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 2 特別な孤児院

 クラウドール邸には、立派な応接室がある。

 いや、あった、と言うべきなのかもしれない。

 発見されたのは今から三日前。

 屋敷内での自由行動を許された日の朝、埃まみれのそこをあたしが見つけたのだ。

 応接室というだけあって、そこは玄関に近く、広さもレメクの寝室よりずっと広かった。

 寝室の物より二回りは大きい暖炉に、立派な飾り棚。豪華なカウチと重厚なテーブル。埃で真っ白だった床からは、ちょっとカビくさいが立派な絨毯まで発掘された。

 かつてはそれなりの威容を誇った応接室だったのだろう。だが、今ではそんな悲しい有様だ。

(……てゆか、いったいいつから放置されてたんだろうか、あの部屋は)

 いつものごとく遊びに来ていたケニードと顔を見合わせ、あたし達は第一回大掃除大会を開催することにした。参加者は主催者二人きり。

 ちなみにレメクは颯爽と逃亡しやがった。

 それはともかく。まずは上から順にお掃除です。

 頭に布を巻き、鼻と口も布で覆い、汚れてもいい服で藁の束を両手にそれぞれ持って大きくバンザイ。両手で藁束をヤッサモッサと動かすと、それこそ視界が埃で真っ白になった。汚い! 汚い!!

 窓からもうもうと立ちこめる白く輝く埃に、近くまで様子見がてら徘徊、もとい散歩に来ていた熊も興味を惹かれたらしい。なにやってんだー? とのっそりやってきた労働源を、あたし達は大喜びで捕獲した。

 参加者一頭追加。

 巨熊もびっくりの大男・バルバロッサ卿は、あたし達の奮闘ぶりに呵々大笑し、腕まくりも勇ましく手伝ってくれた。

 その活躍はめざましく、部屋に長年放置され続けていたカウチやテーブルはあっさりと野外に移動。そこで豪快に水を浴びせられ、あの巨大な手が操る掃除用の布で綺麗に拭きあげられた。

 その間にあたし達は天井と壁の埃を落とし、床を掃きあげ、もこもこの埃の山を麻袋に詰め込んで屋敷裏に放った。これは火を熾す際のよい着火剤になるので、暖炉用にとっておく。

 この時点で夕方になったので、第一回掃除大会は終了。熊は「明後日に来訪する」と約束して去っていった。

 ちなみに数日間は雨は降らないということで、カウチ達は野外放置のままである。

 そして今日、昨日のうちに天井と壁を拭きあげたあたしとケニードは、バルバロッサ卿の到着を待ちながら最後の床拭き作業をしていた。

 家具を全部外に放り出しているので、床磨きも楽である。

 それぞれモップを片手に「とててててー」「つととととー」と足音も軽く上辺を拭いた後、雄叫びも勇ましく力強いモップ掛け第二弾。次に乾拭きをしてから、再度モップ掛け。

 床がみるみる綺麗になってゆく。

「なんていうか、ケニードの家事スキルはたいしたものだわ。いいお嫁さんになるわよ、本当」

 キラリと光る労働の汗を拭って、あたしは同志を振り仰いだ。

 汗まで爽やかなケニードは、汗を拭いながら白い歯をキラリ。

「そうかい? それほど手際は良くないんだけどね」

 いやいや、力の入れ方も端から端まできちっと拭きあげる様も、実に堂に入ったものである。

 しかし、ケニード。何故君は「いい嫁さん」でそんなにウレシソウな顔をするのだ?

「ベルこそ、手慣れたもんだね」

「え? そりゃあ、あたしは一応、これでお金もらってましたから!」

 えへんぷぃ。

 胸を張ったあたしに、ケニードはほんわかと笑った。

「じゃあ、ベルは先輩だね」

「えへへへー。でも、上等の品を洗ったり拭いたりとかいう経験無いから、お皿洗うのとかちょっと恐いの。おじ様の家にあるのって、ほとんど銀食器なんだもん……」

 照れ笑いをしつつ、しょんぼりと肩を落とすと、ケニードに軽く頭を撫でられた。

「銀食器の扱いは、本当なら執事がやる仕事だからねぇ……僕もあんまり上手くないから、今度クラウドール卿に習おうか!」

「うん!」

 レメクスキスキ同士のあたし達は、満面笑顔でモップ片手に走り回った。

 そこへのっそりと出現する大きな影。

「なーんか、旦那のいぬ間にウフフアハハな世界になってねぇか?」

「あー! いらっしゃーいバルバロッサ卿〜!」

「いらっしゃーい!」

 パァッと顔を輝かせて駆け寄るあたし達に、バルバロッサ卿がちょっと遠い目になった。

「……あー、いや、猫が二匹だからそれでいいのか……」

 どういう意味!?

「バルバロッサ卿、お茶飲みませんか? あと、乾拭きが終わったら家具を入れていただきたいんですが、かまいませんか?」

 あたしが熊に対し第一次戦闘態勢『飛びかかり三秒前』をとるより早く、ケニードが庭をチラ見しながら声をかけた。その手には、休憩用に置いてあったポットが握られている。

 熊は破願した後、あたしを見てちょっと眉を下げた。

「おぉ、そりゃいいけどよ。お、ありがとさん。……それより、こら、嬢ちゃん。おまえさんはそんなに走り回ってよかったっけか?」

 お茶をすすりながら言う熊の指摘に、あたしはギクッと後退った。

「そ、それなりにいいわよ?」

「……それなりに、かよ……まぁ、後でレメクに叱られる範囲内ならいいけどよ。あんまり無茶すると、ここにいられなくなるんだから、気をつけろよ?」

 その言葉に、あたしはちょっと瞬きした。

 ……あれ? なんか、気になる言い方をしたような?

 じーっと見上げるあたしに、バルバロッサ卿は男臭いウィンク。

「ヤツのアレには、俺も大昔に世話になったことがあるからな」

 なんですって!?

 あたしは驚いた。

 この熊男も昔、あの恩恵にあずかったと!

 驚くあたしと、ニヒルな笑みを浮かべる熊男に、ケニードだけが理解できずに小首を傾げていた。

 いや、普通、『あの事』を知っている人なんていないはずだから、ケニードの反応のほうが当然なのだが。

 そ、それにしても……

(おじ様……ものすごい極秘事項だってわりに、なんかポンポン使ってる?)

 まぁ、目の前で人が死にかけていて、放っておけるような人にはみえないから。やっぱりバルバロッサ卿のときも、やむにやまれぬ感じで使ったのだろう。

 あの闇の紋章を。

 そ、それにしても、なによりも、そう、アレだ!

 あたしにとって重大なのは、なにも極秘事項うんぬんだからではなく、

「バルバロッサ卿もおじ様に添い寝してもらったの!?」

 ぼぷっ!

 あたしの渾身の詰問に、バルバロッサ卿が盛大に吹いた。

 ぎゃあ! 汚いッ!

「んじゃそりゃあ!? てゆか、おまえさん添い寝されてんのか!? あの男に!?」

 とっさに飛び退いたあたしをデカイ手が捕獲。そのままものすごい形相で問いつめられて、あたしは目を丸くした。

 エ。なんでそんなにビックリ?

「されたことないの……?」

「しねぇよ普通! ねぇって! つーか、ぇえぇ? やってんのかよマジで! うわ、すげぇびっくりだ! ……はっはぁ。なァんだ、なんだかんだ言って、あの野郎もファンシーなことやってんじゃねェかー」

「いいなぁ……」

 にやぁ、と某色気魔女にそっくりな笑みを浮かべるバルバロッサ卿と、心底羨ましそうなケニードの声。

 ……いや、ケニード。ちょっとその反応はどうかと思うわよ。スキスキ同盟としてはともかく。

「だってほら、そのほうが、えーと……効率いいし?」

 言葉をぼかしたあたしに、バルバロッサ卿が苦笑する。

「まぁ、そうなんだろうが……いや、俺の場合は、俺自身じゃなかったし。っつっても、添い寝は無かったぞ」

「え、あ、そ、そうなんだ?」

「おうよ。無かったはずだ。……いや、無からにゃあならねぇ。あったら問題だ。あぁ、全く。……ちと、今度腹ぁ割って話さにゃなねェな……」

 ……なにか、よけいなネタをふってしまったようだ。

「まぁ、そのことはいい。……んで、嬢ちゃんよ。レメクの野郎から説明は受けてるだろうけどな。まだ体が万全じゃねぇんだから、んなに力一杯掃除なんかすんじゃねぇぞ。おまえさんが倒れたら、レメクのほうにしわ寄せがいくんだからよ」

 レメクにしわ寄せが。

 痛恨の一撃をくらって、あたしはよろよろぱたん、と床に撃沈した。

「ぅぅ……動けば動くほどおじ様に迷惑が……」

「い、いや、マテマテ。迷惑だとは思ってねーだろうし、ほら、そりゃあ掃除してくれるってのは、あの男にとっちゃ嬉しことだと思うけど心配っつーか、なぁ、ほら?」

「そ、そうだよ、ベル。クラウドール卿はベルのこと大事にしてるから、元気でいてくれれば嬉しいし、疲れて倒れちゃったら悲しいなーっていう話しだよ、ね? ね?」

「そうだぜ、お嬢ちゃん。ンな疲れて寝転がった子猫みたいになっちゃあ、レメクが帰ってきたときにびっくりするだろー?」

「猫じゃないーッ!」

 すかさず飛び上がって抗議したあたしに、猫じゃん、と熊がぼやく。

 ぅあああッ熊のくせにーッッ!!

 シャギーッとあたしが飛びかかる。が、その体が熊に到達することは無かった。

「……養生させようと思うのなら、患者を興奮させないでいただけませんかね」

 飛びかかるあたしを空中捕獲し、片腕で軽々と抱え込んでみせたのは、

 ああ!

 あああああッ!!

「おじ様ぁあああッ!」

 生レメク!

 生レメク!!

 あたしは狂喜乱舞ですばやくレメクの体に張りついた。

 ふんふんふんふんふんふんふんふん!

「……なぁ、レメク」

「……なんです」

 ふんふんふんふんッ!

「……おまえが一番、患者を興奮させてねぇか?」

「…………」

 レメクが視線を逸らしたのがわかった。

 しかし、あたしは張り付いたまま離れない。ひたすら彼の顔の周りや首のあたりで、死にものぐるいに幸福を補充する。

 ふんふふふんふんくんかくんか!

 実に三日ぶりの残り香ではない生の匂いは、あいかわらずとっても素晴らしかった。ああぁ〜幸せぇ〜んっふ〜ん。

 あたしはギューと爪までたててしがみついた。

 掃除が始まった頃あたりから、忙しいからと夜中に帰宅・早朝に外出を繰り返していたレメク。だから、生の彼に貼り付けるのは本当に久しぶりなのだ!

 ふんふんふんふんふんッッ!!

「……長ぇなぁ」

「…………」

 どこか遠いものを見る口調のバルバロッサ卿。

 無言で伸びてきたレメクの手が、掴んだあたしを引っ張った。

 しかし、それで剥がれるあたしではない。

 ぐいっぐいっ……

 ふんふんふんっ!

 ぐいぐいっ……

 くんかくんかっ!

 ぐいっ……

 ふんふんふんふんっすぅーっ!!

「……」

「……」

 ……あ。諦めた。

「……ところで、バルバロッサ卿。頼んでいた件はどうなりましたか?」

 背中を向けてブルブル震えていた巨熊に、レメクが冷ややかな声でそう問う。

 あたしは至福の表情で、匂い吸引に頬ずりをプラスしながら、チラッと別の所に視線を向けた。

 あ。ケニード。

 ものすごく羨ましそう。

「ひひひっ、あー、うん。いけるいけるっ」

 バルバロッサ卿は口元に笑いの余韻を残しながら、レメクの問いに頷きを返す。

「そうですか。では、後のことはよろしくお願いいたします」

 熊の返事に、レメクは綺麗なお辞儀をした。

 熊は「任せとけ」と言わんばかりのサムズアップ。

 それを見てから、あたしはレメクの首に顔を埋もれさす形に固定する。

 そして問うた。

「おじ様、お仕事終わったの?」

 それは、獲物、いや、捕獲対象の確保を狙っての問いだったのだが、

「いいえ。まだ終わってはいませんよ」

 ……あえなく目論見は潰えました。

 あたしとケニードは互いに目だけで落胆を語る。

 ……しょんぼり。

「あと数日もすれば、周りも落ち着きますよ」

 それは慰め言葉であるらしい。ぽん、と軽く背中を叩かれて、あたしはこっくりと頷いた。レメクの息があたしの側頭部にかかる。……耳がくすぐったいにゃ。

 ぐりぐりと頭をこすりつけると、ぽんぽんとまた背を叩かれた。

「手はもう打ってるんだろう? ちょっとぐらい家にいたっていいんじゃねぇか?」

 どんよりと曇っているあたしとケニードを見て、熊がレメクにそう進言する。だが、それでうんと頷くようなレメクでは無いのだ。

「手は打っています。ですが、まだ足りないでしょう。一人を逃すと次に繋がる可能性がありますからね。今回の場合、事が事ですから、徹底的にしないといけません」

「まぁ、動いた金が金だしなぁ……」

 その声にあたしも遠い目になった。

 リメオン金貨数千万枚にものぼる、あたしにはちょっと想像もつかないような巨額の金。途方も無さ過ぎて理解もおいつかないが、あたしがもたらした情報で明るみになった今回の事件は、そんなとんでもないお金の動いた事件だったらしい。

「誰かのポケットマネーがくすねられた程度ならまだしも、横領されたのは『国費』ですからね。……金額もさることながら、国の運営費が誰かの懐に消えるようなことを許していては、いずれ国は滅びます」

 く、国が滅ぶとまで言われた。

 あたしはギョッとなって顔を上げる。

 ケニードを見ると、うん、と頷かれた。

(そ、そうなんだ……)

 事はものすごく大事だったのですね。一介の一貧民にはさっぱりわからないですが。

「まして、福利厚生費、か……」

「……頭の痛いことに、衛生課の資金もかなり闇に消えてましたよ」

 レメク、嘆息。

 調べれば調べるほど、いろいろトンデモナイ事実が明るみになっているらしい。

 あたしはお疲れモードのレメクを見て、元気づけようとその首に顔を押しつけた。

 がぷ。

「!?」

 なぜかレメクがギョッとなった。

「何事です!?」

 こちらが何事だと訊きたくなるようなビックリ声。

「もぅごーぉ」

「わ、私は食べ物ではありませんが?」

「もごもご。もごーぉ」

「……人間の言葉でお願いします」

 がぽ。

 あたしはガップリかぶりついていた口を離して、大真面目な顔で不審気なレメクに向き直った。

「元気注入」

「いりません」

 素早く拒否された。

 ガーン! とショックを受けたあたしに、レメクがちょっと怯む。

「だいたい、なんですか、あの方法は。私はついに、あなたに食料扱いされたのかと思いましたよ」

 し、失礼な!

 だいたい、ついに、って何だ!?

「べ、別に、美味しそうだなぁーとは常々思ってるけど、食いちぎろうとかは思ってないもの!」

 レメク、逃げ腰。

「嬢ちゃん……それはちょっとフォローになってねぇなぁ……」

「ベル……言い訳はいけないよ」

 あああ二人にまで遠巻き視線になられた!

「だ、だっておじさまいい匂いがして美味しそう……い、いや、それはともかく! だってほら、元気のない生き物に、はぁーって息吐きかけない!?」

「……いや、普通に、そんなことしても生き物は元気にならねぇから。とある下のイキモノならともかぎゅむ」

「そうだよ。局地的一部部分に対してならともかぎゅむっ」

「あなた方は、あとでちょっとお話があります。覚悟しておくように」

 あれ? レメク、なんで二人の口を塞いでるの?

 支えをなくして宙ぶらりんになったあたしは、二人の口をそれぞれ片手で塞いでいるレメクの絶対零度の表情に首を傾げた。

 なんかおかしな発言でもあったんだろうか?

 ……あ。ケニード。ちょっとウレシソウ。

「……ベル、理由はわかりましたが、先程の方法は今後決してしないように」

 えー。

「しないように」

 ……はい。

 ぷらーんとぶら下がったまま、あたしは頷いた。

 それに満足したらしいレメクが、改めてあたしを抱え直す。

「だいたい、なんでいきなり『元気注入』なんですか」

「だっておじ様、疲れてる顔してたから」

 レメクがちょっと驚いたような顔であたしを見た。

 あたしは首を傾げる。

「だから、あたしの元気をおじ様にハァーッと挿入を」

「入りませんし、そもそも元気にならないといけないのは私ではなくあなたです」

 む。そういえば、そうでした。

 口を閉ざしたあたしに、レメクはちょっと苦笑わらった。

「疲れていないと言えば嘘になりますが、あなたがそう心配するようなことではありませんよ。解決のメドはたってますし、あとは最後の詰めだけですから。それが終わればゆっくり休めます。気を抜くことはできませんから、しばらくはこの状態ですが……」

 こつんと額を顎にぶつけると、レメクがぽんとあたしの背中を叩いた。

「急いで事をなさなくてはならない理由が、沢山ありますから」

 やさしい手が、背を撫でてくれる。

 なだめるように。

 なぐさめるように。

「……気づいていますか? ベル。あなた自身のことに」

 あたし?

 首を傾げると、レメクは目を細めてあたしの頭を撫でた。

「夜眠る前、寝ている時、朝目が覚めた時。あなたの脳裏を占めるものです」

 あたしは口元をきゅっと引き締めた。

 レメクがこういう目になったときは、それはとても大切な話の時だ。

 だから、ここで言う『脳裏を占めるもの』は、レメクの匂いとかレメクの体温とかレメクの胸筋とかでは無い。

 それ以外にあたしの頭の中を占めていることなら、答えは一つだ。

「あなたの寝言は全部、孤児院のことばかりですよ、ベル。リシャ、メム、ナッツ、アンナ、リト、プリム、メアリー、サン、エマ、カッフェ、マルク……あなたが呼ぶ名前は日によってまちまちですが、ずっと心配していることを私は知っています」

 レメクの口から出たよく知ってる人達の名前に、ギュッと心臓が締めつけられた。

 一人一人の顔が浮かぶ。

 あの孤児院にいまもいるだろう仲間達。

 あたしの血の繋がらない兄弟。

「自分だけ先に助かってすまないと、ずっと夢の中で謝ってましたね。……頼みますから、せめて寝ている時ぐらいは、ゆっくりと心身共に休んでください。少し時間はかかりますが、できるだけ全員助けますから」

 その言葉に、あたしは瞬きし、次いでぎゅっと唇を引き結んだ。

 レメクはいつも精一杯のことをしてくれる。

 ケニードにも言われた。……うん。わかってる。言われるまでもないことだ。

 だってこの人は、いつだって一生懸命な、優しい人だから。

「うん」

 感謝の印にぐりぐり頭をこすりつけていると、それまでこの種類の会話では傍聴者となっていたケニードが、ちょっと考える顔になった。

「ベルのいた孤児院って、確か王都の南区の……?」

 その声に、あたしは顔を上げる。

 真剣な顔のケニードに、こっくりと頷いた。

「うん。港の……ちょっと中に入った場所にある孤児院なの。場所的には南区だったと思う。建物自体はけっこう大きいのよ。でもすごく古いの」

 ケニードはやはり真剣な表情のまま考え込む。頭の中の地図を広げていたのか、すぐに渋い顔になった。

「王都の孤児院は、たいてい建国初期に建てられたものだからねぇ……。一番古いのが大聖堂の内部に建てられたやつと、南区の三番街に建てられたやつだったかな。この二つは同じ王の時代に建てられて、その後、孤児の数が増えるにしたがって、その時代時代で建造されていったはずだよ」

 ……そうなんだ。

「孤児院って、国が建てるのよね?」

 あたしの問いに、レメク以下三名が「いいえ」と即座に首を横に振った。

「どちらかといえば、国ではなく貴族が建てますね。富める者は富めざる者に奉仕を行う、が原則ですから」

「それに、孤児院にどれだけ寄付をしたかによって、富裕ランキングみたいなのが決められるんだよ。まぁ、公式なものじゃなくて、夜会で噂される程度だけど。これがけっこう馬鹿にならないから、気位の高い人達ほど寄付をするんだよねぇ」

「孤児院の建設にゃあ、べらぼうに高い金がかかるからな。ボロ屋を建てれば貴族の沽券にかかわるから、やっぱり最初は頑丈で立派なのを建てる。しかも孤児院の名前ってのは、その貴族の名前をとるのがほとんどだからな。後世まで残る『巨額の寄付をした証』になるから、めちゃ金持ってる貴族は孤児院を建設する。国が関わるのは、その運営が悪化した時と、戦後だな」

 そ、そうなんだ……

 あたしはびっくりして三人を見た。

 自分が世話になっている場所ではあるが、そんな事情は知らなかった。

「中にいる者には、誰が造ったかよりも、どう生きていくかのほうが問題ですからね。知らなくても当然です。せめて文字を教える者がいれば、門に書かれた名前を読み取ることもできたでしょうが……」

「それを言われると、神官の端くれとしては耳が痛いな。うちの連中にきちっと話が通ってたら、最低でも二年前からは文字の教育ができたはずなんだからよ」

「……いっそ、あなたを通して通達したほうがよかったのかもしれませんね」

「よせやい。俺ぁ大聖堂のほうの神官だ。大神殿のほうにまで足を伸ばしたくねぇよ」

 二人の会話に、あたしは首を傾げた。

 大神殿とか、大聖堂とか、何か関係あるんだろうか?

 理解不能で首を傾げているあたしに、ケニードがレクチャーしてくれる。

「王都には宗教の拠点となる場所が二つあるんだよ。それがクレマリス大神殿と、ファルマリス大聖堂。どちらも同じ教会の建造物なんだけど、内部がちょっとややこしくてね。大神殿にいるのは国のことや教会内部に関連が深い神官、大聖堂にいるのは市井に関連が深い神官、って感じに覚えておくと早いかな。大神殿は民間に解放されてないけど、大聖堂は開放されてるだろう?」

「うん。大聖堂のほうには、時々、どうしようもないぐらいお腹すいた時とかに御飯もらいに行ったわ」

「……うん。そんな風にね、民に施しをしたり、お祈りや行事の拠点になるのが大聖堂で、そこにいる神官も、そっち方面に特化した人が多いんだ。で、大神殿の方は、国の行事や、教会内部の人事とか、そういうことに特化した人が多い。国の方針で何かするときに、まず連絡が行くのも大神殿。そこで仕事内容が振り分けられて、各地にいる神官に通達がいく。……バルバロッサ卿は大聖堂のほうの大神官だからね。大神殿の神官に情報がつぶされたりすると、今回の場合のように何も知らないままでいたりするんだ」

「教会もいろいろあるのね……」

「もともと、きっちりとした人が体系を作ったわけじゃないからねぇ。いつのまにかそうなってた、しかも長く続いたものだから変更が難しい、っていう状況だから。陛下や猊下も困ってたよ。もっとシンプルでわかりやすい内部構造にできないのか、って」

 う、うーん……国の上のほうのお話はよくわかんない……

 軽く混乱しているあたしの頭を撫でてから、レメクが嘆息をついた。

「陛下が猊下に話をされ、猊下が承諾された。その時点で、教会は孤児院に赴いて文字を教える義務を負いました。一番上にいらっしゃる方がそう決めたのですからね。これに逆らうことはできません。……ですが、猊下もお忙しい身。全部を確認するわけにはいきませんから、きちんと実施されているかどうかは部下からの報告を信じるしかありません」

「てことは、教皇様、嘘つかれちゃってたんだ?」

「まぁ、身も蓋もない言い方ですが、その通りです。いくつかはきちんとした内容でしたが、大半が偽りの報告でした。川は上流から下流に流れますが、命令やお金も同じように上から下へと流れます。どこで堰き止められていたかは調査でわかりますが、流れた金の行き先はあまりにも支流にまで行きすぎて、把握が難しい」

「だから、おまえさんが忙しくなる、と」

 バルバロッサ卿の声に、レメクはさらに嘆息をついた。

「陛下の『真実の紋章』がある分、私もだいぶ楽をしている方でしょうが……」

「件数が半端じゃねぇからなぁ……。悪いな。うちの神官どもに、もちっと使えるヤツがいれば、おまえさんの手助けができるんだが……」

「現状を鑑みるに、今はかえって邪魔ですね。あなたが信用した神官なら大丈夫でしょうが、あれだけ腐敗しきった場所もなかなかありませんからね……」

 レメクがさらに深々と嘆息。

 あたしはその様子を見て、その首に視線を固定した。

 ここはもう一回、がぷっと……

「……ベル。元気注入はいりませんから」

 ……先手打たれた。

「国が長く平和だと、あちこちが腐るからなぁ……。戦争はごめんだが、内部腐食も嫌なもんだ」

「余裕が出てくると、悪い考えをおこす余裕もでてくるってことなのかなぁ……。どうせなら、もうちょっと建設的なことを考える余裕を増やせばいいのに」

「困ったものですね」

 三人の大人の会話に、あたしは「うーん」と唸った。

 あたしがもし、忙しくもなく御飯もちゃんと食べれるようになったとき、どう動くか。

 まぁ、今のような状況の場合よね。あたしにとっては。

 健康にならないといけない、っていう特殊条件は置いておいて、それ以外の場合はどう動くか。

 まず、お金をためる。これは沢山あっても問題ないし、あるほうがいいから貯めまくる。

 次に、使うべき所にだけ使う。無駄遣いはしない。

 使うべき所っていうのは、御飯だったり服だったり……つまり衣食住だ。

 あたしの「余裕があるならどう動くか」はそんな程度なのだが、お金持ちの人や教会の上の人はちょっと違うんだろうか?

「いかにそのお金を稼ぐか、そしていかに使うか。そこが違うのですよ」

 レメクの声に、あたしは首を傾げた。

「そうなの? どんな風に?」

「簡単に言えば、あなたの場合、お金を稼ぐというのは労働をして稼ぐ、という意味ですね? 彼らの場合も基本的には同じですが、中には楽をして大金を得ようとする者もいます。どういう風にするかは、まぁ場合によって多少変わりますが……ある所から本来得る権利もないお金をとってくる、という方法が多いですね。今回のように、国が用意した費用を横領するケースです」

 む。正統な労働報酬以外のお金を、そうやって得ようとするなんて。

「それって、泥棒よね?」

「ええ。もちろん泥棒です。許されざる犯罪ですよ。そしてその使い道ですが、衣食住に基本を置くとして、まず食事。これを王侯のごとく豪華なものにするとどうでしょう? 普通では考えもつかないような金額が動きますね。次に衣類ですが、これも豪華なものに変えればいくらでも金額が上がります。最後に住居」

「……豪華な家を持ったり、立派な家具は以下同文、ってことなんだ」

「そうです。必要な時に、必要な分だけ使うあなたのような賢い人なら、こんな馬鹿なことはしないでしょう。ですが、彼らはそんな愚かなことを平気でするのですよ。自分のお金でも無いというのに、ね」

 あたしは呆れた。それはなんて愚かで情けなくてずうずうしい振る舞いなのだろうか。

「そりゃ、あたし達だって孤児院にお世話になってたり、自分のお金じゃないものに寄りかかってるけど……それで贅沢しようとは思わないわよ? い、いや、そりゃあ、もうちょっと御飯の回数が増えればなぁ、とか。服の配給ないかなぁ、とかは思ってたし、それは贅沢なのかもしれないけど……」

 あたしの発言に、なぜかレメクはちょっと眉を下げた後、よしよしと頭を撫でてくれた。

「あなたのそれは、贅沢ではありませんよ」

 目が温かい。

 あたしは嬉しくなって頭をこすりつけた。

 ごろごろごろ。

「まぁ、昔の嬢ちゃんの状況は、聞きしに勝るものがあるからなぁ……」

「ぼくらの寄付金も、きちんと運営にはあてられなかったってことだよね」

 嘆息をつくバルバロッサ卿とケニード。上流階級である彼らは、あたし達のような孤児のためにいくらかの寄付をしてくれていたのだろう。

 それなのに、あたしが『陰干しの乾物』のような状態だったのに、少なからずショックを受けていたらしい。

「孤児院の子供で、栄養失調をおこしていない子はほとんどいませんでしたよ。大聖堂と、西区の一部の孤児院だけが、例外でしたが……」

「大聖堂のは、あれだろ? やんごとなき方々の御落胤が集まってる上、教会関係者になる連中が多いから、おのずと金が正常に動くってやつ。孤児院の経営自体が教会に関係してくるから」

「そうなの?」

 孤児院にもいろいろあるらしい。

 あたしの問いに、バルバロッサ卿はちょぴり視線を逸らしながら曖昧に頷いた。

「あー、まぁ、嬢ちゃんはまだちっさいから、そのあたりの詳しい事情は知らなくていいんだが……。大聖堂の所にある孤児院は、国が建てた特別な孤児院の一つだ。ここには、貴族の……えーと、貴族と関わりの深い連中が多く集まる」

 ……ナゼ言い直す?

「というか、集められる。なので、寄付金も莫大な金額になる。……ちなみに、基本的に貴族が造った孤児院でない孤児院は、国営になるわけだ。で、その場合、国と教会が共同で経営にあたる」

 ほぅほぅ。

「この国では二つあるな。どちらも国ができてほんの初期の頃に建った最古の孤児院だ。歴史はあるし、特別な名前で呼ばれるしで、ちょっと普通の孤児院とは違う扱いを受ける」

 そんな特別な孤児院があったのか。

 感心したあたしに、なぜかレメク以下三名が視線を固定する。

 その視線の先にいるのは、あたしだ。

 エ。何事?

 きょとんとしたあたしに、レメクは真面目な口調で言った。

「わかりませんか? 同じ理由で建てられた二つの孤児院。一つは大聖堂の近くに、もう一つは南区に配置された、国営であり、教会も関連する特別な場所」

 わからない。

 目をぱちくりさせたあたしに、レメクは軽く目を伏せる。

「その孤児院の名前は、どちらも同じです。かつて降魔大戦の折、興国の祖でもある指導者ナスティアを助け、強大な魔を滅ぼしたとされる偉人の名前を冠しています」

 そうして瞼を上げた時、その黎明色の瞳には強い色が浮かんでいた。

「聖ラグナール孤児院。……ベル、あなたがいた孤児院ですよ」



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