第5話 お馬さんの寝床と夕ご飯
祭壇近くの草原にヘリコプターを降ろし、ローターの出力を下げていく。完全に停まったところで降り、アルトを抱える。少し恥ずかしそうに眼を伏せているが何か心境の変化でもあったのだろうか。『もどす』でヘリコプターを消すと、アルトが馬車の近くで小さな棒を咥える。顔を真っ赤にしながら息を吹き込むが、音は聞こえない。暫くすると、とすっとすっと言うリズミカルな音が響き、二匹の馬が近付いてきて、アルトの前で止まる。その首を撫でると、嬉しそうに顔を振る。
「タルト、ディン、おかえり。ふふ、こら、あまり舐めないの」
アルトが二匹の馬に触れあっているのを眺めながら、冷気に身震いを感じる。
「夜は、冷え込みますか?」
そう問うと、少し考え込み、こくりと頷く。
「この辺りは草原地帯です。風を遮る物もありません。冷え込みます」
その他、馬を捕食するような動物がいるかと聞くと、イヌ科の生き物が少数の群れを成している事はあるそうだ。ふむと考える。そろそろ十六時を超えており、空は茜に染まり始めている。
知り合いの馬主さんの厩舎を修繕したなと思いながら『せいぞう』で探すと、厩舎を発見したので生み出す。閂を開けて中を覗くと、臭いも無い。アルトに馬を引いてもらい、室内に入れる。清潔な下藁が敷かれており、奥の倉庫を開けると、飼料の袋が出てくる。バケツ一杯にいれて、柵の所に引っ掛けると、馬達が器用に首を伸ばして、ふんふんと匂いを嗅ぎ、もそもそと食べ始める。別のバケツに『まほう』の『みず』で水を生み、引っ掛けておく。様子を見ていると、しゃばしゃばと飲んで、また飼料に向かうと言う感じで、満喫している。可愛いなとアルトと覗いていると、満足したのか、下藁にころんと横になり、ポジションを調整して、口元を動かしながら、徐々に瞼を落としていった。
「安心した様子ですね。このまま寝かせてあげましょう」
「分かりました。また明日ね、タルト、ディン」
アルトに告げると、そっと頷き、ゆっくり静かに厩舎から出て、閂をかける。
再度、キャンピングカーを出し、エンジンをかける。エアコンを調整し、少し空気を暖める。
「アルトさん、お手を拝借します」
そっと右手を差し出し、タラップをエスコートする。扉を閉めて、鍵をかける。念の為、開け方はアルトに教えた。
抱えていた子犬がふんすふんすと掌の匂いを嗅ぐ。内臓が動く感触がするので、お腹が空いたのかな。昔飼っていた犬のミルクとかで良いのかと思い、パック入りの犬用ミルクを『せいぞう』で探す。便利と言うか、何と言うか。キッチンスペースに生みだし、湯煎して温める。水をあげた時に、冷えたのかお腹の調子が悪くなったし、舐めるのもまだ上手くはいかない。生後数日の子供のようだ。小さな哺乳瓶を取り出し、ミルクを入れて口元に持っていくと匂いを嗅いで、必死に首を伸ばし、ちゅいちゅいと吸いだす。掌の温もりと合わさって、リラックスした表情で、飲んでいる。
「可愛いです……」
アルトが同じようにしゃがんでうっとりと眺める。女の子は小さい物が好きだなと、軽く笑いが漏れる。それに気付いたのか、ぽっと頬を紅潮させる。
「あ、あの、その。犬。犬です。犬が好きなんです!!」
出会った時の悪感情は霧散したように、ころころと表情を変える。まだまだ子供だ、可愛いものだ。窓から入る薄暮も徐々に藍に染まっていく。十分に飲んだところでとんとんと子犬の背中を叩き、ゲップをさせる。そろそろ夕食の支度をしようかと、電灯のスイッチを入れると、ふわりとLEDの照明が灯る。アルトが驚きの顔で見上げる。
「火……の色でも無いです。でも明るい……」
説明するのが面倒なので、魔法と伝えると、少し機嫌が悪くなった。でも、ぷくりと頬を膨らませる少女と言うのも可愛いので、良いかと。
「何か、食べられない物はありますか?」
エプロンを着けながら聞くと、恥ずかしそうに苦い物は苦手と呟く。お子様な味覚なのかな。それ程手間をかけたくないと言うのもある。棚を開けるとオイルサーディンと乾燥ニンニクと乾燥トウガラシがあったので、アーリオ・オリオ・ペペロンチーノを思いつく。オリーブオイルも……あるか。
寸胴の鍋に水を入れて、沸騰させる。その間に、オイルサーディンの油を切って、ざく切りにしておく。トウガラシは種を取り、細かく手でちぎる。乾燥ニンニクはスライス済みなのでそのままで良い。沸騰した湯に塩を軽く一握り加え乾麺を投入する。パスタのサイズは何種類か用意しているがフェデリーニ(太さ1.4mmのパスタ)辺りの細いパスタが望ましい。ここからは時間との勝負と言う事で、フライパンに多目のオリーブオイルを注ぎニンニクとトウガラシを投入し加熱する。刺激的な香りが上がり、ぷつぷつと気泡が生まれるのを見ながらざっとニンニクが狐色になるまで炒める。皿にはゆで汁を注ぎ、温めておく。良い色合いになったタイミングで、ゆで汁をフライパンに注ぎ、揺すって乳化させて、とろりとした瞬間に、ザルに開けたパスタを投入し、強めに揺すって空気を含ませる。ふわりとソースが絡まったところで、皿をお湯で流し拭いた上にトングで捩じりながら少し山になるように盛り付ける。
「さぁ、食べましょうか?」
テーブルを引き出し、向かい合わせに椅子に座る。銀製のフォークをナプキンの上に乗せて置き、グラスにグレープフルーツジュースを注ぐ。ちなみにオレンジジュースは元に戻っていた。
アルトはフォークをしげしげと眺めている。
「何か、問題でもありましたか?」
「いえ。このような食事の道具と言うのを始めてみました……。普通は匙と串です。それに綺麗な金属ですね」
「なるほど。ありがとうございます。それ、銀ですね」
何気なく呟くと、ぎょっとした顔が返ってくる。貴金属で道具を作るのは酔狂とか考えているのかな。そんな事を考えながら、くるくると巻き上げて、口に運ぶ。もう長く、流動食の生活か点滴の生活だった為、脳の芯が痺れる程に美味しい。あぁ、またこうやって食事が食べられるとは。鰯のほろりとした食感と、乳化した若干とろみを感じさせる滑らかなソースが官能的に舌の上で躍る。
アルトの方はどうもパスタを食べるのが初めてのようで、こちらの食べ方を見様見真似で、はむりと頬張る。その瞬間、笑み崩れる。
「塩の味……それに魚の香り、香草とひりっとした辛み。それに、この長い食べ物も小麦の香りがします!! 贅沢です。美味しいです!!」
そこからは、巻き上げるが早いか、ぱくぱくと食べ進める。眺めていて気持ちの良い食べっぷりだった。私も食べられる量は少なめだったが、久方ぶりの食事に満足出来た。食べ終わったアルトが口を開けて放心している隙に、食器類を回収し、洗い物まで済ませてしまう。
「さて、色々ありました。今日はお疲れでしょうから、シャワーで汗を流して、お休みになりますか?」
そう聞くと、くてんとアルトが首を傾げる。
「あの、先程もお聞きしたかったのですが。シャゥアーとは何ですか?」
ふむ、根本的な問題はそこだったか。