隣の席に蛤
教室に入り、自分の席まで来たところで、俺は異変に気付いた。
俺の隣の席には、基本的に誰も座っていない。
確かそこは浜口という奴の席なのだが、ソイツは所謂不登校だ。
別にイジメを受けてはいないし、大きな怪我も病気もしていないのに、学校に来ていない。
理由は知らないが、俺は勝手に『ヤンチャしたいだけなんだろうなー』と思っている。
で、その浜口の席の机の上に……見慣れないものが乗っかっていた。
「これは……貝?」
二枚貝だ。
もしかしなくても、二枚貝だ。
俺は貝に詳しいわけではないので種類は分からないが、とにかく二枚貝だ。
不登校の生徒の机の上に、二枚貝が置いてある。
俺は教室内をキョロキョロと見回した。
誰だ!
誰だこんな意味不明なイタズラしたのは⁉︎
普通この手のイタズラするなら、不謹慎だけど花瓶とかだろ⁉︎
それがなんだ、なんで二枚貝⁉︎
シュール過ぎてちょっと笑いそうになったじゃねえか!
見回したところで、誰がこの愉快な現象の犯人なのかは分からない。
とりあえず俺は自分の席に着いた。
だが1限目の準備をしている間も、俺の頭は二枚貝の事しか考えられない。
チクショウ、なんかジワジワ来る……!
本当、なんで二枚貝なんだ意味分かんねえ。
ここで俺はふと違和感を覚えた。
この二枚貝……こんなに存在感を醸し出してるのに、なんでクラスメイトは全員ノータッチなんだ?
おかしいだろ、こんなにジワるんだぞ?
何人かはこれを見て口元を押さえてるのが普通じゃないのか?
「よう、元気か?」
「え? ああ、まあ」
そんな一筋の疑問が浮かんだ時、仲の良いクラスメイトが話しかけてきた。
「昨日のドラマ見たか?」
「見たぞ。結構面白かった」
「だよな〜! まさかあそこであんなどんでん返しがなあ!」
まあ……いいか。
多分全員既に飽きたか、敢えてのノータッチなのだろう。
そう自分を納得させ、テレビの話題に花を咲かせようと思った時……事件は起こった。
「いや〜凄かったな! 蛤もそう思うだろ?」
「……ン?」
俺は金縛りにあったかのように硬直した。
なんて?
今なんて言った?
『…………』
「だよな〜! あんなの誰でもびっくりだよな〜」
「……ンン?」
ちょっと待て。
今コイツ誰と会話した⁉︎
「あとさ、最後のクライマックスの部分とか。あそこも凄かったよな!」
「あ……ああ、そうだな」
いや、俺の気のせいだそうに決まってる。
絶対そうだ。
浜口なら知ってるけど、ハマグリとかいう奴知らねえもん俺!
気のせいだ気のせ——
「なあ、蛤もビックリしたよな⁉︎」
「ちょっと待てえぇーーーーい‼︎‼︎」
俺は机をバチンと叩きながら、声を張り上げて立ち上がった。
「うおぉ⁉︎ どうしたんだよ急に。ビックリするだろ?」
「ホントだよ‼︎ こちとらビックリだよ‼︎」
俺の大声のせいで視線が集まってくるが、そんな事今はどうでもいい。
「確認するぞ? 今会話してたのは何人だ⁉︎」
「何人って……3人だろ?」
「サンニンッ‼︎」
俺は再度机を叩いた。
訝しげな視線がエグい事になってるが、今の俺は気にしない。
「じゃあその3人って誰だ⁉︎」
「ええ……誰ってそりゃあ、まず俺だろ?」
そう言って彼は自分を指差す。
「で、お前だろ?」
次に俺を指差す。
「で……」
そして、机の上の二枚貝を指差した。
「蛤」
「ハマグリッ‼︎」
思わず両手で机を思い切り叩いた。
何言ってんのコイツ⁉︎
さてはこの二枚貝の犯人はお前か‼︎
「おい、今日のお前変だぞ」
「変⁉︎ 俺が⁉︎」
「だっていつも俺たち3人で喋ってるだろ?」
「いやいやいやいや何を言い出すんだコイツは‼︎」
彼は心底心配そうな目で俺を見ている。
逆だかんな⁉︎
心配されるべきはお前だかんな⁉︎
「なんだなんだ、さっきから見てれば」
俺達の様子を見かねた他のクラスメイトが、動揺しつつ仲裁に来てくれた。
おお、頼む救世主!
あの男の目を覚まさせてくれ……!
「悪ふざけが過ぎるぞ、お前!」
救世主はそう言い、俺の方を見た。
俺の方を——
「……俺⁉︎」
「だってそうだろ! 蛤とお前等2人は仲良いじゃないか。それをさも蛤なんて知らないかのように振舞って」
「待って⁉︎ 話についてけない‼︎」
とうとう俺は頭を抱えてうなだれ始めた。
よくよく見ればクラスメイト達も、さも俺が間違えているとでも言いたげなオーラをバンバンぶつけてきている。
俺なの⁉︎
俺が間違ってるの⁉︎
俺はいつ蛤と……この際種類とかどうでもいいけど、コレと友達になったんだ……⁉︎
何コレ怖い‼︎
某特番みたいになってんだけど⁉︎
今にもあの不協和音が聞こえてきそうだよ‼︎
「騒がしいぞ。チャイム鳴ったから席につけー」
俺のSAN値が限界突破寸前のタイミングで、先生が教室に現れた。
クラスメイト達は、ワラワラと自分の席へと戻っていく。
良かった……ひとまず助かった!
あの異様な病気空間から解放された!
ホッと胸を撫で下ろすと、思考がクリアになってきた。
ハハーン、分かったぞ。
さてはクラスメイト全員で俺を嵌めたな?
なら誰も蛤にノータッチだったのにも納得だ。
なんだ、分かってしまえば下らないったらない。
教卓の前に立ち、先生は黒板を見ながら言った。
「よしじゃあ号令。日直は……蛤か」
「⁉︎」
俺の体は、本日2度目の金縛りにあった。
黒板の日直欄をよく見ると、確かに蛤と書いてある。
『…………』
クラスメイトが全員同時に立ち上がった。
金縛りを自力で解き、俺もなんとか立ち上がる。
『…………』
そして、また全員同時に着席した。
なんだ、これ。
俺には号令なんて聞こえなかったんだが……。
まさか蛤が号令してたとでもいうのか……⁉︎
「? どうした、早く座れ」
「……ハイ、スンマセン」
先生は棒立ち状態の俺を着席させ、いつも通りの授業を始めた。
俺の耳にはそんなもの入ってこない。
タ○さん、見てる……?
俺、あなたがストーリーテラーやってる物語の主人公になったよ。
気分?
どうにかなりそう。
授業を聞かず灰になっていると、教室内がざわつき始めた。
ハッと我に帰る。
地震だ。
しかも結構揺れてる。
「これちょっとヤバくないか⁉︎」
「うお……立てねえ!」
「落ち着け! 机の下だ! 下に隠れろ!」
パニックになりかけた生徒達に、先生は冷静な指示を出す。
俺もなんとか机の下に隠れた。
少しして、揺れはおさまった。
今の震度いくつだ?
かなりのもんだったな……。
「た……大変だー‼︎」
突然、クラスメイトの1人が大声をあげた。
視線がそちらに集中する。
「どうした⁉︎」
「は、蛤が……‼︎」
俺はまた固まりかけたが、なんとか堪えた。
耐性がついたのだろうか。
「蛤が大怪我を負ってます‼︎」
「何⁉︎」
クラスメイトはざわついた。
お、大怪我……?
俺には蛤が揺れのせいで机から落ちて、殻にヒビが入ったようにしか見えないんだが。
「落ち着け! オイ、誰か保健室に連れて行け‼︎」
「……頼む」
「俺⁉︎」
クラスメイトは俺に視線を向けた。
連れてくの?
俺が?
蛤を保健室に……?
「モタモタすんな‼︎ 事は一刻を争うんだ早く行けぇ‼︎」
「ハ、ハイ!」
先生の一喝に、俺は反射的に蛤を掴んで教室を飛び出してしまった。
「任せたぞ!」
「頼んだからな!」
クラスメイト達はそんな声を俺にかける。
「……おう」
俺はそう返事する事しか出来なかった。
フラフラとした足取りで、蛤を持ったまま保健室に向かう。
何やってんだろう俺。
「…………」
途中、窓が開いている場所で立ち止まった。
風が心地よい。
「……もう、終わりにしよう」
俺は蛤を持つ方の手を振りかぶり、全力で振り抜いた。
ここは2階である。
俺の手を離れた蛤は宙を舞い、小さくなって見えなくなった。
俺はなんとなく、敬礼の姿で蛤を見送った。
無心で教室へ戻り、ドアを開いた。
「あれ? お前どこ行ってたんだ?」
「……便所っす」
俺もクラスメイトも先生も、何事もなかったかのように授業を再開した。




