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 8 それは愛

「えぇと、ベル? ねぇ君、本当に家にいなくても大丈夫なのかい?」

 そう問われて、返せる答えをあたしは持っていなかった。

 夕闇と黄昏の色がせめぎ合う時刻。

 人通りの絶えた道は閑散としていて、広すぎる道はどこか寒々しかった。

 西の彼方へと沈む太陽が、小径も含めた道という道、家々を囲む高い壁と、その奥にある屋敷の屋根までもを朱く赤く染めている。

 空は西の果てから赤く始まり、東に向かって青へと変化する。

 雲はまろむような紅がかった橙色だいだいいろ。冬の空は抜けるような透明度で、そらの高さを突きつけていた。

 その様は染みいるほどに美しかったが、あたしにはただ、せつなかった。

 彼方の星までも透けて見える空は、どこか黎明の時の空に似ている。

 それはレメクの瞳にもよく似ていて、だからいっそう胸に迫った。

 そんな切ない空の下、とぼりとぼりとあたし達は歩く。

 その歩みは気持ちに比例して重く、遅い。

「そりゃ、私は嬉しいよ? 家に来てくれるの。でもクラウドール卿に黙っての外出は、後が恐いからねぇ……一応、手紙は置いてきたけど」

 どこかオロオロとぼやくのは、隣を歩くアロック卿だ。喜び半分、心配半分。そんな顔をしている。

 その気持ちも……少し、わかる。

 あたしはレメクに何も言わず、勝手に出てきたのだ。

 アロック卿には言ってないが、あれだけしつこく「大人しく休め」と言われていたのにである。バレたらものすごく怒られるだろう。

 それとも……今度こそ……あきれ果てられて、捨てられるだろうか?

(……今度、こそ……)

 そう思うだけで、気持ちだけでなく体までもが重くなった。

 馬鹿なことをしていると思う。

 言いつけを守らないことも。怒られると分かって出歩くことも。

 けど、あのままあそこでじっとしてはいられなかった。

 どこにも行きたくないのに、どこかに行ってしまいたいような感覚。得体の知れない脅迫感を感じて、いてもたってもいられなかった。

 巻き込まれたアロック卿は迷惑だろう。

「…………」

 俯いたあたしを見て、アロック卿がおずおずと頭を撫でてくれた。

 気遣ってくれているらしい。

 子供っぽいところもあるが、彼は基本的にいい人だった。

「けど、君がいきなり外に出てきた時には驚いたなぁ……」

 ちょっとだけ顔を上げたあたしに、アロック卿はホッとした顔になってそう言い出した。

 あたしがぼんやりとその顔を見返すと、照れたような顔でニコッと笑う。

「ほら、えぇと、クラウドール卿にも怒られたんだけどね、いきなり抱きつくような真似しただろ? あれとか……あと、みっともないところも見せちゃったし。これは嫌われたなーって思ってたから。もう絶対顔も見せてくれないんじゃないかって思ってたんだ」

 テレテレとそんなことを言われて、あたしは首を傾げた。

 確かに、アロック卿との出会いは衝撃的かつ非友好的な感じだった。だが、失礼なことをしたのはあたしも同じだ。

「あたしも……感じ悪い態度とったもの。ごめんなさい……」

「え? いや、いいよ! もうさっき謝ってもらっちゃったし! お互いに謝りあいしたばっかりじゃないか! だ、だいたい、私のほうが先に礼を欠いていたんだし……あぁ、ほら、えぇと、ね? だから、私のことは気にしなくていいから!」

 一生懸命に言うアロック卿に、あたしはジーンときた。

 本当に、子供っぽい一面はあるけど、いい人だ。

「アロック卿は、偉い人なのに、全然偉そうにしないのね」

 貴族で高官。そんな立場で、最下層のあたしに普通に接してくれている。

 もちろん彼の特別である『メリディス族』であるあたしは、、その恩恵にもあやかっているんだろう。

 けれど基本的に偉そうな人は、例えそうであっても、ずっと高飛車にものを言う。平民のものは貴族のもの。そう平気で言う『お偉いさん』をいったい何人見てきただろうか。

 そう思ってアロック卿を見上げたのだが、なぜかものすごいきょとんとした顔をされた。

「私が?」

「うん」

「私は偉い人なんかじゃないよ?」

「でも、おじ様が言ってたもの。アロック卿は男爵様のお子様で、仕事もできる人だって。メリディス族にこだわらなければ、民族部門じゃなくて全体の長になれるのにって」

 その瞬間、アロック卿の顔が喜色に輝いた。

「え? 本当に? あのクラウドール卿が? 本当に?」

 二回も念を押す、この心底意外そうな問い。よほど日頃レメクにつれなくされているのだろう。

 ……てゆか、この反応は、ナニ?

「うわ、どうしよう! すごい嬉しいなぁ!! ……あのさ、あのさ、クラウドール卿ってね、もう全然他人のことになんか興味ないって人なんだよね!」

 あーうん。そんな感じ。

 あたしは思わずへらっと笑ってしまった。

「わかるだろ? だからさ、ちょっとでも反応してくれるともう嬉しくて嬉しくて! そのクラウドール卿がだよ? 僕をそういう風に評価してくれてたなんて……!! どうしよう! 今日はもう眠れそうにないよ!」

 うん。どうしよう。

 あたしはちょっと遠い目になりながら思った。

 なにかヤバイスイッチを押してしまったようだ。

 ごめん。レメク。あたしよりレメクのほうがなんか危険な気がする。この人。

 彼の全身からレメクスキスキオーラが出ているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。

 そしていつのまにか「私」から「僕」になってる。たぶん、こっちが地なんだろうけど。

 ……にしても、この人、お貴族様なのに、妙に人なつっこいというか……

「あ……アロック卿は、おじ様のこと好きなんだ?」

「ケニードでいいよ!」

 フレンドリー。

「えぇと、け、ケニードさん?」

「呼び捨てでいいよ! 僕もベルって呼ばせてもらってるし!」

「えぇと、あぁ、うん。はい」

 勢いに押されて頷きながら、あたしはちょっと顔が引きつるのを感じた。

 な、なんだろう? この勢い。

 いろんなものが吹き飛ばされそうだ。

 気づけば体の重みも忘れてる。

「クラウドール卿のこと? そりゃあもう、ものすごい好きだよ! だって彼は、宮廷で一・二を争うほど僕のマニア心を刺激してくれる人なんだからね!」

 わー、おじ様、かなりヤバイよこの人。

 てゆか、レメクの身がとても危険。

 あたしはぐっと握り拳を固めた。

「陛下も捨てがたいんだけどね! あの人はもう、違う意味で別格だから!! あ、でもクラウドール卿も別格だよ! なにせ陛下同様、国で唯一人の存在だからね!」

 ど、どういう意味で?

 なにか尋ねるのが恐くてちょっと尻込み。

 というか……な、なんだろう、この人の、この情報満載っぷり。

 むしろアレか? これはもう、あたしにレメクマニアになれということか?

「えっと、ケニードは、おじ様と親しいの?」

「うーん、親しくしたいのは山々なんだけど、クラウドール卿は完全無敵の鉄壁防御だからねぇ……。むしろそういう意味では君の方が遙かに親しそうだったよ? いや、だってさ! 彼があんな風に人の間に割って入ったり庇ったりなんて、今まで無かったことだから! すごい大事にされてるね〜」

 なんですって!?

 彼の嬉々とした話しぶりから喜びが伝播でんぱしたのかもしれない。暗い気分もすっ飛んで、あたしは彼の言葉にかじりついた。

「だ、大事になんてされてる? いや、されてるよね? てゆか、おじ様、何気に保護意識満載な人よ?」

「え? それ本当? うわ、初耳だよ大ニュースだ! あ、でもでも確かに彼、ちっこいものとか弱いものとかに妙にこだわるよね、猫とか」

 猫!

 カウンターパンチをくらった感じで、あたしの心がべしゃっと折れた。

 ……猫……猫か。やはりあたしは、レメクにとって猫なのか……

「いやー、あれはなかなかシュールで愉快で癒される光景だったよ〜。無表情なクラウドール卿に周りにたかる子猫の山。頭の上にまで乗られてなんていうか、こう、爆笑一歩手前? バルバロッサ卿と陛下がこっそり隣で爆死しててねぇ。もう声を抑えるので必死だったよ。あ、そのときの記念映像! 紋様術の粋を駆使してバッチリ保管してるんだよね! 見て見て〜!!」

 そしてなぜか懐から取り出す一冊の小冊子。

 ぱらっとめくられたそこには、薄い紙に映像が印刷されている。

複写トレースの紋様術だよ。そのときの映像をそのまま紙や布に複写できる優れものでね! あ、これ、猫にたかられてる三百六十八枚中の一枚」

 多ッ!!

 てゆか、なぜにいつも持ち歩いてるのだこの人?

 そしてあたしはその衝撃映像を見た。

「ぶはっ!?」

 レメク、猫まみれに!!

「王宮にねぇ、捨て猫達をかくまってたらしいんだよねぇ、彼。そしたらそこで大繁殖しちゃってね〜。陛下に怒られてこっそり家に持ち帰ったらしいんだけど、今頃敷地内でさらに大繁殖してるんじゃないかなぁ?」

「も、もしかして、まだ探索できてないあの林の奥にいるのかなぁ」

 めくってもめくっても猫とレメクしか写ってない謎の小冊子「レメク図鑑ずかん(勝手に命名)」をめくりつつ、あたしは震える声でそう推測した。

 あぁ〜そうかも〜、とケニードが頷く。

「確かあの屋敷の敷地は、北区随一の広大さだったからねぇ。川あり丘あり泉ありな上にぷち森林まで有する優れものだから。屋敷自体は古風で小さいんだけどねぇ」

「え、あの大きさで小さいの?」

「うん。北区の屋敷ってさ、結局は金持ちや貴族が見栄と顕示欲で建ててるのが多いから、やたらと豪華で大きいのが普通なんだよ。敷地の半分を占めてるぐらいだからねぇ。そこへいくと、クラウドール卿の屋敷は敷地の十分の一以下、いや、あれはもう二十分の一ですらないね!」

 ……さすがレメクマニア。屋敷面積まで把握してるようだ。

「でもねぇ、そんな愉快な一面を見れたのは、ここ数年ぐらいなんだよね。僕がクラウドール卿と会ったのは十五年ぐらい前なんだけどね、なんていうか……今よりずっと恐い感じだったなぁ」

「恐い感じ?」

「うん、そう」

 大事に大事にページをめくるあたしに、ケニードはにっこり笑って頷く。

「なんていうか、本当に人形みたいな感じでねぇ……あ、ちなみにすごい美少年でした」

 これがその衝撃映像、とやはりどこからともなく小冊子を出してくる。

 見せられた写真。

(……確かに!!)

 確かにこれは美少年だ!

「うっわー……ここここれがおじ様、うわうわわ」

「今も男前だけどねぇ。これはもう、なんていうか反則だよね?」

「反則だわね」

「まったく反則だよ」

 レメクに聞かれれば「何がですか」と即座につっこまれそうなことを二人で深々と頷きあう。

 いやだって、これは本当に素晴らしい。思わず顔に赤みもさす。

「す……素晴らしいわ、ケニード。あたし、あなたのことを誤解してたわ!」

 よってキラキラと輝く眼差しで見上げたあたしに、ケニードは同じく輝く笑顔で照れてみせた。

「いや、僕もここまでクラウドール卿のことを語れるなんて……! ベル! 君はなんて素敵なレディなんだろう!」

 あたし達はしっかりと握手をかわす。

 ここにレメクマニア同盟が結成された。


 ※ ※ ※


 ケニードの屋敷は、なるほど、確かに『北区の貴族的』な豪華なものだった。

 煌びやかな玄関ホール。煌々しい廊下。そして最後にトドメのごとくキラッキラな部屋。

「……なんか、目、痛いわ……」

 そのあまりのキラキラオンパレードに、目をしょぼしょぼさせるあたし。ケニードが困ったような半笑いで頬を掻いた。

「うん。僕もあんまりこういう家好きじゃないんだけどね。お父様にもらった屋敷だから、文句も言えないし」

 男爵様はキラキラが好きとみた。

 ……というか、そうか、お貴族様は、やはりお父様達からお屋敷をもらったりするのか。

 プレゼントの桁が違うなぁ……

「あぁでも、理想といえば、クラウドール卿の屋敷は理想だよね! あの、こう、なんともこじんまりとまとまった建物といい、無駄な装飾は無いのに品のある風情といい、中の人を如実に表しているよね!」

 彼のレメク賛美は留まるところを知らない。負けそうでちょっと悔しい。

「でもあの屋敷、おじ様の部屋とお風呂と台所とトイレ以外は埃まみれよ?」

「なんだって!? 勿体ない! いつでも僕が掃除に行くのに!」

 いや、普通、その発想はどうよ?

「てゆか一応、元気になったらあたしが掃除当番! あたしの就職先!」

「え、そうなの? それじゃあ、仕方ないね。週末手伝いに行くぐらいで諦めるよ」

 それは諦めているのか、諦めていないのか。

 いやまぁ、いいけど。

「あ、そこ座って座って。今、お茶いれるね。メリディス族ゆかりの健康茶。かなり効くらしいよ、これ。おすすめ。ベルの顔色、前より良くなってるけど、やっぱり体調悪そうだから」

 椅子を引いてあたしを座らせたあと、パタパタとケニードが走る。貴族様なのに、フットワークがとても軽い。

 それにしても、メリディス族ゆかりの健康茶?

 首を傾げて待つこと数分。ケニードが笑顔で何かデロンとしたものをあたしの前に出してきた。

「はいこれ。元気茶〜」

 呪いのお茶が出た!

 華麗なティーカップに注がれた、真緑色の不気味な液体!

 透明感はまるで無く、言ってしまえば、そう、ヘドロ!

 匂いは未だかつて嗅いだこともないような匂い。

「え、こ、これ、飲み物?」

「そうだよ。薬湯みたいなものだね。意外と美味しいよ?」

 これを美味しいと評せれるケニードが眩しい。

 あたしはじっくりとそれを観察し、意を決して手にとった。

 人様が淹れてくれたお茶。無駄にしては女が廃る!

「ぐぅ……む? むむ?」

 あ、意外と美味しい。

 いや、むしろ美味しい!

「ぷは、これ、美味しいよ!?」

「だよね? 美味しいよね? しかもこれ、すっごい疲労回復に効くんだよ。メリディス族に一番効用があるらしいから、元気になってくれるといいなぁ」

 にこにこと笑われて、あたしはちょっと感動した。

 あんな暴言吐いたあたしに、ここまで気をつかってくれるなんて……!

 最初に出会った時の暴言の数々は、すでに謝っているけど……こ、これはどこかでぜひお返しをしなくては!

 思わず姿勢を正すと、ケニードが近くのワゴンから何かを引っ張り出す。

「あと、これが肌荒れ回復薬。こっちが髪の艶を取り戻す薬。どれもメリディス族ゆかりの秘薬だよ!」

「す、すごいのね。でもこれ、秘薬っていうぐらいだから、めったに作れないんじゃ……」

「いやいや〜。調合が難しい上、今まで知られてなかったからそう言われてるだけで、実際の材料はすごい安上がりなんだよ。僕はもう調合法マスターしてるから、好きなだけ飲んで。あ、でも薬の方は一日一粒だけだよ。こっちのお茶はお代わり自由。飲んで早く元気になってね」

 ううっ……いい人だ!

 あたしは大いに感謝してデロリン健康茶をお代わりした。

 確かに効いてる感じがする。

 あれだけどん底だった気分もスッキリだし、重かった体も軽くなったし、なにより頭が痛いのも解消された。

 ……いや、なんか効力の半分ぐらいは、ケニードのキャラクターな気がするけど。

「けどねぇ、これ、まともに飲んでくれたの、陛下とバルバロッサ卿とクラウドール卿だけなんだよね〜」

 ……国王様にも出したのか、このお茶。

 あたしはお茶を見下ろして唸った。

 このどう見ても呪いのお茶にしか見えないシロモノ。こんなものを飲んでくれたという国王陛下とは、いったいどんなお人なのか……

 偉そうなオッサンを想像してたんだけど、この様子じゃ意外と気さくな人なのかもしれない。

 ……いや、ケニードが変わり者すぎてて、勢いで飲んじゃったのかもしれないけど。

「ちなみに、このレシピを持ってきてくれたのは陛下なんだけどね」

「ぶぽっ!」

「うわ、ベル! だだだ大丈夫?」

「だ、だいじょぶ……って、今、レシピ持ってきたのが国王様って……」

「あー、うん。ベルは陛下とはお会いしてことある? なんていうか、インパクトあるよね、あの方」

 会ったことあるわけないって!

 こっちは一般市民どころか、のたれ死に一歩手前の孤児で、相手は王様よ!?

 あたしはとっさに抗議しようとして……止めた。

 いくらケニードが貴族らしからぬイイ人だといっても、視界の限度だけはどうしようもないだろう。あたしが貴族の生活がわからないように、ケニードにだって、あたし達の生活がどんなものなのか、全部を理解できるはずがない。

(いや、もしかしたら……レメクと一緒にいたから、面識あるかもって思われたのかもしれないし……)

 あたしはともかく、レメクはどう見ても地位が高そうな人だ。

 ……うん。そう考えたら、そう思われても仕方がない気がしてきた。

 ……それにしても、ケニードよりもインパクトあるのか……王様……

 唖然としたあたしの前で、ケニードは夢見る少年のような顔で語る。

「なんでも前国王陛下の第二妃、レティシア様が晩年よく飲んでらっしゃったらしいんだよ! あ、レティシア様っていうのは、メリディス族のお方でね。ほら、クラウドール卿がもらったっていう肖像画。そこに描かれているのが、レティシア様なんだよ」

「メリディス族の……王妃様?」

「うん。体の弱い方だったらしくて、もうだいぶ前に亡くなられてね……すごい立派な葬儀だったなぁ……。あぁ、でも、君が生まれるよりも前の話だね」

 そう言って、ケニードはちょっと目を伏せた。

「……そうか。もう、そんなに昔の話なんだなぁ……」

 あたしは、その時のケニードを見て、なんとなく誰かに似ていると思った。

 何か、心の中の大切なものに、そっと決着をつけた人。

 アウグスタ。

 レメクの寝室に現れた、あの黄金の巨乳魔女。

 彼女もまた、今のケニードと同じ表情をしていた。

「王妃様は、あんまりお幸せじゃなかったの……?」

 あたしの問いに、ケニードはちょっと夢から覚めたような顔になり、それから面はゆそうに笑って首を横に振った。

「さぁ……僕はしょせん、しがない男爵家の子供だからね。そこまではわからないよ。でも……一度だけ、遠目に拝見した王妃様は、確かにすごく儚くて……今にも消えてしまいそうだったね」

「……そっか」

「メリディス族はね、いろんな迫害の歴史があるんだ。もともと、少数民族な上に、男女とも非常に美しい外見をしているし」

 ……非常に美しい外見?

 あたしは思わず胡乱な表情になる。

 ……未だかつて、そんなふうに言われたことは無いけど、あたし。

 いや、母さんは確かにすごい美人だったけど……

「紫がかった銀の髪も、すごく珍しいしね。あと、すごくいい匂いがするって言われてる」

「あぁ、あの微妙な噂ね……」

「うん。文献にはいろいろ載ってるんだけどね。確か……どこだったかな、王宮の図書館にあった文献……えぇと、なんだっけ。民族百選? 違うな……他族おもしろ大百科?」

 ……なんだろう。その妙に気になるタイトルは。

 それ以前に、王宮の図書館ってもっとこう、高尚なもんじゃないんだろうか?

「あぁ、思い出した。『珍民族まるごと丸わかり辞典』だ!」

 うわ! 正解が一番タイトルおかしい!!

 てゆか、珍民族ってナニ!? 珍民族って!!

「確かこう書いてあったな。えぇと、『その肌は匂い立つような芳香を放ち、筆者の心を捕らえて離さない。あれはもはや魔性の域であろう。そのかおりの元となるのは皮膚なのか、その下に流れる血液なのか。いやいや、そこを考えるのは無粋というものだ。なにしろ、かの者のかぐわしきは薫りだけでなく、その例えようもなく美しい微笑みなのだから』なんだって」

 記憶の中から、そうスラスラと文章を取り出してきた彼に、あたしはあんぐりと口を開けた。

 彼の頭の中はいったいどうなっているんだろうか? もしかして、王宮の図書館の図書がそのまま入ってたりするんだろうか?

 例のおもしろ百科とかイロイロ。

 そ、それにしても……

「なんか、タイトルとまるで違う文章なのね……?」

「そう? そうかな。でも、なかなか面白いよ、あれ。今度借りてきてあげようか?」

「……いい。文字読めないから」

「教えてあげるよ? 文字は読めたほうがいいから。……でも、僕より先に、クラウドール卿が教えてくれるんじゃないかな。この前、なんかせっせと写本用の教材探してたから」

「写本用の教材?」

「そう。文字の練習をするときにね、けっこう重宝するんだ。クラウドール卿の写本っていったら、かなり高額で取引されるよ。彼、紋章術や紋様術に詳しいし。文字綺麗だし。あんまり写本書いてくれないから、レアだし」

 なんだか最後の部分に力が入ってる気がした。

 てゆか、そうか。ケニードはレアモノマニアなのか。

「その彼がね、なんか初心者用の写本リストみたいなの集めてたから、今度は何をするのかなーってちょっとチェックしてたんだよ。ほら、教会が慈善事業の一環で、孤児院に文字を教えに行ってるだろ? あれの本も集めてたから」

 その言葉に、あたしはドキッとした。

 それは、もしかして……

「ねぇ、それ以外に、おじ様が最近してたことって、何かある?」

「最近? そうだね……ここ数日の間なら……」

 そう呟いて、ケニードは頭の中の引き出しから記憶を取り出してきた。

「保護機関の訪問、メリディス族の資料の閲覧。王立図書館で地図を閲覧。宰相と会談。教皇に謁見した後、大神官のバルバロッサ卿と会談。バルバロッサ卿とはそれ以降も五回ほど会談してるね。いずれも街中だったなぁ……」

 ……もしかして、尾行でもしたんだろうか、この人……

 あたしの頭の中に、とある文字が浮かんだ。

 ストーカー。

「あと、今まであんまり接触してなかった貴族とも話ししてたなぁ。相手の人、すごい怯えてたけど」

「……おじ様、外でどういった風に人と接してるんだろう……」

 だいたいにして、貴族を怯えさすなど、いったいどういう人なのか。

「うーん。彼の場合、持ってる力が違うからなぁ。本来なら、僕なんか片手でポイしちゃえるだろうしね」

「え。お、おじ様、もしかしてすごい偉い人なの?」

「偉いというか……まぁ、基本的に国で一番恐い人かな」

「き、基本的って……」

「暗黙の了解というか、まぁ、宮仕えになった時に先輩に徹底的に教えられるものがあるんだけどね。所謂『王宮怒らせてはいけない人リスト』と『王宮逆らっちゃいけない人リスト』なんだけど」

「うんうん」

「そこのリストで、いつも陛下と首位争いしてる」

 王様と同レベル!?

「どどどどどういう人なのおじ様って!?」

「え。知らないで保護されてるの?」

「や、だってほら、あたし出会ってまだ数日しか経ってないし!」

「えぇ!? 数日であのベッタリ具合なのかい!? な、なんて羨ましい!」

 マテ。あんた。その「羨ましい」はどっちに対してだ?

 なぜか両方に対して嫉妬メラメラハンカチ噛んでキーッ! な雰囲気が。

「どこでどうやってどういう風に知り合ってあんなベタベタに!? いや、むしろその攻略法を是非!」

「いやちょっとマテあんたどっちの攻略っていうかあたしはまだおじ様攻略できてないーッ!」

「あの密着具合でまだ未攻略!? まままままさかクラウドール卿のほうから攻略が!?」

「いや、無かったと思うし! 最初からあたし全開でオッケーだし!!」

「むむ! ということは、やはり猫属性!?」

「猫言うなーッ!!」

 い、いや、興奮するなあたし。

 そう、興奮すると体に悪い。

 ついでに話が逸れている。

「そ、それよりもまずおじ様の話よ! おじ様のこと!」

「あ、あぁそうだったね! で、でもベル、僕もクラウドール卿の攻略法知りたい!」

「だから、それはまだあたしも未攻略だってば!」

「じゃあ、僕が情報教えたら、君も知ってること全部話して! ね? いいだろ!?」

「交換条件ね! おっけいよ! あたしの知ってることなんて、レメクの寝相とか最近の料理メニューとか、張り付いたときの変な踊りぐらいだけど!」

「ををををを! なんてレアな情報を! くっ!! ベル! 君はやっぱりなんて素敵なレディなんだ!」

「あなたも素敵よケニード! ってことでさぁおじ様の丸秘情報を!」

 あたし達は手を取り合い、熱く熱く握りあう。

 その瞬間、


「……何をやってるんですか……あなた達は……」


 どこかげっそりとした声が後ろからした。

 あたし達は同時に振り返る。

 そして二人同時に叫んだ。

「「ぎゃああああああッ!!」」

 疲れ切った表情のレメクがそこにいた。



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