第1話 大往生と思ったら、新たな人生の始まりでした
暗闇の中を永く揺蕩っていた気がする。もう、肉体の感覚も無い。あぁ、命が尽きるのかな、そう考えると、今までの思い出が闇の空から煌きながら無数に降り注いでくる。会長を辞した時、息子に社長を譲った時、会社を興した時、動員されて戦地に赴いた時、妻に初めて出会った時。どんどんと過去へと戻っていく。あぁ、このまま最後まで降り終えたら、私と言う存在は消えるのかな。そう思った瞬間、川縁の映像が目の前で固定される。あれは、十歳くらいの頃か。近くの川でよく遊んでいた……。
「やぁ、久しぶり」
ひょこりと川縁の映像から少女が片手を付きながら、ひょうと飛び出してくる。これも妄想なのかな、それにしては鮮やかだ。あぁ、懐かしい。子供の頃、一緒に遊んでいた子だ。名前は……。
「つっちゃん……」
「えへへ。覚えてくれていたんだ」
向日葵のような輝かしい笑顔。懐かしさと共に、ほんの少しの寂寥を感じる。
「千沙が迎えに来てくれると思ったけど、君なのかい?」
もう十五年も前に死に別れた妻の名前。いつも澄ましていたけど、笑うと本当に華やかな印象を与える、私の大切な人。大切だった人。
「あれれ。死んじゃった方が良いの?」
少女がこくんと首を傾げる。
「これって、走馬燈の最中じゃないのかい?」
私が問うと、けらけらとあの頃そのままに笑いだす。
「違う、違う。ちょっと君にお願いがあってね、大沢敏明君」
名を告げられた瞬間、朦朧としていた意識が鮮明になる。目の前の少女がほっと息を吐く。
「ふふ。大分意識が拡散していたけど、大丈夫みたいだね」
「つっちゃん……君は?」
「私の名前は、川部津門比売。まぁ、八百万の集合体の一柱になるのかな」
「神様……なのかい?」
そう問うと、また首を傾げる。
「世界と言うシステムの管理者の一端末と言った方が正しいかな。まぁ、神様で良いよ」
神道で死んだ時ってどうなったかと思い出してみるが、いまいち記憶が薄い。
「お願いの内容なんだけどね。出来れば君に、世界を掻き回して欲しいんだ」
ふと考え込んでいる最中に物凄い事を言われた気がする。
「世界? 掻き回す?」
「うん。今、時間を一気に加速させている。宇宙は止め処なく拡散し、熱も時間も存在しない無になる」
少女が腕を広げると、スクリーン状に闇が広がる。
「私達は概念だからね。こうなると、存在も出来なくなっちゃう。だから、もう一度、圧縮して、爆発させた」
スクリーンの中で、何かが一点に集まり、花開くように破裂する。
「ビッグバン……」
「ふふ。ここからの流れは過去と同じ。ただ、同じ世界を作ると言うのも面白くなかったので、一つ付け足してみた」
少女が手を開くと、ぽふっと火種が生まれ、丸く浮く。
「魔法、君達が考えた願いの結晶、夢の欠片。でもね、これに頼って、人間が進化しないんだ」
「人間は……いるのかい?」
「その辺りの環境と進化は同じ流れだよ。君のいた地球と全く同じ組成で惑星も作った。進化の流れも一緒。遺伝子も同じさ」
少女がにこりと笑う。
「信仰と言う意味では、このまま流れていってくれても良いんだけど、早晩人間が滅びそうでね。ちょっと別の因子を足そうかって話になった」
「それが、私?」
「うん。現実主義の人たらし。君のあだ名だよね?」
そう言われた瞬間、渋面を浮かべたのが自分でも分かった。
「よしてくれ。それは会社時代の話だよ」
「昔から見ていたからね。リタイアしてから君が凝っていたゲームのように、勇者となるも良し、賢王となるも良し、魔王となるも良し。世界をとにかく引っ掻き回して欲しい」
「ふーむ……。私じゃないと駄目なのかい?」
「君じゃ無くても良いけど、君が適任だと思っているよ。まぁ、気楽に楽しんできたら良いさ。儲け物程度のつもりでね」
にこりと少女が笑う。
「つっちゃん……。その強引なところ、変わらないね……。はぁ、千沙に会えるのはまだまだ先かな」
「ふふ。その気になった?」
「昔から、つっちゃんの願いは断れなかったからね。いつもそうだったじゃないか。で、引っ掻き回すのは良いけど、何かバックアップは望めるのかな?」
「そりゃそうさ。こちらがお願いする立場だしね。ほい、これ」
ばさりと、端を大きなクリップで止めた書類の束を渡される。会社の書類じゃ無いんだから……。ぱらりとめくると、ゲームの説明書のようで思わず噴き出してしまう。
「おいおい、こりゃ……。なんだい?」
「んー。いきなり全能なんて渡されたって、使い方に困るだけかなって。君の大好きなゲームに因んで作ってみたけど」
「『しらべる』とか『せいぞう』とか……。これじゃ、大昔のゲームみたいだ。はは、もうこの時代、バーチャルリアリティの世界に突入しているのに」
「むー。インターフェースは分かりやすいのが命じゃないか。それに君も好きだろ? 大昔のゲームが」
「あぁ、わくわくしたのは昔のゲームだね。あまりリアルなのは想像力の入る余地も無いし。ちなみにコミュニケーションは?」
「こちらで仲介して、言語を翻訳、通訳する。そこは『はなす』と思ってくれたら良いよ」
悪戯っぽい顔で少女が笑う。それに釣られて、こちらも笑ってしまう。新しい言語を一から覚え直すのはそれなりにきつい。
「例えば、この『せっけい』って何だい?」
「『せっけい』と『せいぞう』は対だね。『せいぞう』は今まで君に関わった物質を作り出す事が出来る。『せっけい』は新たに知識を得れば、それを『せいぞう』で生み出せるよ」
書類の中には他にもコマンドが大量に記載されている。すぐに覚えきるのは不可能だ。
「私が関わった? ふーむ。この説明書は持っていって良いのかい?」
「と言うより、記憶に刻んでおくよ。読む方が君の好みかと思って出しただけだし。全能は追々ね。後、流石に死ぬ時は死んじゃうから。それだけは気を付けてね」
「魔王としての最期は、勇者に討たれる、かい?」
「君が望むならね。さぁ、そろそろ時間だ。享年九十歳の大沢敏明はここで未来の地球に降り立つ。用意は良いかい?」
「ねぇ、君と話をしたい時は?」
「神使を一匹つけておく。そいつ自体には何も力は無いけど、座標の特定は出来るから、話しかけてみて。ちなみに、結構力を使うから、なるべく自分で頑張ってね」
「分かった」
頷き動こうとする少女を、老いさらばえ、細木のようになった腕を上げて、制する。
「最後に。出来れば千沙に伝えて欲しい事がある。神と言う事は根の国もあるんだろ?」
そう告げると、少女が少しだけ切ない顔になる。
「なんだい?」
「もう少しだけ待って欲しいと。必ず、逢いに行く」
「ん、分かった。じゃあ、良いかい?」
「良いよ」
そう告げた瞬間、視界が、意識が白く塗りつぶされていく。ふと消え行く意識の端で呟きを聞いた気がした。
「……根の国なんて無いさ。物質も思いもエネルギーの流転。全は個、個は全。思いも拡散し、再度収束する。出会えると良いね。君の……」
そのまま、意識が白く霞み、飛んでいった。