番外編 【呼び名】
「そういや、どうして嬢ちゃんはレメクを『おじさま』なんて呼んでるんだ?」
その問いが放たれたのは、店に入ってからかれこれ三十分は経過した後だった。
三月。
日差しは暖かく、人々の顔にも穏やかな笑みが浮かび始める季節。路地には可憐なカモミールが顔をほころばせるように花を咲かせ、王都を囲む貯水路の周囲ではアミグダリアが空を覆うほどに咲き乱れる。
百花繚乱の名に相応しく、色とりどりの花があちらこちらに己の存在を誇示する春。
海の匂いのする潮風もこの時ばかりは花の香りを身に纏い、港区にある家々の門戸を優しく叩いていた。
そんな港区の食堂の一つ、ホロムの肉屋でご飯を頬張っていたあたしは、バルバロッサ卿の声にモグモグしながら顔を上げた。
とある事情から知り合いになったおっちゃんが経営するこの店は、今日も沢山の人で賑わっている。その人種も実に様々で、あたし達の隣にテーブルに座っている人達も、この近隣では見ないような風貌の人だった。
強烈に日焼けしたような肌の人は、南の海を渡った向こう側の大陸の人。
血管が浮き出そうなほど真っ白な肌の人は、海路で北からやって来た人。
髪を隠す必要でもあるのか、頭にぐるぐると布を巻きつけた人は、確か西にあるどっかの国の人の特徴だったはずだ。
肌のほとんどを露出させてるようなサービス精神豊かな服の人もいて、色も姿も多彩で実に目に楽しかった。
(……レメクもあんな風に、サービス精神旺盛な服を着てくれないかなぁ……一万回ぐらいでいいから)
上半身裸で足も太股から下を晒している殿方を眺めつつ、あたしはうっとりと妄想、もとい連想した。
レメクがあの姿。レメクがあの姿。大事なことなので二度言いました。
きっとそれはそれは無敵に素敵に違いない。なにせレメクは細身に見えて実に素晴らしい筋肉の持ち主なのだ。バルバロッサ卿みたいな肉厚のムッキムキじゃなくて、筋なのか筋肉なのかどっちだと言いたくなるようなギッチギチに引き締まりまくった筋肉だったけど、俊敏な鹿とか馬とかそういう美味しそうな肉に違いない! きっとお腹なんて縦横無尽に割れているはずだ! 胸まで割れてたらどうしよう!! でもそれはそれでレメクなら良い気がするんだけどどうしてあたしの椅子になってくれているレメクが今あたしの両こめかみを無断でぐりぐりしはじめるんでしょうか痛い痛い痛い!
「……ベル」
「み……みぎゃ」
「……私で変な想像をするのは止めてくださいと、いったいあと何十回言わなくてはいけないのですか」
「ぃぎゃ~」
両こめかみに左右から拳をあててグリグリするという、大変ひどい体罰を与えてくれやがるレメクに向かって、あたしはちっこい手でピッタンピッタン抗議を行った。
しかし! なんということだろう!! 自分が叩く振動まで痛みになるという大変な罠がここに発動!
その痛みにあたしは悟りをひらき、目をカッと見開いた。
これは! アレだ!!── そう!
(別世界の扉を開くための試練!!)
「「…………。」」
…………あれ。なんかレメクが素早く拳を離しやがりましたよ?
なんでー? と仰ぎ見ると、レメクはほんのりと血色の悪そうな顔。
ぐったりと俯いてこめかみを揉んでいるのだが、その理由は不明だ。
「……どうでもいいが、俺の問いはスルーかよ……?」
キョトンとしているあたしとぐったり気味なレメクの向かい側で、なにやら心も対岸にいるらしいバルバロッサ卿が小さく遠吠え。
あたしは慌ててバルバロッサ卿に向き直った。
「だ、大丈夫よちゃんと聞いてたもの! おじ様の腹筋のことね!?」
「どっから出てきた話だ!?」
ありゃ。違いました。
「ベル……あなたの脳内会議に他の一般人を出席させないでください……」
愕然顔のバルバロッサ卿のかわりに、レメクが疲れた声で忠告してくる。
(なるほど!)
あたしは目をビカッと輝かせた。
(レメクは一般人じゃないから時々参加してるのね!?)
『紋章のせいです!!』
なんかソッコーで反論がキタ。
紋章使ってまで真面目に抗議しなくてもいいのに、レメクもなかなかオトナゲナイヒトである。
「……あー……なんかレメクがスゲー勢いで机になつきかけてるんだが、嬢ちゃん脳内会議で何言った?」
「たいしたことは言ってないにょ」
むしろ今、机とレメクに挟まれたあたしがちょっと苦しい状態になってるのを何とかしてほしかったり。
「まぁ……なんかいつものことっぽいからソレはいいとしてだな……」
いいのか。
「とりあえず、その、ひっくり返りそうになってる椀の中身を空にしてから、話続けよーか」
「あいっ!」
レメクに机に向かって押しつけられてる状態で、あたしは短い手を伸ばしてひっくり返りそうになっている大きな碗を引き寄せた。
なぜひっくり返りそうになっていたのかといえば、どっぷり落ち込んでるレメクの肘が、絶妙な角度で碗に当たっていたせいだったりする。
……レメクってば、センサイなヒトなんだな……
ちなみに港区にありながら肉類の料理が豊富な『ホロムの肉屋』は、日によっては十を超えるメニューが注文可能になる。
船乗りのにーちゃんによると『他国では宿屋で食べれる料理は一種類か二種類程度』なのだそうだから、これは大変珍しいことなのだろう。もちろん他国でも宿屋以外の食堂に行けばそれなりに種類はあるらしいが、それでもナスティアほど沢山あるわけじゃないのだそうだ。
ナスティア生まれのナスティア育ちではピンとこないが、どうやら我が国はご飯に関してかなり欲張りな国であるようだ。
(なんて素敵な国なんだろうか!)
ちなみにナスティアで最も食べられている食材は魚であり、肉は魚貝類に比べればそれほど身近な食べ物ではない。
なぜなら魚貝類に比べればお値段がチョイと高いのである。
もっとも、魚も種類によっては目玉が飛び出るぐらい高い。が、常に飼料が必要な家畜の方が全体的に高いのだ。……もっとも、それも日によってまちまちだったりするのだが。
あたし達が口にする『肉』は、たいてい近隣の村人が売りに持ち込んできたものだ。
食用に育てている豚や鶏から、乳が出なくなった山羊や老いた羊などが多い。冬に飼料が足りなくなることが分かっている時は、大目に山羊や羊が売りに出されるので、そういう時は値段も安くなる。余談だが、子羊や子ヤギはすごく高くて、特別な日のとっておき料理にしか使われなかった。
ちなみにウシとかいう生き物の肉は、市場にはほとんど出回っていない。レメクの所では試験的に飼育を初めているらしいが、あまり馴染みのない肉なのである。
……ものすんごく美味しかったけど……
あたし達がいるホロムの肉屋は、(ウシはともかく)そういった肉はもちろん、魚貝類も扱うお店である。
今日あたしが食べた料理はと言うと、鮪のステーキ、エビの蜂蜜ソース和え、鯛のチーズとオイル焼き、塩漬け肉のシチューである。
おかみさん特製の煮込み肉は売り切れてしまっていて食べられなかったが、かわりに新メニューはしっかり制覇させてもらった。
……ええ。値段なんて聞いちゃイカンのですよ。あたしじゃ絶対払えないから。
今日のお財布であるバルバロッサ卿は、イトリアというゴマと蜂蜜で作った薄い焼き菓子を摘んでいた。これもホロムの肉屋の『新メニュー』であり、ちょっと前からおやつがわりに出している食べ物なのだそうだ。
評判も上々のため、小袋に入れて売り出すことも考えているのだとか。
(お土産に買ってくれないかな……)
あたしは碗の中に入っていた塩漬け肉のシチューを飲み干して、バルバロッサ卿に視線を向けた。
神殿の熊さんはあたしの食べっぷりとレメクのどっぷり気味な姿を苦笑顔で見守っている。
そして口を開いた。
「……で、だ。なんでレメクを『おじさま』なんて呼んでるんだ?」
あー……そーいやそんな問いだったですな。
「おじ様って呼んじゃ、おかしい?」
「いや……おかしくはねぇんだがな?」
首を傾げたあたしに、バルバロッサ卿は困り顔で苦笑した。
「嬢ちゃんの年齢とこいつ年齢考えたら、まぁ、オジサン呼ばわりで正解なんだが……よく考えてみたらよ、こいつを『オジサン』なんて呼ぶ人間っていなかったなァって思ってな」
オジサン。
言われてあたしは斜め横を見る。
あたしの椅子代わりになっているレメクは、机に肘ついた状態で俯いていた。その半端なく上品に整った貌は、人の多い王都でも珍しいほどウツクシイ。
(……オジサン……似合わないょ……思いっきり)
しみじみそう思うが、これについてはすでに協議済みだからしょーがない。
「でも、他に呼びようがなかったんだもん。しょーがないのよ?」
「しょーがないの、か……っつーか、最初っからオジサン呼ばわりだもんなぁ……」
「最初は『あんた』呼ばわりだったの」
一応訂正を入れておいて、あたしは蜂蜜を塗ったパンにかぶりついた。
これも新メニューなのだが……美味い! この、ちょっとパサパサぎみなパンに蜂蜜がしっとりとからまって……!!
「むぐ……でもね、未来の旦那様を『あんた』呼ばわりは駄目だなって思って、いろいろ提案したの」
口いっぱいに頬張ったパンを飲み下してから、あたしはそう続けた。
何故かしばらく硬直していたバルバロッサ卿が、その言葉に魔法が解けたかのように硬直を解く。
「お、おぉ……提案したわけか。……つーか、こいつに?」
そう。レメクに。
こいつ呼ばわりされたレメクが、微妙な顔でバルバロッサ卿を見る。
あたしは指についた蜂蜜をペロペロ嘗めとってから指折り数えた。
「えっとねぇ、主人様もご主人様も駄目で、旦那様も駄目だって言われたのよね。ね? おじ様」
「……私はあなたを雇っているわけでも使役しているわけでもありませんから」
「旦那に様つけて旦那様なのに」
「まだ結婚してません」
……なんでこだわるんだろーか、そこ。
むぅ、と唇を尖らすあたしと無表情のレメクを見比べて、バルバロッサ卿は呆れたような笑いを零す。
「ははぁ……それで『おじ様』になったわけか?」
「うん。おにーさまも駄目だったし」
「おまえなんでソレ駄目なんだよもったいねぇ」
「……何がもったいないんですか……」
レメクが異様に胡乱な目。
「八つの子供に兄と呼ばれるような年齢ではないでしょう?」
「……細けぇなー……いいじゃねェか別に。おまえ下に弟妹いねぇんだからよ」
「二十以上離れているのですが」
「だからそこにこだわんなっつー話だろ? そもそもその顔で三十代とか嘘みてぇな話だろーが」
……あれ。なんかレメクが微妙にへこんだ。
実は若く見られるのイヤだったりするんだろーか。
あたしは首を傾げつつ、とりあえずフォローしてみた。
「おじ様。若く見えるのはイイコトなのよ?」
「……いつまでたっても若造扱いされるのは微妙なところですが……」
レメクの目は暗いままだ。
……もしかして長屋のおじーちゃんに『坊』て呼ばれてるの気にしてるんだろーか。
「おめぇを若造呼ばわりする剛毅な奴っつったら……あれか。うちの猊下か?」
「……いえ」
「『いえ』!? 他にもいんのかよ!? どんな猛者だそりゃ!?」
ギョッとなったバルバロッサ卿に、レメクは微妙な顔で視線を逸らしている。
長屋のじっちゃん達から見たら、そりゃあ大人なレメクも子供なんだろーけど……それだけじゃなく、レメクはゲイカとかいう人にも若造扱いされているらしい。
(……ゲイカって人、長屋のおじーちゃんみたいなおじーちゃんなのかな……?)
想像を膨らませているあたしの向こうで、神殿の熊さんが感心したような息を吐いてぼやいた。
「しっかし、そんな連中がいるとはなぁ……いや……だけどよ、考えたら、ケニードの部署にいた伯爵とかも、けっこうおまえさんのこと子供扱いしてたっけ」
レメクを若造扱いする人というのは、何気にあちらこちらにいるらしい。
まぁ、レメクはまだ三十前半だし、王宮にはもっと年上のエライ人がいっぱいいるだろうから、若造扱いする人がいたって不思議ではないと思うが。
「アロック卿の部署というと……ビットナー伯爵達ですか? そう言われてみれば、そうですね……」
「伯爵達も面白い人だよなぁ。ちょっと老公に似てるんだよな、あの気さくさというかあっけらかんとしたところが」
言われて考える顔になったレメクが、「確かに」と小さく呟いた。
「言われてみれば、似ていますね。そもそも、あの部署にいる方々は総じて一般の方々よりも……」
よりも?
「大らかというか考え方が違うというか細かい事は気にしないというか見てる場所が違うというかこだわりをもつべき場所が違うというか……」
……褒めてないな……
「一つのことに熱中している反面、それ以外のことに対しては非常に……その……えぇ……大変寛容な部分がありますね。あまり他を気にしないというか……」
ものすごく言葉を選んで言ってから、何に気づいたのか、レメクはますます考える顔になった。
「……あの方々の下にいたから、アロック卿はああいう性格になったんでしょうか……」
「「ナイナイ。それはナイ」」
あたしとバルバロッサ卿は速攻で否定した。
「あいつは元からだぞ」
「ケニードは最初っからおじ様が大好きだもんね。他の影響じゃないと思うわ」
「だよなぁ。あれだろ? おまえさんが昔、あいつのピンチ救ってからだろ? 聞いた話じゃ、パツイチで惚れ込まれたみてェじゃねーか。しかし、あいつもどこでどう感づいたのやら……本能だとしたら侮れねぇなぁ」
……ほにょ?
バルバロッサ卿の不思議発言に、あたしはキョトンと首を傾げた。
「なにをどう感づくの?」
何故か神殿の熊さんが慌てて目を逸らしやがる。
さらなる不思議に一層首を傾げていると、レメクが超絶冷たい目でバルバロッサ卿を見つめ、口を開いた。
「……ベル」
え? あたし?
呼ばれて目をパチクリさせたあたしは、声をかけてきたレメクを見上げる。
しかし、レメクはそんなあたしを一瞥たりともせず、冷や汗を流す熊さんを見つめたままで厳かにこう言った。
「私が許します」
なにを?
「今日は好きなだけ全力で食べなさい」
「えっ!? いいの!?」
突然の胃袋解禁令を受けて、あたしは反射的に顔を輝かせた。
いつもいつも腹八分目でやめておけと言うのに、いったいどういう風の吹き回しか!
しかし、これは滅多にない大チャンス!!
「おじちゃーん! ご飯おかわりーッ!」
あたしは前言撤回される前にと店中に響く声で追加注文を叫んだ。
「全メニュー十皿ずつーッ!!」
「待てぇえええい! 嬢ちゃん! 俺の飲み代全部吹っ飛ぶ!!」
「吹っ飛びなさい」
「ひでェ!!」
途端に泣き言を叫ぶバルバロッサ卿に、レメクは底冷えするほど冷たい眼差し。
そういや今日のお昼ご飯は熊さん持ちだったなーとか思い出したが、まぁ、いいか。
「バルバロッサ卿! ごちそうさま!」
「全然 終了じゃねーじゃねぇか!」
「大丈夫! まだ入るの!」
「入るなぁあああああッ!!」
すぱーんっと許容量の大きなお腹を叩いてみせると、バルバロッサ卿が涙目で大絶叫。真っ直ぐに見つめる相手の瞳を見返して、あたしは真顔ですぱーんすぱーんっと腹太鼓を披露した。
まだまだ入るよ!
「……くそぅ……こいつがいるときに、嬢ちゃんにこいつの話振るのが間違いだった……!」
「……私のいない時ならいいというわけではないでしょう」
ぶちぶち文句を言いながら麦酒の入ったジョッキをあおるバルバロッサ卿に、相変わらずレメクは冷たい目。なにがイカンかったのかは知らないが、美味しいモノを沢山ご馳走になるのだから、細かいことは気にしないでおこう!
「んまんま!」
「……まぁ、嬢ちゃんがうまそーに食ってるから、いいけどよ……」
「今日の昼間の酒代ぐらいは私がもちましょう」
「昼間は量加減しながら飲んでるって、おまえ分かって言ってるだろ!? 絶対分かってて言ってるよな!?」
「ベルが食べ終わるまでしか待ちませんよ」
「嬢ちゃんちょっとゆっくり食え!」
「ゆっくりたべゆともっといっぱいはいゆよ?」
「がーッ!!」
熊さんが頭抱えて咆哮している。
その様子にくすくす笑いながら、ホロムの肉屋のおかみさんが大きな器をあたしの前に持ってきてくれた。おかわりのシチューだ!
「ありがとうございます、バルバロッサ卿。大変なお得意様ですわ」
「おぉよ、そーだろーよ。……なぁ、おかみさんよ。こいつらが入り浸ってたら商売やりにくくねぇか? 毎回こんな座り方で豪快な食べっぷりの幼女とちみちみ食ってるヤローだぞ?」
「いやですねぇ、バルバロッサ卿。むしろうちの名物ですよ」
「……名物かよ……」
朗らかに笑って答えるおかみさんに、バルバロッサ卿は呆れ顔だ。なんだか背後のレメクが肩落としてるよーな雰囲気なのだが、それはいったいどーゆー意味だろうか。
「お二方が食べに来てくださるおかげで、前より沢山のお客が入るようになりましたからね。それと、これはうちの主人からバルバロッサ卿にサービスです」
言って片手に持っていた新しいジョッキを置くおかみさんに、バルバロッサ卿は嬉しそうに相好を崩した。
「おお! こいつぁ気が利く!」
そーか。熊さんはお酒で機嫌が良くなるのか。覚えておこう。
「うちのは混じりモノなしの麦酒ですからね。できれば侯爵にも味わっていただきたいものです」
「ベルを連れている時に酔うわけにはいきませんから」
何故かレメクが物凄い早さで断りを入れた。
バルバロッサ卿が胡乱な目。
「どんだけ飲んでも酔わねぇ奴が言う台詞じゃねぇなぁ」
「それはあなたでしょう」
「俺は酔うぜ? それなりの量を飲んだら」
「十樽の葡萄酒を一人で空にしてふらつきもしない人の『酔う量』とはどれほどの量ですか」
「おまえだって同じ量飲み干してただろーが! なんだその私は無関係みたいな顔は!」
「その範囲ならまだ酔う状態ではないというだけです」
「それなら麦酒一杯程度は軽いだろーが!」
「麦酒は葡萄酒と違った効用があるんです!」
なぜか言い合いになってる二人に、あたしはモグモグしながら首を傾げる。
言い合いの原因を放ってしまったおかみさんがおろおろとあたしを見てきたので、ダイジョーブと言うかわりに頷いてみせた。
こんな言い合いは、まぁ、二人の間柄ならただのじゃれあいみたいなもんだろう。たぶん。
「効用って……あー……そーいや、麦酒飲むと小便したくなるよなぁ」
「……どうしてあなたはそう、食事の場所で下の話を平気でするのですか……」
レメクがものすごく物言いたげな顔。
しかし、バルバロッサ卿の答えはあたしに素晴らしい名案を授けてくれた!
「おじ様! 麦酒を頼んで! そして用足ししたくなったらあたしに報告ね!」
「ルド!!」
「うわ悪ぃ! そっちに飛び火すんのかこの話!」
「だから避けていたというのに……!!」
ものすごい怒り目で睨むレメクに、さすがの熊さんも身を縮まらせた。しかし、悪い悪いと片手をあげる熊さんの目には、どことなく楽しげな色がチラホラリ。
「いやー、嬢ちゃんはあれだな。ケニードとはまた違った意味でマニアだな」
「もちろん!」
「……言っておきますが、褒め言葉ではありませんよ、ベル……」
「あたしとケニードはレメクマニア同盟を結んでいるんだもん!」
「……変な同盟を結ばないでください……」
変な同盟とは失礼な。
「真面目な同盟なのよ!? 一つ! おじ様の持ち物はあたし達の宝! 一つ! おじ様の行動は常に把握しておくこと! 一つ! おじ様の言葉は言語録に綴っておくこと! 一つ! 知り得たおじ様の情報は必ず共用すること!」
なんかレメクが物凄い愕然とした顔になっている。
バルバロッサ卿の方はげらげら笑いながら机をブッ叩いているのだが。
「出来る限りおじ様の写真を撮って、いろんなものに貼って保存しておくのも大事な活動なの! あたしはまだ紋様術使えないから、そっちはケニード任せになっちゃうんだけど……でも! かわりに、おじ様の感触とか匂いとかは全部あたしが手紙に書いてケニードに知らせてるの!」
「なにを知らせているんです! というか、最近アロック卿と文通していると思ったら、なにをやっているんですかあなたたちは!!」
……えーと……
「モジノレンシュー」
「それは練習とは言いません!!」
えー。
ちゃんと間違い文字の直しとかもチェックしてくれてるから、ちゃんと練習になってると思うのだが。
「つ……つーか、あれだな、嬢ちゃん……おまえさん、本当にレメクが好きだなぁ……!」
「もちろん!!」
力一杯頷いて、あたしはフンヌーと鼻息を荒くした。
バルバロッサ卿が変な引き笑いを一生懸命堪えて麦酒を飲み始める。笑いすぎて喉が渇いたのだろう。
「なんてったって、おじ様は(あたしの)おうじ様なんだから!」
ぶぼッ!!
──なんか、スゴイ勢いで、バルバロッサ卿が盛大に麦酒を吹いた。
「ぎょぁあああ! バルバロッサ卿、きちゃない! きちゃないーッ!」
真正面にいたあたしは盛大にそれを被ってしまい、ポタポタ落ちる麦酒に頭をブルブルさせた。うぁあー……なんかすごいお酒くさいー……
「ゲホゴホガホッ……!」
バルバロッサ卿は声も出せない大変な状態らしい。気管にでも入ったのか、ひとしきりゲホゲホいっている。
あたしの方もなかなか大変な状態で、髪の毛から麦酒の匂いがぷんぷんしていた。おまけに上からもポタポタと麦酒の雫が落ちてきている。
……。
…………。
…………上から雫が……?
「わ……悪ぃ悪ぃ……つーか、王子様、って……え」
ひとしきり咳き込んで涙目になった熊さんが、こちらを見るなり硬直した。
あたしもピキンと硬直する。
バルバロッサ卿の真正面に座ってたあたしが麦酒の噴出を被ったということは、つまりあたしの椅子になっている人も被ったということで──
「…………」
じわっと滲む汗を堪えて上を向くと、頭上からまたぽたぽたと麦酒の雫が落ちてくる。
ええ。
あたし同様、麦酒の祝福を否応なく被ったレメクの髪から落ちてくる麦酒の雫が。
「「「…………」」」
あたし達は沈黙した。
神様が通って行っちゃったじゃなかろーかと思うような沈黙だった。
やや俯き気味のレメクの唇が、底冷えのする声を放つ。
「……ルド……」
「……わ……悪ぃ……」
「ちょっと、表に、出ましょうか」
表情が完全に消えたレメクというのは、尋常でなくコワウツクシイ。
固まってしまったあたしを置物を置くかのように横の椅子に設置して、レメクはゆらりと音もなく立ち上がった。動いた椅子が音一つたてなかったのが恐ろしく不気味だ。
気づけば周囲もシンと静まりかえっている。
そんな中で、レメクはクイッと手で立ち上がるように指示して言った。
それはそれは美しく恐ろしい目で。
「さぁ、表に出ましょうか」
バルバロッサ卿の顔はただひたすら青かった。
店の中に取り残されちゃったあたしには、その後の二人の様子は音声でしか分からない。
なにか戦争が始まっちゃったようなスゴイ音がしてたけど、帰ってきたレメクに連れられて店を出た時には大通りは綺麗な状態だった。
もしかしたら物凄い音は幻聴だったのかもしれない。
そう手紙に書いたら、後日やって来たケニードはものすんごく神妙な顔でこう言った。
「……熊と魔人の大戦争だったそうだよ……。途中で陛下が飛び込んできて街を元通りにさせたみたいだけど」
ちなみにあの時熊さんが吹き出した理由は、今をもって尚、不明である。