表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
陰謀の章<色のない世界編>
52/107

6 心はあなたの元へ飛び立つ

 その人を最初に見た時、思ったのは『大きな茸』だった。

 相変わらず視界全部が灰色のため、その人の髪の色も目の色もわからない。もちろん着ているドレスの色も帽子もサッパリだったが、形だけはしっかりとわかる。

 そのドレスの形が、茸の傘にそっくりなのだ。

 ちょうどポッコリとした大きな茸傘の上に、やたらと細い腰とそれなりにふくよかな胸があり、むき出しの肩と細い首、小さな顔、妙にボリュームのある髪と帽子、といったモノが乗っている。細い両腕は、綺麗な刺繍の入った手袋ガンで二の腕あたりまで覆われていた。

 初めて見る格好だが、別の国の王太子妃だというから、そちらの国独自の服なのかもしれない。

 かつてアウグスタから夜会用のドレスを着せられた時も、お尻の上にボコンと膨らみを出させるバッスルというモノに唖然としたが、目の前の人の着ているドレスはその更に上をいく。

 なんというか……非常識だ。横幅の大きさとか、邪魔さ加減とかが。

「ごきげんよう、ベル王女殿下」

 茸の人は、そう言ってニッコリと微笑んだ。

 アウグスタほどではないが、十分に傾城と呼べる美貌だった。どちらかと言えばホワンとした甘い顔立ちで、声も鈴のように可憐だ。

 しかし、それ以上に、その顔を覆うホワンホワンな髪がとても気になる。

(茸の傘の上にブロッコリーが乗ってるみたい)

 と思ったら、何故か横のフェリ姫がものすごい勢いで後ろを振り向いた。体がブルブル震えているらしく、隣にいるあたしにも微妙にブルブルが伝わってくる。

(……どうかいたしましたか? お義姉さま)

 お義姉さまの奇行はとても気になるが、しかし、この状況下でよそ見はできない。正面の妃殿下をじっと見つめたまま、あたしはとりあえず特訓通りにニッコリと微笑んだ。そうして、精一杯おっとりと小首を傾げる。

(えーと……次は……)

 手順を頭の中で思い出す。知り合い以外の人と挨拶するときの手順は……ああ、喋れないから、フェリ姫に通訳してもらわないといけないんだった。

 思い出したあたしは、(必死に)優雅に隣のフェリ姫を見つめる。フェリ姫は未だにブルブル震えたままだった。

(……お義姉さま。出番ですよ)

 影でこっそりフェリ姫の脇腹にフィンガーアタックをくらわすと、お義姉さまが慌てて体を妃殿下へと向けた。そうして、即座に美しい笑みを浮かべる。

「『お会いできて光栄です、マリアンヌ様。このような姿で失礼いたします』と申しておりますわ」

 あたしはもう一度その人を仰ぎ見て、にっこりと微笑んだ。

 マリアンヌ妃殿下はややたじろぎ、気を取り直すようにニコッと微笑んだ後、そっと眉をひそめた。

「……もしや、フェリシエーヌ王女殿下?」

「はい。妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しく」

 ニッコリと、それこそ華のような笑みを浮かべた美姫に、マリアンヌ妃殿下はいっそう怯んだようだった。……気持ちはわかる。

 フェリ姫の気迫ニッコリは、ものすごい迫力があるのだ。

「あら……あなたもこちらにおいでだったのですね。扉の所にシュネーがいたから、もしかして、とは思っていましたが」

(……シュネー?)

 あたしはニコニコ笑顔のままで小首を傾げる。

 途端、頭の中で声が弾けた。

(ワタクシの侍女メイドの一人ですわ。一番外の扉で、訪問者のチェックをしてもらっていたのです)

 なるほどなるほど。

 しかし、いきなり頭の中に声を送るのは止めてほしい。ちょっとビックリしてしまうから。

(ごめんあそばせ)

 悪戯っぽい気配を滲ませて、フェリ姫はチラッとあたしを見た。そうして、妃殿下にニコッと微笑む。

「ベルはワタクシの義妹いもうとですもの。体調の芳しくない妹を見舞うのも、世話をするのも、姉であるワタクシの役目ですわ」

 ね? と微笑まれて、あたしもニコッと微笑んだ。……そろそろ頬が引きつりそうです。

「まぁ……とても仲良しになられたのね。私は、夜会の折にクレマンス伯爵が新しい王女殿下に言い寄られて、あなたがとてもヤキモチを焼いていらっしゃたと聞いていましたから、心配しておりましたのよ」

 ほほほ、と笑う妃殿下に、フェリ姫の背中から一瞬異様な気配が漂った。

 あたしもちょっぴり眉を顰める。

 ……普通、言うかな……こういう場で。

 チラとフェリ姫を見ると、フェリ姫は悠然と微笑みを深めてこう言った。

「妃殿下にご心配いただけるとは、光栄ですわ。けれど、心の定まった、特別な相手のいるお方に嫉妬するなど、愚の極みですもの。ね、ベル?」

 にこりと極上の笑みを向けられて、あたしも慌ててニコッと精一杯の笑みを返した。

 ……ををぅ……なんか、妃殿下のほうからすごい恐い気配が漂ってくるのです。

 なんだろう。向きたくない。向きたくない。

 一生懸命フェリ姫の方だけを向いてニコニコしていたあたしに、ホホ、という、どこか恐ろしい笑い声が聞こえてくる。

「あらあら。本当に仲良くなられましたのね。それに、ベル王女殿下も、お倒れになっていた、というわりにはずいぶんとお体の調子もよいご様子で」

「まぁ、妃殿下。それは誤解ですわ。ベルはつい先程、ようやく体を起こすことができた所なのです。クラウドール様が倒れられたと聞いて以降、心配のあまり三日も寝込んでしまったのですわ。その時に、声まで失ってしまって……」

 まぁ、という声は妃殿下の後ろからあがった。

 さわさわと小波のようなその小声は、妃殿下に付き従ってきた侍女メイドさん達の声のようだ。全員が淡い灰色(……いや、単にあたしの目には灰色に見えるだけだろうけど……)のドレスを着ている。驚くことに、そのドレスも横にボワンと膨れた巨大なものだった。

 ……あの人達、ドレス同士が衝突したりしないんだろうか? ドアの所とかで。

 お城の扉はどれも大きなものだが、馬車のドアとかはそこまで大きくない。どうやって入るのかが謎である。

(……てゆか、あのスカート、どうやって膨らませてるんだろうか?)

 中がとても気になります。

 ソワソワしだしたあたしの腕を、隣にいたフェリ姫がぺちっと叩いた。ハッとなってそちらを見ると、フェリ姫は真剣な顔で妃殿下のほうを見ている。

(……ん?)

「……ええ。レメクが倒れたという噂は聞きましたわ」

 どこか寒気のする声で妃殿下が呟いた。

 その瞬間、ピリッと空気が震えた。

 フェリ姫が何故か驚いた顔で『あたしを』見る。

 あたしはスッと視線を妃殿下のほうへ向けた。

 妃殿下があたしを見て、一瞬目を見開く。あたしは真っ向からその目を見返して、目をビカッと光らせた。

(……レメク、って言った……)

 気安げに。

(名前を呼んだ!)

 それこそ、格下の者を呼ぶかのような口調で!

 もうそれだけで、あたしの心はゴォゴォなのです!!

「あ……あの方が倒れられるなど、初めてのことではないかしら? とても丈夫なお方でしたのに。よほどのことがあったのでしょうね」

 メラメラと嫉妬の炎を燃やすあたしの視線から、微妙に視線を逸らせて妃殿下が言う。あたしは更にゴーゴーと炎を燃やした。

「そういえば、ベル王女殿下におかれましては、この度ご婚約なされたとか。お相手があのレメクと聞いて、私、驚いてしまいましたのよ」

 キタ! 本題!!

 あたしの目がビカァッと光った。

 フェリ姫が何故かあたしを肘でつつく。あたしは反射的にニッコリと力いっぱい微笑んだ。

(ええ! 婚約なのです! あたしの旦那なのです!!)

 ビカビカビカカッ!

「……。『とても良いお方と縁を結ぶことができました。これもひとえに我が女王陛下のお心によるものです』と言っておりますわ」

 言ってないけど、その通りなのです。

 笑顔のままコックリ頷いたあたしに、妃殿下は一瞬だけものすごく顔をしかめた。それはほんの一瞬だったが、目に焼き付いちゃうぐらい凄まじいものだった。

(……ああ)

 やっぱり……と。頭の中の冷静な部分が呟く。

 この女性ひとは今でも、レメクのことが気になっているのだ。

 どうして昔レメクと一緒にならなかったのかは知らない。けれど、今でも好きなのなら、当時はもっともっと好きだったことだろう。

 そんな彼女にとって、目の前にいる『あたし』はこの上なく憎々しい相手なのだ。まだちっちゃくて、綺麗でもなくて、おまけにレメクにとって得になるようなものを何も持っていないあたしなんかは、レメクの近くにいさせるのも腹立たしい相手なのだ。

 何故そんな子供がレメクの婚約者に収まっているのかと、それこそお腹の中がグラグラと煮立っているに違いない。

 けれど。

(……けれど!!)

 あたしはビシッと背筋を伸ばした。

(負けられないのです!!)

 例え昔がどうあれ、あたしだってレメクのことが好きなのである。失いたくない、傍にいたいと思う気持ちなら、絶対に負けたりしないのである!!

 そ……そりゃあ、身長とか胸とか腰とかお尻とかはものすごく負けてるけど……

 気持ちだけは大丈夫よ!?

 そりゃあもう、巨人とかドラゴンなみにおっきいんだから!

(……そ、その意気ですわよ? ベル)

 隣のお義姉さまから、なぜかおっかなびっくりの声援が届く。

(ありがとうお義姉さまっ!)

 あたしは目をキラリと光らせてその声援にお答えした。

 さぁ、来るのです。

 来るのですヨソの国のお妃様!

 胸を張って爛々と目を輝かせているあたしに、妃殿下はスッと目を細めた。

「レメクはかつて王宮の筆頭であられたクラウドール公爵の後継者。いずれ宮廷の長となる人です。……そのレメクの婚約者となるのなら、あの人を支えられるだけの力が無くてはいけませんわ。あなたはあの人に、いったい何をしてさしあげれるというのです? 聞けば後ろ盾も無い、メリディス族というだけで有り難がられているだけの貧民が……」

「「「妃殿下!」」」

 悲鳴のような声は、むしろ妃殿下の後ろに控えていた侍女達のほうから発せられた。

 こちら側に揃っているメイドさん達は一言も発しない。ただ、硬質化した空気を纏ってあたしとフェリ姫の近くに勢揃いしていた。

 フェリ姫が小さく息を吐く。

 その薄紅色の唇が開いた時、零れた声は驚くほど底冷えのするものだった。

「いくら他国の王太子妃といえど、我が国の王女に対し無礼でありましょう。伏せっていた相手の元に赴きながら、いたわりの一言も、華の一輪すらも無く、まして婚約の祝いを述べるわけでもない……そのなさりよう。栄えあるバルディア国の、王太子妃という御位にお就きの方の所行とは、とても思えませんが?」

 棘どころか言葉の一つ一つが氷の刃のようだった。

 さすがに思うことがあったのか、妃殿下が視線を逸らす。フェリ姫はたたみかけるようにして言った。

王太子妃殿下・・・・・・。我が女王陛下が決めた婚約に対し、ご意見があるようでしたら陛下に直接お言いくださいませ。クラウドール様とベルの婚約は、陛下が自ら宣言なされた事。成立に際し宮廷の主立った官吏、および教皇アルカンシェル猊下の承認を得ています。ベルは最後に初めて打ち明けられた立場の者。この者に抗議をするのは筋違いでありましょう」

「なっ……」

「再度申し上げますが、決められたのは陛下です。クラウドール様のご婚約者として、他の誰でもない、ベルを望まれたのは陛下なのですわ。そして陛下が決められた事に、否を唱えることは許されません。それでも尚ご意見がございましたなら、陛下に直にお言いくださいませ」

「…………ッ」

 妃殿下は唇を噛んだ。

 いくらなんでもそんな事はできない、ということだろう。

 国のゴチャゴチャしたことはよくわからないけど、他国の結婚や婚約に、王太子妃が口を挟むだなんて話は聞いたことがない。

 周辺諸国から求婚が殺到した大昔の美姫の話の中でなら、選ばれた国にそれ以外の国が抗議しまくったという話は聞いたことあるけど……それだって、最低でも国王レベルでの話し合いだった。

 王太子妃というのは、次の王様になる王子様(王太子)の奥様だ。つまり、国王と比べれば立場は低いのである。

 ……言えないよね……普通。

 例え元この国の第一王女であっても、他国の妃になった時点で、他国側の立場を考えなくちゃいけないはずだから。

 鮮やかに微笑むフェリ姫と、冷ややかに睨む妃殿下を交互に見つめていたあたしは、ふとその時、部屋の片隅に揺れる黒いものに気づいた。

 なんだろう……?

 プラプラ揺れてるソレは、床のちょっと上あたりに浮いている。ちょっと細めの縄のようで、色はすごく濃い。今のあたしの目には真っ黒に見える。たぶん、実際の色も黒だろう。

 ……ってゆか、アレ……もしかして、髪ですか?

 揺れるその髪の先から上へと視線を動かすと、鮮やかな模様の入った布が見えた。直線では無く、ゆるやかな曲線を描くそれは、どう見ても人の太腿の形に見える。

 人だと知覚した途端、まるで魔法が解けるかのように一人の女性が姿を表した。なぜ今まで気づかなかったのか。それが不思議でたまらないほど、その美女は存在感があった。衣装からして際だっている。

 服は見たこともないほど大きくて豪奢な布達。淡い薄布を幾重にも体に巻いて、その上から豪華絢爛な布をさらに巻いている形だ。余分に膨らましている場所がない分、素晴らしい曲線美がくっきりと見える。

 豊かな腰に、折れそうな腰。腰に巻かれている布は帯というやつだろうか? その上に乗った胸は実に豊かで、ボリュームだけならアウグスタに匹敵するかもしれない。薄布を幾重にも重ねた胸元はやや透けていて、豊満な胸の魅力を「これでもか!」と強調していた。

 むき出しの腕と首もとを飾るのは、恐ろしく豪華な装飾品。顔は小顔で、どこか異国めいた魅力に満ちていた。アウグスタとは違った意味で、迫力満点の美女である。

 ……てゆか、誰だろう?

(?)

 小首を傾げたあたしに気づいて、フェリ姫が笑顔をあたしを見た。目をパチクリさせているあたしの視線を追って、同じように扉の方を見る。

 そうして飛び上がった。

「ナザゼル様!?」

「なっ!?」

 フェリ姫の声に、戦闘態勢に入っていた妃殿下もぎょっとなって振り返った。驚愕の表情でその人物を見つめる。

「ナザゼル……王妃! なぜ、ここに?」

「んー……ふふふ」

 ナザゼル(王妃?)様と呼ばれたその異国美女は、それはそれは艶めかしい笑みを浮かべて胸の前で両腕を組む。

 ずんもりと盛り上がる素晴らしいお胸。

 なんだかアウグスタがそこにいるようだ。

「見つかってしまったのぅ……もう少し観戦しておきたかったのじゃが。……メリディスの王女殿下は、妾を感知するほどに鋭いお方のようじゃ」

 ……なにやらお年寄りのようなしゃべり方でおじゃります。

 目をぱちくりさせたあたしに、フェリ姫はあわあわと視線を行ったり来たりさせる。

「べ、ベル。あちらのお方はナザゼル様と仰って、我が国からイステルマ連邦に嫁がれたお方で……」

「ふむ。挨拶が先であったの。失礼、ベル王女殿下。妾はイステルマ連邦が一つ、アルティルマの王妃、ナザゼルじゃ」

(イステルマ連邦の、アルティルマ?)

「イステルマ連邦は、元々十五の国が集まって出来ているのです。アルティルマはその筆頭。そして、ナザゼル王妃様は、連邦の代表を務めておいでの方です」

「簡単に言えば、十五の国の代表じゃな。分かるかえ?」

 あたしはコックリと頷いた。

「ふむ。頭も普通じゃな。……あぁ、いや、悪く言うつもりは無いのじゃ。ただのぅ、噂では『顔だけの何もわからぬ愚者』である言われておったのじゃ。あのアリステラ殿がそのような娘を養女にするわけが無いのじゃが、そういう悪しき噂を流す者も多くおっての……まぁ、手っ取り早く言えば、そういう噂の否定のためにも、試させてもらったのじゃ。あとは、のぅ……動作がかわゆいから、ちと見てみとぅなっての」

 悪ぅ思わんでおくれ、と軽やかに笑うのに、あたしは唖然としながらもコックリ頷いた。

 ……なんと言うか……変わった人だ。

「ああ、それと、フェリよ。先程からの、廊下でおぬしの姉君達がうろうろしておった故、妹姫の体調が落ち着くまでは面会は止せと言うておいたぞ。構わなんだかの?」

「え!? え……えぇ、はい」

「それからの……マリアンヌ殿。ぬし様の気持ちは分かるがの、コレはあまり褒められた行為では無かろうよ。いらぬ噂をたてられる前に、他国の王太子妃たる身に相応しい行動をなさるがよい」

 音もなく滑るように部屋の中に入ってきたナザゼル王妃は、そう言って優雅にむき出しの腕を扉の方へと向けた。

 お帰りはあちらから、というヤツだ。

「…………」

 妃殿下はスッと眼差しを細くする。

 けれど、ここでナザゼル王妃を相手に喧嘩をするほど愚かでは無かった。

「……後で見舞いの品を届けさせましょう。ごきげんよう、ベル王女殿下。フェリシエーヌ王女殿下、ナザゼル妃殿下」

「「ごきげんよう」」

 見事にそろった声で、ナザゼル王妃とフェリ姫が答える。……あたしの口からはヒューコーという呼吸音しか出なかったけど。

(それにしても……なんか、結局、あたしはまともに戦えなかったのです)

 お帰りになる後ろ姿を見送りながら、あたしはしょんぼりと肩を落とした。

 やる気だけは十分だったのだが、実際に戦ってくれたのはフェリ姫で、あたしは横で目をビカビカ光らせていただけだったのだ。これでは初陣とも呼べないだろう。フェリ姫にかけた迷惑も計り知れない。

 ……しょんぼりだ。

(……ベル。気になさることはありませんわよ。それに、あなたは十分、戦っていましたわ)

 フェリ姫からねぎらいの心の声が届きます。

(お義姉さま……!)

 ぴすぴすと鼻を鳴らして、あたしはソッと目元を拭った。

 フェリ姫があたしの手を握ってくれる。

 あたし達は目と目で互いを励ましあい、改めて静かに退出する妃殿下一行を見守った。

 途端、フェリ姫はそっと下を俯き、あたしは顎を落っことす。

(……カニ歩き……)

 ご一行様、横向きでドアをくぐられておいでです。あの横に膨らんだスカートのせいで。

 おかげで普通の倍以上時間のかかっている退出に、ナザゼル王妃も皮肉な微苦笑を禁じ得なかったようだ。彼女の着ている大きな布を幾重にも纏ったような独特の服は、現在退出中の人々とは正反対に、ものすごく動きやすそうだった。体の線がハッキリ出てしまうので、よほどプロポーションに自信が無いと着こなせないだろうが……

「……それはそうと、ベル王女殿下。妾は気になる噂を聞いて来たのじゃが……不躾な質問をしても構わぬかえ?」

「?」

 未だにえっちらおっちら退出している人々をチラチラ見つつ、あたしは大きく頷いた。

 ナザゼル王妃はニッコリと笑って問う。

「そなた、あのクラウドール卿より、婚約の祝いに贈り物を貰ったそうじゃな? なんでも、それはそれは大変貴重な物だとか」

(婚約の祝いに……?)

 なんか貰ったっけ?

 あたしは首を傾げる。そうして、通訳のためにフェリ姫を見つめた。

(あたし、誕生日の祝いに、お母さんの形見を貰っただけなんだけど)

 フェリ姫が目を見開いた。

「お母様の形見の品ですって!?」

 驚愕の悲鳴。

 あたしは目をパチクリさせながらコックリと頷く。

 首から提げている革袋を胸元から取り出すと、フェリ姫のみならずナザゼル王妃まで勢い込んで身を乗り出してきた。

 何故!?

「こ、これがクラウドール卿のお母様の形見!?」

「そ、そなた、よくぞこのような品を……! もしやと思っておったが、そなた、本当にかの者の心を絡め取っておったのじゃな!」

 目をギラギラと輝かせている二人に、あたしは呆気にとられて口を半開きにした。

 ……あ。あの妃殿下の侍女さんまでビックリ眼でこっちを見てる。……あーあ……ドレスが扉にぶつかったよ……

「こ、これを……触ってもよいか? よいじゃろう?」

「ワ、ワタクシも触りたいですわ。ベル。よろしくて?」

 そわそわと手を伸ばしたり引っ込めたりする二人に、あたしは視線を二人へと戻し、呆気にとられたままコックリと頷いた。

 途端に二つの手がワシッと革袋を掴む!

「ま、待つのじゃ! フェリ! ここは年功序列であろう!」

「そ、それはひどいですわ! ワタクシもどのようなものか……ん? ちょっと硬いですわね」

「布で厳重に巻いておるのじゃな。これは……おお! 指輪では無いか!」

「指輪!!」

 きゃーっ! という歓声はメイドさん達から。

 何故か全員、顔がほころんでいます。

「指輪ですって! ベル!! 素晴らしいわ! あのお方、そのような真似も出来ましたのね!」

「むぅ! 妾はあの男を見くびっていたようじゃ! そのような真似は出来んだろうと思っておったが……しかも、先物買いとはなかなかやりおる!」

「素敵ですわ! ねぇ、なんて素敵なんでしょう! ベル! あなた果報者でしてよ!?」

 え……エエ。カホウモノだと思います。

 思いますけど、二人で革袋をきゅむきゅむ指で揉むのは止めてほしいのです。

 ……てゆか、指輪なの? それ。

「きっと結婚指輪ですわ!」

「然り!」

「あああーっ! どうしてこういう真似をあの男はしてくれないのかしら! あのクラウドール卿ですらこのように機転をきかせているというのに!!」

 なんかついでに本音もダダ漏れになってるけど、興奮しているお義姉さまは気づいていないようだ。

 あたしは二人の手から解放された革袋ちょっとヨレてるを掌に乗せ、二人がやっていたようにきゅむきゅむと両手の指で揉んでみた。

(……指輪……かなぁ……?)

 二人は声を揃えて「指輪」だと言うけど、本当に指輪なのかはハッキリしないのです。確かに輪っかのようだけど、妙に大きいような気がするし……

「中身を取り出してみればすぐに分かりましてよ!」

 袋を揉んでいるあたしに、フェリ姫が顔を輝かせて言う。ナザゼル王妃もキラキラと目を輝かせたが、あたしは緩く首を横に振った。

(開けては駄目なのです。あたしが十八になった時に、取り出す約束なのです)

「十八になった時に中身を取り出せと! 言われたのですね!?」

(そうなのです)

 首肯したあたしに、何故か周りが大喜び。

「もう間違いなくてよ! なんていう遠回しな申し込みでしょう!」

「なかなか素敵ではないか。のぅ、フェリ。妾らの婚約も、かようであればよかったのにのぅ」

「ええ。それだけが残念でなりませんわ」

 大盛り上がりな周りに取り残されて、あたしはしょんぼりと袋を元の位置に戻した。

 元の位置に戻すと、なんだかそれだけでホッとする。

(……よし)

 そうして顔を上げると、こちらを見下ろしていたナザゼル王妃と目があった。

 ニヤリと微笑む王妃に、あたしはニコッと反射的に笑みを返し……ややあって首を傾げる。

(……そういえば、ナザゼル王妃様って、いったいなんのためにあたしの所に来たんだろうか?)

「ナザゼル様。なぜ、突然ベルのお見舞いに?」

 あたしの意志を素早くくみ取ってくれたフェリ姫の問いに、王妃は鮮やかに笑った。

「妾が見舞うのはおかしいかえ?」

「いいえ。ナザゼル様も、ワタクシ達のお義姉さまですもの。けれど、ナザゼル様ほどのお方になれば、まわらなくてはならないお方の数も、かなりのものではありませんか? ベルはついこの間、王女という位を与えられたばかり。ましてこのタイミングというのが……」

「気になるかえ?」

「……正直に申し上げれば……」

 おずおずと言ったフェリ姫に、ナザゼル王妃は鮮やかに笑う。

「それはのぅ、妾らのお母様に頼まれたからじゃ」

「陛下に?」

「うむ」

 目を見開いたあたし達に、ナザゼル王妃は笑う。

「二日前にな、会談した折に頼まれたのじゃ。此度養女に迎えた娘には、後ろ盾も何も無い。この王宮ではおそらく、生き辛かろう……と。それでの、力になってくりゃれと頼まれたのじゃ。我が恩人たるアリステラ殿の頼みじゃ。きかぬわけにはいくまいて」

「…………」

「それにの。妾は式典の初日からここに来ておった。つまり、婚約発表の折にもあの場におったのじゃ。なかなか楽しませてもろぅたぞ。あのクラウドール卿を百面相させるなど、前代未聞であったのぅ。妾も王女に興味があったのじゃ。渡りに船じゃ思うて、いそいそと馳せ参じたのじゃよ。おかげで、相変わらずな義姉上の姿も拝見できたしの」

 ……義姉上?

 あたしは一瞬首を傾げ、すぐに納得した。

 あの妃殿下は、確かアウグスタの養女の一人だ。一番上のオネエサマ、だったかな? ナザゼル王妃が四番目ということは、面識があってもおかしくはない。

 ……てゆか、あれ? なんか、そのわりにはフェリ姫とのほうが仲良さそうだけど……?

「ワタクシは、六年前の春の大祭の折にナザゼル王妃様に親しくさせていただいたのです」

「妾もアザゼル族での。名が近かろう? もっとも、妾にはたいした読み取り能力は無いのじゃがな」

「けれど、かつて『竜殺し』と呼ばれた英雄アザゼルの『魔眼』を継いでいらっしゃるのは、今の世ではナザゼル様だけですわ」

「まぁ、いささかきな臭い世であるからの。この目もそれなりに役に立つが……それよりも、フェリ。おぬしは武術の腕を磨くべきでは無いか? 女とて、剣を使えねば命に関わる時代ぞ?」

「……ナザゼル様と一緒にしないでくださいませ。ワタクシ、スプーンより重い物は持てませんの」

「……これじゃ。のぅ、ベル王女殿下。この娘に言うてやっておくれ。せめて短刀の一つでも扱えるようにならねば、いざという時、己の命も、慕わしき者の命も守れぬと」

(もっともです)

 あたしはウンウンと頷いた。

 フェリ姫は嫌そうに顔をしかめる。

「まぁ! そんなところで結託なさらないでくださいませ」

(でもお義姉さま、あの伯爵が危険な場所に行かなくちゃいけない時、武器を持てなきゃ一緒について行けないわよ?)

「あの方は、そういう時、むしろワタクシを家の中に残そうとなさるのですわ。危険だから、と。……それは、まぁ、ずっと待ってるだけというのは、嫌なものですけれど」

(ほら!)

「それでも! 人には得手、不得手というものがあるのですわ!!」

 あたしとナザゼル王妃は顔を見合わせた。

(お義姉さま……剣術は苦手?)

「そう言えばそなた……弓も満足に引けなんだの……」

「だから! ワタクシはスプーンより重いものは持てないのですわ!!」

 プイッとそっぽを向いたフェリ姫に、あたし達はしみじみと嘆息をついた。

(しょうがない……)

「仕方あるまいの。……うん。こちらの姫君は頑張る気がありそうじゃな?」

 バッチリです。

 チラリと向けられた瞳にキラリと目を輝かせて、あたしは大きく頷いた。

(よぼよぼになった未来のおじ様は、このあたしが守るのです!)

 なぜかフェリ姫があんぐりと口を開けていた。

「ふむ。なかなかに根性も据わっておるようじゃ。体が癒えた後は、妾が手ほどきをしてやろうぞ」

(よろしくお願いします!)

 あたしはペコリッと勢いよく頭を下げた。ナザゼル王妃は満足そうに笑む。

「うむ。このような場で新しい弟子ができようとはな。人生、何があるか分からぬものじゃ。……ん? あぁ、いかん。妾ともあろう者が、危うく役目を果たさぬ所であったわ」

(役目?)

 突然、扉の方を向いてそうぼやいた王妃に、あたしは首を傾げた。あたしの横のフェリ姫は、同じように首を傾げてからハタと顔を上げる。

「まぁ……!」

「フェリも気づいたようじゃな。……しかし、こういう時、心話の能力は楽で良いのぅ。人の心が読めるのじゃ。よほど無心にならねば、おぬしの前で隠れるのは至難じゃろうて」

「ナザゼル様ほどの方でしたら、ワタクシの力など太刀打ちできませんわ。むしろ、ベルのほうが凄いと思いますけれど。……隠れていらっしゃったあなた様に『気づいた』のですから」

「全くのぅ……メリディス族の五感は侮りがたいということじゃな」

 言葉を交わす二人を「?」の顔で見比べながら、あたしはしょんぼりと肩を落とした。

 二人だけで何かを分かり合っているようだが、あたしにはサッパリ分からないのです。

 説明プリーズ。

「まぁ、ベルったら……。陛下達がこちらに向かっていらっしゃっているのですよ。ナザゼル様は気配で、ワタクシは心の声で、それぞれ察しただけのことですの」

 ……なるほど。

「妾が先に行って、皆が来る前に準備を整えさせよう、と……そう、アリステラ殿に宣言しておいたのじゃが……。いかんな、直前まで忘れておった。それにしても、珍しいことに大神官殿もおいでのようじゃな。アロック卿は、宝飾類のことで招かれておるのかの?」

 熊とマニアの気配でも感知したのか、ナザゼル王妃がそうぼやく。何故か懐かしく思う二人の話題に、あたしはそわそわと体を揺らせた。

「アロック男爵のご子息でしたら、ベルの個人的な友人ですわ」

「ほぅ! あのアロック卿と? あぁ、そう言えば、かの者は自他とも認めるメリディスの崇拝者であったか」

「最近は昔よりずっと落ち着いていらっしゃるようですの。ベルのおかげかもしれませんわね」

「まあ、実物が近くにおれば、行き過ぎた妄想は減るであろうよ」

 フェリ姫はその声にクスクスと笑って、あたしにニッコリと微笑みかける。

「ベル。陛下はきっと、クラウドール卿の事を話してくださるはずですわ」

 トクンと心臓が小さく踊った。

 脳裏にレメクの顔が浮かぶ。

 ……優しくて暖かい、あの瞳が。

「……まぁ……ベル。嫌ですわ。なんでいきなり泣きそうになってらっしゃるの?」

 唐突にぼやけた視界の中で、フェリ姫が笑ってあたしにハンカチを差し出した。

 あたしはそれを受け取りながら、ツンと熱い鼻をすする。

(……レメク)

 名前を心で唱えるたび、意識が奥底へと沈みそうになる。

 元気になろうと誓ったけれど、ふいにやってくる寒々しい『何か』だけは、自分ではどうしようもないのだ。

(……会いたいの)

 傍にいられないのが、寂しくて、苦しくて。

 何ができるわけでも無いけれど、少しでも倒れたあの人の傍で、自分でできる何かをしたいのだ。

(……レメク……)

 俯いてしまったあたしの頭を、大小の掌が優しく撫でてくれる。

 あたしは一度だけ頷くように頭を下げて、ぎゅっと唇を引き結んだ。

 顔を上げると、二人が柔らかく微笑んでくれる。

「さぁ、皆様を迎えるための準備をいたしましょうか」

「殿方もおられるのじゃ。ここで皆を迎えるのはいかんじゃろうな」

「移動いたしましょう。三部屋ほど動けば、応接室ですわ」

「うむ。では、妾が抱えてさしあげよう」

 そう言って優雅に掌を差し出されて、あたしは一瞬、とまどった。

 フェリ姫を見ると、どこか羨ましそうな目であたしを見ている。

「お言葉に甘えなさいな。ナザゼル様はとても力持ちでいらっしゃいますわ」

「ふふふ。鎧を着込んだ男に比べれば、姫など小鳥のようなものじゃ」

 鎧を着た男を持ち上げるようには到底見えないが、自信たっぷりの言葉に『嘘』の臭いはしなかった。

 あたしはよろよろとソファから降りる。

 そうして、作法通りのお辞儀をしてから王妃の手に自分の手を重ねた。

 ──かつて、レメクの手をとった時と同じように。

 ナザゼル王妃がふと微笑む。本当に小鳥か子猫を扱うように軽々とあたしを抱き上げて、妖艶な王妃は言った。

「ほんに、小鳥のような姫君じゃな」

 笑ったその顔が、何故かレメクの笑みと重なった。

 あたしは目からポロッと零れたものを慌てて拭って、シャンと背筋を伸ばした。

 ……少しだけ思う。この背に本当の翼があれば、と。

 そうしたら、迷うことなく、レメクの所へと飛んで行くのに。

「さて、行こうか姫君」

 柔らかな声と一緒に、あたしを片腕で抱えたナザゼル王妃が歩き出した。レメクは男の人だったからそんな抱え方でも疑問に思わなかったが、女の人にやられるとちょっとビックリしてしまう。

 ……しかし、よくよく考えれば、アウグスタにも同じ抱え方されたんだっけ……何故かアウグスタ相手だと疑問に思わなかったのだが。

 後ろを振り向けば、一歩半後ろからしずしずとフェリ姫がついて来ている。あたしの視線にニッコリと笑う彼女は、歩く姿も美しかった。

 あたしはシャキンと背を伸ばし直す。

 メイドさん達が手早く扉を開け、部屋を整え、手の空いた者から順にナザゼル王妃とフェリ姫の後に続く。まるで最初から決められていたかのような淀みない動きは、美しい舞を見ているかのようだった。

 彼女たちの動きもまた、とても洗練されたものだからだ。

 あたしは俯き──そして、顔を上げてしっかりと胸を張った。


 ──ベル。


 大事な人の声が聞こえる。

 あたしの頭の中で、いつか語ってくれたその人の声が。


 ──小さくても、あなたは貴婦人レディです。


 頭を撫でてくれる優しい指も、暖かな体温も、まるで昨日のことのように思い出せる。

 例え出自が貧しくても、こんなに小さな体でも、それでもしっかりと地面を踏みしめて、胸を張って生きなさい。──そう言った、その人の眼差しを。

(……大丈夫)

 レメク。あたし、忘れてない。

 完璧にはまだまだほど遠いくても、貴婦人レディとしての気品と誇りを忘れないかぎり、あたしはレメクにとっての貴婦人レディになることができる。

 あの人に誇れるあたしであるために。

 あたしの手が無意識に胸の辺りに伸びて、ドレスの内側にある革袋を布越しに触れた。

(……あたしも、がんばるから)

 きゅっと握ると、円を描く硬い感触がする。

 それは何故か、あたしを励ますように、一瞬だけ暖かな温もりを灯したのだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ