市場へ到着
時の空間から出て来た瑠璃とチェルシーは、早速竜王国内の町にある市場へと向かおうとしたのだが………。
「チェルシーさん、市場ってどこですか?
車とかってあるの?」
「車……馬車の事かい?
そんなのあるわけないだろ、どこに馬がいるんだい」
「じゃあ、どうするんですか!?」
周囲を森で囲まれたこの場所。
とてもじゃないが、近くにチェルシーの言う市場があるとは思えない。
「普通に歩けば、一番近くの村でも五日は掛かるね」
「五日っ!!そんなに歩くの!?」
「それは歩いた場合の話で、だれも歩きで行くとは言っていないよ。
それに市場は村じゃなくて、さらに先にある町にあるんだよ」
「歩き以外の移動手段もないのに、その先なんて………はっ、まさかファンタジーらしくワープするとか?」
わくわくと期待する瑠璃を放置し、チェルシーは周りに障害物の無い開けた場所へ移動すると、途端にチェルシーの体が光に覆われる。
光は段々と大きくなり、家の高さを超え、森の木々の高さまで大きくなっていく。
「あわわわわ!」
光が消えると、全身を鱗に被われ、尻尾と羽根の生えた大きな爬虫類が現れた。
「チェルシーさんが、とかげになっちゃったぁぁ!!」
恐慌状態で叫ぶ瑠璃に、いつも通りのチェルシーの突っ込みが入る。
『とかげではなく、竜!
誇り高き竜をただの爬虫類と一緒にするんじゃないよ、まったく失礼だね』
耳からではなく、頭に直接入ってくるような声が響く。
「今の声チェルシーさん?」
『念話といって、直接頭の中に話し掛けているんだよ。
竜体だと話せないからね』
「竜………チェルシーさんって竜族だったんですね」
最初は大きなとかげと思っていたが、竜体となったチェルシーの周囲をぐるりと周り、まじまじと観察していくと、確かにとかげとは違うのが分かる。
そして竜は竜でも、東洋風の長い体の龍ではなく、西洋風の竜だ。
かなり、怖い………。
チェルシーだと分かっているから普通に接しているが、そうじゃなければ、ガタブルするようなド迫力だ。
『ほら、呆けてないで早くお乗り』
どうやら、歩きではなく飛んでいくらしい。
「お乗りって言われても、どうやって………」
今のチェルシーは、ビル五階建ては優にある高さで、全身を覆う鱗はつるつるとしていて、とてもよじ登れそうに無い。
『魔法があるだろう。
風の精霊の力を使って体を浮かしてごらん』
言われるように、空を飛ぶ姿を頭に思い浮かべ魔法を使うと、ふわりと体が浮いた。
だが、バランスが取りづらくて、まともに体勢を留めていられず、空中でくるくると回ってしまう。
『最初はバランスが取りづらいだろうが、ルリなら慣れれば私と並行して飛べるようになるだろ。
但し、飛んでいる間はずっと魔力を消費し続けるから、魔力の残りに気を付けるんだよ
まあ、ルリには無駄な心配かもしれないけどね』
何とかチェルシーの頭の所まで辿り着くと、チェルシーの頭から生えている固そうな角へとしがみつく。
『さあ、出発するから、ちゃんと掴まっておくんだよ』
「はーい」
元気よく返事をした瑠璃の声を合図に、チェルシーの巨体が空へ舞う。
あっと言う間に森の木々を見下ろすほど空高く上昇する。
あまり絶叫系の乗り物が得意ではない瑠璃。
命綱はなく、頼りはチェルシーの角だけだが、予想外に恐怖を感じる事は無かった。
それは、近くに感じる風の精霊の魔力のお陰かもしれない。
振り落とされても、落下する心配は無いという安心感があった。
そして、チェルシーが周囲に結界を張っているのか、体に感じる風は気持ちの良いそよ風程度だ。
天気も良く、視界も良好。
下にはチェルシーの家がある森が広がっている。
上から見下ろすと、さほど大きいようには見えないが、その中を何の道具も無く放り込まれたら、自力で脱出するのは不可能な大きさだ。
改めて瑠璃はよく生き残ったなとしみじみ感じる。
精霊達が居なければ、今頃干からびていた。
瑠璃は本当に運が良かったのだ。
五日は掛かると言われた村をあっさりと通り過ぎ、出発して数時間。
途中でいくつかの集落を通り過ぎ、大きな町並みが見えてきた。
『着いたよ』
チェルシーが降り立ったのは町の出入り口にある関所よりかなり手前。
どうせならもっと手前に降りれば良いのにと思いながら瑠璃はチェルシーの頭から降りる。
だが、それも理由があっての事だった。
チェルシーは瑠璃が降りたのを確認すると、再び体が光に包まれ、元の人型の姿へと戻った。
そして、空間から瑠璃の茶髪のかつらを取り出し、瑠璃へと渡した。
「忘れていたけど、町に入る前にそれを付けておくれ。
そして町の中に居る間は絶対にそれを取っちゃ駄目だよ」
「いいですけど、何かあるんですか?」
「ルリの髪の色はこの世界じゃ、とても珍しいものだからね。
下手したら奴隷商人に目を付けられる可能性もあるから、人前ではなるべく取らないようにするんだ」
「奴隷なんているんですか!?」
奴隷という言葉とは無縁の国で育った瑠璃には衝撃が強かった。
「竜王国にはないけれど、奴隷制度が合法な国は少なくない。
希少な種族や、珍しい色を持った者は高値で取引されるから、誘拐されたなんて話は珍しくないからね。
ルリの国は平和な所だったようだから、くれぐれも警戒するように、特に人間にはね」
まるで幼い子供に言い聞かせるようなチェルシーに不満顔の瑠璃だが、その事への文句を口にするより、別の言葉が気になった。
「特に人間なんですか?」
「ああ、人間だ」
何故?っといった様子の瑠璃を前に、チェルシーは瑠璃の周囲へと視線を走らせる。
釣られるように目を向ければ、そこにはいつも通り瑠璃にくっついてきた精霊達しかいない。
首を傾げ、全く理解していない瑠璃に、チェルシーは溜息混じりに説明する。
「これだけ精霊をくっつけている者を襲おうとするのは、魔力が少なくて精霊が見えない人間か、自殺願望がある者ぐらいだよ」
「亜人だって、魔力が少ない人もいるんじゃないですか?」
「見えなくても、亜人は人間より何倍も感覚が鋭いから、これだけ集まれば精霊の気配ぐらいは分かる。
でも、人間は一握りの魔力が強い者しか見えないからね。
だから、目を付けられないように、くれぐれも、くれぐれも気を付けるんだよ」
「子供じゃないんだから、一度言えば大丈夫ですって」
瑠璃に危険が及んだ場合、危険なのは周囲の方。
十分に言い聞かせなければと、チェルシーは町に入るまでの間、瑠璃の耳にたこが出来そうなほど、何度も何度も注意を促し続けた。
町の門を通り抜けると、そこは、もふもふ天国だった………。
久しぶりの人が集まる場所に、高まる気持ちをさらに押し上げる町の光景。
人に限りなく近い姿だが耳と尻尾を生やした獣人や、逆に動物に近い姿の二足歩行をした獣人など、様々な姿をした人がそこかしこに歩き回っていた。
チェルシーのように、完全に人の姿をした亜人はどんな姿を持つのか、人間か亜人かすら判別が付かないが、この町はほとんどが亜人だと言う。
町中で見かける子供は、皆耳や尻尾が生えていたり、下半身や上半身だけ人外だったりしている。
亜人ではあるが、まだ幼く、完全に人の姿を取ることが出来ないらしい。
もふもふした小さな子供の、なんと可愛いことか。
もふりたい………。
思わずふらふらと、遊んでいる子供達に近づき、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「ねぇ、少しだけ撫でさせてくれない?」
「いいよ~」
初対面でいきなり撫でさせろと言う変質者に、警戒するかと思いきや、あっさりと了承される。
その警戒心の無さに、頼んだ瑠璃自身が心配になったが、子供の可愛さと柔らかい毛並みにへにょりと表情を緩める。
「至福………」
「なにやっているんだいルリ、行くよ」
「見てチェルシーさん!激カワですよ」
「子供が可愛いのは当然だろう。
寄り道はやることをやってからにしな」
チェルシーに腕を引かれ、名残惜しく感じながら瑠璃に手を振り返してくれた子供と別れ、賑わう町の中を、チェルシーとはぐれないよう後ろから付いて市場へ向かう。
町の広場では、青空の下、沢山の店と買い物客がいる。
見たことも無い果物や野菜、食べ物だけで無く、使い道の良く分からない品物まで様々な物を売っており、屋台の所もあれば、ただ大きな布を敷いた上に商品を並べているだけの所もある。
売っている物は違うが市場と言うより、あちらの世界で週末によく買い物に出掛けた、フリーマーケットが瑠璃の脳裏に浮かんだ。
瑠璃達も空いた場所に大きな布を敷き、薬草や果物を並べていくのだが、周囲からの強烈な視線に非常に居心地が悪かった。
町の中に入った頃から感じる視線。
皆瑠璃を見ては驚きの表情を浮かべたり、ひそひそと周りと話しながら瑠璃を窺うのだ。
髪はかつらを被っているのでそれが理由ではないはず。
(私の格好どこかおかしいのかな。流行遅れな服装だったりして)
瑠璃の服はチェルシーから借りている物ではあるが、森の中で暮らし服装に頓着しないチェルシーならばあり得る。
きっとそうだと確信した時、子供の声が聞こえてきた。
「ねぇママ、あのお姉ちゃん精霊さんがたくさんくっついてるよー」
瑠璃の両肩、頭と、常に引っ付ている精霊達は、瑠璃にすればいつもの光景だったが、それは珍しい事だというチェルシーの話を思い出す。
そして、自分が周囲から見られている理由が分かった。
「もしかして、私って珍獣扱い?」
「似たようなものだね」
瑠璃の小さな呟きを拾ったチェルシーの返答に地味に傷付く。
自分の知らない内に、見世物となっていたようだ。
常々平凡に暮らしたいと誰よりも思っているのに、こちらでも一般人とは掛け離れているらしい。
だが、この可愛らしい精霊達を可愛いと感じ、追い払おうとは微塵も思っていない分、同じ面倒事に巻き込まれるにしても、心の平穏はあさひとは比べものにならない。
気を取り直して品物を並べていき、準備が整った頃には、瑠璃の売場には沢山の人集りが出来ていた。
「この薬草は、君の手で採ったものかい?」
「はい、そうです」
「じゃあ、この果物をおくれ」
「俺はこっちだ!」
「あっ、横入りするんじゃねぇ!」
販売早々、その場は戦場と化し、次々と客が押し掛けた。
しかも、客は何かと瑠璃を通そうとして、商品の受け渡しからお金の支払い、商品の説明まで必ずチェルシーではなく瑠璃としようとする。
まだ薬草や果物がどんな物かも知らず、金の勘定も出来ない瑠璃では、一々チェルシーに聞きながらなので、時間が掛かってしょうが無い。
その上、握手や子供の頭を撫でてくれなど、買い物とは全く関係の無い事まで要求される始末。
並べていた商品はあっという間に無くなったが、その場には一人疲れ切った瑠璃の姿が残された。
『ルリ、がんばった』
『お疲れさまー』
「どうして私ばっかり………。横にチェルシーさんもいるのに」
「瑠璃ほど精霊に好かれる者は珍しいって言っただろう。
瑠璃が手ずから採った物や、瑠璃に触れて、少しでも精霊の力のお零れを貰おうとするんだ」
「握手で精霊の力が与えられるんですか?」
「いいや、全く。まあ、気持ちの問題かね。
でもそれだけ、この世界は精霊の力で回り、絶対的な信仰の対象だからね。
精霊の見える亜人にとって、瑠璃は尊く貴重な存在に見えているから、少しでも関わりたいと思っているんだよ」
「嫌われるよりは好かれた方が良いけど、毎回は辛いかも………」
「何度か町に来れば落ち着くだろう。
でも、気を付けるんだよ。
誰もが好意を持っている者とは限らないんだからね。
必ず利用しようとする者がいる事を忘れてはいけないよ。
ほいほいと知らない人を信用しないように」
「はいはい」
又しても耳にたこな忠告に逆戻りし、うんざりする瑠璃。
瑠璃がチェルシーの言葉を身をもって理解するのは、チェルシーの庇護を離れた後のことになる。