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第36話 闇の中に解き放たれた獣

「あまりに早いのではないか? この人数なら一日半もあれば、現場には着くだろう」


 馬車に乗った観戦武官が大声で叫ぶのをレーディルが押さえているのが見える。


「あれ、いるのか? 士気が下がるぞ?」


 ティロがこそりと呟くのに、そっと返す。


「敵軍が逃亡する姿を報告してもらう必要があります。きちんとした人間が報告しないと誰も信じないでしょう」


「確かにな……この姿を見ればな……」


 そう告げるティロもそうだが、全員が軽装に最低限の小剣や弓を持っているだけで、後は荷車に積まれた壺しか見えない。初めてこの状況を見た観戦武官は壺の中身も確認せずに切れたので、詳細は説明せずに安全圏に退避しておいてもらうという話になった。


「しかし、良いのでしょうか。そもそもこの中身は……」


 話が決着したのか馬車から降りて来たレーディルが壺を指さしながら言う。


「今の道具でも作る事が出来る物です。怪しまれる事も無いでしょう。それに本番は夜です。我々が離れた後はお願い出来ますか?」


「はい。夜襲での解決を計画しているとは伝えました。しかし、信用は……」


 まぁ、百にも満たない人数で五千に夜襲をかけても、鎧袖一触で潰されて終わりだろう。私でもそう判断する。


「その思いを覆せれば……報告にも真実味が生まれそうですね」


 私がそう告げると、レーディルとティロが顔を見合わせ、大声で笑い始める。


「そうですね」


「違いねえ、しっかし、こんな策とはな」


 壺をぱしぱしと叩きながら、ティロが唇をくいっと引き上げる。


「まぁ見てろ。きちんと足の代わりは勤める」


 ティロが呟いた瞬間、前方から声が上がる。本日の野営地点に到着したらしい。天幕を張るのは、観戦武官とレーディル達に任せる。アルトと観戦武官と一緒に着いてきた御付きの人間は食事の用意を始めている。


「では、武運を神に祈ります」


 レーディルの言葉にそっと手を挙げて答える。辺りは夕陽の灯り赤く染まり始めている。ふと、目を凝らすと、訓練の日々を経た皆が笑うさまは獰猛でまるで血で血を洗った獣を錯覚させるようだった。


「しっかし、ただの何でも屋が、変わったな……」


 にやにやとティロが口を開くのに合わせて、私も口を挟む。


「訓練を経れば自信も生まれます。それが無ければ、戦地で待つのは骸を晒す未来だけです」


 ふわっと浮かんだ、死屍累々のビジョン。あの時、どれだけの人間が訓練を自信に変えて戦地に赴けたのか……。そんな思いを頭を振ってねじ殺す。


「違いないか。おい、お前ら!! 出番だぞ!!」


 その言葉に、おうと答えた皆で戦列を組み、荷馬車を引き始める。馬は途中で置く。ある程度観戦武官から離れれば、ドローンでの偵察も可能だ。今は、とにかく距離を稼ぐ。


「では、行ってきます」


 誰とも問わず呟き、戦列は前に進む。一時間程進み、辺りが宵闇に沈んだ頃に、小休止を挟む。その際、個々人に装置を配っていく。


「しっかし、夜も見える道具たぁ。便利だね」


 ATN PVS14。サバイバルゲームの時に社員が持ち込んだデジタルナイトビジョンには驚いた。灯りの無い空間でも赤外線と増幅器の取り込んだ情報をデジタル処理して映し出す画像には寒気すら感じた。こんなものが通信販売で買えるんだから、世の中は怖いなと呆れはしたが、この世界では大きな力だ。


「人は闇を駆逐したがるものですよ。皆さん、少し下がって下さい」


 そう告げて、ドローンを紙飛行機のように飛ばす。これもサバイバルゲーム用に購入したが、音でばれると言う事で早々に封印された物だ。手元のタブレットに送られてくる映像を元に、飛行させていると、五キロ程の距離に野営をしている集団を発見した。


「これ……ですね」


「何度も見ているが、未だに信じられないな……。これが鳥の目か」


 訓練の際に何度も聞いたティロの軽口を流して、戦列の後方へ向かって操作をする。


「あぁ、あった。この辺りの天幕が集積しているのが、食料や水、予備の装備でしょう」


 暗闇の中、ぼおっと浮かび上がるタブレットの映像に皆が、獲物を前にした狼のような飢えた笑みを浮かべる。


「林の中ですし……歩哨も最低限ですね。兵よりも先に食料を狙うとは思ってもみないんですね……」


「あの人数なら、守れるって過信しているんだろうよ」


 ティロの言葉に、皆が頷く。どうもこの世界、食料は財産というイメージが強すぎて、火計とかの発想が全くない。勝てば奪える物らしい。輜重隊に関しても、警護に関しても杜撰だ。そもそも最低限の食料しか用意しないし、飢えても上層部は知らぬ顔らしい。レーディルでも、潤沢な補給線を用意しようとして王とやりあったのは数えきれないというから、下の兵士にしてみれば大変だろう。


「これだけの食料を再度用意するのは無理だという認識で良いでしょうか?」


 ここに至って最終確認を行う。


「レーディル様が仰っていた通り、五千からの食料だ。あっちも余裕がある訳じゃない。帰り道分も含めての量ってのは見ても分かる。これさえ無くなれば……」


 ティロの言葉に、力強く皆が頷く。


「では、皆さん集まって下さい」


 ドローンを戻す間に集合してもらう。


「現在地がここです。私達は沼地を避けて大回りにこう進みます。そうすれば、敵軍の後方に当たります。丁度糧秣の集積地ですね」


 首を上げて、壺の方を眺める。


「そこで、荷物をばら撒き、逃げる。簡単なお仕事です。訓練通りやれば、死人も出ないでしょう」


 そう告げると、笑いがそこここで起こる。


「それまでは、重いかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」


 流石に壺を用意せずに作戦を説明するのは無理だったので、用意した。これを消して、現場で再度出すというのも手ではあるが、そこまでやってしまうと、どこまでも便利使いされそうなので諦めた。期待に満ちた目が、常闇の林、人の気配を感じてひっそりと沈む昏い混沌の中で爛々と輝く。


「さぁ、始めましょう。五十が五千を凌駕する戦争という物を」


 そう告げた瞬間、皆が歴戦の勇士の如く、壺を抱え、美しい隊列を組む。


「行くぞ、てめえら!!」


 ティロの叫びと同時に、戦列は生き物のようにしなやかで、美しい疾走を始めた。

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