第7話 『せいぞう』に関する謎と万歳する獣
私もシャワーを浴びようと考えて、棚をスライドさせて大型モニターを露出させる。ディスクの中から、小動物の環境映像を取り出して、プレイヤーに入れる。暗かった画面がほのかに輝き、可愛らしい音楽が立体音響で車中に響く。画面には愛らしい子猫が眠りながら、空中で前脚がぴくぴくと手招きしている映像が映し出される。
「はっ!! か……可愛い……」
アルトが何かに誘われるかのようにモニターに腕を伸ばすが、モニターに阻まれる。残念とも懇願ともつかない八の字眉毛でこちらを向くが、そっとオレンジジュースを差し出す。
「動く絵のようなものです。私もシャワーを浴びてきます。その間の無聊はそちらを鑑賞して慰めてもらえますか?」
そう告げると、モニターに釘付けになったアルトが両手でグラスを受け取る。こくこくと頷き、オレンジジュースのグラスを傾けている。
床に降ろした子犬が、起きたのか、てとてとと思突かない足取りでこちらに向かってくるが、途中のアルトに阻まれる。ひゃうっと鳴くと、丁度子犬がミルクを飲んでいるシーンになった瞬間だった。アルトが画面と子犬を交互に見ると、ふわっと子犬を抱き寄せて、撫で始める。子犬も温もりが心地良いのか、そのまま身を任せている。
アルトが目を輝かせながら、画面と子犬に意識が集中しているのを確認し、まとめておいた下着とバスタオルを持って、そっとカーテンを潜る。『しらべる』でアルトを確認した際に、武器の類は装備していないのは分かっていた。ただ、車内には包丁を始め、武器になる対象がある。念の為、意識を逸らしておいた。何かの悪意を抱いたとしても、動いた際に音の響きが変わる。その時はその時で対処すれば良いだろう。この世界で唯一の知り合いだが、無条件に信用出来る訳でもない。
温度設定を少し上げて、熱めのお湯を頭から浴びる。入院してからは、病院のお風呂で落ち着かなかったし、寝たきりになってからは清拭を受けるだけだったので、何とも心地が良い。髪と全身を洗い、熱いお湯で流し終え、バスタオルで体を拭う。下着を着けてバスローブを羽織った。
アルトの分も含めて、汚れ物に関してだが、流石に洗濯機までは設置していない。
元々、忙しい合間に思索の時間を作るために別荘を購入しようと思った時に、移動が面倒臭くてキャンピングカーにしたのが始まりだ。休暇と言っても、一泊程度が限度なので、その一泊を最高の時間にすると言うコンセプトで改造してもらった。そのため、バッテリーは別に大容量の物を積んでいるし、水のタンクも容量を増やした。料理も好きだったので、ガスボンベを搭載出来るモデルを選んだ。
ふむと少し考え、『せいぞう』で同じ物を生めないかと考えると、アルトのポンチョがぽこりと増えた。見ると、綻んだ部分や擦り切れた部分なども直っている。良いか悪いかは着る時に判断してもらおうと、一旦汚れ物とタオルに分けておく。
トイレを使った気配は無いので、そっと外に出て、汚水タンクを調べるが消臭剤の香りしかしない。オレンジジュースも補充されていたので、『せいぞう』は補給されていると言うより、元に戻っているか新規に作り直されている印象を受ける。そう考えると、内装に関しても傷一つ無かったなと。
ふぅと息を吐き何気なく視線を上げると、澄んだ星空に大きな月が浮かんでいた。
車内に戻り、カーテンからそっと中を覗くと、猫の赤ちゃんがお腹をくすぐられた後に、急に手を離されて驚いている映像が流れており、アルトは子犬のお腹をくすぐり、同じように動くかを試しているようだった。子犬も律儀に手を離される度に、万歳をしている。カーテンを開けると、アルトが振り返り、みるみる頬を赤く染める。
「み……見ました?」
「何をでしょうか?」
にこりと微笑み冷蔵庫から、水を取り出し、グラスに注ぎ、飲み干す。飲むか聞いてみると、ふるふると首を振られる。グラスに注ぎ直し、テーブルに置く。アルトは子犬をひしっと抱き、撫でているが、子犬はこちらに来たそうだ。
「あの、この子犬、名前は何と言うのですか?」
「まだ、生まれたばかりで付けていないのです」
そう告げると、少し残念な顔になる。
「付けてもらえますか?」
そう訊ねると、ぱぁっと表情が輝く。うんうんと考え始める。
「可愛いので元気に育って欲しいです……。うーん、ここは、レティと言うのはどうでしょうか?」
響き的には女性のような感じを受ける。確認したが、子犬は雌だった。
「どのような意味ですか?」
「はい。狩りを司る女神様に従う狼の名前がレティケッタです。そこからもらいました」
にこにことアルトが告げる。特に名前までは考えていなかったので、良いかなと。
「では、レティと名付けましょう」
そう言うと、アルトが嬉しそうにレティ、レティと構い始める。ただ、疲れているのか、欠伸が浮かぶ。どのような生活リズムかは分からないが、普通暗くなったら寝る物かと思い至る。
「詳しい話は、明日の移動の際にでもお願いします。今日は寝ましょうか」
そう聞くと、こくりと頷く。甘い物を飲んだので、新しい歯ブラシを渡して、歯磨きの仕方を教える。
「飲み込まず、口を濯いで下さい」
そう言うと、素直に歯を磨き始める。もこもこと泡が出てくるのには驚いた様子だが、慣れた手つきで磨いている。歯磨きと言う概念はあるのかな。そんな事を思っていると、コップを傾け、ぺっと吐く。
「凄く、冷たい感じがします。こんな香草を食べた事があります」
少し興奮しながら、はーっと息を吐き、くんくんと楽しんでいる。念の為と言う事でトイレも済ませて、準備万端だ。
「では、アルトさんは上で寝て下さい。不用心なので、鍵をかけておきます。内側からも鍵はかけられますので、何かあったら叩いて下さい。私は眠りが浅いので、起きます」
そう告げながら、梯子を昇り、布団を敷く。毛布に羽根布団もあれば大丈夫だろう。エアコンも別に独立して付いている。どうぞと言うと、わくわくした顔で昇ってくる。布団にもそもそと潜り込むと、感嘆の声をあげる。
「軽いです!! それに暖かい……」
ふわふわした羽根布団の感触にうっとりするアルトにもう一つのプレゼントを渡す。天井のボタンを押すと、ルーフが開いてガラスが露出して夜空が全面に広がる。アルトは溜息ともつかない声をあげながら、夢中で夜空を眺める。寒冷地用にガラスは二重になっているので、寒くは無いだろう。
祭祀を司ると言うだけあって、あの星にはこんな意味があると説明してくれていたが、温もりが広がるにつれて、朦朧としてくる。
「では、良い夢を」
寝静まったのを確認して、鍵をかけて梯子を降りる。寝首を掻かれる訳にはいかないので、取り敢えず用心はしておく。ふと視界を下げると、床でうとうとしているレティを見つける。
「レティ、おいで」
そっと掬い上げて、ソファーにかけて太ももの上に乗せる。レティがもぞもぞとポジションを探り、安心したようにふにゅぅっと崩れて寝入る。
私は改めて書類を読み込みながら、不測の事態への対応を考え、試していく。流石に日本人に取っては眠るにはまだ早い。夜はこれからだ。
テーブルのグラスを取り、都会では遠かった窓から覗く月に杯を掲げ乾杯と独り言ちた。