第8話 レティとの会話とトラックでの道行き
説明書を読み、仕様を確認していったが、どうも『ちず』に周囲の生物を表示出来るようだ。表示する相手も種族やサイズなどで細かく決められる。レーダー画面のように周囲十メートル程を視界の端に半透明に表示させる。近くの五十センチ以上の生物を指定すると、馬二匹とアルトが光点として表示される。私に対しての感情で色も変えられるようなので、害意がある対象は赤、それ以外は緑にしておく。すると、三つの光点は緑に変化する。後は、警報の設定もあったので、赤い対象が百メートル圏内に入った場合は警報をあげるように設定する。これで取り敢えず、身の回りの安全をそこまで気にする必要は無いかと、安心する。
太ももの上では、レティが寝息をたてながら、夢の中だ。
そう言えば、『はなす』で思考能力がある対象との会話は可能と記載されていた。昔、犬を飼っていた時も意思疎通が出来れば楽しいだろうなと思っていたので、少しワクワクする。『はなす』の対象にレティを加えて、軽く揺する。ふわっと小さな欠伸をしてひゃうと鳴く。同時に通訳されたのか、頭の中に、意味のある言葉が聞こえる。
『ねむー』
昔、室内犬を飼っていた時のベッドを生み出し、そっと床に置く。レティを乗せると、もぞもぞと掛布団の中に潜り込み、方向転換して、ちょこんと顔を出す。
『ぬくー』
ひゃんと嬉しそうに鳴き、しかし、少し寂しいのか、じっとこちらを見つめてくる。そっと首の下と耳の辺りをくすぐると、嬉しそうに顔を擦り付けてくる。暫く相手をしていると、温かくなってきたのか、うとうととし始めて、そのままくてんと頭が落ちる。私は、テーブルを収容しソファーを拡張してベッドに変える。何かあった時の為にヘッドボードの部分の肘掛けにレティのベッドを置く。子犬の頃は何度か夜中に授乳の必要があった筈だ。そう思いながら、今日のイベントを思い起こし、整理しながら、目を瞑る。久々の日常生活の疲労が出たのか、徐々に微睡みから、深い眠りに落ちていった。
異世界生活二日目。夜中に何度かひゃんひゃんと起こされたが、眠る時間が早かったので、そう苦でも無い。起こされる度に念の為キャンピングカーの『ほきゅう』は行った。
窓のスモークを下げると、地平の彼方がほのかに白じんでいるのが分かる。もう、六十を過ぎた頃には夜明け前に目が覚めていたなと、思い出しながら毛布を畳む。歳を取ると、眠る体力も無くなるので、長い時間眠るのも辛い。若い頃はなるべく長く起きていたいと思っていたが、歳を取ると願わくば眠りたいと思い、人生は儘ならないなと苦笑が浮かぶ。軽くストレッチで体を解し、ソファーベッドを格納し、梯子の上の鍵を開ける。
そろそろレティが起きてお腹が空いたと言いだしそうなので、ミルクを湯煎にかける。並行して、パンをオーブンに入れてトーストしながら、缶詰を開けて、ランチョンミートを焼く。付け合わせはピクルスで良いかなと、棚の中を覗きながら考える。
匂いの変化で目が覚めたのか、レティの鳴き声が聞こえる。ランチョンミートの方は外側がカリッと焼けているので火を消し、余熱で中を温める。
湯煎していたミルクを哺乳瓶に入れてベッドに近付く。掛布団に絡まって、じたばたとしていたが、剥してあげるとくるりと伏せる。
『おなか、すいたー』
こちらを見上げて、ひゃふっと鳴く。軽く頭を撫でて抱きかかえ、哺乳瓶を口に当てると、嬉しそうに吸い始める。暫くミルクをあげていると、ガラリと天井が開く音がして、アルトがトントンと梯子を降りてくる。
「おはようございます」
微笑みながら朝の挨拶をしてくるので、おはようございますと返すと、可愛らしく、くーっと言うお腹の音。アルトが顔を染めるが、聞かなかった振りをする。どうも、朝食の香りに誘われたか、起きてきたようだ。レティの口元を覗き込んで、羨まし気に何かを言いたそうに悩んでいる。
「もしよろしければ、お手伝いしてもらえますか? 朝食の用意の続きをしたいのです。レティのミルクをあげてもらえれば助かります」
「えっ……。良いんですか!!」
ぱぁっと輝くような笑顔になり、いそいそと交代する。そっとレティを抱きかかえて、吸い口を含ませる。動物用でも一番小さな物なので、誤嚥や吐くといった心配はいらないだろう。昨晩使ってみて、それは問題無かった。
その間に皿を温めて、パンとランチョンミートを盛り付ける。ピクルスは汁が出るので、別の小皿に分ける。温もっても気持ち悪いだろう。最後に冷えたオレンジジュースをグラスに注ぎ、朝食の準備は完了となる。レティの方も満足したのか、アルトが背中をポンポンと叩き、けふっとするとベッドに潜り込んで休憩し始める。
「終わりました」
アルトがそう言って哺乳瓶を渡してくるので、シンクに置く。朝食後はそのまま移動のつもりなので、洗い物は良いだろう。
「では、食べましょうか?」
そう訊ねると、アルトが嬉しそうに頷く。
バターナイフとバターを渡すと、くんくんと嗅いで、驚きの表情に変わる。
「これ、バターですか? まだ冬にもなっていないのに……。どうやって……」
話を聞くと、家畜でヤギやヒツジは飼っているらしいが、乳製品は冬の繁殖シーズンに極少量が出回るだけで、中々口に出来ないようだ。
「それに、このパンも小麦のパンですよね……。良い香り……。それに甘い。こんな美味しいパンにバターなんて、贅沢です……」
そんな事を言いながら、バターを塗って、パンを頬張ると、うーんと呻きながら頬を押さえる。その表情は笑み崩れている。フォークでランチョンミートを切り分けると、その柔らかさに目を見張り、口に含むと味に目を白黒させる。
「お肉だと思うのですが、何の肉かが分かりません……。でも香辛料の香りが高くて、美味しい……。塩気もあって、なんて贅沢……」
原材料を見るとブタなのだが、潰されているので分かり辛いだろう。キュウリのピクルスを口に入れた瞬間の酸っぱそうな顔は年相応で可愛らしかった。
「では、本日の旅程に関して説明しますが……」
昨日の晩から考えていたが、三日の距離があると言う事は、三日の猶予があると言う事だ。普通に考えれば、人を迎えても一泊して本日からの移動と見るだろう。百キロ程度ならどんなに道が悪くても三時間もあれば、移動は可能だ。国王へ面談する前に、現地で調査を行いたい。無手で話し合いなど、無理だ。まずは、街の様子、出来れば実際に兵の状況を確認し、会話がしてみたい。
そう告げると、若干驚きの顔を浮かべていたが、昨日のヘリコプターなどの体験が根拠となったのか、同意が返ってくる。ジュースを飲み終えて、食事を終えると、二種類の服を差し出す。脱いだ服と昨日作り出した服だが、何の躊躇もなく、綺麗な方を選ぶ。後、恥ずかしそうに、下着をこのまま着用して良いか聞かれたので、頷きを返す。布で巻いただけのブラと紐で結ぶトランクスもどきよりは着心地が良いのだろう。
カーテンを閉めて、それぞれ着替える。私もスリーピースのスーツとシャツを新たに『せいぞう』で生み出し、バスローブから着替える。
昨日は運よく粗相をしなかったが、可能性を考慮して、レティはベッドごとの移動になる。レティを脇にぶら下げて、キャンピングカーから降りて、アルトをエスコートする。そのままキャンピングカーを『もどす』で消す。特に車内に残している物は無い。アルトは汚れ物も抱えており、そのまま持ち帰るつもりらしい。
厩舎の鍵を開けて、馬の様子を窺うと、朝日に照らされて、もう起きていた。飼料と水を与えて、厩舎から出す。一緒に収容していた馬車も外に出し、厩舎を消す。
移送に関してだが、軍に部品を納品していたトラックの改造車種を使う。荷台の方がかなり高めになっているが、スロープ用の鉄板を生み出し、馬に引かせて荷台に乗せ、そのまま後部の扉を閉める。運転席から、荷台へは扉でつながっている。開け放ってアルトが顔を見せると安心したのか、近寄って来て、顔を擦り付けてくる。この辺りの車種は納品の際に、操縦も一緒に教えてもらった。民生品との共通パーツも多いので、運転に支障はない。エンジンをかけた瞬間は馬達が動揺したが、アルトが普通に接していると、落ち着いた。そろそろと発車させても、気にしない。徐々にスピードを上げるが、馬の方は落ち着いたままだ。悪路走破性能が高い為、道無き道でも縦揺れは酷いものの、時速五十キロ前後で進んでいる。二時間もすれば、王都に到着出来るだろう。ただ、途中の村でトラックを見られる訳にもいかないので、かなり手前で馬車に乗り換える必要はある。それでも、六時間から八時間で王都までは到着出来る計算だ。その後の動きに関しては、馬車に乗り換えてから詳細をアルトに説明するつもりだ。今は馬の面倒を見てもらいながら、先に進むのを優先する。
力強いエンジンの音を響かせながら、砂煙をあげて、カーキ色の車体が一路北に向けて進み始めた。