おねだり
現在王の執務室では瑠璃とジェイドが言い合いをしていた。
「駄目だ」
「ええー!?どうしてですか?」
「駄目なものは駄目だ」
「少しだけですよ?」
「何かあったらどうする」
「そのためにヨシュアとユアンを連れていくんじゃないですか」
問題となっているのは、瑠璃が王都に家を買うために街に行くこと。
家を買いにいくこと自体は問題なかったのだが、そのついでに瑠璃が以前働いていた王都の隣町にある食堂にまで足を延ばすと聞いてジェイドが断固反対しているのだ。
ユークレースからあらかじめ突然辞めるかもしれないということは伝えられていた。
辞める時もユークレースが直接辞めることを伝えていたのだが、瑠璃としては自分が働いていたのだから直接自分の口で突然辞めたことを謝罪したい。
しかし食堂は以前瑠璃がデートしようとしていた犬の亜人の行きつけの店でもある。
それをジェイドが問題視しているのだ。
瑠璃としては、知らぬとは言えデートを約束した場に竜心を付けていったことを謝罪したいとは思う。
会ったところで今更それ以上の関係になることはないのだから。
だが、ジェイドは完全に敵認定している。
瑠璃は竜族の嫉妬深さを今身をもって感じているところだ。
「行くのは王都だけだ」
これが決定事項だというように、もう視線すら上げず机に向かって仕事を始めるジェイドに、瑠璃はへの字口になる。
「むう……」
頑固なジェイドに瑠璃は最後の手段をとることにした。
空間から腕輪を取り出すとそれをはめる。
瞬く間に猫になった瑠璃はジェイドの膝の上に跳び乗り、うるうるとした瞳でジェイドを見上げる。
「うっ………」
怯んだジェイドに瑠璃は内心でほくそ笑みながら畳み掛ける。
「みゅーん」
念話ではなく猫の声でそう悲しそうに鳴き声を上げ、お・ね・が・いというようにジェイドの首元にすりすりとすり寄る。
もふもふ好きのジェイドの心がぐらついているのを感じながら、瑠璃は猫の可愛い円らな瞳を潤ませじっと見つめた。
『お願いします、ジェイド様』
***
ヨシュアとユアンを連れ意気揚々と執務室を出ていった瑠璃。
その場にいたフィン、クラウスからは呆れたような眼差しがジェイドに突き刺さる。
そしてジェイドはついつい可愛さに負けてしまった自制心のなさに頭を抱えているところだ。
「ちゃんと虫を払うためにヨシュアとユアンを連れていくのですから、好きなようにさせればいいと思いますよ」
フィンとクラウスは竜族の番への執着を知っているからこそジェイドに同情的だが、一人瑠璃の行動に同意するユークレースに視線が集まる。
「私とて竜族ですから番に一度でも好意を抱いた異性と会わせたくない気持ちは分かりますが、ルリは竜族ではなくただの人間です。
あまり竜族の気持ちを押し付けすぎるのもよくないでしょう」
「だが、それを承知でルリは私の竜心を受け取ったのだぞ」
「承知していたとしても、ルリは竜族ではなく人間です。
ルリは愛し子なのですから、その気になれば精霊達が全力でルリをあなたから逃がしてしまいますよ」
ユークレースとて瑠璃が簡単に心変わりするとか思っているわけではない。
言いたくはないがユークレースは竜王国の宰相。
最悪の事も考えて対処する必要がある。
魔力の少ない人間は、他の亜人が畏怖を感じる竜族の強い魔力への感覚も鈍く、竜族の番となる人間は珍しくない。
それと同時に、死ぬまで一途な竜族と違い、番が浮気をしてしまうという話も少なくないのだ。
そうなった時の竜族は手が付けられない。
大暴れした上で浮気相手を殺すのは勿論、番を殺して自分も死ぬという行動を起こした者は過去を顧みても珍しくない。
もしも最も力がある故選ばれた竜王がそうなったらと思うと………。
瑠璃に重いと言われない為に、多少は自制して貰わねば。
竜心を渡したことで安心していたが、その可能性があったことに今更ながら気付いたジェイドは内心慌てた。
「それにルリはこちらの世界の者ではないのです。
そして空間の中で見たルリの資産を考えれば、誰かに庇護されずとも一人で生きていけます。
今ルリがこの王都に留まるのはひとえにあなたへの愛情なのですから、縛り付けすぎて嫌われればチェルシーさんの森に引き籠もってしまうかもしれませんよ」
「それは困る。善処しよう」
殊勝に頷いたジェイドだが、いざとなった時に自制出来るのか?と疑いの眼差しが方々から向けられた。
***
一方、見事猫のおねだりに陥落したジェイドの許可が出て、ヨシュアとユアンを引き連れ意気揚々と王都の隣町にある食堂へ向かった瑠璃。
そのままの髪では目立つのできちんとかつらを着用している。
「むふふふ、ちょろいわジェイド様」
瑠璃も同じもふもふ好きだからこそツボを心得ている。
円らな瞳でお・ね・が・い、などと言われて無視するなど真のもふもふ好きではないが瑠璃の持論である。
ましてやジェイドはもふもふ好きでありながら、食物連鎖の頂点にいる竜族なために、これまでもふもふとの触れ合いがなかった、もふもふ欠乏症。
耐えられるはずがない。
「必要なら猫の姿も利用する恐ろしい女だ」
「傾国の女ならぬ傾国の猫ってのも新しいよな」
ユアンとヨシュアはそれぞれ言いたい放題だ。
「こんにちはー!」
元気よく挨拶をしながら食堂の中へ足を踏み入れると、瑠璃を目にした食堂の奧さんと、娘夫婦が驚きつつも嬉しそうに瑠璃に近寄ってきた。
「まあ、ルリちゃんじゃないの」
お昼の時間を避けて来たので食堂の客は疎らだ。
「あらあら、急にどうしたの?」
「突然報告もなく辞めてしまったことを謝りたくて。
ご迷惑をおかけして本当にすみません」
「そんなこと全然気にしなくて良いいのよ。
ユークレース様よりあらかじめ聞いていたことなんだから」
突然辞めたにも関わらず怒りもせずにこやかに迎えてくれた奧さんに瑠璃はほっとする。
「折角だから何か食べていって」
「ええ、是非」
空いている席に座り、しばらくして食事を持ってきた奥さんの娘。
彼女は食事をテーブルに置いた後、瑠璃の向かいに座っているヨシュアとユアンを見て含み笑いをする。
きょとんと瑠璃は首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「ねえ、どっちがルリちゃんのいい人?」
「はっ?」
一瞬何を言われたか分からなかった瑠璃だが、一拍の後意味を理解して慌てて否定する。
「ち、違います。二人とはそういう関係じゃありません!」
「あらそうなの?
だって聞いたわよ、あのジェット君とデートの時に竜心を付けていったんですって?」
「どうしてそんなこと知っているんですかー!?」
非常識な行いをしてしまったことを知人に知られていたことに瑠璃は恥ずかしさで頭を抱えた。
「ジェット君に聞かれたのよ。
ルリちゃんには竜心を与えるような恋人がいるのかって。その時に事情を聞いてね。
経緯は知らないけれど、竜心があるのに他の人とデートなんてしちゃ駄目よ」
「すみません。あれが竜心だったなんて知らなくて……」
「知らずにもらったの?もしかしてその竜族の人に交際を無理強いされているんじゃ……」
さっと食堂の娘の表情が強張るが、瑠璃は慌てて否定する。
「いいえ、違います。もらった時は知らなかったけど、今はその……恋人です」
はにかみながら少し恥ずかしさを含みながらも嬉しそうに話す瑠璃に、食堂の娘も微笑む。
「ならきっとルリちゃんがデートするって聞いて慌てて渡したのね。随分せっかちな恋人さんだこと。
まあ、結果的にはジェット君に早々に諦めさせることになったんだから、先に渡した恋人さんにお礼を言わないといけないかもね」
「どういうことですか?」
あまりジェットに対して好意的ではない言い方の彼女に、瑠璃は不思議に思う。
瑠璃から見た感じ、とても好印象の好青年だったからだ。
「ルリちゃんは知らなかったみたいだけど、ジェット君ってば既に二人の奧さんがいるのよ」
「え゛っ……」
「しかもルリちゃんが駄目だと分かったらすぐ次の女性を見つけたようで、来月三番目の奧さんを迎えるそうよ。
まあ、ジェット君の種族は一夫多妻制だから別におかしくはないのだけれど、やっぱり女としては沢山奧さんがいる人より、一途な竜族の人の方が断然良いと思うのよ。ねぇ?」
瑠璃の中にあったジェットの純朴そうな好青年というイメージがガラガラと崩れていく。
「私、知らなかったとは言え、竜心を付けていったことを謝らなきゃって………」
「そんなのいい、いい。必要ないわよ。
そのことでショックを受けていたなら謝罪した方がいいけど、すぐに次の女を見つけるような奴に謝罪なんていらないわよ」
「そうみたいですね………」
じゃあゆっくり食べていってねと言って、食堂の娘は仕事に戻っていった。
後にはショックを受けた瑠璃が残された。
あまりにもショックを受けた様子の瑠璃にヨシュアが声を掛ける。
「何そんな落ち込んでるんだ?
そんなにそいつのことを好きだったっての?陛下には黙ってた方が良いぞ、それ」
「そうじゃなくって。
虫も殺さなさそうな純朴少年に既に奧さんがいたことに衝撃を受けたっていうか。
しかも二人!私は三番目の奧さん候補だったっていうことでしょう!?
三番目………。私には無理だわ」
「まあ、竜族からしたらルリと同意見だわな」
いい旦那さんになると思っていたのに………。
いや、別に一夫多妻制を否定するわけではないのだが、一夫一妻制の国で育った瑠璃には到底受け入れられない。
「ルリの生まれた所は一夫一婦制だったのか?」
食事を食べながら、そうユアンが問いかける。
「うん。他の国では一夫多妻も一妻多夫もあるけど、身近なものじゃなかったから」
「そうか。結婚の制度は大体は国ではなく種族によるな。特に亜人はな。
他にも一妻多夫の種族もいるが、一夫多妻は特に獣の姿が四本足の種族に多いから一応覚えておけ」
「へえ。じゃあ奧さん三人四人は当たり前なの?」
「一夫多妻の中では少ない方だろ。
獣王国の獣王は十九人のお妃がおられるからな」
「げっ、十九人も?」
「今十九人であって、これまで下賜されたり離縁されたりした方も含めればもっとだな」
あり得ないと、瑠璃は表情を引き攣らせる。
皿の上にあったお肉を頬張りながら、ヨシュアが更に付け加える。
「まあ、それは極端な話だって。
でも、生涯一途であることが美徳の竜族と違って、嫁の数が力と権威の証って種族もあるんだよ」
「私はジェイド様で良かった……」
心からそう思った。
多少嫉妬深いが、裏切る可能性が皆無の竜族の方が安心できる。
「本当にその感情が続けば良いがな」
「どういう意味?」
真剣な表情でユアンは話し始めた。
「俺の母親は父親に殺された。
俺の母親は人間だったって言っただろう?
人間は竜族と違って生涯一人の相手を愛するとは限らない。
勿論、愛し続ける人間もいる。だが、母親は父親の嫉妬深さに嫌気がさして家で働いていた人間の庭師と恋に落ちて駆け落ちしようとしたんだ。
それに気付いた父親は浮気相手諸共母親を殺して自分も死んだ」
衝撃的な話を淡々と語るユアン。
一瞬の沈黙の後、瑠璃はフォークを手に取りこの世界の良く分からない奇抜な色の野菜に突き刺した。
「へぇ、大変だったわね」
「軽いな、おい!」
特に感情の籠もっていない、ちょっとそこの塩取って位の軽さにユアンがつっこむ。
「もっと同情したり慰めの言葉を掛けたりとかないのか」
「だって、別に悲しんでもないんでしょ?
そんな相手に何言うのよ」
その瑠璃の言葉にユアンは虚を突かれたような顔をする。
そのやり取りを聞いていたヨシュアが突然笑い始めた。
「あははっ、ルリは面白いな。大概の奴はそれ聞いて同情したり掛ける言葉も出なくて絶句するのにさ」
「だって、フィンさんとの温度差が激しいんだもの。
まるで第三者から聞いた誰かの話を話してるみたいに感情が籠もってない」
それが図星だったユアンはポリポリと頭を掻き溜め息を吐く。
「仕方がないだろ。
その事件は俺が物心付く前で、一番古い記憶の中では既に叔父と叔母を両親として兄さんと一緒に暮らしてたんだ。
俺を傷付けない為に話は成人してから聞かされたが、いくら本当の親と言えど会ったこともない者の話を聞いても実感は湧かなくて、へえそうっていうのが正直な気持ちだったな。
寧ろ俺が落ち込んでいるんじゃないかと心配した兄さんがしばらく俺と一緒にいてくれたから嬉しかった位で……。
だから同情されても逆に困るんだよ」
その話をどこからか聞き、ユアンに慰めの言葉を掛けるものもいたが、悲しんでもいないのに慰められても反応に困ってしまうとユアンは口にした。そういうことがこれまで幾度かあったらしい。
が、瑠璃はユアンが話す様子から何かを察し、同情も慰めもしなかった。
その事にユアンは瑠璃に好感を抱いたようだが、ユアンの話は右から左に流され、ヨシュアと食事を堪能していた。
「これマジうめぇな」
「でしょう。ここの看板商品なのよ。こっちも食べてみてよ」
「おお、うめぇ」
ユアンの話をそっちのけで料理に舌鼓を打つ瑠璃とヨシュアにユアンは青筋を浮かべる。
「おい、聞けー!」
「ハイハイ聞いてるってば。
つまり本当の両親よりフィンさんが好きってことよね」
「ちがーう!いや、決して間違ってはいないが違う!!
俺が言いたいのは、ちゃんと竜族の習性を分かった上で番になれと言っているんだ。
人間は次と相手を見つけられるが竜族はそうじゃない。ちゃんと覚悟の上でなければ両者が傷付く結果になる」
「ユアンの言いたいことは分かったけど、そんなこと今言われたって分かるわけないじゃない」
「はあ?」
「覚悟の上で竜心を受け取ったとしても、それが永遠に続くとは限らないじゃない。
だって竜族じゃなくて、私は人間だし。
でも、今私はジェイド様が好きで一緒にいたい。
未来のことなんて誰にもどうなるかなんて分からなくて……だから、今考えたって仕方がないじゃない。
そうじゃなくなった時のことはその時に考えるわ」
ユアンは溜息混じりに「………楽天的だろ」という。
「どうなるか分からないことを今うじうじ悩んでも仕方がないでしょう」
「俺もルリに一票!」
ヨシュアが元気よく手を上げる。
「ユアンって案外真面目ね」
「もっと気楽になった方が良いぞー」
「お前は気楽過ぎるんだ!クラウス殿の胃にどれだけ負担をかければいいんだ。お前はもう少し真面目になれ」
「やだなあ、ちゃんと仕事してんじゃん。俺がどれだけ他国を渡り歩いてると思ってんだよ。
俺に仕事回しすぎだぜ、何度逃亡しようと思ったか分かるか?」
「その仕事への姿勢に問題があると言っているんだ!」
延々と続きそうな言い合い。
二人の性格からして永遠にわかり合うことはないだろう無駄な言い合いだ。
食堂は人が疎らとは言え何人か客がいる。
食堂の娘の早く止めてという無言の圧力に瑠璃は仕方なく仲裁に入る。
「はいはい、食事が終わったら王都に戻って家を探しに行くんだから早くご飯食べちゃってよユアン」
「何故俺だけなんだ!?」
理不尽だとばかりに今度は瑠璃に噛みつく。
「だって怒ってんのお前だけだし」
「そうそう、ほら早く」
「くっ……」
まるで子供の癇癪を宥めるような二人にユアンは怒りを見せたが、ここで怒れば大人げないと思い直したのか、ぐっと怒りを抑え食事に手を伸ばした。




