番外編 陽だまりの記憶
いつからか彼女はそこにいた。
真っ暗闇の中、薄暗く光る螺旋階段。
いつからかそこに扉が出来た。
彼女のいる空間の外にいる魔力を持つ知能の高い者達。
その者達は時間の存在しない彼女の空間を魔力で開き、沢山の物を収納していく。
彼女は空間を開いた者の数だけ出来るいくつもの扉を見守り、所有者のいなくなった扉を消滅させるのが役目。
それが彼女の、時と空間を司る精霊の存在理由。
誰に教わった訳でも無く、誰に命じられた訳でも無く。
気の遠くなるような長い長い時の流れ中、何の疑問も無く作業を繰り返す。
その日も黙々と、所有者の無くなった扉を消してゆく。
何ら変わりのない日常。
しかしその日、静かな水面のような日々に石が投じられた。
(何………?)
唐突に感じた違和感。
それは大小様々な広さのある部屋の中で、最も大きな部屋から感じた。
部屋の大きさは魔力量により決まり、過去を顧みても大きく差を開けて大きなその部屋が出来た時は、淡々として感情の起伏もなく過ごす彼女ですら驚いたものだ。
その部屋に何かが入ってきた。物ではない命ある何かが。
急いでその部屋へ飛べば、驚いたように目を丸め、
「あんたが時の精霊?」
『………あなた誰よ』
それは外に居る精霊達以外で初めての会話。
少しどきどきとしながら、それを表には出さず言葉を発する。
発すると言っても、彼女が発するのは念話だ。
「俺か?俺はヴァイトだ、よろしく!」
白い歯を見せ破顔する。
それは彩りのない淡々とした日常を照らす陽だまりのような笑顔だった。
これが、後にリディアと名付けられた時の精霊と、後に初代竜王となるヴァイトとの出会いである。
***
よっこらしょっと言いながら空間の中に入ってきたヴァイトは、まだまだ空きスペースのあるその部屋の中で大声で叫んだ。
「おーい、遊びに来たぞ-い!」
叫んで少し経ったが反応は無し。
もう一度と、息を大きく吸い込んだところで、部屋の中にふわりと真っ白な長い髪をした女性が現れる。
『また来たの?』
「おう!」
にかっと歯を見せて笑うヴァイトに、彼女は何度目かしれない溜息を吐いた。
最初にここに来た日から、ヴァイトはちょくちょくここを訪れる。
この隔絶された空間に生物がいて、どんな影響を及ぼすか分からないと忠告してもヴァイトは懲りずにやって来る。
仕方なく彼女はヴァイトの受ける影響を最小限に抑える為に契約をすることにした。
ただの契約ならいつでも破棄できるからと、同胞にお願いされた事が一番大きい。
「なあ、名前付けていい?」
何の前置きもなく突然の提案にくわっっと目を剥いて怒った。
『駄目に決まっているでしょ!!』
「けち~」
不満そうに唇を突き出すヴァイトをギッっと睨み付ければ、さっと視線を逸らした。
精霊にとって名を付けさせるという事は、相手に従属するという事だ。
「名を付けて良い?」「良いよ~」等とヴァイトのような軽いノリで決めるような事ではないのだ。
「そんな難しく考えなくたって良いって。
別に名前を付けたからってこの空間から出られないあんたに俺が命令出来る事なんてないんだしさ。
ただ名前がなかったら不便じゃん、あった方がお得だぜ?」
『不便は感じていないわ。
大体そんな理由で精霊が簡単に名を付けさせるわけがないでしょう』
「でもカイは簡単に了承したけどな」
『あれと一緒にしないで………』
カイとは既にヴァイトに名を貰った、12の最高位精霊の中の地の精霊だ。
彼女とは違い、「名前付けていい?」「良いぜー」という軽さで即答した、本能とノリだけで生きているアホである。
ヴァイトがこの空間の中に時の精霊がいると知ったのも、そのカイが話したからだ。
余計な事をと、リディアは思った。
だがそれを口に出す事は出来なかった。
ヴァイトは外の世界から土産と称して色々な物を持ってきた。
そしてそれがどういう物か、それにまつわる思い出などを話し、それを彼女は熱心に聞いた。
精霊には特別な意思の疎通方法があり、リディアは外の世界にいる精霊達を通して外の世界を知っていたが、精霊を通してだとその精霊の興味の有る無しによって偏って伝わってくる。
その点ヴァイトは主観と客観を含め、詳しく教えてくれる。
それにこの空間の中ならば彼女はヴァイトと同じような実体になることが出来た。
そのおかげで見るだけでは分からない感覚を実際に触れて感じる事が出来た。
ヴァイトが来てから時の精霊は怒ったり笑ったり寂しがったりと、感情を出すのに忙しくなった。
また来たのかと呆れつつ、ヴァイトが来ることを心待ちにしている自分が確かに存在していた。
「なあ、名前付けていい?」
『駄目』
「けち」
そんなやり取りをヴァイトは来る度に行った。
いい加減諦めれば良いのにと口にしても、ヴァイトは飽きることなく会いに来る度にその言葉を口にした。
「名前付けていい?」
それは何百、何千回目となったか分からないある日のこと。
彼女はとうとうその言葉を口にした。
『良いわよ』
「けち………って、ええ!?」
ついついいつもの調子で返したヴァイトは、一拍の後目を剥いて驚いた。
そのあまりの驚きっぷりに時の精霊はくすりと笑う。
『あなたが言い出したんでしょうに、驚きすぎよ』
「いやまあそうなんだけどさ。
………本当に良いのか?」
『ええ』
「よし、じゃあ今日からあんたはリディアだ!」
どうだ!と言わんばかりの顔で告げたが、予想していた嬉しそうな反応が中々返って来ず、難しい顔をしたリディアにヴァイトは少し不安になった。
「気に入らなかったか?」
『そうじゃないわ。あんまりにもすんなりと名が出てきたから、ちゃんと考えてくれた名前なのか心配になったのよ。
いつものノリと勢いで決めたわけじゃないわよね?』
「そんなわけあるか!
名前付けても良いって言った時のためにずっと考えてたからだよ」
『それを聞いて安心したわ』
リディアは新しい自分の名を忘れまいとするように心の中で何度も呟き、そしてこれまでで一番の笑顔をヴァイトに向けた。
『ありがとう、ヴァイト』
「お、おう」
本当に嬉しそうなリディアの笑顔に、ヴァイトは少し頬を赤くしながら落ち着かなさそうにそっぽを向いた。
それからヴァイトはこれまで以上にリディアの下に訪れ、多くの時間を共有した。
持ち主の居なくなった部屋を消すのに付いていったり。
「なあ、これ持って行って良いか?」
『他の人の物よ?』
「だってもう消滅させちゃうんだろ?使えるのに消すなんて勿体ないじゃねえか。
だったら俺が有効活用した方が物の為だって」
『まあ別に良いけど』
「やりぃ!」
ある時はリディアにお土産と称してびっくり箱を渡して驚かせ、それを腹を抱えて大笑いしてしまい、しこたま怒られたり。
「悪かったって、そんなに怒るなよ」
『今度こんな事したら立ち入り禁止にするから!』
「はい……すみません……」
時には愚痴を零すヴァイトをリディアが慰めたり。
「もう仕事は嫌だ-!
王になんかなりたくてなったんじゃねえっての。俺はここに立て籠もるぞ!」
『はいはい、好きなだけ居て良いわよ。
だから休憩したらまた頑張って、皆あなたを頼りにしているんだから』
彼と居る時間は楽しく、幸福で。
たからリディアは忘れていた。その時間は決して永遠ではないのだと。
ある日彼は、体の半分位の大きさはあろうかという額縁に入った肖像画を持ってきた。
描かれていたのはヴァイトだ。
どことなく本人より凛々しく描かれているように見える肖像画に、リディアはくすりと笑った。
『どうしたの、急にこんな物を持ってきて』
「………リディアが寂しくないようにと思ってな」
『なあに、それ。あなたがちょくちょく会いに来てくれるんだから寂しくなんてないわ』
額縁を壁に飾り終わった彼が振り返るその顔を見て、リディアはぎくりと表情を強張らせた。
壁に掛かる肖像画はリディアが初めて会った頃の若く生気に満ちあふれたヴァイト。
だが、振り返った彼の髪は白髪が混じり、その顔にも手にも深い皺が刻まれていた。
何故今まで気付かなかったのだろうか………。
ヴァイトが竜族だった為に他の種族に比べ老いが緩やかで気付きづらかったが、確実に老いていたのに。
途端に恐怖が襲った。失念していたが、竜族は他の種族に比べ寿命は長くとも精霊と違って老いる。
いつか寿命を迎えてしまうのだ。
『あっ………』
「なあ、リディア。俺が死んだら……」
『いやっ!』
その先は聞きたくなかった。
リディアは両手で耳を塞ぎヴァイトから目を背けた。
ヴァイトは苦笑を浮かべ、リディアの腕を取りぎゅっと抱き締めた。
「俺が死んでもこの部屋は消さずにこのまま残してくれ。
そしてリディアに次の契約者が出来たら、そいつに全て渡してくれないか?
俺と同じ位リディアを大事にしてくれる奴に」
『………そんな人もう現れないわ』
「大丈夫だ、絶対に現れる。
俺が居たんだ。どれだけ先か分からないがお前をまた笑わせてくれる奴はいる。
出来れば女が良いな。男だと俺嫉妬しちゃう」
『なによそれ……』
「リディア、少しの間の我慢だ。頑張れよ」
まるで確信があるかのように断言し、ヴァイトは笑った。
年老いてもその顔に浮かぶ陽だまりのように心を温かくする笑顔は変わらなかった。
それから精霊に取っては瞬くような時間しか過ぎていなかったある日、同胞である地の精霊からの悲痛な感情が流れ込んできた。
地の精霊、そしてリディアの後に契約した花の精霊。沢山のヴァイトを愛する精霊達が泣いている。
リディアはヴァイトとの思い出が沢山詰まった部屋で、呆然と座り込んだ。
今すぐにヴァイトの側に行きたい。
だが、この空間から出ることができないリディアにそれは叶わない。
同胞を通して見た安らかな死に顔を最後に、ヴァイトはリディアの前から消えてしまった………。
あの温かくリディア自身もを明るくしてくれたあの陽だまりのような笑顔は、壁に掛かった肖像画の中でしか見ることが出来なくなった。
また淡々とした日常が始まる。
だがもう前と同じではいられない。
ふとした瞬間にヴァイトの顔を思いだし、リディアの心を暗くする。
気を紛らわせるようにリディアは己の義務を果たす。
持ち主の居なくなった部屋へ行き消滅させる。
だが、必ず部屋の中の物を確認し、ヴァイトに教えて貰った使えそうな物は部屋から出す事は忘れない。
それらは他の持ち主がいる部屋に放り込んだり、ヴァイトの部屋に持ち帰ったりした。
それでもやはり心の中に巣くう、寂しさと悲しさは消えてはくれない。
どうしようもなく悲しさが我慢できなくなると、ヴァイトが持ち込んだ肖像画の前に立ち、じっと眺めるのだ。
少しでも側に寄ろうと、肖像画を外し抱き締める。
その時、額縁の裏側に違和を感じた。
肖像画をひっくり返し調べてみると、額縁の上部に埋め込まれるように緑色の石があった。
触れば簡単にぽろりと取れ、それを手の平に乗せリディアは首を傾げる。
『宝石……じゃないわよね、鱗?
あっ、これって竜心じゃあ………』
知識でしか知らないが、それは竜族が番に渡す伴侶の証。
ヴァイトの瞳と同じ緑色のそれは間違いなくヴァイトの竜心。
しかもわざわざ額縁に細工をして埋め込まれていたのだから、ヴァイトが間違って持ってきたわけではないはず。
それが意味するのは一つだけ。
最後まで伝えることのなかったヴァイトの思いがそこにあった。
一滴涙が頬を伝うと、それからは決壊したように次から次へと涙がこぼれ落ちる。
『こんな所にあったって、気付くわけないじゃない………。ばか………っ』
竜心を握り締め、リディアは気が済むまで泣き続けた。
***
それから精霊の緩やかな感覚からしても随分な時が経った。
ヴァイト以外決して足を踏み入れる者のいなかったその空間に立ち入る者がいた。
「リディア、お土産持ってきたよ~」
もう現れないと思っていた契約者。
永久に寂しさを抱え耐えていくのだと思っていた。
しかしヴァイトの言葉通りもう一度リディアを笑顔にしてくれる契約者が現れた。
『いらっしゃい、ルリ』
リディアはにっこりと笑顔を浮かべ、新しい契約者となったルリを迎え入れる。




