたしに、フェリ姫は「あぁ、でも」と何を思いだしたのかくすくす笑いだす。

「わたくし、昔に聞いたことがありますわ。クラウドール卿がわたくし達よりも少し年長……そうですわね、十五、六ぐらいの頃でしたかしら? バルディアのどなたかに毎日毎日花束を送られたことがあったのだと」

 ……なんと!?

「で、クラウドール卿は、その花束を毎日毎日陛下に届けていたのですって。持ってても仕方がないからと仰って」

 ……な、なんと……

「確かそのお方も、バルディアの王太子様でいらっしゃったと思いましてよ?」

 あたしの顎が落っこちた。

「まぁ、ベル。なんてお顔をなさいますの」

「だ……え、えー!?」

「ふふふ。面白いお話でしょう? あの方、お気に入りの人には花を贈らずにはいられないお方のようでしてよ。わたくしも会うたびにお花を頂戴いたしますの。何かあるたびに花を贈るのはバルディアの風習ですもの」

 ……でも毎日ってどうなんだろ……

 ある意味ケニード以上に危険なお人のような気が。

(……ん? でも、そうなると、ポテトさんが嫌そうな顔してたのって……)

 異様に冷ややかな目のポテトさんを思い出して、あたしは(もしかして)と名推理を働かせた。

 ポテトさんと言えば、レメクのことが大好きなお義父さんである。

 その大好きっぷりたるや、『丸かじりにしたいほど』だと自ら言うほどである。そんな『おとーさん』が、大事な息子に寄ってくる危険っぽい人をどう思うか。

 おまけにアウグスタに結婚を申し込んでいたこともあるようだし、それはもう、ポテトさんから見たらすっごいイヤな人に違いない。

 あたしから見たら、爽やかそうな美青年だったんだけどなぁ……

「ねぇ、ベル」

「ほぇ?」

 なかなかに難しい人間模様にウンウン唸っていると、フェリ姫がなにやら微苦笑を浮かべて声をかけてきた。

「このお花、ありすぎて邪魔なのでしたら、女官長にお願いしておきましょう。これだけ見事なお花なのですもの。飾る場所は沢山ありましてよ?」

「頂き物なのに、良いのでありますか?」

 かしこまって問うと、フェリ姫は「ええ」と首肯。

「王太子殿下には『素晴らしいお花でしたので、みなにも見ていただきたくて飾らせていただきましたの』とでも伝えればよろしいのよ。お手紙を書いておくといいですわ。実際、沢山の花を頂いたときは、侍女に下げ渡すか何かしないと、どうにもなりませんもの」

 フェリ姫ぐらい綺麗なお姫様なら、そういう体験もあるのだろう。

 なるほどと頷いて、あたしはシャキンと背を伸ばした。

 一つの問題が解決したのなら、もう一つの問題にとりかかるのです。

「ところで、お義姉さま。教皇様の所に行くって、本当なのですか?」

「えぇ」

 頷いて、フェリ姫は軽く苦笑する。

 メイドさんの一人が髪飾りをあたしの髪にあて、首を傾げてからまた別の髪飾りをあてていた。

「本当ならもっと早くお目通りするはずだったのに、結局、いろいろあって一度もお会いできていませんでしょう? 最初の時はあなたが目覚められたすぐ後で、体調も思わしくない時でしたし……」

 ……あー。確か、三日ぐらい昏倒してた後のアレですね。

「その次は──つい昨日のことですけれど、クラウドール卿ともども、ナイトロード様に眠らされてしまったでしょう? あの時も、猊下はわざわざ足を運んでくださっていたのですが、会うこともできないままに教会にお戻りになりました」

「えぇ!?」

 お、お、お義父さまっ!?

 なんか、お義父さまがあたし達を眠らせたことになってますよ!?

 そして、教皇様は追い払われるかなんかしたらしい。

 前のアウグスタのとあわせると二回目だ。

「まぁ、事情が事情でしたから、猊下も怒ってはいらっしゃらないと思うのですけれど……不愉快には思われたでしょうね」

 口元に軽く手をあてて、フェリ姫は困り顔。

「そ、それってやっぱり、すごくマズくていけないことなんじゃ……?」

「ベル。言葉遣い」

 ……あい。

「猊下とナイトロード様は、あまり仲がよろしくないと聞いています。あの凄絶にお美しい方に面と向かって悪態をつけられるのは、今は猊下と陛下だけですわ」

 ……それって仲良いんじゃなかろーか?

「教皇様は、どういう人なのです?」

「猊下、とお呼びなさいませ。……猊下は厳格な御方ですわ。前々国王陛下の異母兄君という、お血筋もとても高貴な御方で、国の内外に強い影響力をもっておいでです。噂によると、お若い頃は血気盛んでいらっしゃったそうなのですが……わたくしは、『貫禄ある落ち着いた』猊下しか存じませんから、詳しいことはわかりませんの。……ただ、陛下曰く『頭の硬い頑固ジジイ』なのだそうですわ」

 ……ガンコジジイって……

 なんかアウグスタの感想のせいで、せっかくできていた『厳格で貫禄のあるおじーちゃん』像が、偏屈おじーちゃん像に変わってしまったのです。

 身内だからって、神様に一番近い(ポテトさん除く)人なのに、ちょっと遠慮が無さ過ぎるんじゃないだろーか?

 ……いや、そういえば、前々国王陛下のお兄さんってことは、アウグスタにとっては──

 ……えーと、なんだ。家族だ。

「……お祖父さまの兄、と覚えなさい」

「……あい」

「それと、もうクラウドール卿から習ったかもしれませんが、今の国政は三つの力から成り立っています。一つは『王』。つまり、陛下。もう一つは『貴族』。これは、筆頭貴族として宰相閣下が代表に立たれます。そして最後の一つが『教皇』。つまり猊下ですわ」

 ……習ったかもしれませんが、忘れてます。

「政や、何か大きな物事を動かす時、三つの権力のうち二つ以上が『可』を出さなくてはならない。すなわち、猊下はそのうちの一柱を担うほどの御方なのです」

 ……えーと?

 小首を傾げて見上げると、フェリ姫はちょっとこめかみを指で揉みながら言った。

「つまり、尊くて高貴で偉い方なのです」

 なるほどなるほど。とにかく偉い人なのですな。

「でも、国で一番偉いのは、アウグスタじゃないのですか?」

「もちろん、陛下が一番『偉い』方ですわ。けれど、お一人で何もかもやってしまえるわけではありませんの。考えてもごらんなさいませ。前王の時代、もし『王』が何もかも独断で出来るような形だったら、ナスティアはとうに滅んでいましたわよ」

 ……と言われても、前王の時代を知らないから、よくわからないのだが。

「まだそこまで授業が進んでいませんのね。仕方ありませんわ。神殿への道すがら、私がお教えいたしますわ。……とりあえず、訪問の用意をなさいませ。ここでお喋りをするのは楽しいことですけれど、万が一猊下をお待たせするようなことがあってはいけませんもの」

 ふと気付けば、周りには帽子やらドレスやらをもったメイドさん達がわらわらと寄ってきていた。

 ……そーいや、会話の間中、髪飾りとかドレスとか体に合わせられてたな……

「ドレスはそのままのほうがよろしいわね。飾り襟をもう少し大人っぽいものに交換して、髪を結いましょう。それが終わったら、神殿に参りますわよ」

「「「「はい。姫様」」」」

 見事にそろったメイドさんの声。

 あたしはキョロキョロと周囲を見渡し……しょんぼりと俯いた。

 こういう時、とっさにレメクの姿を探してしまうのは、あたしの心が弱いせいだろう。

 テン、テン、と両足を踏ん張って、あたしは俯いていた顔を上げる。

 足がちょっとプルプルしてきたのは、誰にも内緒なのです。



 執務室を出て三部屋ほど通過すると、そこには先客が一人いた。

「シーゼル!?」

 上品な応接室の中、大量のチューリップの前で所在なげにうろうろしていたのは、フェリ姫の婚約者である……

 えー……トイレ待ち伏せ伯爵である。

『シーゼルですわ』

 速攻でツッコミが。

「あぁ……フェリシエーヌ姫」

 あたし達のほうを見たシーゼルは、どこかホッとした顔でフェリ姫を見つめ、チラッとだけあたしを見た。

 ……およ?

「あなた、なぜベルの部屋に来ていますの!? ここは陛下の許可がなくては入れない場所でしてよ!? おまけに、何です! 取り次ぎの侍女もなしに部屋の中にまで……!」

「ま、待って、姫! 僕……私はべつに無断で入ったわけじゃなくて……!」

「姫様。クレマンス伯爵は、陛下の許可を得てこちらにおいでになったのです」

 怒りの気炎を身に纏いつつ、ズカズカと大股に伯爵に詰め寄っていくお義姉さまと、腰が引けている少年伯爵。

 あたしは思わず半笑いで見守ってしまった。

 ……力関係がハッキリしてるなぁ……

「では! 陛下の許可を得てまで、ベルの部屋に入ってきているのはどういうことでして!?」

「そ、外だと……その……ちょっと障りがあるから……」

「障り!? なんの障りがあると言うのです!? だいたい……シュネー! どうしてシーゼルをここに入れたりなんてしたの! 用件もわたくし達に伝えないで……!」

「姫! あなたに会いに来たんです! 部屋に行ったら、こっちに行ったって言うから!」

「え」

 言われて、フェリ姫はビタッと動きを止めた。

 とばっちりで怒られていた美貌のメイドさんが、コクコクとお義姉さまに頷いてみせる。

 フェリ姫が大いに動揺した。

「わ、わたくしに、会いに、ですって?」

 ぎくしゃくと後ろ歩きでこっちに戻って来たかと思ったら、そっぽ向いて長い金髪を指でクルクル。

「あ、会いに来たのでしたら、そう仰ればよろしいのですわ! だ、だいたい! 普通は使者を先にたてるものではありませんでして!? 他の方にはそうやって手間暇かけるくせに、わたくしの時だけ頓着しないだなんて……!」

「い、いや、急いでたから」

「急いで……会いに……おいでになったの!? そ、それならそうと言ってくださればわたくしだって……」

 フェリ姫。ごにょごにょ。

 頬がほんのり染まっているのが、なんとも乙女なのであります。

 ……相手はアレな人なのだが……

「そ……そうですわ。いつもいつもあなたがいけないんですわ。縄で縛っておかないとあっちこっちにフラフラして! 樽に詰めて浮かべてあげようかしらなんて本気で考えてしまうんですもの!」

 ……お義姉さまもアレな人なのだが……

「わざわざベルのお部屋にまで追いかけて来られるなんて、す、少しはトノガタとしての心構えが」

「そんなことより! フェリシエーヌ姫、話を聞いてもらえませんか!?」

 急ぐ理由でもあったのか、シーゼルが大慌てでフェリ姫の言葉を遮った。

 薔薇色の気配だったお姫様が、黒い声で「……『そんなことより』……?」と呟く。

「大事な話があるんです。そんなに時間はとらせませんから。ただ……人払いをしていただきたいのです」

「……人払い……」

 真っ黒な声のままのフェリ姫に、あたしはそろそろと後退しながら二人を見比べる。

 シーゼルと目があって、あたしは数歩分をぴょんと飛び退いた。

「? あぁ……すまないが、少しだけ席を外してくれないか」

 シーゼルの声に、あたしはコクコクと頷いた。

 すでにメイドさん達は壁際に待避済みで、あたしはそそくさとそちらへと逃げ……いや、赴いた。

 しかし、

「……お待ちなさい。ベル」

 ……ギクッ!

 そらおっそろしい声で呼び止められ、あたしはビクッと飛び上がる。

(……お……お義姉さま?)

 振り返った眼差しの先で、ゆらり、とフェリ姫が動いた。

「あなたはこの部屋の主。退出にはおよびませんわ」

(ひぃ!)

「姫……!」

「シーゼル。用があるなら早くお話になれば? わたくし達は、猊下の元へ行かなくてはいけませんの。時間がありませんのよ。……ええ。早くお話になればよろしいのよッ」

 ものすっごく険悪な目のお義姉さま。

 受けて、シーゼルはおろおろと視線を彷徨わせた。

「え。で、ですが」

「早く!」

「内密な話で」

「誰も他にべらべら喋ったりいたしませんわ!」

 シーゼルは困った顔であたし達とフェリ姫とを交互に眺めていたが、あたし達が隅っこでプルプル震えているのを見ると、諦めたような息をついて言った。

「……『母上』が……動いたんです」

 その一言に、不穏なオーラに包まれていた姫君が目を見開く。

 シーゼルの『母上』っていうと……

「レンフォード公爵夫人が……?」

 フェリ姫の声に、あたしはふんふん(そんな感じの名前でした)と頷いた。

「そう……あの人は……あなたならご存じでしょうけど、昔、前第二王妃の後見人になって、王宮を牛耳ろうとしたこともある人です。今の陛下の代になった時も、年若いからって同じことをしようとしたぐらいで……」

「知っていますわ。それで提案を断られた腹いせに、ご自分の腹心や知古の貴族達を連れて領地にお帰りになったんでしたわよね? 当時、王宮では重臣達とされていた者も多く引き連れて行って。『政が上手くいかなくなればいい……』と」

 ……ヤなオバサンだな……公爵夫人……

「おそらく、そういう気持ちでやったのでしょうね」

「王家の出であるのならば、なおのこと国民のために在らねばならぬというのに……! いったい政治をなんと心得ているのか……ッ! あの方々が『お母様』と血の繋がった家族だなんて、信じられませんわ!」

「ま、まぁまぁ、姫。今の女王陛下は傑物でいらっしゃるから……」

「ええ! 陛下は素晴らしいお方でいらっしゃるわ! けれど、実のお父上や叔母上があんなだとは……ッ!」

 なにか思うところが多々あるらしく、フェリ姫は羽扇子(エヴァンターユ)をギリギリと握りしめる。

 ……いつか壊れるんじゃなかろーか。あの羽扇子……

「まぁ、とはいえ、陛下はそのことを(こと)(ほか)喜ばれたそうですけれど! 過去をお話くださった時、『これで鼠に倉庫を荒らされずにすむ』と思ったのだと仰ってましたわ!」

 ……アウグスタなら言いそうだ。

 にしても、公爵夫人って……一体どんな人なんだろーか?

 アウグスタが喜んだってことは、某孤児院の腹黒院長達みたいに、正義の仮面が爆発しちゃいそうな相手だったのかもしれない。

 あんまり近づきたくない相手である。

「その公爵夫人がわざわざこの時においでになるということは……」

 呟きながら、フェリ姫がチラッとあたしを見た。

「?」

 あたしは首を傾げてみせる。

 お義姉さまとあたしの動作に、シーゼルは首を縦に振る。

「たぶん、あなたの想像通りだと思います。母上が屋敷を発ったのは三日前です。なんでもすごく急な行動だったらしくて、随従もいつもみたいに沢山連れていません」

 フェリ姫は苦い顔になり、チラとまたあたしを見た。

 なんでしょう?

「つまり、夫人は『不服申し立て』においでになるの?」

「……おそらく。少なくとも、似たようなことは言うと思います。末姫も侯爵も母とは本来関係のない人ですけど──」

 言って、シーゼルもチラッとあたしを見た。

「けど、彼女は『王の娘』になった。なら、『前王の妹』である母は、書類の上では近親者。だから、不服申し立てはできるはずなんです」

「……わたくしの時は、あなたが婚約者だったから何もなかったですけれど……」

「そう。母は、王の血をひかない『王族』の誕生が気に入らないんです。以前から、陛下の養女に関しては難をつけていたぐらいだから……。実際に王族としてこの地に留まるわけじゃないと知ってても、どうにも許せないらしいです。『王族の血』に、相当こだわりがあるようですから」

 ギリッ、とフェリ姫が唇を噛みしめた。

 忌々しそうな目で床に視線を落とす。

「婚姻公示が始まったとたん、コレですものね。バルディアの王太子妃だけでも厄介だと言うのに……」

「それに……その、母は……侯爵のこと……」

「存じてますわ。あれだけの男ぶりですもの。目が行かない方がおかしくてよ? 夫人の恋愛遍歴はよっっっく存じておりますわ。……さすがあなたのお母様ですこと」

 ジロリと姫君に睨まれて、シーゼルは居心地悪そうに視線を床に落とした。

 その様子に唇をいっそう尖らせてから、フェリ姫はうってかわって優しく微笑む。

「けれど、ありがとう、シーゼル。わざわざそのお話を持ってきてくださって」

「え。い……いや……」

「ベルのこと、気にしてくださったのね。嬉しいわ。……違う意味で気にしていらっしゃるのでは、ないのよね?」

 なぜだろう。

 ナイノヨネ? が、凄まじくどす黒い声だったような気がします。

 ……笑顔も、なんか怖かった。

「ち、違、違いマス。それに、そっちが本題じゃなくて……!」

「まあ。じゃあ、本題はなぁに?」

 にこやかな笑顔で、ズズイッと迫るフェリ姫。

 ……あの迫り方は、やめたほーがいいんじゃないかなぁ。えらい怖いから。

「母と一緒に、兄が来るんだ」

「……『おにいさま』?」

「そ、そう。僕……いや、私の異父兄が」

「……というと、公爵家に嫁ぐ前に身ごもられてたっていう、アノ?」

 頷いて、シーゼルは重いため息をついた。

「そう、母の私生児である、『あの』異父兄です。大貴族の……いや、片方の血が誰のものかなんて、このさい大した問題じゃ無くて……」

 勢いよく頭を振って、シーゼルはフェリ姫を見つめ、その両肩をわっしと掴んだ。

「きゃ!?」

「フェリシエーヌ姫。……頼みます! 彼が来ても、近づかないようにしていてくれませんか!?」

「えっ!?」

「あいつは……外面はいいから、人はすぐに騙されるけど……! 心の中じゃ相手を利用することしか考えてないヤツなんだ。あなたは綺麗だから、絶対あいつが近寄ってくる。僕の婚約者だってことも知ってる。正嫡に生まれていれば、いい身分の女をあてがわれるんだなって言ってた。あなたにどういう風にからんでくるかわからない……!」

「し、シーゼル……」

「母が来ること以上に、あいつが来るってことが問題なんだ」

 シーゼルの様子に、あたしは首を傾げながら言った。

「女の子にちょっかいかけるから?」

「それもある!」

 ……あるのか。

「けど、それだけじゃない。母があいつを領地の外に出すなんて、今までなかったんだ。可愛がってたけど、外には出さなかった。私生児だから、自分の汚点だっていう意識があったんだ。けれど、今回、わざわざあいつを連れてきた。この時期に……! あいつと……もう一人……!!」

「「もう一人?」」

 あたしとフェリ姫の声がハモる。

 シーゼルは唇を噛んで、言いにくそうに俯いた。

「……馬番……です。今は」

「「『今は』?」」

 またハモるあたしとお義姉さま。

「噂があるんだ。……けど、本当かどうかはわからない。もし本当なら、母はとんでもないことを考えて……いや、でも……正式に認められれば……」

 俯いたままブツブツ言うシーゼルに、フェリ姫は一瞬だけ気遣わしげな目を向け──

 ぺちん。

 ──唐突に、羽扇子でその頭を叩いた。

「!?」

「顔をお上げなさい、シーゼル。このわたくしの目の前で、俯くなどというみっともない真似をなさらないでくださいませ。あなたはわたくしの婚約者。女王アリステラ陛下の信任を受けた、このわたくしが嫁ぐ相手です。顔を伏せ、鬱々と独り言を言うなど、わたくしの婚約者としては許されません」

「え、い……はい」

「同様に、わたくしは陛下の信任を受けたあなたの正式なパートナー。あなたの悩みはわたくしの悩み。ならば、あなたを悩ませる問題はわたくしの問題です。全部残さずお話なさいませ。あなたが抱えているものの全てはわたくしのものですわ」

「ひ……姫……」

 シーゼルが大きく目を見開いてフェリ姫を見る。

 呆然としたその顔の、頬がわずかに赤らんでいくのがわかった。

 思う存分、惚れ直してるようである。

「お義姉さま。いい女なのであります」

「ありがとう、ベル」

 鮮やかな笑顔のお義姉さま。

 あたしとメイドさん達も、惚れ惚れとその笑顔に見惚れた。

「それで? シーゼル。その『もう一人』とやらの、あなたを悩ませる『噂』というのは何なのです?」

 シーゼルは一瞬夢から覚めたような顔になって、迷うように視線を落とした。

 だが、フェリ姫の一睨みで慌てて顔を上げる。

「む、昔、母上が言っていたのを聞いたことがあるんです」

「その『馬番』のことを?」

「そう……あの母上が『馬番』のことを口にするなんて、ありえないから……余計気になって聞いてたんです。あの時、母上は僕が聞いているなんて知らなかっただろうし。僕は隠し通路の中にいて、母はずいぶんと酔っていたようだから」

 まぁ、と眉を顰めてから、フェリ姫は「それで」と(うなが)した。

 自覚は無いかもしれないが、フェリ姫の目は爛々としている。

「公爵夫人は、何と仰っていたの?」

「く、詳しくは省くけど……気になったのは次の言葉です。『馬番の血など汚らわしい』『認められるものか』『我が兄ながらなんという不始末をしでかしたのか』『下賤の血が混じるなど許し難い』」

「!?」

 声なき悲鳴を上げ、口元を押さえているフェリ姫に、シーゼルは深刻な顔で頷いてみせた。

 メイドさん達もギョッとなって顔を見合わせており、驚きの意味が分からないあたしだけが首を傾げている。

 フェリ姫がシーゼルの腕を掴んで叫んだ。

「まさか……! ですが、いえ……年……年はおいくつなのです!?」

「二十二か、三か……たぶん、そのあたりのはずです」

「……レーブレヒト陛下が亡くなられたのが……第二王妃の約三年後……二十一年前……」

「先王陛下は、以前より各地で狩りを楽しんでいたと聞いています。一番多くいたのは、我がレンフォード家の領地のはずです。狩りの時には必ず馬がいるから……」

「そこで馬番の娘を見初めたと!?」

 見初めた、って……?

 なおもキョトンとするあたしの前で、フェリ姫はどんどん青ざめていく。

「嗚呼! そうですわ……なんてこと! 妃殿下がお亡くなりになって以降、あの方、自暴自棄になって見境がなかったと女王陛下も仰ってましたわ!」

「うちの領地でもいろいろあって大変だったみたいです。料理を運んできた侍女達の中には、婚約者がいた者もいましたが……」

 深刻そうな二人の顔を見合わせて、あたしはしょんぼりと肩を落とした。

 盛り上がってる二人には悪いのだが、あたしにはサッパリ意味がわからない。

 まぁ「見初めた」っていうのは、アレだ。王子様とか王様とかが、可愛らしい街娘を見て「彼女こそ私の運命の人!」とか、そう言う時に言われるヤツだ。お芝居でもやってたから、それに間違いない。

 ……ん?

 ……て、ことは……?

「前の王様、馬番のおねぇちゃんを三人目の王妃様にしたの?」

 あたしの問いに、二人がギョッと飛び上がった。

 どうやらあたしの存在を忘れていたようである。

「べ、ベル! そのようなことを口にしてはいけませんっ」

 いや、イカンて言われても。

「末姫、内密に! 内密にッ!」

「そうですわ! それに、馬番の娘が三人目になど……なろうはずがありませんわ。あまりにも身分が違いすぎるのです」

「じゃあ、見初めた、って?」

 あたしの問いに、二人は何故か棒を飲み込んだような顔になった。

 ……はて?

「見初めた、って、お嫁さん探しの王子様とかが、理想のお嫁さんを見つけた時とかに言う言葉よね? だから、前の王様は、馬番のおねぇちゃんをお嫁さんにしたんじゃないの?」

 二人はひきつった顔を見合わせ、なにやら先程とはまた違う深刻そうな目で合図を送りあっている。フェリ姫の肘がシーゼルの肘をグイグイ突いたりと、まるで何かを押しつけあっているようだ。

 ……しかし、はて。何をだろうか?

「あ、あのですね、末姫」

 押し付け合いはフェリ姫が勝ったらしく、妙に強ばった顔のシーゼルがあたしに言う。

「えぇと、王妃様にしなくっても……その、子供はできるわけで痛ッ」

「こ、このっ、お馬鹿さんッ! どういう言い方をしているのッ」

「なるほど! 自由恋愛とやらのアイジンさんなのですね!」

「ベルーッ!」

 フェリ姫が真っ赤になって叫ぶが、もう遅い。あたしは理解しちゃったのです。

 そう。偉い人にはよく居るのだ、こう、なんとも困ったちゃんな男の人が。

 宿のおねーちゃんの所に来る『お客さん』もそういう人だった。彼らはあたし達に自分達は『自由恋愛』をしているのだと声高に言っていた。

 そもそもレンアイは自由であるはずなのだが、わざわざそう口にしておねーちゃんの所に来るのが不思議である。

 なにか後ろ暗いことでもあるのだろうかと、友人一同、深く考え込んだものだ。

(そうかー。王様も言うってことは、大人の人はそういう風に表現しないといけないのかー)

 また一つ賢くなった気がいたします。

 ちなみに、宿のおねーちゃん曰く、そういうのはアイジンさんというらしい。

 どうも結婚してない恋人を表す言葉なのだそうが、恋人にもイロイロ種類があるということだろう。

 む? ということは、あたしもレメクのアイジンさんになるのだろうか?

「ま、待ちなさいベル! それはまた別のお話でしてよ!? い、いえ、それ以前に、ちょっと意味が違……いえっ! やっぱりそのままでよろしくてよ!? だから、そんなつぶらな目でわたくしを見ないでッ!」

 ナゼデスカ。

 あたしの眼差しに大慌てで顔を背けてしまったお義姉さまに、あたしはしょんぼりと肩を落とした。

 ……まぁいいや。今度レメクに訊いてみよう。

「それよりも、王妃様になってないおねぇちゃんが、どうしたのです?」

「い、いや、だから」

 向こうで「ぁあ」とか「うぅ」とか呻いているフェリ姫を横目に、シーゼルがしどろもどろに言う。

「つ、つまり、ほら……細かい事情はともかくとして、先王陛下のご来訪と、えー、馬番の娘の、ですね」

 うんうん。

「身籠もっ……い、いや、子供が出来た時期が一緒で」

「おめでたなのですね」

「そ、そうデス」

 顔をひきつらせながらウンウン頷くシーゼル。

 文字通りめでたい話なのに、何故緊張の面持ちで話しているのだろーか。

 …………って、ん?

「だから、うちの母はそれを認めたくないって否定してて……」

「おめでたい話を?」

「……そう」

 あたしは首を傾げる。

 むむむ? なにかすごく嫌な予感がしてきましたよ。

「あのね、一つ訊いていい?」

「い、いっこだけですからね!?」

 ……ケチだ。しかもなんで怯えるのだ。

「王様の子供なら、王子様とかになるんじゃないの?」

「いや、だから……だから今それの話をしているんであって……ッ!」

 何かシーゼルの心の琴線に(嫌な風に)触れたらしく、彼は顔を真っ赤にして叫んだ。

「その馬番の子供が、今こっちに来ようとしてるんだよ! うちの領の、もしかしたら前王の息子かもしれない男が!」



「先王陛下の御落胤……ということですわ」

 爆発したシーゼルの横、深いため息をついてフェリ姫は何かを払うように頭を振った。

「けれど……シーゼル。もしその話が本当なら、もっとずっと早くに教会から連絡があるはずではありませんの……? そう……きちんと出産届を出されていれば!」

「それはッ、母が……隠蔽したのだと思います。僕は前の陛下にはお会いしたことがありませんが、古くから仕えている従僕達によれば、身なりさえきちんとさせれば、『彼』とレーブレヒト陛下はよく似ているそうです」

 ……どんな顔だろーか?

 あたしはちょっと『王様』の姿を想像してみた。

 というのも、あたしは未だに前の王様の姿なんて見たことがないからだ。

 今の女王様の姿ならバッチリわかるんだけどなぁ……

「肖像画の通りでしたら、鮮やかな金髪と、青紫色の瞳の、素晴らしい美男でいらっしゃいますわ。もっとも、クラウドール卿にはおよびませんが」

 あたしの「?」を感じ取ったのか、メイドさんの一人、確かシュネーという名前の別嬪さんが耳打ちしてくれた。

 あたしは即座に頭の中に想像図を思い浮かべる。

 レメクにおよばないが美男、というと、どうしてもケニードを思い出してしまう。そういえば、彼も綺麗な金髪だった。瞳は春の若葉みたいな綺麗な緑だけど。

「それにしても……なんということをッ」

 ぽややんとしているあたしの前で、フェリ姫がいらだたしげに吐き捨てる。

「隠蔽など……許されるはずがありませんのに! 前王の御子は、陛下と行方不明の王弟殿下しかいらっしゃらないのですわよ? 王弟殿下が見つからなければ、陛下ただお一人で……ッ!! だからこそ、陛下のご結婚やご婚約に関して、水面下で醜い争いが起こっているというのに……!!」

「僕だって……! これがどれほど恐ろしい事か分かってます!! 母にそれとなく忠告したこともあります! こんな噂がありますが、と。素直に言うと思いますか!? あの人が! 『あなたが気にするようなことではありません』って……全然答えになってないコト言うんですよ!? そのくせ、馬番には一切近寄らせてくれなかったし……! あの人は、我が母ながら、何を考えているのか分からない……!!」

 同じく吐き捨てるような口調になったシーゼルに、フェリ姫は大きく目を瞠り、ややあって苦しげな顔で俯いた。

「……そうでしたわね。あなたにとっては、それでもお母上でいらっしゃるのですもの。わたくしなどが踏み入れることのできない、お心もありましょう」

「……ッ」

 途端にシーゼルはぎょっと顔を上げた。

「姫……まさか……『読んで』……?」

「まさか」

 シーゼルの声に、フェリ姫はほろりと苦く笑う。

 どこか悄然としたその微笑は、悲しくも美しかった。

「シーゼル。わたくしは、例え何があろうとも、あなたの心だけは読みませんわ。どのような時、どのような場面でも、それだけは決していたしません。それがわたくしの誓いなのですもの」

「……っ。わ、私は……」

 なにか大変な失敗をしたような顔で、シーゼルが青ざめる。

 慌てて伸ばされた手に自らの手を添えて、フェリ姫は優しく微笑んだ。

「それにね、シーゼル。あなたは、ベルと同じで心を読まなくても、顔で全部言ってしまっているのですわ。読む必要が無いくらい」

「なっ……!」

「ふふふ。……ねぇ、シーゼル。あなたはアザゼル族では無いから、思わず『そう』思ってしまうのでしょうけど……人の思いや、心は、特別な力がなくても……そう、誰にだって読み取れるものだと思いますのよ。その人の人となりを知って、心を知って、考えればわかるというものですわ」

 お義姉さまの声に、シーゼルは一瞬惚けたような顔になり、

 次いで、なんだか泣きそうな顔で俯いた。

 壁際のあたしとメイドさん達は、こっそりと姫君に音のない拍手を贈る。

「「あ」」

 あ。

 気付かれた!

 なぜかビクッとこちらを振り向いた二人が、慌てたように身を離した。

 せっかく手と手をとりあって、甘酸っぱい雰囲気満載だったというのに! なんというもったいないことをするのだろうか!!

「と、と、とにかく! そういうわけだからっ! あいつらが来ても近づかないで欲しいんですっ!」

「わ、わかりましてよ!? ですがっ、わたくしとしても! 陛下の娘としてっ、事の次第を判断するために! 件の馬番の君にはお目にかからなくてはなりませんわ!!」

「な……っ! だから! それが駄目なんだって!」

「あなたのお兄様とやらに近づかなければよろしいんでしょう!? 馬番の君は関係ないじゃありませんの!」

「駄目なんだ! あいつら大抵セットでいるんだから!」

「……ご一緒ですの?」

「そう。だから、僕も異父兄とはほとんど会ってないんだ。もともと、こっちは本館に住んでいて、離れに住んでる兄とはあまり顔をあわす機会が無いし……たまに会うのは夜会の時だから、『馬番』はいないけど……それ以外の普通の時は、だいたい一緒にいるらしい。……似てるらしいよ。あの二人。まぁ、兄妹のそれぞれの子供、っていう繋がりだったら、似てても不思議じゃないんだけど」

 ……およ?

「……そうなると、いっそう信憑性がありますわね。……というか、どうしてあなたのお家はそういう醜聞が多いんですの!? 今までよくも隠しておけたというか、なんというか……!」

「うちの父母の所行考えてよ……! あの二人が揃ってるのに、どうやって清く正しい家になれるっていうんだよ。だいたいにして、あの『馬番』にしても、母上の子じゃないかって最初言われたぐらいなんだから。先王の子って考えるより、そっちのほうがありえるって思われてるんだから……僕もそう思ってたんだけど……」

 ……およよ?

「あなたも立派にお家に染まっておいでのようですけれど?」

 ムッと口をとがらしてそっぽ向く姫に、自分に飛び火した話に慌てるシーゼル。

 それを見ながら、あたしは首をちょこんと傾げた。

 隣のシュネーのスカートをちょいちょいと引っ張る。

「どうかなさいました? 妹姫様」

「ん……あのね、あの二人……もしかして、本当はすっごく『親しい』の?」

 いつのまにか、シーゼルの口調がすごくくだけているのだ。

 シュネーはちょっと口元を笑ませて、あたしの耳にこっそり告げる。

「幼なじみなのですよ、姫君と若君は。生まれながらの婚約者だったのですが、侯爵がお亡くなりになった時にゴタゴタしまして……姫君が王女の位を得てからは、身分が違ってしまいましたから、若君も言葉遣いを改めているようですけれど」

 笑い含みのその声に、あたしは目をパチクリさせた。

 ……なんか、意外だ。

 思わずしみじみとシーゼルを見てしまう。

 最初に会った時は、嫌味で変な偽王子サマだと思ったものだが──

(……ちょっとだけ、似てるかも……)

 そう。似ているかもしれない。ケニードに。

 王族となったあたしのために、決して他に侮られることのないように、躊躇無く膝を折ることを選んだケニード。

 ……シーゼルもそうだったのだろうか?

 フェリ姫が『王女様』として立派に見てもらえるように、わざと丁寧に話してたんだろうか?

 そうして今の話し方が、彼の本来の姿なのだろうか?

 だとすれば……彼は──

(フェリ姫のこと、すっごく好きなんだ……)

 それこそ、強く出られれば思わず腰が引けちゃうぐらいに。

「だから! 僕が女性達と話をするのは、いろんな情報を得るためであって……! 女性の情報網は侮れないんだよ!? 僕が『馬番』のことを知れたのも、女性達の噂を辿っていったからだし、母上が彼等を連れてくるのを教えてくれたのも、ガルシア伯のご令嬢でしたし! 情報を制するものが世界を制するんだって言ってたのはあなたじゃないか!!」

 あたしの横で、こっそりとシュネーが教えてくれる。

「ガルシア伯夫人は、レンフォード公爵夫人の親友で、伯のご令嬢その人は、公爵夫人の政敵である方のご息女と仲が良いそうです。そのため、二つのルートから情報が入ってくるのでしょう。かなり正確で、早い情報だと思われます」

 えーと。自分のお母さんの友達は、自分の友達のお母さんの敵、というやつかな?

 あたしは(ふむふむ)と納得した。なんのことはない、下街でもよく繰り広げられていた、裏側の戦いとかいうやつである。

 宿のおねーちゃん達は、これを熟知することが生き残る必須条件だと言っていたが、どうやらシーゼルもそれを知っていたようである。

 なぜだろう? 宿のおねーちゃんと知り合いなんだろうか?

 とはいえ、もし宿のおねーちゃんと同じように裏側に通じていて、あちこちの女性の情報網を把握しているとすれば、シーゼルはそらおっそろしい人物である。

 なんてたって旦那の財布の中身も分かっちゃうのだ。アイジンさんの人数も回数も分かっちゃうのであう。

(……ところで、回数ってナンダロウ?)

 宿のおねーちゃん達は笑いながら答えてくれなかったが、把握されると嫌な回数なのは確からしい。今度レメクに訊いてみよう。

 心に決めて前を見ると、未だにワァワァやってる姫と伯爵が。

「まぁ! どこからどこまでが『情報のため』なのか分かりませんわ! いつだって嬉々として他の女性の手をとっておいでじゃありませんの!」

「そ、それは、僕だって一応、男だし!」

「まぁッ! そんな言葉が言い訳として通用するとでも!?」

 クワッとなったお姫様に、腰が引けてる伯爵様。

 精神的に立場が弱いのは、どうやら素のようだが……うーん。

「ところで、お義姉さま。教皇様の所に行くのはよいのですか?」

 なんだかシーゼルが気の毒で、あたしはタイミングを見計らって声を上げた。

 眦をつり上げていたフェリ姫が、ハタと気付いてあたしを振り返る。

「まぁ! いけませんわ。わたくしともあろう者が。急がなくては、猊下をお待たせしてしまうかもしれませんわね!」

「……神殿……下手をすると、到着したあいつらと鉢合わせるかも……」

「丁度良いではありませんの。猊下とお会いしなくてはいけない状態なら、たとえ会ってもすぐに切り上げてこれますわ。わたくしも敵の顔ぐらい一度は拝んでおきたいところですし」

 ……敵、て。

「……姫……頼みますから、穏便に……。あなたは、あまり荒事は得意では無いのですから……」

 というか、フォークより重いものは持ったこと無いんじゃなかろーか?

 あたしとシーゼルの心配そうな眼差しに、フェリ姫は婉然と笑って髪を掻き上げる。

「あら。いざとなったら私も禁忌を使いましてよ? 公爵夫人が何を考えていらっしゃるのかは存じませんが、先王陛下のご落胤を隠蔽されていたことといい、陛下の敵である可能性はとても高いですもの。シーゼル。あなたには悪いですけれど、わたくし『お母様』の敵に容赦するつもりはありませんの」

「……それは……もし、陛下や陛下の治世に害をおよぼすようなら、僕だってあなたの側に立つよ」

「無理はなさらなくてよろしいのよ? あなたには、公爵夫人は実のお母様でいらっしゃるのだから」

「そういう、甘い気持ちはあまり無いよ。大人しくしていてくれるなら、少しは慕えるかもしれないけど……。それよりも、あなたのほうが心配だよ。あなたは本当に弱……いや、か弱い女性だろう?」

 シーゼルの声にちょっぴり嬉しそうに微笑みながら、けれどフェリ姫は宛然と笑って答える。

「あら。ナザゼル様ほどではありませんけれど、心の壊し方は陛下から習っておりますわ。剣を持って敵と戦うのは殿方ですが、心で敵を滅ぼすのは女なのです」

 キラリと輝く瞳に見つめられて、ぎょぐっ、とシーゼルは喉を鳴らした。

「……あなたと喧嘩は……しないでおきます……」

「懸命ですわ」

 大きく頷いて言うフェリ姫に、あたしも青ざめた顔で頷いた。

 ……あたしも、お義姉さまと喧嘩はしないでおくのです。


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