11 星空のダンス
得体の知れない沈黙が、その場の全てを支配していた。
時が止まったかのよう、というより、むしろ凍りついてしまったかのようだった。
百を超える群衆が、驚愕の表情で生きた彫像と化している。
まさにその瞬間を目にしたあたしは、思わず原因となった二人を見比べてしまった。
あたしの目の前に、ふんぞり返ったアウグスタ。
あたしの傍らに、恐ろしい気配を纏ったレメク。
二人を中心に空気がどんどん冷えていく。息とか白くなっちゃいそうな勢いだ。
(えーと……えーと……)
対峙する二人を見比べて、あたしはきょろきょろと周囲を見渡した。
主催者の挨拶も無いままに始まったこの氷結地獄。
これを打開する勇者様がどこかに一人はいるはずなのである。
お待ちください! とか、陛下! とか叫んで間に入る強者が……!!
「…………」
…………。
「……」
……あれ?
(って、誰もいない?)
あたしは目をパチクリさせた。
これだけ沢山の人がいるのに、誰一人「待った!」をかける人がいない。
おそらく周囲を見やる余裕すら無いのだろう。誰も彼もが凍りついたように動きをとめて、戦々恐々と件の二人を見守っている。
……いや、まぁ、ポテトさんは除くけど。
しかし、なんでまァ、あのヒトは『今』あんなに嬉しそうな笑顔なんだろうか?
今まで見てきた笑顔の中で、たぶん一番輝いてる。
むろん、この場の雰囲気を変える気など、蚊の目玉ほども無さそうだ。
(……しょうがないなぁ……)
あたしは嘆息をつき、勇者様を捜すのを諦めた。
こうなっては成り行きを見守るしかない。
だって仕方がないのです。どうやらこの場に勇者様はいらっしゃらないようですから。
そんな誰もが間に入るのを尻込みするこの二人は、例えて言うなら、そう、ドラゴン(金)対ドラゴン(黒)!!
凄いですヨ黒ドラゴン!
下手に動くとこちらの体を木っ端微塵に砕かれそうなほどの気配です!!
しかし金ドラゴンも負けてない!
婉然と笑ったまま、乳をバインバインと揺らしている!!
……どんな挑発だろうか、あの乳揺れは。
むしろアレはあたしに対する挑戦だ。
けれど揺らせられるモノがあたしには無い!
とりあえず対抗して尻でも振ってみよう。
あたしはすっくと背を伸ばし、腰に手をあてて一生懸命振りはじめた。
「「…………」」
ん?
「「…………。」」
んん?
無言でフリフリしてると、何故か件の二人がじーっとあたしの方を見る。
(睨み合い終了?)
きょとんと首を傾げたあたしに、二人は半笑いで咳払い。
(ナゼ?)
綺麗に空気が一変しました。
「あーぅん、なんだ……理解したか?」
変な咳払いをしていたアウグスタが、そんな風に声をかけくる。
口に端に妙な笑みをくっつけて。
あたしはしばしアウグスタを見つめ、フルフルと首を横に振った。
とりあえず、サッパリです。
だいたい、いきなり第なんちゃら王女とか言われても、いまいち理解がおいつかない。
せいぜい、あのおっかないお姫様より数字が大きかったとか、あのお姫様の姉妹かー、とかぐらいが関の山だ。
まぁ、婿レメクについての感想は『バッチコイ』で終わりだが。
そんなあたしの様子に、アウグスタはただ苦笑する。
「なに。簡単な話だ。おまえの籍がな、私の所に移動したということだ」
あたしはさらに首を傾げる。
籍と言うが、そもそも一月以上前に、あたしは間違って『死亡』扱いで処理されてしまったのである。
その後、他の孤児仲間の分と一緒に、アウグスタがこっそりどうにかしてくれたらしい。
……とはいえ、今の今までそんなこと忘れてました。
なにせあたしの最終目標は、レメク・(忘)・クラウドールのお嫁さんなんですから!
「ん〜。まぁ、簡単に言うとだな」
あたしの様子に、アウグスタはちょっと困ったように眉を寄せる。
そうしてから、何故か変な咳を二回ばかりした後、あたしに向かって羽根扇をビシッ! と突きつけた。
胸を張って大いばり。
「私が! おまえの! お義母さんだ!!」
嬉しそう。
「お待ちくださいッ!」
即座にレメクが声を上げた。
おお。黒ドラゴンが勇者様に大変身。
正論という名の武器を手に、果敢に攻撃を開始します。
「本人に何の相談もなく! 何を勝手に決めていますか!!」
「入・籍!」
「何嬉しそうに言ってるんです!? 本人の同意なく話を進めないでいただきたいと申しているんです!」
「いいじゃないか、どうせ結果は同じだ。先にさっさと形を整えてやっただけだろう」
「整えた形が問題なんです!!」
……金ドラゴンには、正論はあまり効果なさそうだ。
「だいたい、そのような大事を陛下の一存だけで……!」
「一存じゃないぞ。ちゃんと教皇と侍従長と女官長と料理長と騎士団長と宮廷紋章術師長の賛成を得ている!」
……なんで料理長が数に入ってるんだろう……
「何故あの人達は……ッ! い、いえ、それよりも、王室の問題と外交の問題はどうなります!?」
「欠片ほども問題ないッ!!」
「ありすぎですッ!!」
「ならば問おう!──ナスティア大法官!」
はり上げられたアウグスタの声に、「はい」と答えるおじいちゃま。
言い争いが続いている間に常の威厳を取り戻したのだろう。宰相閣下は、さすがの貫禄で女王陛下に一礼した。
「汝に問う! 異議はあるか!?」
「ございません」
「閣下!!」
レメクがものすごく焦った声。
「むしろよき案にございます、陛下。これで我がナスティア王国も安泰というもの。王家は強き力でより強固に結びつき、王朝は長く繁栄することでしょう」
「そうであろう!──次! カードリック大法官!」
「は、はいっ」
アウグスタの声に、人垣の中からわたわたと恰幅の良い男の人が進み出た。
淡い金の髪に白い肌。ぽっちゃりとした丸体型。つぶらな瞳がどことなく小動物。
おそらく四十代後半だろうその人は、妙に愛嬌のある仕草できょときょとと目を彷徨わせながら、アウグスタに丁寧に一礼する。
「汝に問う! 問題はあるか!?」
「ございませんッ」
「……侯爵……」
ほとんど反射的に答えた男性に、レメクがガックリと肩を落とした。
どうやらカードリック大法官とやらは、侯爵様でいらっしゃるようだ。
……てゆか、この声……なんかどっかで聞いたコトあるよーな……?
首を傾げるあたしの前で、アウグスタは「どうだ!」とばかりに胸を張る。
「ふふん! 見るがいい、三大法官のうち、二人までもがこちらに賛同したぞ!」
「……どこの子供ですか、貴方は」
きらきらと目を輝かせて言う女王様に、レメクが呆れかえった顔でぼやいた。
あたしもつられるようにして苦笑を零し、ぐるり四方を囲む人垣を見渡す。
さて、最後の大法官は誰ダロウ?
たぶんこの会場内にいるんだろうけど……
「議会の半数以上、大法官二名、おまけに王宮はおろか奥宮の主とまで言える面々の賛同も得ている。これを覆すのは至難の業だぞ、レメク」
「だからその前に、普通、本人の意向を確認しませんか?」
「おまえの意向を聞いていたら、百年たっても結婚できんじゃないか。ベルのことも考えろ。やるときゃやる男なら、四の五の言わずに承諾するがいい。なぁに、九年なぞあっという間だぞ? それとも何か? もうちょっと早いほうがいいか?」
「問題はそこではありませんッ!」
王様の家族になるという大問題は、アウグスタにとってはどうでもいいようだ。
ふっふーん♪ などと視線を逸らすところを見ると、むしろ敢えてとぼけているようにも見える。
(……というか、レメクは何でそこまで嫌がってるんだろう?)
あたしは首を傾げ、青筋までたててアウグスタに詰め寄るレメクを斜めに見上げた。
普通に考えれば、これはたいへんなチャンスなのである。
ここでイエスと頷くだけで、レメクは自動的に王族に名前を連ねることになるのだ。普通だったら喜ぶところじゃなかろうか?
……いやまぁ、相手があたしだっていうのが問題なんだろうけど。
それ以前に、そんなことしちゃって国は大丈夫か? とかイロイロ思いますが。
(王様の血筋が少ないって言ってたから、何かそれと関係するのかなぁ……?)
例えあたしを養子にしても、そしてレメクをその婿にしても、実質的に王の血が増えるわけじゃないと思うのだが……
それとも他に、何か理由があるんだろうか?
「浮かない顔ですね、お嬢さん」
(ぎゃわっ!?)
突然後ろから聞こえてきた小さな声に、あたしはびっくりして飛び上がった。
(ポテトさん!?)
後ろを振り返れば、なんと! 前にいるアウグスタと並んで立っていたはずの黒ずくめさんがすぐそこに!
(い……いつの間に動いたんだろう、このヒト……)
「せっかくの婚約披露です。もう少しにこやかになさい」
「でも、おじい……じゃなくて、お義父さま。あたし、いまいちピンときてないんだけど」
小さな声をかけてくるポテトさんに、あたしも小声でぽそぽそと返す。
ポテトさんは口元を軽く笑ませて首を傾げた。
「まぁ、ちゃんと本人に話をする前に会議で決定させましたからね。お二人が驚かれるのも、理解がおいつかないのも当然です」
「あたしがアウグスタの娘になるのよね? で、おじ様がそのお婿さん?」
「簡単に言えば、そうです。面倒なことはこちらで全部処理しますから、あなたはただ、あなたのままでいればいいのですよ。……あぁ、王族としてのマナーはたたき込まれることとなるでしょうね。ま、そのあたりも大丈夫でしょう。教える気満々な人達がいますし、レンさんもいますしね」
「うっ」
あたしは一気に血の気が引くのを感じた。
テーブルマナーでさえまだまともにできないのに、王族のマナーだなんてできるんだろうか?
むしろ、あたしこそ簡単に考えすぎたのかも知れない。
ここはレメクと一緒に拒否すべきだろうか?
「……やめておきなさい。不穏を招くだけですよ」
「不穏……?」
ポテトさんの声に、あたしは目をぱちくりさせる。
「ええ。……考えてごらんなさい。突然現れた稀有な一族の美少女。位は無いが価値はあるその子が、王に気に入られて養子に。婚約者は国内でも有数の実力者であり、時に王を凌ぐ権限をもつ独身男性。……さて、人々はどんな物語を想像しますか?」
「……傍から聞くと、なんだかすごいドラマチックね」
「実際内容は間違ってないのに、どうしてこう印象が違うのかはともかくとして、まぁそういうことです。今年の夜会の噂は『幸運なメリディスの少女』で決まりでしょうね」
「……ということは、そんなあたしがここで反発なんかしたら、皆様方の不興をかってしまうってことね?」
ポテトさんは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、おじ様が反発するのはいいの?」
「ええ。突然の幸運というのなら、端から見ればレンさんだってそうなんですよ。ですが、レンさんは誰よりもそれを固辞しているでしょう? 本人の無欲さがよく出ていますから、彼を知る人々は驚きこそすれ妬みはしないでしょうね。野心家の人々にとっては、ある意味羨ましさのあまり憎しみ倍増でしょうけど、その反面、つけいる隙もあると安堵するでしょうし。それに……」
それに?
「レンさんが王室の近くにいないと、こちらとしてはいろいろ不都合でしてね。本人は無自覚ですが、味方が多すぎる上に、自身の持つ力が強すぎるんです。放置するには危険ですし、他家に取り込まれるのはもっと危険です。早い目に手を打たなくてはいけなかった所に、あなたが来たわけですよ」
なるほど。
「例えどんな手を使ったところで、レンさんは王族や王宮には近づこうとしないでしょう。今までそうだったようですしね。けれど、あなたを使った時だけは別です。例外的に、レンさんは動きます」
「……あたしは人質みたいなもの?」
「ええ」
ポテトさんはあっさりと頷いた。
「もちろん、そうです。……おや、ここは喜ぶべき所ですよ? 愛する人が自分のためだけには動くだなんて、『女の浪漫』というやつではないんですか?」
……足手まといになってる女の浪漫って、ナンダ……
がっくりと項垂れたあたしに、ポテトさんはくすくす笑う。
「そういう所は『あの方』にそっくりですね。嗚呼、確かにあなたは、正しく黄金の魔女の卵なのでしょう。……世界を上書きしそうなほどに」
ふと、ゾクリと背筋が冷えた。
驚いて振り返ると、ポテトさんがにっこりと微笑む。
その瞳に人に在らざる光を宿して。
『承諾しておきなさい、小さき魔女よ。それが運命を回避する手段になるでしょう。あなた方がこちらに与するのなら、我々は争わずに済む。もとより争いあう気のない者同士。大局を見れば、今はこれが上策です』
ごくり、と。知らず唾を嚥下していた。
「争うって……あたしと、ポテトさんが?」
「いいえ」
ポテトさんは笑む。どこか薄ら寒くなる微笑みで。
「あなたと、私の主。もしくは、レンさんと、私の主が……です」
あたしはアウグスタとレメクを見た。
ポテトさんの主というのは、十中八九、アウグスタだろう。
けれど、どうしてアウグスタとあたし達が戦うことになるんだろうか……?
「戦の果てには何もありません。けれど、それがわかっていて尚、人は戦を起こします」
「?」
唐突に語られて、あたしはただ視線をそのヒトへと向ける。
「かつてこの大陸では、三度、全土を巻き込んでの大戦が起こりました。制したのは、いずれも『魔女』の血を継ぐ女性です。宵闇の魔女エリュエステーラ、深紅の騎士シェーラギーニ……そして、蒼月の魔女セリスティア」
聞いたことがある。お伽話で。
もう何百年、もしくは何千年もの昔に、大陸を統一した偉大なる女帝がいたという。
「あの方が生まれる年を指して、とある国で予言がありました。『やがて世は乱れ、この地に生きる全ての者を巻き込んで、凄惨な宴が催されるであろう』と」
人心は乱れ、国は滅び、世界には悲憤と絶望がはびこるだろう。
悪しき者は人ならざる者の領域へと手を伸ばし、世界は混沌の淵へと沈む。
その底に在りしは無数の異形。
世界の果てに封じられし、人ならざる異形の魔物。
「……ヤな予言ね」
「本当に」
あたしの感想に、ポテトさんは笑いながら頷く。
……その生き生きした顔はナニかしら?
「この予言をした者は、予言をしたその年に不吉を『読んだ』として処刑されました。……その国も、今はどこにもありませんがね」
あたしはポテトさんをじっと見つめる。
「……『人心は乱れ、国は滅び』……?」
「そう……かつて栄華を誇ったカストラーゼ王国。占術の都ラザスト。全て灰となって消えました。賢者の予言もその時に失われた。けれど、予言は今も生きています。……そう、世界には悲憤と絶望がはびこるのですよ。……南方では、民族紛争の果てに国が二つ滅び、未だ争いは続いているとか。西の地では得体の知れぬ軍勢が突如現れ、虐殺の限りを尽くしているという噂です。北の地は天変地異が起き、いささか不穏な気配がただよっているとか。……十三年ほどかけてあちこち巡ってきましたが、なるほど、世界は徐々にきな臭くなってきているようですよ」
クスクスと、ポテトさんが嗤う。
「この国にも、腐敗の種があり、争乱の兆しがあります」
「!」
「たとえ回避することは不可能でも、その被害を最小限に留めることはできます。……あの方がやろうとしているのは、そういうことです。……失われた予言はね、こう続くんです。『けれど果ての地に舞い降りたる影あり。其は闇の王を従えし黄金の魔女。幾千の闇を切り裂きし、闇より出でし光の王』。果ての地というのは、地面の果てではありません。どこか一方の方角の果てでもありません。……それは、地下にあるのです」
「……地下?」
あたしの声に、ポテトさんは微笑む。
「そう。果ての地とも、最果ての地とも、世界の果てとも呼ばれるもの。……かつて暁の賢者が封印を施した、この国の魔の森の下にある巨大な地下迷宮。その最奥です」
あたしはパカッと口を開いた。
それは……それはもしかして!?
「……魔物の……」
「そう。数百年前に魔穴と呼ばれていたものですね。ちなみに魔の森は西の国との国境近くにあります。ん〜、西の国と言えば、得体の知れない軍隊が現れた国ですね」
「ふ、封印が解けてる……とか!?」
「いえいえ。封印はまだ解かれてませんよ。……けれど、ねぇ、何故でしょうね? どうして人は、ソレが世界に一つしか無いと思ったのでしょうね?」
ポテトさんはただ嗤う。
「入り口も出口も、確かにそう多くは無いでしょうが……決して一つだなんて、決まってはいないのに」
「…………」
あたしはあまりのことに沈黙した。
正直、アウグスタの『王家に養子』発言すら頭からすっぽ抜けた。
他の誰かが言った話なら、大仰なホラ話だと思っただろう。もしくは妄想誇大な物語だと。
けれど、これを言っているのはポテトさんなのだ。
おそらくこの世で、最も人ならざる者の領域に立っているヒトなのだ。
あたしはじっとポテトさんを見上げた。そうして、口を開く。
「……けど、それと、あたし達とアウグスタが争うっていうことは、関係あるの?」
ポテトさんはふと笑みの質を変えた。
どこか異質だった笑みが、いつもの生ぬるい笑みに変わる。
「ええ。実は大ありなんです。予言された黄金の魔女。いずれ大陸を制するとされるこの魔女の一人が、誰在ろう、あなたなんですから」
「…………………は?」
あたしは盛大に眉をひそめた。
「まぁ、その反応が普通ですよね。ちなみにご主人様も、最初そんな反応でした。今はもう、諦められてますけど。……ああ、予言がどーとか言っても、基本的には特別今すぐ何かをしないといけないってわけじゃないんですよ。嫌でも運命がそう動きますから、受動的でも全然構わないわけです。……ただ、困ったことに、王というのは普通、一人なんですよね。二人も現れちゃったら、困るわけですよ。世界っていうのは、おおらかで許容量も大きそうに見えて意外と狭量でしてね。一人しか認められない椅子の近くに二人の有資格者ができた場合、無理やりにでも淘汰しようと動くわけです。さすがに世界の動きそのものには逆らえませんからね。……そうなると、あなたはご主人様と争うことになるんです。否応なく、ね」
ちょちょちょちょ、ちょっと待て!?
「い、いきなりそんなこと言われても……!?」
「ええ。理解できませんし、意味わかりませんよね。それが普通です。……ですが、これも事実です。だからうちのご主人様は、あなた方と争わずにすむように、あなた方を取り込むことにしたんですよ。少なくとも、こうすることで世界はあなた達……もしくは、私どものどちらかを『スペア』としてとらえます。どちらかが失敗した時の代わりとして認定するわけですね。全くの同じ、ではなくなった時点で、淘汰は免れます。……けれどそれを拒否すれば、世界は在るべき形に在るために、どちらかを消去しようとするでしょう」
えーと、えーと。
つまり?
「拒否すれば、いつか戦うことになるカモ? なの?」
「そうです」
「……ちなみにちょっと聞きたいんだけどね、アウグスタとあたしとレメクが戦うっていう構図の中に、なんでお義父様は入ってないのかな?」
あたしの素朴な疑問に、ポテトさんはそれはそれは素晴らしい笑みを浮かべてこう言った。
「ああ。私は戦うことはしませんから。ただ、消すだけです」
……うん。ナンダ。そういうことか。
あたしは「はは」と小さく笑った。
……いやまぁ、予想はしてたけど。レメク達とはまた違う次元で、このヒトは大変な危険ジン物のようです。
「ま、夢物語にしても質が悪いですし、真面目にとりくみたくない気持ちでしょうが……覚えておいて損はありませんよ。いずれ身に染みてわかるようになりますから」
(……わかりたくないなぁ……)
のほほんとそんなことを言うポテトさんに、あたしはトホホな気分で未だ言い合いをしているレメク達を見た。
ほんのすぐ傍で話しているというのに、二人ともこっちに注意を払っていない。夢中になっている、というより、全く気づいていないようだった。
それもそうだろう。なにせ、こちらにも彼等の声は聞こえないのだから。
(……『何か』普通じゃないこと、しちゃってるわね?)
ピンときた。
レメクから魔法なんてものはそれこそ人ならざる者の力だと言われた。
ということはだ、単純に考えてポテトさんなら使えちゃうぞってことではありませんか!
「……その認識は間違ってないのですが、何かちょっと心にひっかかりますね……」
横でこっそり人の心を読み取ってくださる人外魔境一匹。
闇の紋章で繋がってるわけでもないのに、そんなことができちゃう時点でもう『人ならざる』ってなもんです。
「……いえ、もういいですけど……。とりあえず、理解はされましたか?」
ちょっとしょんぼりと尋ねてくるポテトさんに、あたしはコックリと頷く。
「ん。とりあえず、理解したわ」
ちょろっとだけ。
「そうですか。……最後に付け足された言葉がちょっと気になりますが、いきなり全部理解しろって言うほうが無茶ですね」
「うん」
きっぱりと言いきって、あたしは大きく頷いた。
そうしておいて、目をキラリと光らせる。
「でもね、疑問があるの。なんでお義父様は、いきなりそんな話をしてくれたのかな? って」
「あぁ、それなら簡単です。時間がないんですよ」
「……?」
意味不明。
「あれ? 理解してませんでしたか? あの方の娘になるということは、王族として迎えられることです。これ以降、あなたのスケジュールは分刻みですよ。過密にも程がある、という状態でしたから」
「!!!」
あたしは思わず飛び上がった。なんだかいきなり現実に引き戻された気分だ。
「ま、ま、ま、またすぐ特訓!? そんなにすぐに!?」
「ええ。それに、レンさんもあなたの一族の元に行くために、日程を組んでいたようですからね。ちょっと今の内に話しておかないと、あなただけずっと何も知らない状態になりそうでしたから」
……あたしだけ?
ふと思った疑問に、ポテトさんはにっこりと笑って頷いた。
「はい。レンさんもすでに知ってます。できるだけ考えないようにしてますがね。……ちなみに、他の大多数の方は知りませんよ。予言が出たのはもう何十年も前のことですし、予言者もその国もとうの昔に滅んでますから。……ただ、知っている人は知っています。とりあえず、あの方の近辺にいる人達はほとんど知っていますよ。……レンさんのことも含めて」
「…………」
「敢えて深く考える必要はありませんし、思い悩む必要もありません。ただ、知っておくべき内容だと思ったから話しました。記憶の片隅にでも留めておけばそれでいいんです」
──記憶の片隅に。
あたしはじっとポテトさんを見つめた。
レメクとほぼ同じ身長、同じ体格。けれど徹底的に違う、ただひたすら深すぎるその蒼い瞳。レメクの持つ暖かくて奥深いものは、その中には欠片も見あたらない。
──けど、目に見えるものだけが真実では無いのだ。
「……ありがとう、お義父さん。教えてくれて」
きゅっとズボンを片手で握って、あたしはにっこりと微笑んだ。
ポテトさんが教えてくれなかったら、あたしはそんな不思議話、全く知らないままに過ごしていただろう。もしかしたら何もわからないまま、うっかり変な方向に人生を歩いていたかもしれない。
知っているからこそとれる回避があり、選べる選択肢がある。
知識を得るということは、そういうことだ。
得た時にはちゃんと把握できていなくても、頭の片隅にあって、時折忠告のように言動を抑制したり、守ってくれたりするものだ。
「まだあんまりピンときてないけど、任せといて! 絶対アウグスタとは仲良くやっていくんだから!!」
ニコッとさらに笑うと、ポテトさんもほろりと笑みを零した。
それは今まで見たこともないぐらい、優しくて暖かい笑顔だった。
「頼もしい限りです。──おや、あちらも話がまとまったようですよ」
口元に微笑みの余韻を残したまま、無敵な黒ずくめさんが手でそっちを指し示す。
そっち──つまりレメク達を。
「はっはぁ! いいかレメク! 私が勝ったらおまえは承諾した上に私とダンスを踊る! おまえが勝ったら、承諾した上にダンスだ!」
「賭けてなってませんよ!?」
パチンという不思議な音と同時に聞こえてきたおかしな会話に、あたしは目をぱちくりさせて二人を見つめ、次いでポテトさんを見つめた。
ナニゴト?
「どうやら無理やり賭けでまとめることにしたみたいですね」
「……勝っても負けても内容一緒だった気がするんだけど……?」
「いつものことです」
いつものこと!?
「それにのせられたらもう終わりだと言うことです。……あぁ、最終宣告来ますよ」
ポテトさんの声と同時に、アウグスタが目を爛々と輝かせてポテトさんを見た。
「こら! そこ!! いつの間にか移動してたコーンフォード大法官! 私の案に不服は無いな!?」
断定で問う。その絶対の自信が素晴らしい。
というか、コーンフォード大法官?
きょとんとしたあたしの横で、ポテトさんがにっこりと最終宣告を宣った。
「ありませんよ」
「はーっはっはっは! ほらレメク! 私の勝ちだぞ!」
「答えがわかってる相手を選ぶのやめてください! ちょ……なに引っ張って行ってるんですか!」
「さぁダンスだ! 皆、おおいに祝い喜び楽しみ遊ぶがいい! 今日は無礼講だ!!」
ワッと鳴り響く壮麗な音楽に、場の雰囲気が息を吹き返したかのように華やかになる。
あたしは呆気にとられて無理やり連れ去られるレメクを見送り、ついーっと隣のポテトさんをもう一度見つめた。
……コーンフォード大法官?
「私達は邪魔にならないよう、壁際にでも避難しておきましょうか」
にっこり笑顔であたしを抱え上げるその人に、あたしはただただ口をぽかんと開ける。
とりあえず、他のいろんなトンデモ話より、彼の肩書きが一番驚きだった。
※ ※ ※
王宮の大会場を出て左側の廊下の最も奥。いくつもの階段を上り降りした先に、大きく開けたテラスがあった。
テラスとは言うものの、大きさはすぐ下の部屋と同じだから大変な広さだ。
衛兵も守備兵もいない場所だが、華やかな会場から離れてこんな所まで来る酔狂者はいないらしい。よろよろとたどり着いたレメクとあたし以外、そこには誰もいなかった。
あるのは目の前に広がる優美な庭と、満天の星空だけだ。
「うわぁ……!」
テラスの上に降ろされたあたしは、思わず叫んで裾をたくし上げ、ぱたぱたと走り出す。
ちょっと怒られそうなぐらい裾をたくし上げているが、これぐらい上げないと踏んづけて飛ぶ。
そしてレメクは、そんなあたしを注意する余裕すら無いようだった。
「…………」
盛大なため息をついて、レメクは瀟洒な柵にもたれかかった。比喩でなく背中が丸まっている。
「……ごめんね、おじ様……」
その疲れ果てた姿に申し訳なくなって、あたしは立ち止まり、そっと声をかけた。
途端、びっくりした顔でレメクが振り返る。
「何故あなたが謝るんです。謝るべきなのは違う人でしょう?」
対象は一人しかいない。金色後光の女王様だ。
「でも、結果的に迷惑をかけてるのはあたしだし」
それでも尚そう言うと、レメクは途端に困り顔になった。その背は相変わらず丸くなってしまっている。
レメクがこうも疲れているのは、別にアウグスタに無理やりダンスにつきあわせれたせいではなかった。
延べ一時間近く踊り続けるダンスはレンクリットなんとか(名前忘れた)という、恐ろしく複雑なステップのやつだったらしいが、レメクもアウグスタも軽々と踊りきってしまったのである。難しすぎて他に踊り手がいないという、まさに難曲中の難曲だったらしいが、あの超人達には『これも嗜みの一つ』程度のものだったようだ。
ええ。見ている方はもちろん至福の極みでございました。
あの光景は永久保存決定です!
今も脳裏に、優雅に踊るレメクの姿が焼き付いているのです! 上着の裾がフワッと動く様から、脚のラインがチラッと見える様まで……ッ!!
もちろん、ケニードが複写紋様術の使いすぎで倒れてしまったのは言うまでもありません。
(……根性で最後まで見ていってたけどね)
あの執念にはただひたすら脱帽だ。
さて。では何故レメクがこれほど疲れているのかと言うと、なんのことはない、踊ってる最中も(一時間近く!)えんえん例の件で言い争った挙げ句、結局言い負かされてしまったからだ。
ポテトさんにまで「あきらめが悪いですよ」と諭され、大きく肩を落としたのはつい先程のことである。
言ってしまえば体力でなく、気力の部分で疲れ果ててしまったのだ。
「迷惑とか、そういうのではなく……」
レメクは何かを言いかけ、言いよどみ、また大きなため息をついた。
そうして、しょんぼりと肩を落として見上げているあたしに、困りきった眼差しを向けてくる。
「……自覚が無いのかもしれませんが、一番被害を被っているのは、あなたです」
いえ。
心の底からあなたのほうだと思います。
しゅん、とさらに肩を落としたあたしに、レメクは近寄ってきて膝をつく。
「陛下と義父の企みは、だいたいのところ把握しています。ですから、私のことについては、あなたは何の呵責も覚えなくていいんです。巻き込まれているのはあなたなんですから」
そうだろうか?
あたしは首を傾げた。
むしろ、あたし的には良い方向へと特攻してくれてる感じなのだが。
……いやまぁ、未だいろんなことにピンときてないせいもあるし、王族特訓メニューが始まったら大泣きするかもしれないけれど。
「本当なら……私の周囲には、近づかない方がいいんです。何に、どんな風にして巻き込まれるかわかりませんから」
正面にあるレメクの顔を見上げながら、あたしは目をぱちくりさせた。
そのセリフは、以前にも聞いたことがある。
「恨みを持つ人がいっぱいいるから……?」
「……それもあります」
嘆息をついて、レメクが頷く。
孤児院の騒動の時にレメクに言われた言葉は、あたしの心の奥に残っている。
自分から離れた方がいいと警告しようとしていたレメク。あの時、とても辛そうな目をしていた。
もちろん、あたしは彼の言葉を遮って、堂々と守ってあげるわ宣言をいたしました。いや、実際に守られまくってるのはあたしの方だけど。
(……み、未来は守れるようになるのよ! 強く格好良くなるつもりなんだから!!)
内心の思いをこめてグッと握り拳をつくったあたしに、何故かレメクの眉が垂れる。
そうして、ふと、心を零すようにして声を零した。
「……ベル。どうしてあなたがそこまで私を思ってくれるのか……私にはわかりません」
……レメク?
「あの雨の中、あなたを助けたのは、人として当然の行為です。あなたを保護したことも、今も尚保護し続けることも。……もちろん、掟のこともあります。ですが、ベル。それは人としてごく当たり前のことです。好悪で判断するのなら、確かにそれは好意をもつべき内容でしょう。ですが……人生を決めてしまう内容にまで、発展させるべきことではありません」
「…………」
「ベル。あなたの人生は、これからです。あなたはこれから、沢山の人に出会うはずです。良い人ばかりでは無いでしょうが、今まで会ったことないような、素晴らしい人にも出会うことでしょう。生まれて初めて、誰かを愛おしく思うこともあるでしょう。……その時に、今日の日の事柄が重い現実としてのしかかるのですよ」
じっとあたしを真っ直ぐに見つめてくれる人に、あたしも眼差しを真っ直ぐに合わせた。
レメク・(謎)・クラウドール。あたしより二十三も年上の、誠実で優しい大人の人。
「あなたの人生は、あなたのものです。誰かから決められたレールを無理やり歩かされるような、そんなことにはなってほしくありません。幸せになりたいと思わない人はいないでしょう? ……ならば、ベル。あなたは、この話を早く断らないといけないんです」
大きくて暖かい手が、あたしの両肩に置かれた。
あたしはじっとレメクを見つめる。
そして、声を落とした。
「……そうね」
レメクが言うことは、いつもとても正しい。
そして彼が言うことは、いつだってとても優しいのだ。
嘘も偽りも誤魔化しすらも無く、ただ真っ直ぐに相手を思うその声は、あまりにも強くあたしの心に響く。
──そこに紛れもなく、レメクの『心』がこもっているから。
「あたしはこれから、沢山の人に出会うわ。……きっと、素敵な人にも……もしかしたら、物語の王子様みたいな人にも出会うかもしれない」
でも、レメク。
あなたはあまりにも、あたしのことを知らなすぎる。
そしてあなたはあまりにも……自分を知らなすぎるのだ。
「すごく好きな人ができるかもしれないわ」
あたしはじっと見つめてくるレメクの表情を見続けた。
ほんのわずかな変化。きっと他の人では見落としてしまいそうなかすかな動き。
「でも、いらないの」
見つけた。
だから、最後まで言おうと決めた。わずかに動いた、その人の瞳に向かって。
あたしは知っている。
レメクが本当は、『自分自身』のことがすごく嫌いだってことも。
理由なんて知らない。でも、言葉の端々に感じるのだ。
……自分自身のことを『いらないもの』だと思ってることを。
周りの人はあんなに、レメクのことが好きなのに。
あたしはこんなに、レメクのことが好きなのに!
「他の人なんていらないの」
気持ちは伝わるだろうか? この胸の奥にある、一番大事な気持ちは。
闇の紋章という奇跡の絆が結ばれていて尚、本当の意味では伝わっていない──この気持ちは。
あたしは手を伸ばしてレメクの服の裾をしっかりと握る。
決して逃がさないように。
「……だってもう、一番好きな人には会えてるんだもの!」
レメクは何の反応も返さなかった。
いや、返せなかった。
ぽかんと惚けたようにこちらを見るレメクは、なんだか妙に可愛く見える。
突っついたらそのまま後ろにバタンと倒れそうなほどの惚けっぷりに、あたしは目をぱちぱちと瞬きさせた。
(…………。……。…… チャンス?)
あたしの目がビカッと輝く。
途端、レメクがビクッと立ち上がった!!
「ああああーッ!?」
おじ様ハグは!? ハグは無しなのッ!?
立ち上がったレメクの周囲でぴょこぴょこと飛び上がるあたしに、レメクは呆気にとられたような顔になり、ややあって、ほろりと笑みを零した。
「まったく……あなたときたら……」
意味不明。
けれどぴょんぴょん飛ぶあたしをさっと抱きかかえてくれた手は、とても温かくて優しかった。
あたしはレメクの首に素早く張りつく。
「!」
ものすんごくいい匂い!
(あぁん! めろめろンっ)
今までもレメクの匂いは素晴らしかったが、なんと言うことだ! まだそのレベルが引き上げらるとはッ!!
クラッときてぐんにゃり力のぬけたあたしをレメクがぎゅーっと抱きしめてくれる。
さらにメロメロんッ!
あたしは天にも昇る気持ちで、うっとりとその感触とか匂いとかを堪能した。ああなんていう天国だろうか。思わず腹もグーと賞賛の叫びを張り上げます。
…………グー?
「…………」
「…………」
あたしとレメクと、二人分の沈黙が流れる。
たまにグーと不自然な音楽も一緒に流して。
「…… ……。ぷ」
吹き出された!
「おじ様ッ!?」
「くっ……」
ぶるぶる震えているレメクのせいで、抱きしめられてるあたしもぶるぶる震える。ぬぁあああなぜあたしの腹はこういう時に鳴るのだぁーッ!!
しかもレメク、笑いますか!? ソコ!
いつもの紳士ぶりはどうしたんですか!!
(ばかばかばかーッ!!)
思わずぽかぽかとレメクの肩を叩く。
レメクが笑いながら「痛いですよ」と抗議するが、全然痛がってそうにない顔だから説得力は皆無だった。
「はは! いや、ぁあ、そういえば、ほとんど何も食べてない状態でしたね」
笑い涙まで浮かべたレメクに、あたしはぎゅむっと唇を引き結ぶ。
そう。せっかく王宮の夜会に来ていながら、あたし達はあんまりご飯を食べていなかったのである。
ヴェルナー閣下が来た時に、こっそり休憩所に軽食が運ばれてきたりもしたが、そんなものであたしのお腹が足るわけがない。レメクなど一つまみもしなかったから、なおさらだろう。
……まぁ、あたしの方は、レメクが踊りっぱなしだった時、横からポテトさんがせっせと口にモノをつっこんでくれたのでいろいろ咀嚼はしているわけですが。
(……なのになんで、あたしの方の腹が鳴るんだろうか……)
がっくりだ。
もしかして、恐ろしいぐらいハラヘリーニャになっているのかもしれない。そろそろ調整しないと、今後イロイロとやばいだろう。……食費とか。
「できたらもう少し、ここでゆっくりしていたかったですが……。広場に戻りますか」
あたしはグーグー鳴るお腹を押さえながら、首を横にフルフルと振った。
せっかくの二人きり、しかも夜の王宮でという珍しい状況。もうちょっと味わいたいと思うのが乙女心である。
ちょっと腹の音楽が気になるが。
「……ですが、お腹が空いているのでしょう?」
「我慢する」
「しなくてもいいんですよ。あなたはまだまだ育ち盛りなんですから」
レメクはそう言って優しく微笑うと、くるりとあたしを抱えたまま方向転換をした。
そしてものの見事に立ち止まる。
「「………………お義父さん」」
「や。間に合いましたね。差し入れですよ」
なぜか振り返ったすぐ後ろに、一抱えはある大皿を持ったポテトさんが立っていた。
大皿に乗っているのは食料なのだが、大盛りというより『モリモリ』と表現したほうがいい有様だ。
その唐突さと持っている物の異様さに、レメクもあたしも開いた口が塞がらない。
気配はおろか食料の匂いもまるで感じなかった所をみると、唐突に出現したと考えるのが妥当だろう。門の紋章を持ってるアウグスタより、この人はあらゆる意味神出鬼没だ。……紋章も持っていないのに。
けれど大皿の盛り盛り具合は最高です。グッジョブお義父様! そして肉!!
レメクとポテトさんが全く同じタイミングで、腕の中のあたしと大皿をそれぞれ床に降ろす。
あたしは素早く手袋を脱ぎ捨てると、大皿に攻撃をしかけました。
素手で。
「……まぁ、今回に限り、テーブルマナーは目を瞑りましょう」
「テーブル自体もありませんし、衆目もありませんしね」
笑いながら言うポテトさんに、レメクは嘆息をつきながら頷いた模様。
食べるのに必死で、ちょっとそちらを見る余裕ないですが。
「なかなか凄いですね。素晴らしい健啖家ぶりです。しかもあの食事方法でドレスに汚れ一つ飛ばないというのがまた凄いですね」
もちろんですとも!!
「そういえば、あのドレス……お義父さんが作ったものですよね?」
「ええ。ご主人様のご要望で、あなたが今着ている服と対で作りました。初めて社交界に出るということで、ずいぶん無茶な要求をされましたよ」
「そういえば、一緒に出られたんでしたね。パートナーとして」
「ええ。あなたはまだ小さかったから、部屋でおねんねさせられてたんでしたっけ。あなたも連れて行くんだと、ずいぶん言い張られて困りましたよ」
「連れて行かれなくてよかったですよ……」
「目を離すと何が起きるかわからなかったから、心配されたんですよ。実際、いろいろありましたしね」
「あの時はバルディア国からの使者も来てましたし……」
ふとレメクが口を閉ざした。あたしは口をもぐもぐさせながらじっと耳を澄ませる。
「……ベル。お話は終わりましたから、落ち着いてご飯食べなさい」
「!?」
あたしは大皿抱えて二人に耳を向けた格好で、ガーンッ! と固まってしまった。
そんな! レメクの昔話だなんて、滅多に聞けるもんじゃないのにッ!!
「……背伸びまでして聞こうとするあたり、さすがですね……」
「なにが流石ですか。ほら、せめてちゃんと座って食べ……無い!?」
「ごちそうさまでした」
きちんとお皿を床において、あたしはぺろりと口の周りを舌で舐める。もちろん、指についた肉汁とかもペロペロです。
「ああ、お嬢さん、それはこれで拭きなさいね。舐めずに」
ハンカチをいただきました。ありがとうございます。
ごしごし手を拭いていると、ポテトさんがなにやら嬉しそうにしゃがみこんできた。
「ところでお嬢さん。先ほどレンさんが踊っている時に、自分も踊ってみたいと仰ってましたよね?」
「うん」
そう。隣にいたポテトさんにご飯を口につっこまれながら、あたしはしみじみと語ったのです。咀嚼の合間に。レメクと踊りたいーでも身長足りない上に裾踏んで飛ぶー、と。
「本当に本当に踊りたいと願えますか? 例えそれが、自分の力で身につけたダンスでなくても、一度だけ、今、踊ってみたいと」
「うん」
一瞬の間もおかずに、あたしは力強く頷いた。
「お義父さん、何を……」
何か不穏なものでも感じ取ったのか、レメクが不安そうな顔で声をあげる。
けれどそれを制して、ポテトさんは不思議な笑みを浮かべてすっくと立った。
「ではその願い、叶えましょう。今日、婚約された二人のお祝いに、一度だけ」
「ちょ……!」
「あぁ、レンさんはそのままで。いいですか? お嬢さん。思いは力です。願いも同じく。真実の願いだけが、天に通じます。世界の理さえも動かして……」
ポテトさんの綺麗な手が、あたしの借りていたハンカチをちょいと摘んだ。そのまま、サッとそれを引き抜かれる。
ブワッといきなり目の前が白いもので覆われた。
一瞬、あのハンカチが巨大になったかのような錯覚を覚える。
だが、白い布はすぐさま視界から退いた。目の前にあるのは先程と全く変わらない光景で、あたしはきょとんと首を傾げる。
(あれ? 何かした?)
「なかなかですね。……おや? 一つだけちょっと不備があるような?」
ポテトさんが奇妙に神妙な顔であたしを見る。
あたしはさらに首を傾げ、ハンカチを奪われた自分の両手を見下ろした。
「!?」
思わずぎょっと立ち上がった。
あたしの手……あたしの手が……!!
「おっきくなってる!」
我ながらちっちゃいと思っていた手が、すんなりとした綺麗な手に!
あたしは素早く自分の胸を見た!
「おっきくなってない!?」
「……あー……そこはちょっと私の管轄外です。わざとでもありませんし」
悲痛な目でポテトさんを見つめるが、ポテトさんはすーっと視線を逸らして逃げるばかりだ。
そんな! 手がおっきくなっているなら……いや、手だけでなく、立ち上がった時の視界を見ても全体的におっきくなっているんだから、胸だってバインでボインになっているはずではありませんか!?
「おじ様! おじ様コレどう思う!? なんで胸だけ変わらずぺったんこなの!?」
あたしは半泣きでレメクへとぶつかり……ぅぉおお!? なぜそのまま倒れるのですー!?
「危ないですねぇ、レンさん。というか、お嬢さん」
慌ててレメクの背後にまわりこんだポテトさんのおかげで、そのままバタンと倒れるのを免れた。
てゆか、レメク、何事!?
あたしはぎょっとしてレメクを見つめる。
なぜか、さっきと同じようにぽかんと惚けてるレメクを。
「おじ様!?」
レメク、無言。
「おじ様!」
あたしはずずいっと詰め寄る。
目と鼻の先まで顔を近づけると、その瞬間、ものすごい勢いで後ろに下がられた!
「!!!!!」
声もない。
後ろにいたポテトさんすら引きずっての超後退に、あたしは思わず呆然と立ちつくす。
エ。ナニ。この反応。
「!!!!」
レメクは無言のまま、すごい勢いでポテトさんに目を向け、あたしを見、またポテトさんに目を向けた。
何か言いたいらしいのだが、どうやら言葉が出ないらしい。
ただ、もんのすごーく切迫したナニカを感じました。
「あぁ、ええ、はいはい。言いたいことはわかります、というか、いいじゃないですかちょっとの夢なんですから。いいもの見たでしょう、よかったですね。未来図ですよ未来図」
やる気無さそうな声でポテトさんがレメクに言う。
しかし! その目はいつになくキラキラと輝いていた。
声と態度が裏腹だ。
「ふっふっふ。あれですね。完全勝利というやつですね。きっとこうなるだろうとは思ってましたが、良い反応ですよ、レンさん」
HAHAHAと不思議な高笑いをするポテトさんに、我に返ったらしいレメクがわしっとその襟元を掴んだ。
「お義父さん!」
「ん? お礼は無用ですよ? え? 違う?」
「早く! 元に! 戻しなさいッ!!」
「え。いつのまにそんな趣味に」
「違いますッ!!」
珍しい。レメクの顔が真っ赤になってる。
「いいですか! あなたの常識は人のものに非ずとわかっていますが! 実際には幼い子供をあのような体躯に成すということは、現実には尋常ならざる過負荷がかかっているわけで……!!」
「あー大丈夫ですよ、私の作った服とさっきの食べ物の作用で一時的にそういう風になってるんです」
「ベル! 吐きなさいッ!!」
ものすごい勢いでレメクがあたしの元に走ってきた。
てゆか、吐け、ってさっきのご飯をですか!?
「無理だし!」
「無理なもんですか! 今入ったばかりの食物です! 吐きなさい!」
「吐けないから! もう消化しちゃったし!」
「食べ物はそんなに早く消化されませんッ!!」
わぁわぁ言い合ってるあたし達を見つめて、ポテトさんが実に生き生きとした顔で言う。
「種のある魔術と違って、私のは一応魔法なんで、通常の法則はあまり適用されないんですけどねぇ……まぁ、心配する気持ちはわかりますが。……ところで、レンさん。魔法がかかっているのは服もなんですが、あなたが着ている服は、さて、誰が作ったものでしたっけ?」
ぎくり、と。レメクが見事に固まった。
軋んだ絡繰り細工のような動きでポテトさんを振り返ったレメクに、ポテトさんは煌めき輝く謎笑顔。
「人の血肉は、闇の領域。つまり、私の領域です。さ、お嬢さん、準備はいいですか? あまり無茶はできないので、通し全曲は無理ですが……一番あなたが心躍らせていた一曲分だけ堪能させて差し上げましょう。頭で考えずにただ楽しんでください。いきますよ?」
「ま、待ってください、何を……」
「え、お義父様、てゆか、どうやって?」
ぎょっとなってそれぞれ声を上げるあたし達に笑って、ポテトさんはどこからともなく弦楽器を取り出した。綺麗な茶褐色の楽器の中で、銀色の弦が月光に煌めく。
「第三楽章です。レンさん、魔法は一曲だけですよ」
なにやら含みありげに言うポテトさんに、どういうわけかレメクは沈黙し、様々なものを諦めたように深くため息をついた。
え、えーと?
「ベル」
諦念を滲ませて、レメクが手を差し伸べてくる。
あたしはきょとんとそれを眺めた。
(お手々拝借?)
ちょこんと乗せると、微妙な顔をされた。
あれ? 間違った?
「……ベル」
はい。
「あのヒトは質は悪いですが、嘘は言いません」
へい。
「一曲というのなら、確実に一曲分踊れば魔法は効果を失います」
ほい。
「ですから、すぐに踊って元に戻りますよ。何かおかしな副作用が出ないうちに!」
あやや。
「……信用ないですねぇ……」
ちょっと傷ついた声をあげるポテトさんを睨んで、レメクは再度あたしに向き直った。
差し出された手をまじまじと見ているあたしを。
「これは予行練習です。いいですか? まだ、あなたには早いんです。そのことをしっかりと覚えておいてください。……本当にちゃんと年を経て、あなたが今のあなたと同じ年齢になった時に、きちんと正式に言いますから」
(なにを?)
きょとんと首を傾げたあたしに、何故かレメクは一瞬だけ視線を彷徨わせ、ややあって真っ直ぐにあたしに向き直って言った。
「貴方の御手を押し頂く栄誉を私に与えていただけますか? ベル」
ぽかんとなった。
なんかすごい言い回しされたよ?
「……お嬢さん。そこは『はい』と答えるんですよ、『はい』と。そして相手の手をとるんです」
棒立ちになっているあたしに向かって、音楽レッツスタンバイのポーズでポテトさんが声をあげる。
あたしはすでに差し出された手に乗せてしまってる自分の手を見つめた後、一回引っ込めて「はい」と頷いた。そしてもう一回ちょこんと乗せる。
なぜかレメクはすごい微妙な苦笑顔。
そしてポテトさんにチラッと視線を送って言った。
「……今はまだ、こんなものですよ」
ポテトさんは何も言わない。ただ、口の端を軽く上げて笑んだ。
上から下へと弦が滑るように降ろされる。途端に驚くほど胸に響く音楽が流れ、いきなりあたしの体がくりっと動いた。
「ひぇ!?」
「音楽に反応して動くんですか……操り人形のような形ですね」
レメクのほうはそんなことを呟きながら、あたしの手をとって滑るように踊り始める。
そう、踊り始めたのである!
「わ、わわ、わわ、えええ!?」
とんとん、トンッタタ、タンッツィーットトンッ。
足が見知らぬステップを踏み、腕が鳥の羽ばたきのように軽やかに力強く動く。
しなり、反り、レメクに触れ、離れ、誘い、すれ違い、からめとる。
レメクとの距離は時に近く、時に遠く、けれど無様に足を踏んだり躓いたりすることなく、まるで初めから示し合わせているかのように、ぴったりのタイミングで絶妙なステップを踏み続ける。
あたしは勝手に動く体に意識がついていかず、一瞬目を回しかけたが、すぐにそれも無くなった。
何のことはない。自分で体を動かそうと思ったり考えたりしなければいいのだ。
それこそ夢の中で踊ってる自分を体感しているようなものだ。ただ、感覚を楽しめばいい。傍にいるレメクの体温や、距離や、息づかいを感じながら。
「あはっ」
思わず笑みが零れた。相変わらず足は勝手に複雑なステップを踏んでいるが、魔法にかかった体はほぼ無敵だ。どんなに音楽が早くても、どんなに動きが複雑でも、決して相手を踏んだりしない。
伸ばした手に触れるレメクの手。くるりと周り、背中合わせになり、感じる大きさと筋肉の張りと熱。いつもとあまりにも違う感覚は、あたしの体が大きくなっているから。
背中で背中を感じられるだなんて、なんて素敵なことなんだろうか!
あたしはくるりともう一度回って、レメクに笑いかけた。
広場で踊る人々を見つめて思ったことが脳裏に浮かぶ。踊りたいと思ったのだ。今目の前にいる、このレメクと。
いつもよりずっと近い位置にあるレメクの目は、不思議な奥深さを内に秘めてあたしを見つめている。
いつもと同じ優しい目なのに、いつもとちょっと違う感じだ。
まろむように深く暖かく、溶けそうなほどに熱くせつない。
……綺麗だと思った。胸が苦しくなるぐらいに。
(……レメク)
あたしはひたすら目の前にあるものを見つめ続けた。
満天の星空と、夜の静寂に溶けた庭と、あたしを真っ直ぐに見る──紫紺の瞳を。