第12話 王都の状況
そこからの襲撃は無く、小一時間ほど馬車を走らせると、無事に王都の壁が見えてきた。盗賊も待ち受けるのにコストがかかる。獲物を吟味した上で先回りして確実に襲撃した方が飢饉の際には有効だろう。ちなみに馬に関しては、知らない馬でしかもこの馬車では御しきれないと言う事で、そのままにしておいた。留めてはいなかったようなので、野生で生きていくだろう。
また、アルトは殆ど顔を知られていない、というよりも城の中でしか生活していないと言っていたので、少しキャラクターを作ってもらって王都に入り込む事にした。
「そこの馬車、ここで止まれ」
門の前では、何組かの旅人が並んでおり、その最後尾に付いていたが、一時間もしない内に順番が回ってきた。
「こんにちは。初めまして。魔法使いのアキと弟子のアリーと申します」
「ふむ。馬車も立派だし、えらく小奇麗だな。歳を見ても高名な魔法使いなのか?」
他の旅人には居丈高に振舞っていた警護の兵が比較的ましな口調で聞いてくる。
「高名と言う訳では無いですが、年齢が年齢です。一通りは何でも出来ます」
「ふむ、身分を証明出来る物の提示と来訪理由を聞いても良いかな?」
「元々は東のテーユエイアより旅を続けておりましたが、二月程前の村の宿で油断しまして。荷物を盗まれました。旅の目的は、元々どこか住みやすい場所での定住を考えていましたので、その調査です」
「またえらく遠いな。しかしそうか、それは災難だったな。定住を目的をしていると言う事はどこかで魔法使いとして働くのか……。水は使えるのか?」
水? アルトとの想定問答でも無かったな……。身分を証明するものが無くても、保証金を支払えば、通してもらえるという話だったが……。まぁ、有用な人材と言うのは見せておいた方が良いか。
「はい。可能です」
そう告げて、左手を馬車の外に差し出し、『まほう』で水を止めどなく生み出す。
「おぉぉぉ。もう良い。勿体無い。いや、最近この都の水脈が汚れたようでな。井戸が濁っている。真水を生み出せる魔法使いはどこも求められているのでな。王城への仕官も今なら比較的容易だと思うぞ」
先程までの少し慇懃な笑みから、柔和な笑みに変わると、嬉しそうに言う。
「いえ。宮仕えは懲り懲りです。酒場か食堂で水を生んだり、火種を管理している方が楽でしょう」
「そうか……。まぁ、歳が歳か。弟子の方は何か出来るのか?」
そう聞かれた瞬間、アルトが小さくびくっと震えるが、笑顔で馬車で隠れた場所から手を握る。
「いえ。まだ何も。どちらかと言えば、身の回りの世話をしてもらっています」
「なるほど。まぁ、未来の魔法使いも一緒ならば、町としてもありがたかろう。今回は保証金で良い、文字は書けるか?」
「はい。大丈夫です」
翻訳は読みだけではなく、書く方にも適用されているのはアルトと確認した。
「では、保証金は一人五千タルなので、二人で一万タルだな。また、旅立つ際に今回の保証書と引き換えに返却する。もし町で問題を起こした場合は、保証金の方から補填するのでそのつもりで」
ふーむ、物価差を考えれば日本円で五十万円か……。まぁ、信用が無い状況ならしょうがないかな。そう思いながら、偽造した千タルの札をざらりと十枚手渡す。向こうの保管用と私の分の保証書にサインをして、保管用を渡すと警護兵が確認を始める。
「ふむ、アキとアリーだな。通って良し」
馬車の前を塞いでいた兵士が退くと、アルトがゆるりと馬車を走らせ始める。壁の奥に進んだ瞬間の印象は、淀んだ空気と排泄物の匂いだ。辛うじて馬車が行き交う道幅はあるが、舗装はされていない。また、建物の前には糞尿が堆積している。建物の壁にでろりと糞尿が流れた跡が見えるので、おまるか何かで排泄をした後は、そのまま道路に投げ捨てているのだろう。絶対に町中では怪我は出来ないな……。破傷風になりそうだ。抗生物質は一通り『せいぞう』で生み出せるので、感染しても心配は無いが、潜伏期間と予後に動けない状況を作るのは望ましくない。
「では、宿に向かいます。馬車が預けられる一番ましな宿で良いんですね?」
「はい。お願い出来ますか?」
馬も馬車も身分を特定出来る物ではないらしい。そこまでして徹底的に身分を隠すというのも変な話だとは思っている。そのまま大通りを真っ直ぐ進み、城と呼ばれる建物が見えそうな場所まで来ると、比較的太い道を曲がり、大きな建物の前で速度を落とす。建物の横の通路を馬車のまま進むと、草が生えただけの庭に出る。片隅に厩舎と思われる建物が建っており、そこの横に馬車を停めた。
「では、馬を外します」
アルトが言うので、その前にひょいと飛び降り、アルトをエスコートする。その姿を見たアルトが若干頬を赤らめていたが、こういう行為が恥ずかしい年頃なのかと思いながら、体重を支えた。馬の手綱を厩舎の柵に縛り、横に置いていた桶に水を生んで濯ぎ、馬の前に置いてなみなみと水を生むと、嬉しそうに二匹が飲み始めた。
「餌も自分で購入してきて世話をします」
宿が貸すのは場所だけかと思いながら見ていると、アルトが布で馬の体を拭き始めた。私は、昨晩見つけた飼料を『せいぞう』で生み出し、違う桶に入れて渡すと嬉しそうに食べ始めた。
「ふふ。良かったねタルト、ディン。今日はご苦労様」
アルトが微笑みながら、揉むように体を体を拭っていると馬達がぶふるんと嬉しそうに嘶き首を回して舐めようとするが、ひゃーっと叫んでアルトが逃げる。そんな仲の良い風景を暫し眺めていた。
「では、宿に向かいますか」
アルトの言葉に頷き、庭を抜けて、正面に出る。扉の上にはベッドのような意匠の看板が飾られている。扉を押し開けると、すぐにフロントが見える。横は食堂と厨房になっているのか、ほのかに調理している香りが漂ってくる。
「お泊りですか?」
フロントの人間が、聞いてくるので、保証書を差し出す。
「三日ほどの宿泊を考えています。一番良い部屋でお幾らですか?」
「アキ様とアリー様ですね。一番良い二人部屋となると、食事無しで一泊四百タルですね。三泊なら千二百タルになります。夕食を付ける場合は一泊お二人で百タル増しです」
ツインで一泊二万円か。良い宿で一番ましな部屋だとしょうがないのか。食事が二千五百円。ちょっとしたコース並みか……。
「食事は後でお願いしても良いですか?」
「はい。ただ、厨房も閉めますので、日が暮れる前にお教え下さい」
「分かりました。では、三泊分前払いで」
そう告げて、千二百タル分の木貨を支払い、保証書を返してもらう。鍵を預かり、階段を登って部屋番号を探す。扉の前に南京錠が付いており、それを開けて部屋に入って後悔した。
「ん……」
アルトでさえ顔を顰めるすえた匂い。一見、ベッドは清潔なシーツを敷いているようだが、下の布団を剥がすと、腐った藁から若干水分が出ている。また、トイレも無く、部屋の隅に置かれたおまる。これが一番ましな部屋か……。扉の方も内側に南京錠を付ける場所はあるが、とてもじゃないが心許ない。
「アルトさん、この宿は信用出来ますか?」
「はい。大きな商人が使っている宿なので、信用は出来ると思います」
しかし、このベッドで眠るのはちょっと嫌かな。
「王都の周辺で、隠れる場所はありますか?」
「少し歩けば、東側に林があります。動物も住まないと聞いていますので、人は寄りません。木々ももう疎らになっていますので、ある程度の場所もあるでしょう」
どうも薪炭木として伐採していたが、若木ばかりになったので、放置されている林らしい。主要道路は一旦南に下らないと無いので、人の出入りは無いらしい。
「ふむ……。そこに昨日のキャンピングカーを出して寝ますか。形跡を残すのと、馬を泊めるためにここはこのまま支払っておきます」
「分かりました」
「では、向かいましょうか」
そう告げて、徒歩で門の方に向かう事にする。健康な時にジョギングを欠かさなかったので、別に歩く事に苦労はない。そのまま三十分ほど歩いて門まで辿り着いた。