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対オジサマ攻略法!<闇の王と黄金の魔女>  作者: 関根麻希子
幕間 【闇の王と黄金の魔女】
27/107

番外編【虹の彼方】

この小説は、番外編です。主人公はベルではありませんので、お気をつけください。

時期は孤児院事件の後、王宮編の前にあたります。


 王都北区、アロック邸。

 王都の豪邸群の中でも、完成された造形美を誇る屋敷の一つである。

 王国の象徴とも言える王城トゥルンヴァルトを模した屋敷は、確かに外観は素晴らしく美しい。

 だが、その中は『珍妙』の一言だった。

 大広間や応接室、客室といった場所は普通。

 それが屋敷の奥に入った途端、奇妙な迷路へと変化する。

 主人の部屋に行くためには、細い通路と小部屋を三つ、螺旋階段を二つ通過しなければならず、半地下の使用人部屋は扉が子供の背丈ほど。

 唯一、最奥にあるリット老の部屋だけは普通の扉なのだが、何故か階段を登らないと行けない場所に奉られていた。

 ナナリーなど、部屋に向かう老執事の姿を見るたびに、天国の階段を上っていくように見えて仕方が無い。

 そんな風に住んでいる人間でも首を傾げる屋敷だったが、小さな子供たちにとっては格好の遊び場だった。今も幼い子供達が、使用人通路の冒険を楽しんでいる。

 その様子を見やって、ナナリーは腰に手をあてた。

「こら! あんた達、今はお休みの時間だろ!? なにベッドから出てきてんだい?」

 怒られた子供達は、飛び上がると慌ててナナリーを振り返った。

 アロック邸に残留している孤児は、ナナリーを含め十名に満たない。

 その中で、ナナリーは最年長だった。

 そのためもあってか、リット老から子供達の監督を任されている。突然上流階級の屋敷に放り込まれた子供達のために、身近な統率者が必要、と抜擢されたのだ。

 孤児院仲間達を監督する分、個人の自由時間はほとんどなくなるが、それなりにナナリーは楽しくやっていた。

 もともと孤児院に居た頃は年少組のまとめ役だったのだ。場所が変わっただけで、やることは変わらない。

「ほら、あんた達、『ご主人様』からも言われてるだろ? ちゃんと体休めて、元気にならないといけないんだって。こっちは人手不足なんだ。早く元気になりな」

「でもさ、ナナリー、おいら達が働くったって、ここでいったい何して働くのさ?」

「どこもかしこも金ぴかじゃねーか」

「おれ、靴磨きしかできねぇよ?」

 口々に言う弟分達に、ナナリーは上から覗き込むようにして顔を近づける。

 異様に小柄な一つ下の友人と違い、ナナリーは年相応の体つきをしていた。

 今年の夏で十歳。

 その身長は、年下の少年たちよりも頭一つ分高い。

「いいかい? よ~っく聞きなよ? あたし達がここに残ったのは、ここの『ご主人様』があたし達に、これから先『良いところ』に働きに出られるよう、教育ってやつをしてくれるからだ。南の院にいたカッフェなんか、料理人になるために厨房で働いてるし、あたしも文字の読み書きを習ってるんだよ」

「文字を!?」

「料理!?」

「すげぇ!」

 わっと顔を輝かせた弟分に、ナナリーはニッと口を笑ませた。

「ただーし! 全部無料でしてもらうってのは、虫が良すぎる話だ。違うかい? だから、あたし達は働くことで恩を返すんだ。ここはどこもかしこもピカピカだけどさ、誰かが毎日掃除しなきゃ、ずっとピカピカのままじゃないだろ? 庭だってそうさ。花だけ咲いて草が生えないってことは無いんだから、いくらだって人手はいるんだ。手先が器用なヤツだったら、宝飾技師にしてくれるかもしれないんだよ?」

「それって、儲かるのか!?」

 勢い込んで訊ねられ、ナナリーは首を傾げた。

「さぁ? でも、『ご主人様』は、その腕で王都でも有名になったみだいだから、腕がよければ儲かるんじゃないかい? 元手もかかるだろうけどさ」

 おお、と熱く唸る弟分に、ナナリーは半分苦笑して肩をすくめた。

「でもさ、あんたら。なにか習いたいにしたって、まず元気にならなきゃはじまらないんだよ? なんたって、一時は命も危ないって状態だったんだから。…… 眠っちまった連中の分も、しっかり休んで、元気になりな」

 尊敬する姉御に言われて、年少三人は顔を見合わせた。

 今からおよそ半月ほど前、栄養失調と過労、そして異常な寒さと雨に倒れた彼らは、手厚い看病の甲斐もあって健やかに回復していた。

 やせ細り、栄養失調でぼろぼろだった肌は少しずつ綺麗になり、目が見えにくくなっていた子供も、今は普通並に回復している。

 だが、その中で、回復することなく息を引き取った仲間達もいた。

 少しずつ回復していたのに、ある朝に永遠の眠りについた仲間も。

「……なぁ、ナナリー」

「なんだい?」

 三人の中ではリーダー格の少年に、ナナリーは首を傾げる。

 少年は前歯の欠けた顔でくしゃりと笑って言った。

「元気になったら、よ……あいつらの墓に、連れてってくれる?」

 ナナリーは同じ顔で笑って頷いた。

「あぁ、いいよ。連れてったげる。立派なの建ててもらったからね。……皆でさ、花摘んで行こうね」

「……うん」

「ほら、部屋に戻んな。また遊んでたりしたら、ただじゃあおかないよ?」

 パンパンとそれぞれの背中を叩いて送り出すと、笑い含みの悲鳴をあげて子供たちが走り出す。

 その元気な足取りを見守って、ナナリーは笑った。

 少しだけ、泣いてるような笑顔だった。


 ※ ※ ※


 春、三月。

 気温は先月よりも暖かくなり、雨は少し回数を減らす。

 これから先は、だんだん気温が高くなり、それに比例して雨が降らなくなる時期だった。

 そのため、冬と春は大切な恵みの季節だ。

 たとえその雨で、奪われた命があろうとも──

 ナナリーは迷路のような階段状の通路を抜け、大きな段差を登って小部屋のような場所に入った。

 屋敷には至る所に小さな尖塔がある。

 だが大人が一人入るのとイッパイイッパイという大きさで、とてもじゃないが部屋として機能しない場所だった。

 椅子を置いて景色を眺めるのがせいぜいで、ナナリーのお気に入りであるここも、そんな尖塔の一つだ。

 屋敷の最南西にあるその尖塔は、他の尖塔より一回りほど大きく、円を描く壁は大きなガラス張りになっている。

 壁際には腰掛けが並んでおり、それに座って景色を眺めるのが最近の楽しみだった。

「お、晴れてきてる!」

 部屋の中は、雨雲から差し込む光でほのかに明るかった。

 雨は大切な恵みだが、空が曇るのはいただけない。

 ようやく晴れ間が見えてきた空を見て、ナナリーはガラス窓に顔をひっつけた。

「あ~……虹無いなぁ……出ないなぁ……」

 孤児であった時にはほとんど見たことが無かった大きなガラスは、顔を近づけると白くけぶる。

 息で曇ったそれをぬぐいながら、ナナリーは一生懸命目をこらした。

 雨の少ない国だから、『虹』が見えることはほとんど無い。

 水夫などは時折異国でそれを見るらしいが、王都から出たことの無いナナリーは、未だにちゃんと虹を見たことが無かった。

 せいぜい、昔、教会の屋根の隅っこに、消えかけの一欠けらを見たぐらいだ。

「ん~……あのあたりとか、いかにも虹ができそーな感じなのにねぇ……このガラス、もうちょっと向こうに動けばいいのにさ……」

 ガラスに額を押し付けて、ブツブツと。ちょうど見えない場所を覗き込もうとやっきになる。

 押しつぶされた顔がおかしな形になったところで、頭の上に影が落ちた。

「なにか見えるのかい?」

「ぎゃあ!」

 突然の声と温もりに、ナナリーは勢いよく飛び上がった。

 途端、ガツンッという音と同時に目の奥で火花が散る。

「ぉ……ご……ッ」

「い、いたたた……っ」

 顎に頭突きをくらった男と、脳天に顎の一撃を受けた少女が呻きながらお互いを見た。どちらも微妙に涙目だ。

「な、な、なんであんた、じゃなく、『ご主人様』がここにいるのさ!」

 痛む頭を抑えたまま、ナナリーはすっくと立ち上がった。

 右頬がペッタリと赤くなっているのは、力いっぱいガラスに押し付けた跡だ。

「なんでって……ぼくの屋敷だもの。どこにいたっていいと思うんだけど……」

「こんな人気の無い、隠し場所みたいな所にかい!? じゃなくて、ですか!?」

「だって、お気に入りの場所だもの」

「あんたも!? じゃなーくーてッ! ゴシュジンサマもっ!?」

「……あのさ、他に人いないから、ふつーに喋ってくれていいよ?」

「うッ」

 半笑いで言われて、ナナリーは思わず口ごもった。

 痛そうに顎を押さえていた男は、その様子に苦笑を深める。

 ナナリーは頭の回転が速く、年の割にしっかりしているのだが、礼儀作法などは妙に苦手らしかった。主であるケニードへの対応にしても、どうしても孤児院の仲間のようなものになる。

 その様子に老執事は困り顔だったが、ケニードは少しだけ喜んでいた。

 もともと、父親の後継者に選ばれる前は、王都でのびのびと暮らしていた身だ。次期男爵となってからも、それは変わらない。

 けれど、周りの反応はそうではなかった。

 少しずつ少しずつ、変わっていく人々に、取り残されるような寂しさを味わっていた。

 だから、最初から何も変わらない少女の存在は少し嬉しい。

 同じ仲間のように見てくれているところが、嬉しいのだ。

 もうずいぶん大きくなったというのに、と、我ながらおかしく思うのだが。

「他の人がいるときだと、ちょっと困るし、君も叱られちゃうけどね。二人だけの時は内緒にしとこう?」

 笑って言うと、もごもごと口を動かしてから、可愛らしい顔がプイッとそっぽを向いた。

「……あとで罰とか言ったら、ぶんなぐるからね?」

 綺麗な緑色の目がチロッとこちらを睨む。

「言わないよ~」

「絶対、絶対だからね!? お菓子抜きとか無しだよ!?」

「そんなことしないって」

 横目で睨みながら言う少女に、ケニードはくすくす笑う。

 ナナリーの隣に座って、上半身を捻るようにして窓の外を眺めた。

「あぁ、晴れてきたんだね」

「う……ん、まぁね」

 同じように窓の外を眺めて、ナナリーは頷く。

「でもさ、灰色の空と光とだけで、ちっとも綺麗じゃないよ」

「そうかい? なんか荘厳な感じしない? こう、天上から差し込む光って感じで」

「あんたは教会の神官みたいなこと言うんだねぇ。あたしからしたら、あんなのより虹が見たいよ」

「虹?」

 きょとんと言われて、ナナリーは慌てて首を横に振った。

「な、なんでもないよっ! 珍しいもんだから、ちょっとどんなものかなって思っただけなんだよねっ」

「虹なら、さっき消えちゃったよ? 光が差してる場所の近くにあったんだけど」

「ぇええええええぇえ!?」

 思わず盛大な悲鳴をあげて、ナナリーは愕然と相手を見上げた。

「き……消えた……!?」

「う……うん」

 そのあまりの悲しげな顔に、言ったケニードのほうも顔を曇らせる。

「……見たかったんだね?」

 ナナリーは俯き、すぐに顔を上げてそっぽを向いた。

「別に、いいんだよ。珍しいから、見たいってだけで。別に期待してたわけじゃないんだからさ」

「また出ると思うよ? 沢山雨降ってたし、光指してるし」

「うそっ。どこどこ!?」

 慌ててガラスに張り付く少女に、ケニードは思わずのけぞり、ややあって笑い出した。

「な、なんだい……って、もしかして、嘘ついたのかい!?」

「違うよ。いや、だって、見たかったんだなって思ったら……あはは、ナナリーも可愛いところあるじゃないか」

「う、うるさいね! いいじゃないか、いろんな色があるだよ!? ちょっと見たいって思うのが普通だろ!?」

「うん。綺麗だよね、虹。あんまり見れないからさ、見た時はすごく得したなっていう気分になるし」

「……どーせあたしは見れなかったよ……」

 口を尖らせて窓を見る少女に、ケニードは微笑む。

「いつか、さ」

「ん?」

「一つとってあげるよ。虹」

「……虹を?」

 きょとんと相手を振り返って、ナナリーは大きく瞬きをした。

 そうして、呆れ含みの苦笑をこぼす。

「そんなこと、できっこないだろ。いいよ、そんな慰めてしてくれなくったってさ。生きてればいつか見れるんだから、それほど気にすることじゃないのさ」

 ケニードはただ微笑して首を傾げる。

 その笑顔に見ほれそうになって、ナナリーは慌てて視線を外した。

 本人は自覚していないようだが、ケニードは非常に見目の良い男だった。

 淡い金髪と緑の瞳は、それほど珍しい取り合わせではなく、ナナリーの赤毛に緑の瞳と同じく、十人に一人はいるような取り合わせだ。

 整った鼻梁や長い睫、やや切れ長のアミグダリア型の目も、典型的な貴族の顔立ちで、それだけなら十人並みの容貌と言える。

 だが、彼の場合、そのバランスが並ではなかった。

 一つ一つの部分の端正さもさることながら、全体の整い具合が実に秀逸なのだ。

 見目だけなら、王侯や上流階級にだって負けてない。

 そんな相手の顔をジッと見つめられるほど、ナナリーは幼くなかった。そういう意味では、友人であるベルとは違っている。

「あ、雨ってさ、食べ物育ててくれるから有り難いんだけど、こう薄暗いのはいただけないよねぇ。なんか気分まで滅入っちゃってさ!」

 ややも焦って話を振ると、青年は首を傾げて言った。

「そうなの? 僕はけっこう好きだけど」

 意外な意見だ。

 お日様のようなこの男には、太陽の方が似合ってそうなのに。

「雨の音とか、なんか落ち着かない?」

「落ち着くどころか!」

 ケニードの声に、ナナリーは思わず叫んだ。

 身を震わせて、さも恐ろしそうに自分の体を抱きしめる。

「雨が降るたびに屋根や壁がガタガタいってさ! いつ落っこちたり、穴が空いたりするんじゃないかって、院にいる間中震えてたんだよ!? 風まで吹いた日にゃあ、怖いったらありゃしなかったよ!」

「ご、ごめん……」

 少女のいた環境を思い出して、ケニードはおどおどと謝った。

 彼女等のいた孤児院は、外の煉瓦すらも半ば崩れた、ほとんど廃墟同然の場所だったのだ。

 建物を痛めつけ、辺りを水浸しにする雨に、良い記憶があろうはずもない。

「あんたが謝ることじゃないさ。そうだろ? 王様があたし達のためにくれた金を、ネコババしやがった連中が悪いんだから」

「……うん」

「あぁもう! ほら! 頷くんなら、その情けない顔をなんとかしなよ。あんた、ここでは一番偉いんだからさ。もうちょっとこう、ビシィッ! としなって。そんなんじゃ、他の連中になめられるよ!?」

「……や、やっぱりそう思う?」

「思うね」

 キッパリと頷いて、ナナリーは言った。

「あたしがあんたと同じ階級なら、舌先三寸で言いくるめてペロリだよ。貴族って、そういう連中ばっかりだろ? ……ま、あんたと、ベルの旦那さんは違うと思うけどさ」

「もちろんだよ!」

 とある単語に反応して、ケニードは力のこもった眼差しで頷いた。

「クラウドール卿が他人を騙して私服を肥やすなんて、ありえないよ! それだけは絶対だね!」

「……あのさ、そっちに反応して、自分のことは素通りってどうなんだい? あんただって、あたし等から見たら、あの旦那と同じぐらい立派でイイ人なんだけど」

「とんでもない!」

 ケニードは慌てて首を振る。

 振りすぎて目を回しかけるほどだ。

「一緒じゃないよ! 僕なんか、自分のことで手一杯で、あの人みたいに他のことに全然目を向けれてないしさ! 食料不足の解消のために、自治領の開墾を自ら(おこな)っちゃうような人だよ? 東の国のイネだかヤネだかいう穀物を栽培してみたり、香辛料の自作を試みてみたり、灌漑工事だってどれだけ行ったかわからないし、肉や野菜の保存法を模索して実行したり、とにかくいろいろすごい人なんだよ!?」

「……いや、あの人がスゴイのは耳が腫れ上がるぐらい聞かされたから。もう、嫌になるぐらい知ってるけどさ。だからって、あんたがダメダメなわけじゃないだろ? 第一、あんた、ちょっと心酔しすぎだって」

 勢いこんで言うケニードに嘆息をついて、ナナリーは少しだけ諭すような口調で言う。

「確かにスゴイ人だと思うよ? あたしでもさ。なんていうか、絶対勝てないっていう感じの人じゃないか。……でもさ、かわりに……なんていうのかな……なんか、スゴイっていうのとは別の意味で、あたし達とは違ってるなって思うわけよ。えぇと……どう言えばいいのかな」

「彼は元から色々スゴイよ?」

「やー、たぶん、あんたが言うような意味じゃなくてね。……怒んないで聞いておくれよ? 別に非難してるわけじゃないからさ。……なんて言うか、あんたとあの人の場合、あんたの方はあたし達に近い……って言うか、わかりやすいわけよ。こういうこと考えてて、こうしたいだな、って感じで」

 でもね、と呟いて、ナナリーは眼差しを伏せる。

「あの人は、わかんない。なんていうか、見てる場所も、考えてることも全然違いすぎて、わかんないんだよ。……悪い意味じゃないよ? きっとあたし達じゃ見えない場所を見て、考えもしなかったことを考えてんだろうなって思うんだよ。けどさ、なんて言うのかな……そうやって考えたりしてる時に、あの人、なんか自分自身のことは全然考えてないような気がするんだ。だから、すごく優しくてイイ人だって思うけど……『近く』ないんだよね。いつだって、どこか遠い場所で、足下があるのか無いのかわからない場所で、自分以外のことばっかり考えてるような気がするんだよね」

 あっけにとられた顔のケニードに視線を戻して、ナナリーは小さく苦笑する。

「あんたはさ、自分のことに手一杯だっていうけど、たぶん、あの人だって自分の事を考え出したら、似たような状態になるんじゃないかな? だからさ、最初から『逆』なんじゃないかなって思うんだよ。自分のことを考えて、それに手一杯なあんたと、自分のことを全く考えないから、他のことにいっぱい手をのばせるあの人と。だってさ、普通、やんないだろ? あたし達みたいな連中の命救おうって、全財産放り出すようなこと」

 言われて、ケニードは半開きになっていた口を閉ざした。

 レメク・クラウドール。

 独自の権限と力を有する断罪官であり、王宮の高官であり、上級紋章術師であり、辺境とはいえ侯爵領を治める大貴族。遠い東の国の他、内海の南の国や隣国ともさまざまな貿易を行う彼は、一年で何十万、いや、何百万枚もの金貨を稼ぐと言われている。

 だが、彼がその金貨を自宅にため込むことはほとんど無かった。

 その金のほとんどは領地の未開地の開拓に使われ、こうして何かで入り用になった時は、惜しみなく持ちうる全てを(なげう)ってしまう。

 また、栄養状態の悪い子供達のために、彼は領地から牛や山羊を大量に王都に連れて着た。恐るべきことに、山羊は夜の間、馬車で運んだらしい。

 おかげで遠方でありながら一週間とたたず王都に到着し、子供達にたくさんの乳を与えてくれたが、かかった費用を考えると目眩がする。

 王都の屋敷内の家畜では足りないからと、ただそれだけの理由でやってのけたのだから、確かにある意味『異常』と言えるだろう。

「ベルとも話してたんだけどね、あの人、あんまりにも周りのことしか見てなくて、心配だなって。人ってさ、お金いっぱい持ってる時には優しいけど、無くなるとそっぽ向いたりするだろ? あの人、あんなに沢山のことしてくれてるけど、お金がつきちゃった時に、同じように誰かから助けを受けられるのかな? って……あたし達が心配するようなことじゃないんだろうけど、誰かが心配しなきゃ、本人はそれすらどうでも良さそうな気がしてさ……」

 遠い目で言う少女を、ケニードはしみじみと観察した。

 自分より十何歳も年下で、一定以上の教養も受けていないのに、彼女達の視点は自分達よりも遙かに遠く、深く、そして細かい。

 幼いながらも女性だからなのか、それとも、どこまでも先を考えなければ生きていけない環境だったせいなのか───それはわからない。

 だが、彼女等の語る言葉はいつだって新鮮で、時折こちらの目を思い切り冷ましてくれる。

「ベルといい、君といい……女の人は怖いね」

 淡く笑って言うと、ナナリーはキッと目をつり上げて、微笑むケニードを睨みつけた。

「なにが怖いって言うんだい。だいたい……って、なんでもっと笑うんだよ、あんたは!」

 クルクルと表情が変わる様に、思わず笑うと叩かれた。

 小さな小さなベルの手とは違う、少しだけ大きな少女の手。

 ケニードは笑ってその手をとった。

「駄目だよ、ナナリー。女の子なんだからさ、そんな風に手を乱暴に扱っちゃ。君の手は、そんなことのためにあるわけじゃないだろ?」

「じゃ、なんのためにあるっていうんだい? 畑耕すためかい? 皿を洗うためかい?」

「ん~……いや、今は上手い言葉が出てこないなぁ……」

 視線を天井に向けながらぼやいて、ケニードは苦笑した。

「けどさ、きっと、もっと暖かくて優しいものだと思うよ。女の人の手っていうのはね。だから、それが見つかるまで、大事にしないといけないよ」

「……だから、それが何かわかんなきゃ、大事にしようにも……」

 やや顔を赤らめて呟きかけ、その途中でナナリーは大きく目を瞠った。

「虹!」

「え?」

「後ろ! うしろっ!」

 言われて、ケニードもそちらを見る。

 雲間から差し込む光に溶けるように、小さい欠片のような色の断片が見えた。

 一、二、三、四……数えれば七つか八つほどある、色の連なり。

「うわぁ! 虹だ、虹だわ! あっは! ほんと得しちゃった気分になるわね!」

 小さいね、と言おうとした言葉を飲み込んで、ケニードは慌てて頷いた。

 彼が屋敷に来るまでに見た虹はもっと大きくハッキリしていたが、そんなことは今言うべきことでは無いだろう。

 大事なのは、隣で少女が目をキラキラさせながら虹を見上げていることだ。


 ──男たるもの、女性の気分を害してはならない。


 問題だらけだが、女性に関しては沢山の格言を残している父に従って、ケニードはつつましく沈黙を守った。

 それに、隣で笑う少女は、なんだかとても可愛らしい。

 いつもこうやって笑っていればいいのに。

 そう思うほどに。

「……いつか」

「ん? なんだい!?」

 興奮のためか、輝く笑顔で見上げる少女に少しだけ笑って、ケニードは淡い虹の彼方を見つめながら言った。

「いつか、一個、あげるよ。あれよりも、もっと綺麗で鮮やかな虹」

 先に聞いた言葉と同じそれに、ナナリーは目をパチクリさせる。

 そうして、惚れ惚れするほど鮮やかな笑顔でこう言った。


「期待しないで待っとくよ」



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