危機一髪
58話肖像画を描く以降、内容を一部変更しております。
ご迷惑をお掛けします。
重りを付けられ海に沈められた瑠璃は大いに焦っていた。
(これはやばい、かなりやばい、尋常じゃなくやばい!!)
「んん~ぅ~」
どんどん水中深く沈んでいく中、力を込め拘束を取ろうとするが、がっちりと巻き付いた鎖は解ける気配すらない。
いつまでも息を止めていられるはずもなく、段々苦しくなってくるにつれ焦りも強まっていく。
無我夢中で腕を動かし身をよじり足をばたつかせるが、やはり取れない。
苦しい……。
このままここで死ぬのだろうか。
こんなに呆気なく。誰にも知られぬまま。
嫌なことばかりが瑠璃の頭の中を過ぎり、恐怖が沸き上がってくる。
(絶対ヤダー。コタロウー!リン!)
常に側にいて守ってくれていた二匹の獣の姿を思い浮かべ心の中で叫ぶ。
しかし、精霊殺しの魔法がかけられた鎖を巻き付けられた瑠璃の言葉が届くはずもない。
(ジェイ……ドさま……)
もう駄目だ……。
苦しい、息が続かない。
諦めかけたその時、下へと引っ張られる力がなくなったと思ったら、体を拘束していた鎖が体からするりと抜けた。
鎖がどんどん海深くに沈んでいくのを最後まで見届ける前に、襟首を何かに引っ張られた。
そのまま上へ上へとひっぱられ、とうとう海面に出た瑠璃は、咽せながら新鮮な空気を肺に取り込む。
「うっ、げほっげほっ……はぁはぁ……」
ぐったりとしながら息を整える。
「はぁはぁ……生きてる……無茶苦茶やばかったけど生きてる……」
海水で目がしみたのか安堵からか判断がつかない涙がぽろりと零れた。
そして呼吸が落ち着くのを待っていたかのように声を掛けられた。
『おーい、大丈夫か?』
呑気な声が聞こえ、ぱっと振り返ると、瑠璃の襟首を咥えて泳ぐ見慣れたその三白眼。
「カ、カイ~」
見知った者を前にしての安堵か、助かった喜びか、感激して瑠璃はカイに抱き付く。
『おっと、待った。まだあいつら近くにいるだろうから声押さえとけよー』
はっとしたように瑠璃は声を噤んだ。
幸い夜の海は真っ暗で、頭だけ出した瑠璃とカイは肉眼では見つからないだろう。
声も叫ばなければ波の音でかき消えているはずだ。
『とりあえず陸まで泳ぐか』
死神と同じ方向に逃げるのはまずいので、違う方向へ向けて泳ぐほうがいいだろう。
しかし、海中で拘束を解こうと散々暴れたので体は疲れている。
とても陸まで泳げそうにない。
「カイ、私泳ぐの無理かも……」
『だったら、上向いて浮かんどけ。
風と水には教えたからすぐに来るだろ』
言われた通り上を向くと、体の力を抜きぷかぷかと浮かぶ。
今日は波が穏やかで良かった。
「どうしてカイがいるの?
精霊殺しの鎖を巻き付けられてたから助けは来ないって思ってたのに。
さらわれる所見てたの?」
『今日は城下が騒がしかったから、散歩してたんだよ。
そしたら変なネズミを見つけてさ。
面白そうだから追っかけてたんだけど、見失っちゃって。
港の方向で見失ったから港の辺りで探してたら、ルリが男に抱えられてきたんだよ。
そこで鎖にぐるぐる巻きにされてたからこりゃまずいなって』
「だったらその時に助けてくれれば良かったのに」
ネズミを追っかけて見つけたということは完全に偶然だ。
瑠璃はその鼠に心から感謝した。
『なんか面白そうだから』
「ああ、そう……」
面白いで、海にまで沈められたのか……。
「海に落とす前に殺されてたらどうするのよ」
『ちゃんと、気付かれないように後から泳いで追っ掛けてたよ。
なんかあれば助けに入るつもりだったし』
実際に助けてもらったので文句は言えない。
それでも、もう少し早く助けてくれても良かったのではないかと思う。
「ねえ、私がさらわれたこと、コタロウ達は気付いてないんだよね?
気付いてたらとっくに助けに来てくれてるはずだし」
『一応探してたみたいだぜ』
「どうやって、あの部屋から連れ出されたんだろ」
少し冷静になってきたのか瑠璃は疑問に思った。
城内に忍び込めたとして、そこからどうやって瑠璃を連れ去ったのだろうかと。
扉の前にはコタロウがいる。
部屋にはコタロウがいつも結界を張っていた。
結界の周囲に触れれば、いやでもコタロウには分かるし、弾かれる。
万が一入れたとして、そこから瑠璃をかついで、城の外まで誰にも気付かれずに連れていけるだろうかと。
城内にはたくさんの兵士が警備をしていただろうし、外にも精霊はいたはずだ。
精霊殺しで精霊が近付けなかったとして、精霊殺しが城で使われていたらコタロウは気付かないか?
「うーん」
頭を捻っていると、カイが『おっ来たぞ』と声を上げる。
立ち泳ぎに体勢を変えると、リンを頭に乗せたコタロウが飛んできた。
『ルリー!』
リンがぱたぱたと羽ばたきながら瑠璃に突撃する。
それを受け止め、頬ずりする。
『もう!驚いたわ。突然いなくなるんですもの』
『ルリ、大丈夫か?』
「うん、カイが助けてくれたから」
コタロウの風の力で体が持ち上げられると、リンの力で体に付いた水分が弾き飛ばされ一瞬で体が乾く。
そのまま瑠璃はコタロウの背に落ち着いた。
続いてカイもコタロウの力で背に乗る。
陸に向かい移動する間、瑠璃はあったことを話して聞かせた。
そこでコタロウとリンが気になったのは、やはりどうやってあの部屋から瑠璃をさらったかだった。
『我は間違いなく結界を張っていた。
それなのに突然ルリの気配が消えたのだ。すぐに部屋に入ったがルリは忽然といなくなっていた』
「それって、部屋に私以外の気配は感じなかったの?」
『ルリのように魔力を持った者なら分かるが、魔力のない、あるいは微弱な者は感じ取れなかったり、取りづらかったりするので、ルリの言う死神はそのどちらかなのだろう。
でも、それは結界の中にいる時の話で、入る前に結界に触れれば分かるはずなのだ』
ここで考えていても、瑠璃を連れ去った方法は分からない。
『分からないなら、その死神を捕まえて吐かせればいいじゃない』
何とも簡潔な答えを口にするリン。
『それは名案だ、すぐに探しに行こう!』
「いや、危ないから駄目だって」
ノリノリのコタロウを瑠璃は慌てて止めに入る。
『でもルリ、このままやられっぱなしなんて嫌じゃない?
やり返したくないの?』
「それは……」
したいかしたくないかときかれれば、正直したいかもしれない。
それはもう倍返しで。
「うーん、でもなあ」
ついさっき殺されそうになったところだ、怖い気持ちはある。
『このまま泣き寝入りするなんてらしくないわよ!』
「分かったって。行くから」
『良く言った!それでこそルリよ』
『面白そう。俺もついて行く!』
と言うことで、方向転換をしてカイの指示の下、死神の後を追う。
「分かるの、カイ?」
『さっきの奴らの顔は見たからな。
地面に降り立ってたら、地の精霊ならどこにいるか探せる』
すでに陸には登っているようで、そのまま町の方へと向かっているという。
瑠璃達もようやく海から港へと着き、そこからさらに飛んでいるコタロウに乗って町を捜索していると、すこしずつ他の精霊達が集まってきた。
皆、瑠璃の無事に安堵している。
そして町を見下ろすと、やけに兵がうろうろしているのが見えた。
「まさか、私を探してるわけじゃないよね?」
『あら、そのまさかだと思うわよ。
まだ竜族にはルリが無事だってこと伝えてないから、行方不明のままのはずだから』
「それじゃあ、死神探すより先に無事だって伝えに行った方がよくない?」
『それは後の方がいいわよ。
行方不明のままにしていた方が、死神も油断するだろうし』
「うーん、でもせめてジェイド様には伝えておきたいな。心配してるだろうし」
瑠璃は近くにいた精霊に、ジェイドの所に行って無事であることを伝えて欲しいと頼む。
快く了承してくれた精霊を見送り、瑠璃は暗闇の町の中に目をこらす。
しばらくして、その姿を納めた。
「いたっ」
ゆっくりと下り立ち、息を潜めて物陰からこっそりと覗く。
向こうは気付いていないようだ。
男女の二人組は暗闇の中、先を急ぐようにどこかへ向かっているようだ。
「これって城の方向じゃない?」
『そうね、まだ何かするのかしら?』
すぐにとっ捕まえるつもりでいたが、少し様子を窺うことにする。
足音をさせないようコタロウに乗って距離を開けながらついていく。
彼らが向かったのは、人気のない城の裏。
何もないそこで何をしているんだろうかと静かに監視していると、二人が輪っかのような物を取り出し腕にはめた。
次の瞬間、そこには人でなく、二匹の小さなネズミが存在していた。
「っっ!」
思わず声を上げそうになったのをぐっと飲み込む。
ネズミは、人では到底入れない排水管の中に消えていった。
ネズミとなった死神を見送った後、ようやく声を発した。
「あれって、私が持ってる猫になれる腕輪と同じものじゃないの!?」
『ふむ、つまり死神は排水管から部屋に侵入して、ルリをさらったと言うことか。
我も部屋の周囲に結界は張っていても、排水管にまでは張っていなかった。むう、盲点だ』
冷静に分析するコタロウ。
「そう言えば、カイ、変なネズミを追っ掛けてたとか言ってなかった?
変ってどんな?」
『一匹のネズミを二匹のネズミが担いでたな。
そう言えば見つけたのこの辺りかも』
「その担がれてるの私じゃないの!?
私ネズミになってたの!?ヤダー!」
ネズミはあまり好きではない。
自分がネズミになっていた可能性があると知り、瑠璃は背筋がぞわりとした。
『つまり、ルリもネズミにして連れて去ったというのか。
なら、少なくとも三つはネズミになれる腕輪を持っているということか』
「珍しい物だと思うけど、そんなに蔓延してるもの?」
『さあ、それは知らないけど……』
それはここで考えていても仕方がない。
彼らは城に侵入して何かをしようとしているようだ。
すぐにジェイドに知らせなければ。
そう思っていた時、後ろから「ルリ!」という声が響いてきた。
振り返ると、ジェイドが走ってくるのが見えた。
ジェイドはそのまま走り込んできて瑠璃を抱き締める。
苦しいほどに抱き締められ、ジェイドの腕の中で身じろぎする。
「ジェイド様、ちょっと苦しいです……」
そう言うと少し力を弱められたものの、離れはしない。
瑠璃も無理に抜け出そうとは思わなかった。
ジェイドの温かさにほっと息を付き、無事であったことに安堵した。
「ルリ、良かった……。
死んだと聞いて、心臓が止まるような思いだった。
探しに町に下りたら、精霊がルリは無事だと伝えに来たんだ」
「激ヤバでしたけど、カイが助けてくれました」
「そうか、本当に良かった」
ジェイドを安心させるように、瑠璃もジェイドの背に手を回す。
しかし、今はこんな事をしている場合ではなかったと思い出す。
「そうだ、ジェイド様!
死神、死神ですよ。
死神がネズミで、ネズミが死神で」
「落ち着け、何を言っている」
瑠璃は深呼吸をした後、連れ去られた後のこと、先ほど見たものを説明した。
「そうか、てっきりルリを襲ったのは神光教だと思っていたが、死神だったのか。
いや、あちらもルリの身に起こったことを知っていたのだから、手を組んでいるのかもしれないな
それで、死神はルリを海に沈めた後、ネズミの姿で城に侵入していったと」
「はい」
「もしかしたら、次の狙いはアゼルダかセレスティンか……?」
「どうしてです?」
確信を持っているようなその言葉に瑠璃は首を傾げる。
「やけに動きが派手だった。
爆発を起こし、わざわざ人前でアゼルダを襲った。
それに愛し子を襲うにしては、戦い慣れていない者だった。
普通なら手練れを使うだろう?
そうしなかったのは、あちらはあくまでおとりだったのではと思ったんだ。
ここ最近は死神の情報に加え、アゼルダの我が儘が激しかったから、抑えるための者を常時増やしていたからな。
アゼルダは賊を怖がって、夜寝る時も取り巻きを側から離さなかったようだし。
わざと派手に動いて捕まり、犯人が捕まったと気を緩めた所を死神が襲う、ということは考えられなくはない」
「でも、こっそり侵入できるなら、わざわざ襲わなくても、食事に毒を入れて毒殺って方法も」
「アゼルダもセレスティンも毒味役を置いている」
「それはなんと、危機管理能力の高いことで……」
「言っておくが、ルリの食事にも毒味役は付いてるぞ」
「えっ!?」
それは初耳だった。
「当たり前だ、竜族と違って人間は死にやすいんだ。対策は取っておかねば」
「竜族に比べたら、ほとんどの種族が死にやすいに分類されますよ」
「とりあえず、侵入方法が分かったのなら対策は取れる。
これまで後手後手に回っていたが、今度はこちらが罠を張れるな」
ジェイドは不敵な表情で、城を見上げた。




