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4 華麗なる戦場




 足を一歩踏み出す度に大きくなる音楽。

 心臓の音にかき消されそうになりながらも、全身を叩く音の波に、あたしは緊張が高まってくるのを感じた。

 隣を歩くレメクを見れば、こちらは悠然と前を見ている。

 あたしの視線に気づいて視線を返し、彼は小さく目元を笑ませた。

(よし)

 その笑みに勇気をもらって、あたしは最大の戦場──大広間へと足を踏み入れる。


 後にあたしは、幾度と無く、このときのことを思い返すことになる。

 確かにそれは、あたしにとって見知らぬ世界への一歩であり、

 そして、引き返すことのできない場所への、最初の一歩だったのだ。


 ※ ※ ※


 大広間は、宝石箱をひっくり返したような輝きと、色と、美しい音楽に満たされていた。

 降り注ぐ明るい光と、今までとは比べ物にならないほど鮮やかで豊かな音楽。

 根性だけで進めていた足が、数歩進んだ所で無意識に止まった。

 もしかしたら、呼吸も止めてしまっていたかもしれない。

 まず最初に目に飛び込んできたのは、天井一面に描かれた精緻な絵画だった。

 廊下に描かれていたものとは、明らかに規模が違う。恐ろしく巨大な絵だった。

 あたしは引き込まれるようにしてその絵を見上げる。

 遙か高みにある天の、描かれた勇壮な絵を。

 天井は高い。

 それもそのはずで、二階部分が吹き抜けになっていた。

 だが、それほどの高さだというのに、その絵の全容はあたしの視界には収まりきらない。

 視界の端から端までが全て絵画で埋め尽くされている。

 うねるように中央へと収縮するその絵は、紛れもなく、命ある者が全てを賭ける『決戦』だった。

 溢れる色彩は、まるで世界中の全ての色がそこに集められているかのようだ。

 力強い筆は、けれど驚くほど細かく美しい。

 沢山の人や生き物が描かれているのに、その一つ一つがまるで違う形、違う色をしている。

 いったいそれが何体集まって、この絵を完成させているのだろうか。

 一体一体を目で追おうとすれば、丸一日がかりでも全員を見ることができない。それほどの規模の絵だったのだ。

 あたしは歩くこともできず、ただただそれを見上げる。

 天井の壁側にあるのは、中央のそれに比べれば小さな絵画の集まりのようだった。おそらく、決戦当時の一場面をあちこちに散りばめているんだろう。

 けれどそれを把握するより前に、中央に展開する巨大な絵画に目が釘付けになる。

 右手側に種族装備を纏ったナスティア軍。

 左手側に、闇よりでたる魔族軍。

 中央にいるのは黄金の髪の美女。

 シャンデリアに照らし出されたその人は、どことなくアウグスタに似ている。

 美しく、尊く、気高く、力強い。

 距離があるせいで細かい部分はよくわからないが、その人が指導者ナスティアであることはわかった。その傍らにいるフードを被った隠者のような人影が、レメクの言っていた暁の賢者だろうか。

 いや、だがしかし、それにしては……

(なんだか……暁っていうより、闇とか、影とかって感じだけど……)

 暁というぐらいだから、もっと明るく爽やかな感じかと思ったのだ。

 だが、隣の美女にほぼ隠れてしまって、どうにも『影』という印象が強い。

(顔も見えないし……)

「ベル」

 目を凝らしていたあたしを、優しい声が引き戻す。

 あたしはハタと我に返り、慌てて傍らを見上げた。

 柔らかい笑みを浮かべたレメクが、あたしを見下ろしている。

「これが、王国が誇る至宝の一つです。中央にナスティアと、暁の賢者。魔族側の頭領。その配下たるそれぞれの軍の指導者。……正式な資料が残っていれば、おそらく、各人の名前もわかったのでしょう。紛失してしまっているのが、残念です」

 そう言ってレメクも天井を仰ぎ見る。

 それはどこか、懐かしそうな目だった。

「おじ様も、この絵、好き?」

「……そうですね。こういう場所でなければ、じっくりと見ていたいと思うほどには好きです」

 それは、とても好きだということでは無いだろうか?

 あたしは目をぱちくりさせ、ややあって納得した。

 あたし達の周囲にも、あたしと同じようにぽかんと口を開けて天井に見とれている人がいる。おそらく、この絵に会うのは初めてだという人達だろう。

 そしてそれよりも中に入った場所には、そんなあたし達を興味深そうに、あるいは可笑しそうに見ている人達の姿があった。

 こういう場所、というのは、おそらくそれを揶揄してのことだろう。

 てゆか……あれ?

 なんだか、ものすごくびっくりした目でこっちを見てくる人が増えていってるような……?

 きょとんとしたあたしに、レメクが言う。

「一度は通る道、といったところですかね。絵に見惚れる余裕もないほど緊張している人ならともかく、たいていの人は最初に天井に目が釘付けになります。……まぁ、だからこそ、こんな風に大きく入り口をとっているわけですが」

 その声に、あたしは前を気にしつつも後ろを振り向いた。

 すぐそこにある入り口は、大人が十人ぐらい手をつないで歩けちゃうほど大きい。

 あたし達はその一番左端から入ってきたのだが、なるほど、そこここで立ち止まって天井を見上げる人で、塊のようになっていた。右端の方も同様だ。

 中央から入場する人は、例の『パートナーと手に手をとって』入っている人達。

 すぐに踊りの輪に加わる彼等は、天井を見上げる暇もないようだ。おそらく、慣れている人も多いのだろう。

 こちらをちらっと見る目には面白そうな色があり……

 ……あれ? なんか硬直しましたよ?

「ねぇ、おじ様。他の人達、天井じゃなくてにこっち見て硬直しちゃったりしてるんだけど……?」

「目の錯覚でしょう」

 そ、そうだろうか?

 踊ってる人が足もつれさせてコケたりしてるんだけど。

 こっち見たまま。

「さ。それよりも、アロック卿達がしびれをきらしていますよ。参りましょう」

 レメクがそっとあたしの背を押す。その力に押されて、あたしは一歩を踏み出した。

 ざわっと会場全体がざわめく。

 ほらやっぱり! こっち見られてますよ!?

「珍しいがっているだけですよ。気にせず行きましょう」

 いや、無理だからっ!

 あたしは内心で悲鳴をあげる。

 しかし、場所が場所なため、レメクに飛びついて抗議することはできなかった。

 あたしは必死で足を動かす。

 大広場は、名の通り最初に入った広場とは一線を画す大きさだった。ということは、歩く距離も相当に長いということである。

 歩き出したあたしは、早々に周囲への観察を放棄した。

 天井の絵画も見たいし、生まれて初めて見る夜会の様子もつぶさに見たい。

 だがしかし、あたしにはそんな余裕などないのである。

 正直に言おう。

 ほとんど床しか見えません、と!

 あたしは必死で足を動かしながら、レメクが貸してくれている腕(というか肘)にギューッと爪をたてていた。

 といっても、「すがりつく」だなんて格好の悪い真似はできない。

 根性と乙女心で背筋をピンと伸ばし、ドレスを摘んで歩いているのである。

 ……亀の歩みほどの速度で。

(歩きにくいッ!)

 あたしは泣きたいのを必死で堪えて、ひたすら足を動かした。

 大広間の床は、顔が映りそうなほどツルツルに磨き上げられている。

 素材が何なのかは知らないが、こんなに磨かれていては、足を床に降ろすだけでも恐怖だった。

 あたしはその床をじっと見ながら、一生懸命足を動かしていく。

 もちろん、床を見ていると言っても、俯いているわけでは無い。

 背筋はひたすらピンと伸ばし、顔面は前方に向かって真っ直ぐ固定。

 ただし、視点だけは進行方向の床に一点集中。

 ちょうど馬車の御者が馬を走らせているときの視線と同じである。

 何故そんなことをしているのかと言うと、そうしていないと、歩くより早く体が前に吹っ飛ぶからである。

 ……その方が歩くより早いかもしれないが。

 あたしは半分ぐらい飛んでる魂を呼び寄せながら、ただひたすら足を動かした。

 歩くたびにコッツンコッツン音がする。正直、今にも足が滑りそうだ。

 こんな床で滑るように踊り回ってる貴婦人達は、きっと足に魔法がかかっているに違いない。それとも半分滑りながら踊ってるんだろうか?

 ちょっと問いたい気分です。

 そんなことを思った瞬間、足がコツルッと滑った。

 素早くレメクがあたしをカバー。そうして、励ますように背を押してくれる。

 おぶおぶ。

 あたしは歩きながら体勢を立て直し、シャコタンシャコタンと前へ進む。

 そして、ぐらぐらする頭の中で必死に『合い言葉』を唱えた。

かかとから爪先。踵から爪先)

 シャコタンシャコタン。

 時々レメクの手を借りながら、一生懸命、前へ前へ。

 あたし達が歩いている大広間の左端は、人々が入場するための道になっているらしかった。

 しかし、道とはいえ、明確な区切りがあるわけでは無い。

 そこここで談笑しながら歩いたり、立ち止まったりしている人がいて、これを避けるのが一苦労だった。

(止まるなら、壁際に行けーッ!)

 人々を避けながら進む都度、あたしは内心で絶叫する。

 あたし達が歩いている『端』というやつは、一番端っこの壁際では無いのだ。

 壁際には優雅な長椅子が多数揃えられており、そこには着飾った貴婦人達が陣取っている。その周囲にたむろしているのは、貴婦人の興味を惹こうとしている紳士達だろうか。

 しかし、そういった場所があるのだから、立ち止まる人々はそちらへと移動するべきなのである。道を塞がずに!

 進めば進む事にそういった『塊』に進路妨害されて、あたしはそろそろキレそうだった。なぜそういう配慮ができないのか。盛大に問いたい。

 しかも、ほぼ全員がこっちを見ている。

 なんでそんなにジッと見つめてくるのか。たぶん、レメクが目当てなんだろうが、その視線はあたしにとって拷問に近かった。

 ただでさえ余裕が無いというのに、周り全部が監視のごとく目を向けてくるのである。さっきからずっと、手も足も震えっぱなしだ。

 あたしは気合いと根性で足を動かす。

(カ・カ・ト! カ・カ・ト!)

 レメクがそんなあたしをチラ見して、口元に笑みを浮かべた。

 どういう意味ですか?

 ちなみに、隣のレメクは実に優雅に歩いていた。

 彼が一歩進むためには、あたしは三歩歩かないといけない。

 そのため、その優雅さもスローテンポだったが、それがちっともおかしくない。時々ちょっと立ち止まり気味だというのに、優雅さも高貴さも欠片も損なわれてはいなかった。

 ……しみじみ疑問に思うんだけど。どんな超人だろうか、この人。

 足滑らせても素早くカバーしてくれるし、さり気なく動きやすい用に位置調整してくれるし。

 しかもそれがすごく自然で、おまけにカッコイイんだな、これが!

 思わずあたしの頬が緩む。

 しかし、そんな風に気がゆるんだ次の瞬間、あ、とあたしの口が開いた。

 裾、踏んだ。

 そのまま前に吹っ飛びそうになるも、根性と乙女心で軌道修正!

 レメクに向かって突撃開始!

 ……素早く逃げられました。

 待てェいッ!

(支えてくれるって言ったのにッ!?)

 内心で絶叫。涙がぽろり。

 しかし、そう思った瞬間に空中でひょいと抱き上げられた。

 ……おや?

「(ベル。そのままちょっと寝てなさい)」

 素早く小声で指示するレメク。

 指示内容は謎だが、あたしは素早くたぬき寝入りに入った。

 グタァッと全力で脱力するほどの迫真の演技。

 即座に見知った声が飛んできた。

「ああっ! ベル!! 初めてで緊張のあまり失神しちゃったんだね!」

 嗚呼、なんて説明的なのケニード様。

 というか、そういう筋書きなのですね。

 あこがれのお姫様抱っこパートツーをされながら、あたしはレメクに悠々と運ばれる。

 観客の皆様からは、どうやら「初々しい」との高評価。ああ、実態を知らないって素晴らしい。

 あたしは密着したレメクのお胸にスリスリした。

「(ベル。気絶してる人はそんな動作しません)」

 ぎくり。

 あたしは即座に体の力を抜いた。

 グタァッ。

「…………」

 何故沈黙ですか、おじ様。

 もの言いたげな気配をまといながらも粛々と進むレメク。

 しかし! そんな彼の前に敵が現れる!!

「おお、これはクラウドール卿」

 横合いから声をかけられて、レメクの動きがゆっくりと止まった。そのまま悠然と振り返る。

(誰だろう……?)

 気絶した(という設定)子供を抱えてるのに、普通呼び止めますかね?

 あたしは真っ暗闇の瞼の奥で素早くサーチ。

 目を瞑っているので容貌は不明だが、声からして中高年。

 身分もなかなか高そうだ。

「フォルマ侯爵。お久しぶりです」

 受けてたつレメク。あたしを抱っこしたままでお辞儀。

 嗚呼、レメクの息が顔にかかります。うっふーん。

『…………』

 なんで頭の中にわざわざ沈黙の気配を送ってくるんですか、おじ様。

「あぁ、いや、こちらこそお久しぶりで……いやしかし、本当にお懐かしい。最後にお会いしてからどれほどの年月が流れましたか。貴方のおられない夜会は、なんとも火が消えたようなものでしてな」

 普通、そういう台詞は絶世の美女とかに贈らないだろうか?

 あたしは気絶した格好のままで首を傾げた。

 目を開けることができないので、フォルマ侯爵とやらの容貌はわからない。残念だ。ケニード並の美形ならば良いのだが。

『……何が良いのですか』

 だからどうしてそう脳みそに直接ツッコミを送ってくるんですかおじ様。

 しかもあたしの内心にツッコミ入れながら、レメクは優雅に侯爵様とも会話中。

「こういった場はあまり好きでは無いのですよ。役職柄、ほかの方々も私がいては羽を伸ばせないでしょう」

「なにを仰る。貴方がいないというだけで、出席を渋る紳士淑女も多くいるのですよ。またこうしてお会いできて、私は幸せでございます」

 ……だから、何故そういう台詞をレメクに言うのだろうか。

 あたしはさらに首を傾げた。

 薄目開けちゃっていいですか?

『駄目です』

 すかさず却下されました。

 エー。

「失礼。私のパートナーを休ませてさしあげたいので……」

 あたしのウズウズを感じ取って、レメクがさらりと切り上げる。

 気絶してる子供(あくまでも設定)を抱えているのだ。これ以上止める人もいないだろう。

 侯爵もそのことに思い至ったのか、あぁ、となにやら慌てたような声をあげた。

「これは失礼。可愛らしいお連れの方を……」

 声が途切れた。

 どういう意味で?

 疑問に思うも、気絶中なので問うに問えない。

 空気が動いた所を見ると、どうやらスムーズに脱・会話はできたようなのだが……

「最初がフォルマ侯爵、ってことは、次に来るのはバンカム侯爵か?」

「その前にレンフォード公爵夫人が来そうじゃありませんか?」

「あー。あの強烈なオクサンかー」

 熊とマニアが前の方でぼそぼそ言い合っている。

 誰が誰なのかはさっぱりだけど。

『後でお教えしますよ』

 あたしの「?」を読み取って、レメクがこっそり頭の中に『声』を送ってくる。

 あたしは『うん』と返事を送りながら、内心で途方に暮れていた。

 ……覚えられるかなぁ……名前。

 お貴族様の名前って、長ったらしいから苦手です。

「あ。ここですね」

 ふと、前の方からケニードの声が聞こえた。

 何か薄い布をめくるような音がする。しばしの間を置いて、音楽が少し遠くなったような違和感があった。

(おや?)

 首を傾げると、そっと体を何かの上に横たわらせられた。

 とても柔らかくて寝心地のいいものだ。

(ベッド?)

「ベル。もう目を開けても大丈夫ですよ」

 レメクの声に、あたしはパチッと目を開ける。

 目の前に、苦笑を浮かべたレメクが座っていた。

「……? ここは?」

 寝転がったままで、あたしは問う。

 音楽や人々のざわめきから、大広間の一角なのは分かる。

 だが、音も声も少しだけ遠い上に、周りもちょっと薄暗かった。

 あたしは周囲を見渡す。すぐに合点がいった。

 そこは三方を布で覆われた場所だった。残りの一方は壁だ。

 壁を背後にして、左右は重くどっしりとした布。そして、人々の声のする前方には、薄い布を幾重にも重ねるようにして視界と声を遮っている。

 どうやら、その薄い布をめくりあげてここに入ってきたようだ。

「休憩所のような場所ですよ」

 目をぱちくりさせているあたしに、レメクがさらっと答えてくれた。

 その後ろからあたしを心配そうに見ていたケニードが、あたしの視線を受けてにっこりと微笑んだ。

「大きな夜会とか、舞踏会とかだと、どうしても気分が悪くなって倒れてしまう人がいるんだよ。貧血だったり、コルセットのしめすぎだったり……まぁいろんな理由でね。で、そういう人を介抱するための場所が設けられているんだ。……といっても、ここはちょっとそれとは違うんだけど」

 ???

 あたしは身を起こしながら首を傾げた。

「休憩所とは『ちょっと違う』休憩所?」

 意味不明だ。

「いやまぁ、なんつーか、やんごとなきお姫様が、しんどいから休むわー、って寝転がったりする場所があるんだよ。休憩所と同じような場所で、な。で、ここはそういう人用の場所の一つなわけだ」

 あたしは首を傾げ、ややあってサーッと血の気を引かせた。

「ちょ、ちょっと待って、それ、あたしが使っちゃったらヤバイんじゃ……ッ」

 あたし、お姫様じゃないし!

「落ち着きなさい。ルドが言ったのはただの例です。ここは私達にあてがわれている場所ですから、あなたが休むのに支障はありません」

「え。おじ様、お姫様なの」

 レメクがものすごいジト目であたしを見た。

「ルドが言ったのは『例』だと言ったでしょう。……陛下の計らいですよ。夜会に慣れないあなたが休めるように、こうして場所を設けてくれているわけです。常に周りから見られているよりも、よほどくつろげるでしょう」

 レメクの説明に、あたしは目を大きく瞠った。

(アウグスタ……)

 この夜会への出席を要請してきた女王陛下。

 レメクの傍にいるために、耐えろと、そう言ったのは彼女だ。

 けれど、こうやって逃げ場も作ってくれている。……あたしがずっとは耐え続けられないことも、彼女にはわかっていたのだ。

(……ありがとう)

 いつだって、強くて優しくて暖かいアウグスタ。彼女はどこか、レメクと似ている。

 その強さも、優しさも、真っ直ぐにこちらを見る瞳も。

(……瞳?)

 あたしはちょっと首を傾げた。

 そのあたしの頭をレメクがワシッと両手の指で掴む。

「にょっ!?」

 思わずギョッとなったあたしに、レメクは妙に真剣な顔で眉をひそめた。

「……ところで、ずっと気になっていたのですが」

 な、なんでございましょう?

 指でワシワシと頭のあちこちを揉まれながら、あたしは目で問いかける。

 レメクはあたしの頭をじっと見つめたままで言った。

「頭痛くないんですか? この髪型」

「痛い」

 あたしは即座に答えた。

 アウグスタのメイド部隊に結い上げられた髪は、あたしの天頂部から後頭部あたりで綺麗にまとめ上げられていた。真珠の飾りをあちこちにつけられて、ドレスと髪型だけは貴族のお姫様みたいに綺麗になっている。

 だが正直、涙が出そうなほど、痛かった。

「……頭皮が引きつっていますよ」

 どこか心配そうに、レメクの指があたしの頭を揉んでいく。一時、頭の痛さを忘れてしまうぐらい、それはとても気持ちよかった。

 思わずホッコリと顔も緩む。

「髪型を変えたほうがいいかもしれませんね」

 言うやいなや、マッサージしてくれていたレメクの手が動いた。

 あ、と声をあげるより早くあたしの髪が解放される。

 バサッと降りた髪に、あたしは目をぱちくりさせただけだったが、それを見ていたケニードとバルバロッサ卿はギョッと体を硬直させた。

 何故だろう?

 レメクはそれを無視して、懐から櫛を取り出す。

 シンプルで綺麗な櫛に、あたしは思わず顔を近づけた。

 ふんふん。

 ふんふん?

 ふんふんっ。

「……ベル」

 やああって、レメクが疲れたように声をあげる。

「……離してくれませんか?」

 ハッ!

 あたしはハタと我に返った。

 思わず両手でしっかりとレメクの手を握り、櫛の匂いを嗅ぎまくってしまったのだ。

 あああいくら人のいる場所からは布で遮られて見えにくいとはいえ、こんな場所でやっちゃった!

 いや、でもだって、レメクの匂いがついてる小物って、ものすごい珍しくてッ!

 あたしはあわあわと周囲を見渡す。とりあえず、布の向こうから覗いてる人はいない。

 よし!

「……いえ、よし、でなく。……まぁ、いいでしょう。そのままでいてくれますか?」

 レメクのほうに向き直ろうとすると、クリッと頭を反対方向に向けられた。

 ちょうどレメクに背を向けるような形で、ちょこりんと座らされる。

「ほぇ?」

「裸頭のままでは、いくらなんでも失礼にあたりますから」

 そう言いながら、丁寧に髪を櫛で梳いてくれた。

 痛みから解放されたことと相まって、あたしの顔が即座にとろける。

 レメクの手つきはとても優しくて丁寧で、全然痛いとは思わなかった。

 にこにこと同じ場所にいる二人に視線を向けると……なぜか二人とも、こちらに背を向けてしまっている。

 何故だろう?

 ナナリーとカッフェみたいだ。

 内心で首を傾げている間に、レメクのほうはテキパキと作業を開始する。

 綺麗に梳いた横髪をちまちまと編み込み、頭の後ろの方でまとめる。レースのハンカチと、外した真珠の飾りを使って、なにやらごそごそとしていた。

 後髪のほとんどが結わえられずに背中に流れているが、編み込んだ部分だけは真珠と布で飾り付けられているようだ。

 にしても、どういう髪型なのだろう? これ。

 首を傾げたあたしの頭に、ちょこんと置かれる銀細工。

 どうやら作業は終了したようだ。

「こんなもんですかね」

 そう言って、レメクはあたしの頭を一撫でした。

 仰向くようにしてレメクを見上げると、苦笑を浮かべたレメクがペチリとあたしの額を叩く。

 いちゃい。

「背筋を伸ばしていなさい、ベル。せっかくの晴れ姿が台無しですよ」

 どうやら気が緩んでいたらしい。

 あわてて背筋をピンと伸ばすと、満足そうに笑われた。

 そうして、あたしの背中とかについた抜け毛をせっせと集め始める。

「なにしてるの? おじ様」

 何やら異様に丁寧に毛を集めているのに、あたしは首を傾げながら集められた抜け毛をつついた。

 手をペチリと叩かれる。

「女性の髪には魔力が宿ると言われますからね。ましてあなたはメリディス族です。非常に珍しい髪ですから、変な輩に渡らないようにしないといけません」

 で、抜け毛をせっせと集めているわけですか。

 あたしは呆れた顔でレメクを見上げ、マメで真面目なレメクを手伝うべく、目を皿のようにして周辺を見渡した。

 あ。落ちてる。

 レメクと一緒にせっせせっせと手を動かすあたし。

 意外と抜けるもんなんですね、髪って。

「ところでおじ様。さっき声かけてきたオジサンって?」

 レメクの太股の上に落ちていた髪を嬉々として拾いながら、あたしは問う。

 確か、なんとか侯爵。ああ、もう名前忘れてる。

「フォルマ侯爵ですか?」

「えーと(たぶん)、うん。どういう人?」

「フォルマ侯爵は……一言で言うなら、北の穀倉地帯の領主です。数ある侯爵家の中でも、五指に入る実力者ですよ」

「ふぅん……?」

 すごい人なんだ?

「現在、王宮において強い発言権をもつ一人ですね。陛下の信任も厚いです。ただ少し、一本気な所がありましてね……会うと昔のことを持ち出されるので、できればお会いせずにいたかったのですが……」

 なんだろう。妙に逃げ腰だ。

 過去に何かあったんだろうか?

「……ベル。なんでそこで目をギラギラさせるんです? 顔に鼻息がかかるんですが」

 じーっと見つめていると、そんなことを言われてしまった。

 失敬な!

 ちょっと目と鼻の先で見つめただけなのにっ!

 渋々少しだけ離れたあたしに、レメクは嘆息をつきながら説明する。

「フォルマ侯爵は、ステファン老と懇意だったんですよ。ヴェルナー閣下とも親しかったので、必然的によく顔を会わせていたんです」

 ふんふん。それで?

「私の小さい頃も知っていましてね。会うと必ず昔の話をされてしまうわけです」

 なるほどなるほど。

 あたしは深く頷いた。

 それは是非、お知り合いにならなければ。

「……ベル。近いです。近いですよ」

 ズイッと迫ったあたしに、レメクが妙に逃げ姿勢で言う。

 あたしはまたもや渋々と離れた。

「じゃあ、そのフォルマ侯爵が会いに来たんなら、次はなんとか侯爵とかだ、って言われてたのは?」

「……フォルマ侯爵が治めるトリアスの隣の領主、バンカム侯爵のことですね。先代国王陛下の忠臣……ということになっています。かつてはザルムス辺境伯の称号を得ていましたが、現在は侯爵の地位を与えられ、領地もザルムスからロートンゲルに移っています」

「……ふぅん?」

 なんだろう。

 今、頬がチリッとした。

 あたしはレメクを見る。レメクは淡々と言葉を続けた。

「シャーリーヴィの森があるのが、ザルムス領です。領地の八割がその森で、現在ではメリディス族は国で保護されていますから、シャーリーヴィの森にいる彼等に税をかけることはできません。正直、旨味のない土地と言えますね。隣のヴェンツェル辺境伯の領地は金山銀山がありますが、ザルムスにあるのは森と川と小さな集落ぐらいですから」

「ロートンゲルっていう土地は?」

「半分が穀倉地帯、半分が山、という場所ですね。実りのいい場所ですよ。王都にも近いです」

「いい土地に移ったのね」

「ザルムスとは比べものにならなかったでしょうね。とはいえ、隣のトリアスは肥沃なことで有名な大穀倉地帯ですから、そちらが羨ましくてたまらないようですよ」

 あたしは呆れた。

「欲張りなんだ……」

「ええ。だから、フォルマ侯爵が私に近づけば、続いて彼もやってくる、という形になるわけです」

 迷惑だ。

 顔をしかめたあたしに、レメクも苦笑する。

「よくある話ですよ。それに、夜会というのは、コネクションを作るのに最適な場所ですからね。誰もが自分が持つ武器を片手に、腹のさぐり合いをしたり情報を交換したりして、繋がりを作っていくわけです。そのことで壊れる関係もあれば、新たに築かれる関係もある」

「なんだか、酒場で商人達がやってるのと似てるわね」

 あたしの声に、レメクは苦笑した。

「そうですね。ある意味、巨大な商戦のようなものです」

「おじ様は、そんな巨大な商戦に巻き込まれちゃったりするの?」

「私は『断罪官』という『力』を持っていますからね。バックにいてくれると助かる、ということなんでしょう。利用しようとする人もいますが……深く関わって自分の所のやましい場所が見つかっては困る、という人がほとんどですからね。声をかけてくる人はいても、深く話をする人はそういません。そのため、巻き込まれることは稀ですが……」

 そこで言葉を句切って、嘆息をついた。

「万が一巻き込まれる時は、相当の大事になります」

 なんだかすごく大変そうだ。

 あたしは「お疲れ様」の意味もこめて、レメクの肩をぽんぽんと叩いた。

 あ。胸の所にあたしの毛がついてる。

 摘み上げて、抜け毛を集められている布にポイッ。

 それを見て、レメクが周囲を見渡した。

「……もう落ちてないようですね」

 そのようです。

 頷くあたし。レメクはテキパキと布を畳んで懐にしまい込む。

「それ、どうするの?」

「家で焼却処分します。前第二王妃のように、裏で好事家達に取引されるのは嫌ですから」

「……王妃様、そんなことされてたんだ」

「侍女達が良い小遣い稼ぎにしてたみたいですね。先王陛下にバレて厳罰に処されましたが」

 王族というのは大変そうだ。

 あたしは思わず同情してしまった。

 レメクがそんなあたしの頭を撫でる。

 そうして、穏やかに微笑まれた。

「あなたにはそんな思いをさせませんから、大丈夫ですよ」

 どうしてこの人は、そんなセリフをさらっと言えちゃうんだろうか。

 あたしは思わずレメクに頬ずりしそうになり、

「えーと、おまえさんら、ちっといいか?」

 遠慮がちに声をかけてきたバルバロッサ卿に、大あわてで姿勢を正した。

 なぜかレメクの目が冷える。

 あれ? なんで?

 ぎょぐ、とバルバロッサ卿がたじろいた。

「客が来てんだよっ!」

 何故か言い訳口調のバルバロッサ卿。

 首を傾げながらそちらを振り返ると、大熊の隣に立派な初老の男性が立っていた。

 その人を見た瞬間、ギョッとレメクが立ち上がる。

 あたしもギョッとなってレメクを見上げた。

 ビックリポカンな彼なら見たことあるが、仰天した彼は初見だ。

 そんなレメクとあたしに、立派なオジイサマは綺麗な一礼をする。

 どこかレメクのお辞儀に似た丁寧さで。

「お久しぶりでございます。……レンドリア様」

 穏やかな笑みを湛えたその顔の中で、瞳が懐かしむように細まる。

 それは何故か、あたしには、泣き笑いの顔のように見えた。




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