時の精霊
木漏れ日がキラキラと降り注ぐ朝。
思わぬ忠犬ぶりを見せた魔獣……改め、コタロウ(瑠璃命名)と共に森の中で薬草や食べ物を探していた。
この世界の薬草や食べられる物がどれかは分からなかったが、始終瑠璃にくっついてくる精霊達が解説を交えつつ教えてくれるので、間違って毒のある物を取る心配は無い。
「これは?」
『大丈夫』
『食感が面白いのー』
精霊自身は飲食をしないが、精霊はありとあらゆる場所に存在し、独自の情報の共有がされているようで、人と関わりの無い場所に住む精霊も人の近くに住む精霊などから、それがどういう物かといった情報が入るのだという。
森には魔獣が沢山居るという話だったが、コタロウはこの森の中で食物連鎖の頂点にいる、何気に凄い魔獣だったようで、それを褒めれば得意気に鳴いた。
最初は容貌が怖くて近付くのもへっぴり腰だった瑠璃だが、漸く慣れ、怒れば尻尾を下げしゅんとし、褒めれば嬉しそうに犬のように尻尾をぶんぶんと振る、かなり喜怒哀楽の分かりやすいコタロウに可愛さすら感じるようになってきた。
そのコタロウに咥えて貰っている籠が一杯になると、チェルシーのいる家へと帰る。
家の周りの結界を書き換えて貰い、コタロウも入れるようにしてもらった。
家の前では、チェルシーが大きな布を広げ待っていた。
「ただいま」
「おや、随分沢山採ってきたんだね」
籠の中身を広げた布の上に出し、種類ごとに仕分けしていく。
これらの品はこれから向かう街の市場で販売するのだ。
しかも、その街は亜人が沢山住む街という事で、亜人と対面出来ると、朝から瑠璃の機嫌はうなぎ登りだった。
鼻歌を歌いながら選別しているその横で、拾ってきた物を見たチェルシーは顔を引き攣らせていた。
瑠璃は知らなかったが、精霊達に言われるまま拾ってきた物のほとんどが効能の高い薬草だったり、市場では滅多に出回らない果物だったりがどっさり含まれていたのだ。
中身の値段を大まかに換算して、チェルシーは眩暈を覚えた。
(早くこの子に物の価値観を教えないと、大変な事になるね)
精霊が喜ばせようとしたのか、この季節には絶対に生えていない薬草なども含まれていた。
これだけ希少性の高い物を大量に売り出せば、否が応でも人目につく。
邪な考えの者に目を付けられれば危険だ。
この場合チェルシーが心配しているのは、瑠璃自身ではなく瑠璃を守るために動く精霊達から受ける周囲への影響だ。
チェルシーは全て売ることは止め、半分程度を売ることにした。
そして残りの物は、傷まないよう空間を開き、そこに放り込んだ。
何の変哲も無い場所に突然現れた光る裂け目に、瑠璃は大きく目を見開いた。
「チェルシーさん、それ何!?それ!!」
「何って空間を開いたんだよ」
「どうやって!?」
興奮する瑠璃を訝しげに見た後、自分の常識は瑠璃の常識ではなかった事に気付き、合点がいった。
「これはね、時の精霊に働きかけて、時の精霊が住む次元とを繋いで貰い、空間を開くんだ。
この生まれた空間の中に入れた物は時間が止まったまま進まないんだよ」
「私にも出来る?」
「やってみな」
この手のものは、これまでやってきたゲームなどから、容易く想像が出来たおかげか、難なく目の前に光る丸い裂け目が生まれた。
だが、いつもより魔力の減りが大きい気がしたが、裂け目を前にすぐにその思いも飛んでいく。
「おお~!」
何となく出来るだろうとは思っていても、簡単に作り出してしまった瑠璃に、チェルシーは苦笑いを浮かべる。
そんなチェルシーを余所に、瑠璃は興味からその光る裂け目に首を突っ込んだ。
ぎょっと目を剥くチェルシー。
傍目から見たら、首の無い胴体が座り込んでいて、かなりホラーになっている。
チェルシーは慌てて瑠璃の体を引き抜く。
「うわっ、急に何するんですか」
「それはこっちの台詞だよ!いったい何をしているんだい!!」
「中はどうなっているのかなぁって」
「その空間の中に頭を突っ込む馬鹿はいないよ!」
「そうなの?」
無知とは何と恐ろしいことか。
恐れ戦くチェルシーとは違い、きょんとした瑠璃は「でも………」と、後を続けた。
「中は結構広いし明るい所でしたよ?」
「はっ?」
「チェルシーさんも、見てみてよ」
困惑するチェルシーをずいずいと押し、光る裂け目の前へ連れて行く。
全力で拒否を示すチェルシーだが、僅かな興味が勝り、恐る恐る裂け目に手を掛け、息を止め勢い良く首を突っ込む。
「かなりシュールな光景………」
首無し状態のチェルシーを見て、自分の時もこんな風だったのかと何とも言えない表情で見ていると、チェルシーが首を抜き呆然としていた。
「チェルシーさん?」
チェルシーの目の前で手を振ると、チェルシーははっと我に返る。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。少し驚いただけだ。
空間の中があんな風になっているとは思わなくてね」
「本当に入ったこと無かったんですか?」
「固定観念ってものだろうね。入れる筈が無いって。
それに、私の作れる空間はあまり大きくは無いから、どっちにしろ入れなかったよ」
瑠璃は少し考える。
全身中に入ってみたいが、チェルシーの様子から入って大丈夫という確信が持てない。
危険な事はしたくはないが、顔を入れてみたかぎりでは、呼吸が出来る事は確認した。
「う~、入ってみたいけど、どうしよう」
入った瞬間に入り口が閉じたりして、出られなくなったらどうしようか。
頭を抱えて悩んでいると、精霊達がクスクスと笑いながら瑠璃に話し掛けてくる。
『大丈夫だよ』
『入っておいでって言ってる』
「おいでって……誰が?」
『行ってみたら分かるの』
精霊達が大丈夫だと言っているなら大丈夫だろうという結論に至り、入れるよう裂け目を大きくし、飛び込んだ。
中は先程見た通りの広い空間が広がっている。
壁も床も天井も真っ白で、天井は高く、大きな倉庫を想像させるその空間は、電飾や灯りといった光を発する物は無いのに、しっかりと周囲を見渡せるほど明るかった。
続いて 入ってきたチェルシー。
「凄いね」
「ところで、こんな所で誰が呼んでいるって?」
『私よ』
突然聞こえた頭の中に響いてくるような第三者の声に、二人揃ってびくっと体を震わせ周囲をきょろきょろと見渡す。
すると、どこからともなく、体が透けた綺麗な女性が現れた。
「ぎいゃあぁぁぁ、お化けぇぇぇ!!」
瑠璃は女子とは思えない雄叫びを上げ、チェルシーの後ろに隠れぶるぶると震える。
「これ、落ち着きな!お化けじゃなくて、精霊だよ」
「精霊………?」
瑠璃が恐る恐るチェルシーの影から覗き見ると、困ったような表情の、長い純白の髪に金色の瞳をした、瑠璃とさほど年は違わないだろう若い女性。
優しそうな雰囲気で、体は透けているが、その背から生えているのはいつも瑠璃の周りに居る精霊達と同じもの。
「でも、全然大きさが違う……」
瑠璃の知る精霊達は、皆手の平に乗るほどの小人サイズだが、目の前の女性は瑠璃やチェルシーと同じぐらいの普通の人間サイズだ。
『あの子達は下位精霊で、私はあの子達より上位の精霊だからよ。
精霊の持つ力によって、見た目は変わってくるの』
お化けではないと分かったので、落ち着きを取り戻し、大騒ぎしたことを謝罪する。
「ごめんなさい」
『良いのよ。
噂通りとても大きな魔力を持っているのね。
これだけの大きな空間を作れる者は本当に少ないのに。
あなたの事は外の精霊達から聞いて、一度会ってみたいと思っていたの。
私はそちらの空間には出て行けないから』
どこか寂しげな表情を見せる精霊。
「どうして?
今なら外と繋がっているし、一緒に出る?」
『………ありがとう。
だけど、私は時の精霊だから、この次元からは出られないの』
「時の精霊だって!?」
突然大声を上げたチェルシーの声に、瑠璃はびくりとする。
「チェルシーさん、急に大きな声出したらびっくりするから」
「これが大声を出さずにいられるかい!
時の精霊だよ、決して人前には姿を現さない伝説とさえ言われている精霊なんだよ!」
「へぇぇ」
とても分かっていなさそうな瑠璃に、チェルシーはがっくりと肩を落とす。
「あんたに言って分かるわけ無かったね………」
「うん、時の精霊自体さっき知ったし。
…………ところで、時の精霊って事は時間を進めたり戻したり出来るの?
十年後の世界を見たりとか」
タイムスリップという言葉が頭を過ぎった瑠璃はわくわくと期待感に胸を膨らませる。
『時を扱うには大量の魔力が必要となるから、世界全ての時間を動かすのには、世界中の者の魔力を使っても足りないわね』
「でも、この中は時間が止まっているんでしょう?」
『ここは時と空間を司る私の領域。
外の世界とは別の空間だから、時の流れという縛りはないわ。
だから、この世界とを繋ぎ、中に入れた物は入れた時の姿が保たれるの』
「じゃあ、この中に居ればずっと年は取らないの?」
『まあ、そうだけど、生きた物が長くここの世界にいると、精神に悪影響を及ぼすからお勧めはしないわね。
発狂したり廃人になったり……』
不穏な言葉に、瑠璃とチェルシーの顔が青ざめる。
「じゃあ、早く出ないと!」
「そうだね、急いで出よう」
急いで外に出ようとして、不意に瑠璃が後ろを振り返ると、寂しげに笑う精霊の表情が瑠璃の心を激しく打った。
「ねえ、あなたはここで一人なの?他の精霊は?」
『私一人よ。
時々外の精霊達が外の世界を教えてくれるけど、会うことは出来ないの』
「この世界にいて、影響はどれぐらいで出るの?
数時間後だけとかは?」
『えっ?あ、毎日じゃなければ大丈夫だと思うわ。
あなたは魔力も強いし、他の人より影響を受けにくいと思うし………』
それを聞いて、瑠璃の心は決まった。
「なら、時々遊びに来るわ」
精霊は大きく目を見開いた。
『えっ………』
「これから街に行って、面白い遊び道具とか買ってくるから、楽しみにしてて」
『会いに来てくれるの………?』
「勿論」
精霊は感極まったように、ポロポロと涙を流しながら、両手で顔を覆う。
『っ………ありが…とう……』
途切れ途切れに感謝を伝える精霊に別れを告げ、外へ出た。
チェルシーは、咎めるような視線を瑠璃へと向ける。
全く安全とは言い切れないので、それも仕方が無いのだが、瑠璃は意志を変えるつもりはなかった。
「本当に良かったのかい?」
「だって、放っておけなかったから………」
彼女の寂しげな表情が、まるで、以前の自分を見ているようで………。
友人や恋人が出来ても、すぐにあさひに夢中になってしまい、心許せる人がいない寂しさ。
状況は違うし、自分には家族がいたので完全な孤独ではなかったが、人恋しい寂しさは分かる。
それ以上、チェルシーが何か言うことは無かった。
この日、ペットに引き続き、泣き虫な友人が瑠璃の生活に加わった。