勘違い
温泉とエステを堪能し、心身共に大満足すると、再び瑠璃を先頭にぞろぞろ人を引き連れ部屋へと戻っていく。
カイは精霊達を連れお城の探検へと繰り出していったので、今瑠璃の側にいるのはコタロウとリンだけだ。
その道の途中、反対側の廊下から女性が数人歩いてきた。
その内のやけに露出の高い服と装飾品をじゃらじゃらと付けた先頭の二人と、その後に数人の女性が付いて歩いている。
後に付いている人は何か桶のような物を持っているようだった。
特に気にしてはいなかったのだが、その先頭の二人に一瞬ぎろりと睨まれたので、瑠璃は何事かと目を見張る。
しかし会ったことのない人達だったため気にせず横を通り過ぎた。
彼女達と擦れ違ったその時、さっと一人が足を伸ばしてきた。
「あっ」
あまりに突然のことだったので避けきれず、瑠璃は足に引っかかり、前方へと体が傾いた。
こけるっと、その後に襲ってくる痛みを覚悟したが、コタロウの風によりゆっくりと地へと下ろされる。
ほっとしたのも束の間、頭上から大量の水が掛けられた。
しかもただの水ではない。強烈な匂いのする汚水。
辺りに鼻をつく匂いが漂い、瑠璃の周りに薄汚れた汚水が水溜まりを作った。
しかし幸いなことに、瑠璃の周りにはコタロウの張った結界があった。そのため瑠璃の体には一滴の汚水もかかっていない。
呆然とした瑠璃の頭上から女性の甲高い笑いが起きる。
「あら、ごめんなさい。少し手が滑ってしまったみたい」
瑠璃の姿を見てくすくすとあざ笑う女性達から感じる悪意は、これが偶然ではなく故意であることが窺えた。
「でもお似合いよ。あなたにはそういう無様な格好が」
きっと睨み上げれば、「まあ、怖い」とわざとらしく怯えた様子を見せる。
それが余計に瑠璃のかんに障った。
彼女達とは初対面だ。こんなことをされるいわれはない。
「何するのよ」
「新しく来た新人に身の程をわきまえるように教えてあげただけよ。
竜王国から妃になりにきた身分の高い家の子のようだけど、あまり言い気にならないことね」
「あなたのような貧相な体の子、陛下のお側に侍れると思ったら大間違いよ。
陛下は私達のような豊満な体がお好みなのだから」
「は?」
何を言われているのかさっぱり分からなかった。
ここでいう陛下とは獣王のことだろう。
何故獣王の好みが関係あるのか分からない。
そしてよく愛し子である瑠璃に手を出したものだ。獣王国の人々は精霊への信仰心が強いと聞いたのに。
現に後ろにいる世話係の人達の顔を見ると、皆一様に顔面蒼白で、あまりの事態に動けなくなっている。
ヨシュア達竜族は、コタロウ達の怒りようが怖くて下手に手を出せないようだ。
コタロウのおかげで瑠璃には怪我一つしていなかったが、害意を与えようとしただけで、怒るには十分のようだ。
コタロウの女性達を見る目つきが酷いことになっている。
そうこうしていると、後方から「何ごとだ」と声が聞こえ、全員の意識が後ろへ向く。
そこには何があったのかと不思議そうにしている獣王アルマンがいた。
アルマンは固まっている者達に次々と視線を向けていき、座り込む瑠璃の姿、その前にいる女性二人を目に納めた瞬間、眼差しを鋭くさせる。
そんな獣王のもとへ、リンがぱたぱたと飛んで近付いていく。
『ねえ、獣王。あなた城の者にどういう教育しているの。私達の前で愛し子を転ばせようとした挙げ句、きったない水を頭から掛けるなんて。私達に喧嘩売ってるのかしら。
別に構わないわよ。十倍の値で買ってあげるわ』
リンから事の経緯を聞いたアルマンは眉をひそめる。
「そうか、それは申し訳なかった。
きちんとこちらで対処させていただく」
アルマンはそう言って視線を瑠璃に言い掛かりを付けてきた女性二人へと向けると。
「お前達はどういうつもりだ」
咎めるような強い口調と眼差しを受けた女性二人は一瞬怯んだ顔を見せるも、すぐに媚びたような笑みを浮かべアルマンへと近付く。
「まあ、陛下。どうとは?」
「お前達は何をしていた。いや、そこにおられる方に何をしたんだ」
「後宮で噂になってましたのよ。
陛下が竜王国から新しい妃を召し上げられたって。
だから恋敵へのちょっとした牽制ですわ」
「そんなことよりも、陛下。今日は私の部屋にいらして下さいな」
猫なで声でその豊満な肉体を押し付けるようにアルマンへしなだれかかろうとしたが、アルマンがそれを振り払う。
「新しい妃だと?お前達は何を言っている」
「あら、どうしてそんなにお怒りになってるの?いつもは妃同士の諍いに口を挟まれないじゃない」
「……そんなにこの子がお気に入りなのかしら」
二人の女性はぎろりと瑠璃を睨み付ける。
アルマンへ向けていた顔との違いに、瑠璃は怖っと顔を引きつらせる。
「自分達が何をしたか分かっているのか」
「何がです?」
「彼女は新しい妃などではない。竜王より預かった竜王国の愛し子だ。
お前達は精霊の愛し子に何をした」
厳しい眼差しを彼女達に向けるアルマン。
最初彼女達はアルマンが何を言ったのか理解できなかったのだろう。
きょとんとした表情を浮かべていたが、次第にアルマンの言葉を理解すると、瑠璃を見てアルマンを見て、再び瑠璃を見る。
そしてその顔が段々と青ざめていき、唇を振るわせる。
「あ……そんな……」
「愛し子様……?この子……いえ、この方が」
「そうだ、彼女はセレスティンと同じ愛し子だ」
息を呑んだ彼女達は、ちょっと怯えすぎではと思うほどの表情を浮かべ、勢い良く瑠璃の前で土下座をした。
「も、も、申し訳ございません!!」
「どうかお許しを!!」
かたかたと震え、頭を床に擦りつけるようにして謝罪する彼女達を、アルマンは鋭い眼差しで見下ろす。
「愛し子に危害を加えようとしておいて謝罪だけですむとでも思っているのか。
精霊の怒りを収めるためにもそれ相応の処罰は覚悟しろ」
ひっと怯えた声を上げ、どうかどうかと頭をひたすら下げる女性二人を前に、アルマンは無情な問い掛けを瑠璃にする。
「瑠璃、どうしたい?」
突然投げ掛けられた問いに直ぐに反応ができなかった。
「どうとは?」
「こいつらの処遇だ。
愛し子に手を出したんだから、拷問の上、首を切り落として城門にさらすぐらいが妥当だと思うが……」
それが当然とばかりに話すアルマンに、瑠璃はぎょっと目を剥く。
「いやいやいや、ちょっと転ばされて水掛けられたぐらいでそれはやり過ぎでしょう!しかも未遂だし。
謝ってくれて、二度としないって言うならそれで……」
良い、と言い終わる前に「それは駄目だ」と遮られる。
「勘違いとは言え愛し子に手を出したんだ。それで何も罰を与えなかったら他の者への示しが付かない。
獣王国は信仰深いって言っただろう?愛し子を傷付けようとするなんて国民全員敵に回すようなもんだ。それで何も罰なしだったら暴動が起きるぞ」
「だったら穏便な方向の罰をお願いします。血なまぐさくない方法で」
こんなことぐらいで首が飛んだら、精神衛生上よくない。
せっかく温泉に浸かって良い気分だったのに、今後何をしても気分が最悪に落ち込んでしまう。
「穏便にか。それは中々難しいな。
……そうだな、取りあえずお前達は城から出す。愛し子に手を出した者を妃の地位には置いておけない」
がっくりと肩を落とす女性達だが、首が飛ぶよりましだろう。
「そしてそれぞれカーステとドブザに下賜する。離縁は認めん」
その名が出た瞬間、女性二人だけでなく、瑠璃の世話係の女性達も顔色を変え息を呑んだ。
空気が変わったことを感じた瑠璃はきょろきょろと人々の顔を見回す。
瑠璃同様、竜王国の者達は分かっていない様子だが、取りあえずとんでもない相手だと言うことは雰囲気で分かった。
下賜すると言われた女性二人はアルマンへとすがる。
「どうかそれだけはお許しを、せめて他の者の所に」
「あのような所嫌です!」
口々に嫌だと告げる二人を醒めた眼差しで見下ろし、アルマンは冷淡に続ける。
「ではそのまま町に放り出すか?
愛し子に手を出した大罪人だ。どこからか話を聞き付け町中の信徒がお前達に罰を下してくれるだろう。
八つ裂きにされるだろうな」
怪我一つしていないのにこれぐらいのことで大げさなと瑠璃は思うのだが、獣王国の国民にとってはそれぐらいではすまないのだ。
国民の多くが精霊を信仰しており、その信仰心もとても強く、精霊および愛し子への心酔と敬愛ぶりはすさまじい。
精霊の愛し子が傷つけられたなど、信者にとっては一大事。
それを行った者は国家反逆罪にも等しき大罪人、国民の敵と言って良い。たとえ他国の愛し子であろうと、未遂だったとしてもだ。
そんな罪人が信仰心の厚い信者の前に放り出されたら、アルマンの言うように文字通り八つ裂きにあってしまうだろう。
「ひっ!」
「選べ」
命には代えられない。考えるまでもないのだろう。
すぐに観念したかのように「仰せの通りに」と頭を下げた。
気になるのはそんなに嫌がる相手がどんな人物なのかだが。
「ねえ、あんなに嫌がるってどんな人なの?」
近くにいた世話係の女性に小さく問い掛けると、こっそりと教えてくれた。
「カーステ様もドブザ様も城に仕える貴族なのですが……」
少々言いづらそうに続けた。
「カーステ様はいわゆるマザコンというやつでして、全てお母上の言いなりなんです。
そのお母上はかなりの嫌味……いえ、厳しいお方で、嫁に来る方来る方ねちねちといびり倒すので離縁されることもう二桁。
愛し子様に危害を加えて下賜されたなんて知られた日には毎日いびり倒されることは必至。
カーステ様はお母上の言いなりですので、助けるどころかお母上の肩を持つでしょうね」
「げっ、最悪」
「ドブザ様は一言で言えばケチの守銭奴です。
お金を貯めることに並々ならぬ情熱を燃やしている方で、貴族であるにも関わらずその生活は質素倹約。
節約が行き過ぎて、一般庶民よりも極貧な生活を送っていらっしゃるようです。
王の妃として贅沢を覚えた方に、その生活はかなりこたえるかと」
城で働く女性が結婚したくない二大巨塔ですと、別の女性が答える。
「ですが、愛し子様にあんなことをしておいてこの処罰ですんだのですから幸運ですよ」
「ええ、まったくです」
口々に同意を示す世話係の女性達の目に、下賜される女性二人への同情は一切見られなかった。
誰一人転ばしただけの罰にしては重すぎないかと考えている者はいないらしい。
「来て早々えらい目にあったな」
そう言って近付いてきたユアンの顔をじっと見つめる。
「何だ?」
「いや、ユアンは獣王国の人じゃなくて良かったねって思って」
「何だ突然」
「だってさ、ちょっと足引っかけられただけで首が飛びそうになる国だよ。
ユアンなんか軽く三回は首が飛んでるんじゃない?」
「……そうかも」
心当たりがあるユアンは首に手を当てる。
今でこそ仲は良いが、当初は瑠璃に突っかかっていき、散々暴言を吐いていたユアン。
おそらく獣王国であんなことをすれば、ユアンはただではすまなかっただろう。
いくら瑠璃が気にしていなくて罰がなかったとしても、信者によって闇討ちぐらいはあっていたかもしれない。
瑠璃の精神的にもユアンの身の安全的にも暮らす国が穏便な竜王国で良かったのかもしれない。




