番外SS 【 Lady Bell 】
※この小説は、連載中の【対オジサマ攻略法!】の、改題アンケートに端を発する番外編SSです。
主人公はレメクです。
別名。レメクのときめき編。
「幸せそうな寝顔ですね」
そう笑い含みに言われたのは、大広間に戻って少し経った頃だった。
王宮最大の収容人数を誇る大広間。
通称『決戦の間』と呼ばれるそこは、現在煌びやかなダンスホールとなっている。
天には十ものシャンデリアが煌めき、色彩溢れる天井画の下では、色とりどりの衣装が揺れていた。
奏でられる音楽は、王国屈指の楽団によるもの。それらの中に笑いさざめく人々の声が混じり、音楽と声に満たされた広場は、溢れる熱量で眩暈がするほどだった。
壁側のソファに避難しながら、レメクは深い嘆息をつく。
人の垣根を抜けた時には安堵のため息が漏れてしまい、そのことにわずかに自己嫌悪する。
そんな中、腕の中の幼い少女は心底幸せそうな顔で眠っていた。
ようやく丸みをおびた頬に、まだまだ小さくて短い手足。あまりにも珍しい紫銀の髪に、今は閉ざされている金色の瞳。
体は小柄で、正直なところ、今日で九つになるとは信じ難かった。
少女の名前はベル。
何の因果か、雨の日に自分と出会い、一族の掟に従えば九年後に妻になる予定の子供である。
「……なにか良い夢でも見てるんですかね」
満面に笑みを湛えた少女の寝顔に、レメクも思わず笑みをこぼす。
ほんのつい先程まで、隣にいる自称『魔法使い』に『人形』の魔法をかけられていた少女は、その反動のために昏々と眠っていた。
にもかかわらず幸せそうな笑顔なのは、その魔法の時間が楽しかったからなのだろう。
レメクには一足飛びに大人の姿になることが、幸せなことだとは思えなかったのだが。
そう口にした途端、なぜか隣のヒトが盛大にため息をついた。
「乙女の夢を理解していませんねぇ」
「……乙女?」
不審そうに呟き、小さな手でこちらの服を握り締めてくる少女を見下ろし、レメクはもう一度口を開いた。
「………………乙女?」
「なんです。その異論アリアリな声は。こんなに可愛らしいお嫁さんを前にして」
「まだ結婚していません。……だいたい、乙女という年齢では無いでしょう、ベルは」
「おや。ご存じない。女性は何歳でも乙女なのですよ。それこそ物心つく前から、年を経て命の終わる瞬間まで。つまり、うちのご主人様も乙女です」
「………………向こうから恐ろしい気配が向けられてますよ、お義父さん。頼みますから、言動には気をつけてください。……地獄耳なんですから」
遠くから即座に放たれた必殺の一瞥に、なぜかうっとりしてる義父。
その、自身の名付け親とは思えないほど若々しく美しい顔を見やって、レメクはしみじみとため息をついた。
ポテト、もしくはナイトロード。
黒い髪と蒼い瞳をもつこの男は、三十三年前、当時王女だったアリステラの傍らに突然現れたとされている。
およそ人の身で体現できる美を遥かに超えた容姿に、あまりにも広く深い叡智。
そのヒトが持つ人外の容姿と能力に、他の人々が畏怖を込めて『魔王様』と呼ぶのも仕方無いことだった。
「お義父さん。あなたの顔は凶器なのですから、せめて目立たないよう、仮面をかぶるなり、フードをかぶるなり、麻袋に入ってるなり、してくださいませんか?」
「……何気にひどいこと言ってませんか?」
「言いたくもなります。あなたが会場入りしてから、いったい何人が気絶したと思っているんです」
先程から聞こえる人が倒れる音に、レメクのため息は自然と深くなる。
伝説的美女と名高かった前国王の二人の王妃、レティシアとアントワール。
そして、現在でも絶世の美女と名高い現女王アリステラ。
その彼女らをして「神か悪魔の如き美しさ」と言わしめる義父の顔は、その美貌ゆえにまともに直視できる者がほとんどいなかった。正気を保っていられないのだ。
少なくとも、彼と目をあわせて話せれるのは、レメクが知る限り、己を含めてわずか三人に限られていた。
そのうちの一人はすでに亡く、今はもう二人だけ……
……いや、
(……ベル)
もう一人。この腕の中で眠る、真っ直ぐな眼差しの小さな少女。
「……ベルは、大丈夫なんですよね?」
昏々と眠る少女の髪を撫でて、レメクは何度確認したかわからない問いを口にした。
ポテトはおかしそうに口元を笑ませる。
「本当に心配性ですね、あなたは。大丈夫ですよ」
「心配もします。だいたい、何故、この子にあんな魔法をかけたんです! 例えこの子がそれを望んでいたのせよ、時がくればいずれ必ず大人になるというのに」
そもそも、その『一時的に大人の姿になる』理由がふるっている。
こともあろうに、自分とダンスを踊るためだというのだ。
レメクとしては、頭の痛いことこの上ない。
「踊りなど、これから先いくらでも踊る機会はあるでしょう。今でなくてはならない理由など、無かったはずです」
「あれれ、本当に理解できてないんですね、あなたは。言ったはずですよ? 『乙女心』だと」
心底呆れたと言わんばかりの顔をした後、ポテトは唇の端を苦笑に歪める。
「わかりますか? 自分には出来ないことを他の人が悠々としてるときの寂しさが。
すぐそこにいて、一番大事な人が、自分以外の人と優雅に踊っていて……
それなのに、自分では決して同じように踊ることのできない悲しさが」
「ですから、時が経てば……」
「その、時が、待てないほどの気持ちが、乙女心というやつですよ」
「…………」
沈黙したレメクに、ポテトはただ苦笑を零す。
「手に入らない宝物を前に、子供らしい駄々もこねず、ただ必死に見つめ続けていた子供が、あまりにも可愛らしかったのですよ。だから、ちょっと叶えてあげたくなりました。……特別にね」
……本来、この男は人の願いなど叶えない。
山のような財宝も、美しい女性達でも、願いの対価になりはしない。
この男を動かすのは、人の思いだ。
少なくとも、天をも動かすほどの思いでなければ、この男には届かない。
「……そんなに、願うようなものですか?」
レメクには不思議だった。
ダンスなど、ただの教養の一つだ。
誰といつ踊ったところで、そう意味があるようには思えないのに。
「そうですね、確かにあなたは、誰と踊っていても楽しそうではありませんでした。そんなあなたが、誰かの踊りを見て、憧れたり胸を焦がしたり、悲しかったりせつなかったり……そんな気持ちを覚えたり、察したりするのは、無理なんじゃないかなと私も思ってます」
その事実に、レメクはただうなづく。
その目を見て、ポテトは「けれど」と呟いた。
「お嬢さんと踊ったときも、あなたはいつもどおりでしたか?」
ドキリと、一瞬、体の奥で大きな音がした。
その様子に目元を和らげて、ポテトは囁くように言葉をこぼす。
「嬉しいも楽しいも、無いままでしたか? 昔と同じように?」
「…………」
「……私には、そうは思えませんでしたが?」
なにかを揶揄するように、類まれな美貌が口元に笑みをはく。
なぜかいたたまれない気持ちになって、レメクは床に視線を逃がした。
腕の中の少女が寝返りを打って、ゴロンと大きくのけぞる。
「ぅわ」
「ありゃ」
レメクとポテト、とっさに二人がかりで子供を引き戻す。
転落を免れた少女は、膝の上にのびのびと伸びていた。
その寝顔は相変わらず嬉しそうだ。
(……ベル)
ふと思い出す。
魔法で一時だけ存在した、幻のような少女。
小さな体が大きく伸び、短い手足がすらりと長く、体は柔らかな曲線を──一部を除いて綺麗に描き、顎の腺、目元、小さな唇にそこはかとなく大人の色香を帯びた貴婦人を。
「……『あれ』が」
腰まで伸びた、幻想の紫銀の髪。
長いまつげの下の、金色の瞳。
「……ベルの、未来ですか?」
そこだけは変わらない、強い意志を秘めた瞳の輝き。
あまりにも強く、鮮明なそれは、そうであるが故に、記憶の中のもう一人のメリディス族と重ならない。
「大きくなる過程で変わっていくところもあるでしょうから、完璧に同じではありませんけれど、ね」
義父の答えに、レメクは目を伏せる。
眠っている小さな子供を見ていると、なんだか不思議な気分になった。
「……お義父さん」
「はい?」
「私は、正直、この子が大きくなったとき……『あの人』を思い出すのではないかと、思っていました」
「…………」
「同じ髪の色だから、思い出すのではないかと……」
けれど、違った。
今、寝顔を見ているだけで、なにか暖かい気持ちになるように……あの時、自分の体温が確実に一度、高くなったような不思議な気持ちがした。
世界が大きく揺れて、一人以外の全てが消えてしまったかのような、
時が止まって、まるで一秒が永遠に変わったかのような、
未だ理解できない、不思議な感覚。
「大きくなったこの子を見たとき、誰の姿も重なりませんでした。ベルは、ただ『ベル』でしかありませんでした」
誰とも代わることのない、唯一人。
いつだって、今だって、小さな手で必死に自分と繋がっている……唯一人の人。
わずかに目を伏せて子供を見つめる名付け子に、ポテトは口元を綻ばせる。
「……それが分かっただけでも、お嬢さんを大きくした甲斐がありましたね」
そう言いながらも、自覚は無理だろうな、と心の中で独り言つ。
それはおそらく、もっと時間が経たないと無理なのだ。
あと九年。……いや、せめて、あと七年。
小さな子供が年頃の少女になって初めて、自覚しはじめることなのだろう。
すでに最初の恋は生まれていたとしても、始まりはきっとそれぐらいからだ。
そう、いつかこの稚い子供が、レディと呼ばれる年齢になってから。
「ふふふ。ねぇ、『レン』さん」
他に聞こえないよう、今この場では禁忌である名前で呼んで、ポテトは微笑んだ。
とっておきの宝物を夢見るような口調で。
「楽しみですね、未来が。……生きるということは、きっと、こんな風に楽しみなことなんですよ」