土下座する
一週間後、約束通り工務店に設計図を確認しに行くと、瑠璃も納得の設計図ができあがっていた。
いや、満足どころか、設計者の気合いの入りようが設計図から滲み出てくるような細部にわたるまでの凝りよう。
正直、要望以上の出来栄えだった。
こうして形になってくると現実味が増してきて、一段と気合いも入るというもの。絶対に完成させてやると意気込みつつ、着工が始まった。
建物の建設は本職の人に任せたので瑠璃にはすることはない。時々様子を見に行くぐらいのものだ。
しかし、温泉完成のためにはしなければならないある大きなことがあった。
そう、それは温泉そのもの。湯が湧かなければ湯に浸かるどころではない。
温泉を作るために必要なのは、水と地と火の精霊の力。
水はリンが、地はカイが、そして火は……。
別に火の精霊ならどの子でもいいらしいのだが、最高位精霊であるリンとカイと力を合わせるなら、同じ最高位精霊の方が都合が良いらしい。
そう聞いて、瑠璃は憂鬱になりながらひー様の元を訪れた。
第一区の一室に用意してある部屋にひー様はいた。普段は城内を歩き回り女性達に声を掛けたり、ペンギンの姿が竜族の女性に人気だと知ると、用事もないのに練り歩いては女性にキャアキャア言われるのを楽しんでいたりする。
今は部屋で大人しくしているかと思いきや、数人の女性を部屋に連れ込みお酌をさせていた。
獣王国でも竜王国でもひー様は変わらない。この女好きが! と罵声を浴びせたいところだが、今は温泉に力を貸して欲しいという願いがあるので下手に出る。
ひー様の前に正座して両手を前についた。土下座のポーズだ。
「何のつもりだ、小娘?」
「ひー様にお願いがありまして……」
「却下だ。何をずうずうしくも私に頼み事などしようとするのか。身の程を知れ、小娘」
取り付く島もない冷たい言葉。しかしそんなことでめげる瑠璃ではなかった。もう夢の温泉が目の前にあるのだ。へこたれている場合ではない。
「実はこの王都に温泉を作りたいの。
水と地と火の精霊の力で作れるんだってリンとカイとが手伝ってくれるみたいだから、あと一人火の精霊が必要なのよ。お願いします! 手伝って下さい」
「嫌だ」
考える余地すらなく即答。さすがの瑠璃もへこたれてきた。
しかしまだまだ。
もう瑠璃など興味ないと言うように視線を向けず、女性達にお酒を注がせようとしているひー様。
「あっ、お酌なら私がしようか?」
テーブルの酒瓶に手を伸ばすが、触るなと言うようにその手を払われる。
さすがに瑠璃もむっとする。
「お前に注がれたら酒がまずくなる」
「そんな意地悪言わないで手伝ってくれても良いじゃない。どうせ暇なんでしょう?
完成したらひー様に一番風呂入らせてあげるからー。ねえねえ」
「私は忙しい、そんな暇などない」
どうせ女の尻を追っかけ回しているだけだろうに。
ここは少し攻める方向を変えてみることにした。
「温泉は美容にも良いんだから。きっと女性がこぞって入りに来るはず。そしたらそんな温泉を作ったひー様のことを女性達がありがたがると思うんだよね。
きっと今よりモテモテになっちゃうかも」
ピクッとひー様の頬が動いた。これは好感触かもと、畳み掛ける。
「ねえ、あなた達だって温泉は入りたいよね?」
瑠璃はひー様の側にいる女性達も巻き込んだ。
話を急に振られて驚いたようだが、瑠璃が必死であることは理解できたのだろう。察しの良い彼女たちは瑠璃の味方になってくれた。
「そうですね、湯に浸かるという経験はございませんが、美容に良いと聞かされると興味があります。
一度入ってみたいものです」
「温泉を作られるのですか?
そのようなことまでお出来になるなんてさすが火の精霊様ですね。尊敬いたします」
「ええ、本当に。」
全員でひー様をよいしょし始めると、表情が変わっていくのが分かる。
瑠璃には手厳しいが、他の女性からしたらチョロい男、それがひー様である。
「そうか」
考える素振りをしたかと思うと、瑠璃に視線を向け「そこまで言うなら仕方がないから手伝ってやろう」と言質を取った。
よしっ! と心の中でガッツポーズをする。
そして、一番の功労者である女性達に言い表せないほどの感謝を告げる。
「ありがとうっ!」
「後で肉球を触らせてくださればそれでもうかまいませんよ」
手をわきわきとさせる女性。
どうやら例に漏れずもふもふ好きらしい。しかしそんなことでこのお礼ができるならばお安いご用だ。
このまま素直に手伝ってくれる。だが、そうは簡単にいかないのひー様であった。「ただし、条件がある」と言いだしたのだ。
「条件?」
「娼館に行ってみたい」
「…………は?」
「娼館に行ってみたいと言ったんだ、耳が遠いのか」
「娼館って、あの娼館?」
「娼館以外にどの娼館があるのか知らないが、娼館は娼館だ。そこに私を連れて行くなら温泉を作ってやらないこともない」
「ええー」
そんなことを急に言われても、はいそうですかと連れて行けるわけがない。第一どこにあるのか、竜王国に存在するのかすら分からない。
「どこにあるか知ってる?」
試しに女性達に聞いてみたが、困惑した表情を返される。
まあ、当然だろう。女性が知るはずがない。
瑠璃も困ったが、連れて行きさえすれば温泉作りを手伝ってくれるというのだから諦めるわけにはいかない。
「分かった。ちょっと情報収集してくるから待ってて」
「あまり待たせるなよ」
瑠璃はその足で第五区に向かい、訓練場にいたユアンを訪ねた。
「ねえ、ユアン! ユアンって娼館に行ったことある!?」
開口一番そう問い掛けると、ユアンはぶっと吹き出した。
戦い合っていた兵達も思わず手を止める。
「お、お前、何を言ってるんだ!?」
「いいから、あるの? ないの?」
「あるわけないだろ!!」
顔を紅潮させながら否定するユアンに、瑠璃は舌打ちした。
「役立たず」
「急に来てなんなんだお前は」
「ひー様が行きたいって言ってるのよ。そうしたら温泉作り手伝ってくれるって」
「なんだってよりによって娼館なんだ」
「さあ、どっかで情報仕入れてきたんでしょう。あっ、ねえねえ、娼館行ったことある?」
ユアンが役に立たないと分かるや、今度は訓練場にいる他の兵達に聞くことにした。
しかし、誰からも色よい言葉は返ってこない。
それもそのはず。
うら若い女性から「娼館に行ったことある?」などと聞かれて、馬鹿正直に行ったことがあると答えるはずがない。たとえ行っていたとしても断固として口をつぐむだろう。
「誰かいないの?」
しかし、返答はない。人生経験豊富そうなアゲットならあるいは知っているだろうかと考えていた時、ひょっこりとクォーツが現れた。
「あれ、皆集まってどうかしたのかい?」
近くにいた兵がこそこそとクォーツに事情を説明する。
「なんだ、ルリは娼館に行きたいのかい?」
「私がと言うより、ひー様です。
火の精霊なんですけど、行きたいらしくて。クォーツ様は娼館に行ったことありませんか?」
素直に答えるはずがない。そう誰もが思っていたが、予想に反してクォーツは「あるよ」と何の気なしに答えた。
「あるんですか!?」
「うん、あるよ。そんなに行きたいなら私が昔通っていたおすすめの店を紹介しようか?
まだあると思うから」
「本当ですか? ありがとうございます」
「よし、なら早速今日の夜に出発だ。ルリも一緒においで」
「お願いします!」
傍目に聞いていたユアンや兵は、おいおい大丈夫か? と心配そうにしていた。
「止めなくていいのか? 娼館だぞ」
「いや、でも相手はクォーツ様だし」
「陛下に報告してた方がよくね?」
心配になった兵は、こぞってジェイドの元に報告に向かい、話を聞いたジェイドはクォーツがいるなら大丈夫だろうと、反対はしなかった。
そうしてその日の夜、クォーツに連れられ娼館へ向かった瑠璃。
娼館が集まるという王都のとある裏筋は、昼間人が集まる商業地区とは全く違う雰囲気を醸し出していた。
獣王国の衣装顔負けの薄く露出の多い服を着た女性達が呼び込みを行っている。
興味本位でついてきたはいいものの、場違いを感じていた。
こんなところで置いて行かれてはかなわないとクォーツから離れないようにする。
呼び込みをする女性について行きそうになるひー様を軌道修正しつつ、とある立派な建物の前に着いた。
「ここだよ、私が昔利用してたお店。
王都で一番の高級娼館だ」
煌々と明かりがついた建物の中に躊躇いなく入っていくクォーツに慌ててついて行く。
「これはこれはクォーツ様。お戻りになられていたんですね」
クォーツを見て一瞬目を見張った後、和やかに出迎えたのは年配の女性。クォーツとも知り合いのようで親しげに話す。
「やあ、女将。久しぶりだね」
「ええ、本当にお久しぶりです。今日はお連れ様もご一緒のようで」
女将の視線が後ろにいる瑠璃とひー様に移される。目が合った瑠璃は軽くお辞儀をする。
「ああ、愛し子と火の精霊だ」
「まあまあ、クォーツ様がいらしただけでも驚きなのに、愛し子様と精霊様に当店をご利用いただけるとは、嬉しい限りです。
いつまでもお客様を立たせたままでいるわけには参りませんね。どうぞご案内いたします」
内装は王都一の高級店と言うだけあり、調度品にいたるまで高級そうな一品。華美というより品がある。
あまり娼館という感じではなく、高級宿のような雰囲気だ。
一室に通され、しばらくすると薄着の女性がお酒や料理をたくさん運んできた。
「さあさあ、どうぞ」
酒瓶を持った女性にグラスになみなみと注がれる。
そして前方では楽器の演奏と女性達による舞が始まった。
これでは娼館に来たというよりお座敷遊びかもしれない。
隣を見ると、でれでれと笑み崩れたひー様が女性を侍らせ酒をあおっている。
どうやら楽しんでいるようだ。このままご機嫌で過ごしてくれるといいのだが。
後はここで働く女性達の働き次第だ。だが、高級店と言うだけあり、女性達の立ち居振る舞いもどこか品があり接客がとても丁寧。
存分に楽しんでいるひー様と違い、クォーツは、娼館によく通っていたいうだけあってひー様のように女好きなのかと思いきや、ひー様のように女性にべたべたしたりはせず、静かに品よくお酒をたしなんでいる。
「クォーツ様はよくこういうお店に?」
「昔はね。私がまだ王だった時だよ。ねえ、女将」
話を振られた女将は、クォーツのグラスに酒を注ぎながらにっこりと微笑む。
「ええ、そうでございますね。
時々思い立ったように顔を出してはこうしてお酒を飲んで行かれて。そう言えば今日はジェイド様やフィン様はご一緒には来られなかったんですね」
聞き捨てならない言葉を聞いた。
「えっ、ジェイド様も来てたんですか?」
「ええ、クォーツ様がよくご一緒にお連れになられていましたよ」
ここは娼館。いわゆるそういうお店なわけで。そんなお店にジェイドがよく来ていたと聞かされて心穏やかではない。
まさか、ここにいるお姉様方と……。
そうとう複雑な顔をしていたのだろう、クォーツからのフォローが入る。
「娼館と言ってもここにはお酒を飲みに来るだけだよ。
一人で飲むよりたくさんの人と飲むのが私は好きなんだ。
ジェイドもフィンも本当の意味で娼館を利用したことはないよ。何せあの二人は生真面目だからね。番い以外の女性を相手になんてしないよ」
それを聞いてほっとする瑠璃だった。
あからさまに安堵の表情をする瑠璃に、クォーツはくすりと笑う。
「やっぱり娼館と聞くと、女性はそういう反応になるんだね」
「そりゃそうですよ」
「今のルリの顔が、私が娼館に通っていると知った時のセラフィの顔にそっくりだ」
「セラフィ?」
「私の番いだ」
「へえ、番いの方がいらっしゃるんですね。今どこに?一緒に竜王国に帰ってきてるんですか?」
こんな綺麗なクォーツを射止めた女性はどんな人だろうか、とても気になる。
周りには竜の番いとなった女性がいないので、できれば話なんか聞けないかなぁと思っていた瑠璃は、無神経に聞いたことをすぐに後悔する。
「セラフィは死んだよ。ずいぶん前にね」
「あ……」
途端に瑠璃の顔が強張る。女将も知っているのだろう。静かに視線を伏せた。
「すみません。あの……」
何を言おうか、言葉が出ずに口篭もる瑠璃に、クォーツは気にした様子もなく、微笑みを浮かべ瑠璃の頭をぽんぽんと叩いた。
「気にしなくていい。もう昔のことだからね。それにむしろ私はルリにお礼を言わなければならない」
「どうしてです?」
「セラフィが亡くなってから、このセラフィの思い出が深く思い出させるこの国に、あの城に、帰るのが辛かったんだ。
だからずっと帰ることができなかったんだけど、ルリの、愛し子の話を聞いて久しぶりに帰ってみようって気になったんだ」
「思い出して辛くなったりしてないですか?」
「ああ、思っていたより大丈夫みたいだ。それよりジェイドやアゲットの様子を見て、もっと早く帰ってくるべきだったなと後悔しているよ。アゲットには号泣されてしまった」
アゲットはクォーツが王の時も側近を務めていたらしい。
ジェイドもアゲットもクォーツが帰ってきてよほど嬉しかったのだろう。
「ジェイド様を見ていると分かります。すっごくクォーツ様のこと好きだって顔と態度が言ってますもん。クォーツ様が帰ってきてくれて本当に嬉しいんですよ」
「心配してくれる人がいるということはとても嬉しいことだね」
にっこりと笑ったクォーツはとても優しい顔をしていた。きっとクォーツにとってもジェイドは大事な弟なのだろう。
その後、酒が進み、酒に酔ってきた瑠璃は次第に絡み酒に。向こうの世界やここに召喚されてからのことをくだを巻きながら話していき、それを微笑みながら聞くクォーツ。
そのまま夜は更けていった。