不始末
誰もが寝静まった深夜。
起きているのは見回りの兵士ぐらいだろう。
そんな真夜中にそれは突如起こった。
カタカタと家具が動いたかと思うと、地面からドンと響くような揺れが起きる。
「地震?」
目を覚ました瑠璃は特に慌てることもなく揺れる家具を見ながら様子を窺う。
続いてコタロウとリンも目を覚まし、瑠璃の所へ寄ってきた。
カイに関しては起きる気配はなく、お腹を見せながらぐっすりだ。
地面が揺れているのだから地の精霊なら一番先に反応しそうなものなのに、カイはどこまでものんびりだなと、いっそ感心する。
『大丈夫か、ルリ?』
「うん、平気平気。震度四ぐらいかな」
だてに地震大国に住んではいなかった。
この程度で驚きはしない。
少しして揺れが収まったので、瑠璃は再び寝に入った。
が、しかし……。
瑠璃の部屋の扉がダンダンダンと激しく叩かれ、地震でもそうはならなかったのに飛び起きた。
「なになになに!?」
慌ててベッドから出て扉を開けると、強張った表情のユアンとヨシュアがいた。
「大丈夫か!?」
必死の形相のユアンに、大袈裟なと思うが、いつもひょうひょうとしたヨシュアでさえ真剣な顔をしている。
「これぐらいの揺れ大丈夫だって。
せっかく寝てたのに起こされた」
「いや、お前なんでそんな呑気なんだ。
地が揺れたんだぞ!」
「別に地震なんて珍しくもないでしょう?」
そこまで言って、やけに周囲が騒がしいのが聞き取れた。
「すぐに陛下と愛し子様の安全を確認しろ!」
「なんということだ、地が揺れるなどっ」
「いったい誰が精霊を怒らせたのだ!」
そんな慌てる声が方々から聞こえ、ちょっとしたパニック状態になっている。
瑠璃にはさして珍しくもない地震だが、もしかしてこちらでは違うのかもしれないと、ここにきて気付いた。
「もしかして、結構大事になってる?」
「ああ。瑠璃の世界はどうなのか知らないが、この世界じゃ地震なんてめったに起こらないからな。こっちで地震は精霊の怒りと言って精霊が引き起こしてるんじゃないかと言われているから皆大慌てだ」
恐らくめったに地震が起こらないのだろう。
その上瑠璃のいた世界のように科学が発展していないので、地震が起きる理由などもはっきりとしていないはず。
そうなると余計に地震は未知の力によるものと考えてもおかしくはない。
まあ、魔法のある世界なので、科学的に解明できない要因があるかもしれないということは否定できないが。
そんな話をしていると、アルマンが側近を引き連れ走ってきた。
「ルリ、地の精霊殿はどうしている?」
「カイですか?カイならぐっすりおやすみですけど」
「じゃあ、地の精霊殿が地震を起こしたわけではないのだな」
安堵と不安が入り混じったような表情を浮かべるアルマン。
地が揺れたとなれば地の最高位精霊であるカイが関わっているかもしれないと思うのは、こちらの世界では普通なのだろう。
「違うと思いますよ。暇だからって突拍子もないことしますけど、カイは寝ている時は大人しいですから」
「そうか。セレスティンによると他の精霊も何かした様子はないと言っているし、とりあえず様子見か」
そう納得したように引き下がろうとした時、再びカタカタと地が揺れた。
今度は本当に弱い揺れではあったが、地震になれない人達にはそれだけでもとてつもない恐怖を与えたようだ。
至る所から悲鳴のような怯えた声が聞こえてくる。
「余震かな?」
と、一人平然としている瑠璃。
弱い地震はその後も続き……。
翌朝、朝食を取っていると再び揺れが起こった。
世話係の女性達がきゃあと悲鳴を上げしゃがみ込む。
気にせず食事を取り続ける瑠璃は、ちょっと回数が多いなとようやく気にし始めた。
余震ならばいいが、大きな地震の前の前兆であれば怖い。
地の精霊であるカイに聞いてみたが、自分は何もしていないという答えが返ってきた。
他に要因があるかと考えていた瑠璃の脳裏に過ぎったのはウラーン山。
確かあれは火山だったはず。それも死火山ではなく、今も活動している活火山。
世話係の女性に聞いてみると、最後に噴火したのは千年以上前とのこと。
瑠璃の中に嫌な予感が過ぎるが、思い過ごしだろうと考えるのを止めた。
***
「なあ、ルリ。この間竜の血を使った親子覚えてるか?」
ヨシュアが突然そんなことを言ってきた。
竜の血で治療した父親とその母子のことはまだ記憶に新しい。
瑠璃もはっきりと覚えていた。
「うん、もちろん」
一緒にいるユアンと共に、良いことしたという満足感が表情に現れる。
「喜んでるところ悪いけど、大変なことになってるぞ」
「どういうこと?」
瑠璃とユアンは揃って首を傾げた。
そのままヨシュアに連れて行かれたのは、その親子の家。
「なあ、俺にも分けてくれよ!」
「子供が病気なの、お願い!」
「独り占めすんなよ、おい!」
あの母子の家の前では人集りができており、口々に何かを怒鳴りながら扉をどんどんと叩いている。
その光景はどこか恐怖を感じるほどの空気が漂っていた。
「なにあれ」
「……竜の血を求めてやって来た人達だ」
「えっ!?」
瑠璃とユアンは驚き目を見開く。
「町中の多くの人の目がある中で竜族であるユアンが少女に襲われたんだぞ。
その直後その子の瀕死の重傷のはずの親が治ってぴんぴんしてたなら、周りの人達は竜族に何かしてもらったと考える。
竜族が治す方法として一番に頭に浮かぶのは竜の血だろう。
家の前にいる人達はその竜の血を欲しがってる。ないなら口利きをしてくれとな」
「何でそんなことに……」
「俺はこうなるとは思ったけどな」
至極当然というようすのヨシュアに、瑠璃とユアンは驚いたようにヨシュアを振り返る。
「どうして……」
分かっていない様子の瑠璃とユアンに、困った行動をした子供を見るような呆れた目で交互に視線を向けていく。
「それだけ竜の血の効果は凄いんだ。たちどころに傷を癒すそんな薬、誰だって欲しがるに決まってるだろ。
簡単に人の前に出して良いものじゃないんだ、こんなふうに混乱をきたすからな。
ちゃんと教えただろう。扱いには気を付けろって。それは後に起きる事態も考えてってことだ」
「うん……」
「お前もだぞ、ユアン。
竜族がどうしてこの薬を門外不出にしているのか、売ったりしないのかよく考えろ。
こういう事態を避けるためだ。
竜の血たった一滴で争いが起きかねない。だから竜族はへたに分け与えないんだ」
「ああ……」
瑠璃もユアンも意気消沈したように項垂れる。
同情心で突き動かされた自分達の失態を、今更ながら理解したのだ。
「そもそも攻撃してきた奴に竜の血を与えるなんて、今後竜族に攻撃してきていいですよって言ってるようなもんだろう。
お前らは竜族を危険に晒したいのか?」
「そんなことない!」
「だが、お前達の浅慮でそうなってもおかしくない。
無理矢理血を奪えば良い。同情を買えたらもらえるんじゃないかなんて、そう思われるかもな。
そしてそれを断ったらきっと奴らは言うんだろう、薄情者ってな。
竜の血は無限じゃないんだ。世界中全ての者に配れるようなものじゃない。
これからは後のことも考えて行動しろよ」
「……はい」
「分かった」
瑠璃もユアンも、意気消沈して肩を落とす。
ヨシュアはすっかり落ち込んでしまった二人の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。お説教はここまでと言うように。
「でもヨシュアも意地悪よね。
それならそうとあの時言ってくれれば良いのに。ノリノリな私とユアンを前に何も言わなかったじゃない」
少しふて腐れたようにヨシュアを見上げる。
あの時、ユアンが頼み瑠璃が引き受けた時、ヨシュアは何も言わなかった。
ただ二人のすることを見ているだけ。そして薬の使い方を教えてくれただけで。
その時にきちんと説明してくれていたなら瑠璃もユアンも薬を使おうとはしなかっただろうに。
「あんな話にほだされる甘ちゃんな二人には良い勉強になると思ってさ。悪いな」
「酷い、あんな話って」
「言い方は悪いが、よくある話だ。
ルリはそんな奴ら全員治していくのか?どうやって?
竜の血を薬にするのも簡単じゃないんだ」
「そうなの?」
「ああ、ルリのもらった小瓶一本分の薬を作るのに数ヶ月は掛かるからな」
驚いたのはルリもだが、何故か竜族であるユアンもだった。
「そうなのか!?」
「そうなのかってユアンは作り方知らないの?」
問われると、ユアンは痛いところを突かれたというような顔をした。
「ユアンはまだ教えられてない。秘技を教えるにはいくつかの条件があるんだ。一番大事なのは口の堅さと信用。
門外不出なのにこんな簡単にほだされて薬を渡そうとする奴に秘技を教えられないからな。
今回の件でまたしばらくは教えてもらえないと思うぞ」
ユアンはがっくりと肩を落とした。
「それよりあれどうしよう」
未だ家の扉の前には人集りができている。
「ああ、そうだな。そろそろ何とかするか」
「できるの?」
「まあ、見てろって」
そう言うとヨシュアはすたすたと人集りへと向かっていった。
それを瑠璃とユアンは物陰から見守る。
扉をどんどんと叩きながら叫んでいる人達は、ヨシュアの姿を見るその身から発する気配で竜であると分かったようだ。
叫び声も止め、その矛先をヨシュアへと向ける。
その様子をはらはらと見守っていた瑠璃だが、ヨシュアは何てことのないように、いつも通りの人好きのする笑みを浮かべている。
「あんた竜族だろ?俺にも竜の血をくれよ。
ここの家の奴にもやったんだろ?」
「私にもちょうだい。お金なら払うから!」
自らの欲求のみを伝える人々を見回したヨシュアは口を開く。
「悪いけどさ、ここの家の奴の怪我が治ったのは竜の血のおかげじゃないぜ」
「噓吐かないで、じゃあどうやってあんな重傷の人がぴんぴんしてるのよ!」
そうだそうだと、周囲から同意の声が上がる。
それに怯んだ様子もなくヨシュアは続ける。
「本当だ。ここの奴の怪我を治したのは神光教だ」
「神……?何だそれ」
誰もがきょとんとした顔で誰?何?といった表情を浮かべている中、一人の年配の女性が思い出したようにはっとする。
「……そう言えば、ここの奧さんがどこかの宗教の信者が来たとか言っていたかも。助けてやるとか何とか言ってきたって」
その女性の言葉で、ようやくヨシュアの言葉を聞く雰囲気へと変わっていく。
「ここの家人が治ったのはその神光教のおかげだ。
なんでも自分達の神を崇め、忠誠を誓った者を助けてくれるらしい。
まだ王都にいるかもしれないから探してみたらどうだ?」
そんな存在がいたのかと人々はその目に希望を抱いていく。
重傷者を治せるほどの力。
どんな者かは分からないが、探してみようという雰囲気が辺りに漂う。だが……。
「そんな与太話信じてどこにいるか分からない奴探すより、こいつに血をもらえば済む話じゃねぇか!」
せっかく話が逸れていっていたのに、一人の男の言葉ではっと我に返る人が続出する。
今にも襲い掛かりそうな血走った目。緊迫した空気が人々に流れる。
しかしそんな殺気漂う空気も何のその、ヨシュアは変わらぬ笑みを浮かべている。
「何、やろうっての?竜族である俺と?」
笑みは浮かべているものの、本能を刺激する強者の気配に、人々は途端に怯む。
向けていた殺気が一気に萎んでいくのが分かる。
相手はヒエラルキーの頂点に立つ竜族。
有象無象が力を合わせたところで敵う相手ではないことは、亜人の本能に組み込まれている。
「俺とやり合う不可能より、まだ可能性のある神光教を探すことをお薦めするけど?」
ヨシュアの気迫にすっかり戦う意思をなくしてしまった人々は、互いに目を見合わせ、一人また一人とその場を立ち去っていった。
きっとヨシュアの言う神光教でも探しに行ったのだろう。
はらはらとその光景を見守っていた瑠璃は、何事もなく無事に人々が解散していき、こちらへと戻ってきたヨシュアを見てほっとする。
「どうなるかと思った」
「あの程度の奴らに俺がどうにかされるわけないだろ」
確かにそうなのだろうが、心配なものは心配なのだ
「無事で良かったけど、あんなこと言って良かったの?神光教が治したなんて噓言って」
「いいんだよ。ああ言ったら、あいつらは神光教のことを血眼になって探すだろう。
奴らが王都にいたら俺達にも何かしら情報が入ってくるかもしれない」
「でも、神光教が治したのが嘘だってばれたら」
「こっちは知らぬ存ぜぬで通せば良い。
そもそも奴らは指名手配中だ。国がとっ捕まえてしまえば、神光教が治してたかどうかなんて意味のないことだ。
さっき騒いでた奴らも、牢の中にいる奴に頼めやしないんだ」
少し思うところはあるものの、無事に母子の家の前からは人集りが消えていたので、良しとする。
「何せ神光教に繋がる手掛かりがないんだよ。
下手に兵を動かせば奴らは隠れるだろうからな。
ああいう一般市民なら奴らも警戒はしないはずだ。
どうも話を聞いていると、神光教は信者を増やそうとしているように思える」
しきりに信者になれば生き返らせてやると言っていることを考えると間違ってはいないはず。
「でも、人に神光教のことを教えることで、信者を増やされたら困るんじゃない?」
「その前に捕まえれば良い。
大勢の入信者が得られそうな状況にすれば、神光教も王都に姿を見せるかもしれないしな。
そこでだ。瑠璃に頼みがある」
「何?」
「精霊達に頼んで欲しいんだ。
人々の話に注意して、この王都の中で神光教の信者が誰かと接触しないかを見ていてもらいたい。
あからさまに精霊が動いていたら気付かれるかもしれないから、こっそりとな」
「皆に頼めば何とかなるとは思うけど、こっそり見るだけ?」
「ああ、見つけるだけだ。
それを報告してもらいたいだけで、絶対に手は出さないように言い聞かせてくれ。
一人の信者捕まえただけじゃトカゲの尻尾切りになっちゃうからな。
どうせならそいつを泳がせて、他の奴らも根っこからごっそりと引き抜きたいから」
瑠璃が頼めば精霊達は快く聞いてくれるだろう。
そうでなければ、コタロウ達から頼んでもらえば良い。
「うん、分かった」




