死神
しんと静まり返ったジェイドの部屋。
ベッドでは瑠璃がすやすやと眠っている。
カタンっとわずかな音がしたかと思うと、ゆっくりと扉が開いた。
そこから、黒い服を着た男女二人が足音もなく部屋に入ってきた。
瑠璃が起きる様子はない。
「寝てるか?」
「ええ、ぐっすりよ」
「途中で起きないように念のため薬を嗅がしとけ」
女は人差し指ほどの大きさの液体が入ったスプレーを瑠璃の顔に向ける。
プシュっと霧状の液体が瑠璃の顔にかかった。
薬が効くのを少し待ち、男が瑠璃の顔を覗き込み、確かに寝ているのを確認する。
瑠璃は室内に人が入ってきたことにも気付かずぐっすりと眠ったままだ。
「ここで殺した方が楽なんだがな」
「駄目よ、死体が見つからないよう殺すのが依頼主の望みよ。
それに先に殺したらあれが使えないでしょう」
「ちっ、しゃあねえ」
男は眠っている瑠璃に手を伸ばすと、米俵を担ぐように瑠璃を肩に抱き上げた。
その時、瑠璃の首にかけていたジェイドの竜心が垂れ下がる。
それを見た女性が瑠璃の首から竜心のネックレスを奪い取る。
「危ない危ない。
確か竜は竜心の気配を追えるんだったわ。
居所がばれるところだったわね」
竜心は、質の良い絨毯の上に音もなく転がった。
「へっ、精霊つっても大したことないな。
大事な愛し子が誘拐されそうだってのに気付きもしねえ」
「竜族もね。ここまで私達の思惑通りに動いてくれるなんて、間抜けにもほどがあるわ」
「所詮は力で王を決める脳筋だからな。頭は弱いんだろうよ」
「急ぎましょう。そろそろあちらも動くだろうし」
「ああ」
二人は瑠璃を抱えたまま、闇に消えた。
***
地面がゆらゆらゆらと揺れている。
それに柔らかなベッドの上に寝ていたはずなのに、何故か床が固く、体が痛みを感じる。
身動きが取れない。
またカイが上に乗っているのかもしれない。
今度はちゃんと叱らなければ。
そんなことをぼんやり思いながら、瑠璃は目を覚ました。
そこは真っ暗な闇に包まれており、まだ夜であることを告げていた。
瑠璃は身を起こそうとした。
しかし上半身が何かに拘束されており、身動きが取れない。
「え……何……?」
腕を動かしてみたが、ガチャガチャと何かが音を鳴らすだけ。
異変はそれだけでなく、鼻腔をくすぐる潮の香りと、周囲から聞こえるちゃぷちゃぷという水の音。
そして空に見える星空。
瑠璃は一気に目が覚めた。
「な、何、ここどこ!?」
「起きたようだな」
その聞き覚えのない男性の声に、瑠璃はびくりと体を震わせる。
「誰!?」
首から上を持ち上げて声のした方を見るが、辺りは真っ暗でそこに人がいるのかさえ分からない。
しかし人の気配がする。
少ししてぽっと火が灯ったかと思うと、ランプが暗闇の中に浮かび上がる。
そこでようやく、瑠璃は声を掛けてきた男だけでなく、女もいたことを知る。
そして動かない体に視線を落とすと、両腕と上半身が鎖でぐるぐる巻きにされていた。
「何これ……」
ジェイドの部屋で寝ていた自分が何故こんな場所にいるのか、目の前にいる人達は誰なのか、分からないことだらけで瑠璃は混乱していた。
「私なんでこんなとこに。
あなた達が連れてきたの?あなた達誰!?」
怯えを隠すように、強い口調となる。
「死神っていやあ分かるか?」
「死神って……」
ヨシュアが言っていた暗殺集団。
瑠璃は血の気が引いていくのが分かる。
「なんで死神が私なんか」
「決まってるだろ、依頼を受けたのさ。
お前を殺すってな」
「依頼……?」
セルランダと獣王国の愛し子が狙われたのは瑠璃も知っている。
だが、それは神光教という存在のはず。
その依頼をしたのが神光教なのか、それとも別物なのか、瑠璃には判断が出来ない。
男がゆっくりと立ち上がると、瑠璃に手を伸ばしてきた。
「ちょっと、触らないで!!」
動ける足をばたつかせ、抵抗を試みる。
次の瞬間、瑠璃の目の前にキラリと白銀に光る短剣が突きつけられた。
「つっ」
「いいから大人しくしてろよ。
でないとうっかり手元が狂っちまうかもしれねえぜ」
瑠璃は恐怖に顔を引きつらせながら、こくこくと頷く。
瑠璃が大人しくなったと見るや、男は瑠璃の体を掴み上げ、横になった体勢から座る体勢へと変えさせられただけだった。
何もされずにすんでほっとする。
体勢を変えたことで先ほどより周囲の景色がよく見えるようになった。
ランプで照らされた先に水が見え、瑠璃はぎょっとした。
周囲を見渡せば遙か遠くに、竜王国の港の灯台が見えた。
どうやら瑠璃は小舟に乗って海の上にいるようだった。
逃げ道はない。
だが、瑠璃は泳げるし、少し遠いが港までは泳げそうな距離ではある。
それに精霊達がいる。
何かあってもコタロウ達が助けに来てくれるだろうという安心が、瑠璃を冷静にした。
しかし、そこで気付いた。
もうじゅうぶん瑠璃は危険な状態にある。
なのに何故助けが来ないのか。
何故一人も精霊の姿が見えないのか。
瑠璃はきょろきょろと辺りを見回す。
海の上ならば大勢の水の精霊がいて、瑠璃の姿を見て寄ってきそうなものだが、全く姿が見えない。
「精霊を探したって無駄よ」
死神の女が至極楽しそうにふふふっと笑う。
「あなたを拘束している鎖は、精霊殺しの魔法を組み込んだものよ。
それをつけているあなたには、精霊が寄ってこないわ」
精霊殺しという言葉に瑠璃は顔色を変える。
力を吸って発動する精霊殺しは、精霊の力も吸ってしまうから精霊は近付けない。
そして以前ナダーシャでコタロウが城内を調べようとした時、力が及ばず探索ができなかった。
つまり、コタロウが探そうとしても、瑠璃の姿は見つけられないということだ。
瑠璃は試しに魔法を使ってみる。
しかし魔力は鎖に吸い取られ発動しない。
それどころか、先ほどより鎖の重さが増したような気がする。
「おっと、魔法は使うなよ。
まあ使ったって拘束がさらにきつくなるだけだがな」
「っ……」
腕を捻ってみるが、やはり拘束は取れない。
「私を殺すつもり?」
「ああ、そうだ」
こともなげに男は告げる。
「だったらどうしてすぐに私を殺さなかったの?
わざわざ誘拐するより効率的でしょう?」
「それが依頼者の要望だ。
お前を誘拐し、城を混乱に陥れる。
まあ、そこから先は俺達の関わることじゃねぇ」
「だからってそんな簡単に誘拐なんて……。
私がいたのは岩山の天辺の第一区だし、警備だって……」
男は何が面白いのか、くくくっと笑う。
「あんな穴だらけの警備なんて簡単に入れるさ。誰も俺達を見つけるなんてできねえんだよ」
「どういうこと?」
「くくくっ、さあな」
決定的な言葉は言わずはぐらかされる。
「精霊はその精霊殺しの鎖さえあれば寄ってこねえ。
昼間のぼや騒ぎのせいで多くの兵士が城下町に下り、城内も混乱してるだろうからな、まだお前がいないことに気付いてねえんじゃねえか?」
「っ!あれもあなた達の仕業だったの?」
「いいや、あれは依頼主がやったものだ」
「依頼主って誰なの?」
「教えるわけねえだろ」
元々素直に教えてくれるとは思っていなかったので、それ以上は追及しない。
ぐるぐると情報が頭の中で交差する。
依頼主は瑠璃の殺しを依頼し、城内を混乱させて何をしたいのか……?
けれど今の瑠璃は他のことに気を取られている場合ではない。
できるだけ話を引き延ばしたい。
そうすればいなくなった自分を探しに誰かが来てくれるかもしれない。瑠璃はそう思った。
しかし、事態は最悪へと進んでいく。
「さあて、そろそろこの辺でいいか」
瑠璃はびくりと体を震わせる。
「ま、待って、まだ聞きたいことが……」
「必要ねえよ。何せお前はここで死ぬんだからな」
「少しぐらいいいでしょう!」
次の瞬間、瑠璃は男に蹴り飛ばされ、小舟から体が投げ出される。
「つっ、うっ」
ばしゃあんという水しぶきが上がり、それと同時に全身が水に濡れ、口から海水が入ってくる。
鎖で拘束されている体は重く、言うことを聞かない。
それでも、動かせる足をばたつかせて海面に上がる。
「ぷはっ」
海面から顔を上げると、小舟に立つ男と目が合った。
「これが何だか分かるか?」
男が持っていたのは大きな布袋。
瑠璃に巻き付いた鎖の先とその布袋がくくりつけられていた。
「中にたーくさん砂が入ってる。これを落としたらどうなると思う?」
大きな布袋にパンパンに詰められた砂袋。
海に落とせば当然その重りで海の底に沈んでいく。
繋がれた瑠璃諸共。
「や……止めて……」
瑠璃の顔が恐怖に歪む。
「くははははっ。
その恐怖に歪んだ顔、いいねぇ」
狂気的な笑い声を上げる男に、背筋がぞくりとする。
無意識に体が震えていた。
それは決して海水の冷たさだけが原因ではない。
「いいから早くしなさいよ。まだやらなきゃいけないことがあるんだから」
「ああ、分かってるよ。
じゃあな、お嬢ちゃん」
直後、男は砂袋を海の中に放り込んだ。
砂袋はその重さであっという間に海の中に沈んでいく。
それと共に、鎖で繋がれた瑠璃の体が、水中へと引きずり込まれた。
「つっ、ううぅ」
息を止め、拘束を解こうともがく。
しかしがっちりと巻き付いた鎖は瑠璃の力では解けない。
そのまま瑠璃の体は海の底へと沈んでいった。
(誰か!助けて……)




