手紙
結婚の準備はアゲット主導で着々と進められていた。
しかしアゲットが張り切っているからなのか、最初にドレスの為の採寸をしたっきり、特に瑠璃が何かをしたことはない。
おかげで本当に結婚するの?と疑いたくなるほど平穏で代わり映えのない日常を送っていた。
そんな中でも、僅かに変わった事をあげるとすれば、ジェイドが第一区より下の区画へ行く時には必ず猫の姿になることを言い含められたことだろうか。
ユークレース曰く、出来るだけ瑠璃の人の姿を他人に見せたくないかららしい。
これまでずっと城では猫の姿をとっていたので、特に拒否する理由もなく瑠璃は素直に了承したが、こうした所々で現れるジェイドの独占欲から以前とは変わった関係性を感じさせられた。
そして現在、瑠璃はジェイドの寝室のベッドの上で、幾度となく唇を合わせていた。
最初にした軽いものではない深いそれに、瑠璃は一杯一杯だが、ジェイドが止める様子は一切ない。
少しでも隙があればこうしてジェイドは瑠璃と唇を合わせようとする。
執務の合間の休憩の時は直ぐに終わるが、今のように時間を気にする必要がない寝る前の寝室では、飽きもせずいつまでもキスをし続ける。
だが、流石に瑠璃の方が限界なので、腕に力を込めて強制的にジェイドと距離を取る。
不満そうなジェイドの表情が目に入ったが、構ってなどいられない。
「もう無理です……」
息も絶え絶えに瑠璃がそう言うと仕方なさげに顔を離した。
それでも瑠璃の体は離す気は無いようで、クッションにもたれるように座りつつ、瑠璃を横抱きにする。
当初は人の姿でジェイドの膝に座るだけで顔を赤らめていた瑠璃も、そんな事を一々気にしている余裕がないためか漸く普通に体を預ける事が出来るようになってきたところだ。
「あのジェイド様、もう少しキスの頻度を少なくしませんか?
いや、特に嫌だって言っているわけではありませんよ!」
これがずっと続くのは大変だと感じた瑠璃が恐る恐る提案してみるが、ジェイドから冷たい視線を感じて慌てて嫌ではないという言葉を付け加えた。
「なら問題ないだろ」
しれっと答えるジェイドに、負けるな自分と己を奮い立たせ瑠璃は食い下がってみる。
「いえ、嫌ではないですけど、これが毎日じゃあ身が持ちませんよ。体力的にも精神的にも!」
いつ来るかとどきどきしっぱなしで、主に心臓への負荷が心配だ。
この時ほど竜心を受け取った事を後悔したことはない。
竜族は番への愛情が強いと聞いてはいたが、瑠璃の予想以上だった。最近では瑠璃の姿が見えないと機嫌が悪くなるほどだ。
特に瑠璃自身が不便を感じていないから問題ないが、これまで付き合った経験はあるもののあさひが原因で長く続いたことがなく、こういう恋人同士の接触はほとんど初心者なのだ。もう少しお手柔らかに頼みたい。
「だが、ルリの為でもあるんだぞ」
「どこがですか!?」
「何だ聞いていなかったのか?」
何やら理由がありそうなジェイドの言い方に瑠璃は首を傾げる。
ジェイドは瑠璃の首から下げている鱗が入ったガラス玉を手に取りながら説明する。
「竜族の男は、竜心を与えた番との間にしか子を持てないということは聞いているな?」
「はい」
儀式の大まかな事は一通り聞いている。
男性から貰った竜心を番の女性が飲み込むと、体に証が現れる。それをもって契約とされるのだ。
「ただ単に婚姻の儀で竜心を番に渡すだけでは終わりじゃない。
本来異物である竜心を体に馴染ませる為に、番へと魔力を送り同調させるんだ」
そう言って瑠璃に顔を近づけ、軽く触れるような短いキスをする。
その時、微かにジェイドからなにか暖かい気のようなものが瑠璃の中へと流れ込んで来るのが分かった。
「今何か入ってくるのが感じただろう?」
「はい」
「それが魔力だ。その様子だと魔力を流していることにも気付いていなかったようだな」
「そう言われましても………」
そんな事に気づけるほど瑠璃に余裕は無かったのだから仕方が無い。
「普通は婚姻の儀の後、三日程寝所に籠もるんだが」
「三日………」
瑠璃は顔を引き攣らせた。聞いただけで気が遠くなりそうだ。
「いや、それはあくまで竜族同士の場合だ。ルリのように人間だと竜心が馴染むのにも時間が掛かる。
そうだな……だいたい半月から一月位だろうか」
「げっ」
「それも本来なら、唇ではなく体を合わせるものなのだが………」
聞いた瞬間怯えたようにびくっと瑠璃の体が跳ねた為、ジェイドは苦笑する。
そして安心させるように髪を撫でた。
「まあ、それはもう少し時間が必要そうだからな。
だからこうして効率は悪いが唇を合わせてルリに私の魔力を送っているんだ。
私も王の執務があるからそう長く籠もってはいられない。
今の内に出来るだけルリに私の魔力を馴染ませておく必要がある」
「ううっ」
理由があると聞いた以上、瑠璃も嫌だと言えなくなった。
でも、流石に今日は終わっただろうと安心した所へ。
「………ところで、大分元気になったようだな」
途端に色気を発する妖しげな笑みを浮かべるジェイドに気付き、瑠璃は心の中で声無き声をあげ、四つん這いになって逃走を図る。
………が、すかさずジェイドに右足首を掴まれ、顔面からベッドにダイブした。
「ぶっ」
ぶつけた鼻を押さえながら起き上がろうとするが、瑠璃の顔の両側にはいつの間にかジェイドの腕が。
恐る恐る仰向きになり見上げると、にっこりと笑むジェイドの顔があった。
「私は別に半月部屋に閉じ籠もるのでも構わないが、どうする?」
瑠璃には、観念して目を閉じるしか道は残されていなかった。
***
とある深夜、眠っていた瑠璃は何かの気配に目を覚ました。
目を開けると息が触れるほど近くにジェイドの顔があり、どきりとしたが何とか出そうになった声を押し留めた。
ゆっくりと目だけを動かし周囲を見回す。
真っ暗な室内。そんな中に人差し指を唇に添え『しぃー』と声を出さないよう訴える精霊達の姿があった。
普段は決して寝室には入って来ない精霊達の姿に瑠璃は目を丸くした。
精霊達はちょいちょいと手招きをした後、部屋の外に向けて指を指し示した。
そちらは瑠璃に与えられている部屋がある方向だった。
理解した瞬間、眠気も吹っ飛んだ瑠璃は、ジェイドの顔を見てぐっすりと眠っているのを確認すると、ジェイドを起こさないようゆっくりと自分を抱き締めていた腕から離れ、ジェイドの部屋を飛び出した。
瑠璃の部屋には現在コタロウとリンの体が眠っている。
『体』とあえて呼ぶのは、正しく中身のない体だけだからだ。
中身である本当のコタロウとリンは、遥か遠い地、瑠璃の生まれ育った両親がいる世界へと行っている。
瑠璃の現状を伝えるために。
そしてこんな深夜に瑠璃をわざわざ起こしたという事は、コタロウとリンが戻ってきたに違いない。
瑠璃が急いでジェイドの隣の部屋へと入ると、丁度コタロウとリンの体がもぞもぞと起き上がろうとしていた所だった。
「コタロウ、リン!」
『むっ、ただいま戻ったぞ、ルリ』
『ただいま~ルリ』
飛んできたリンを抱き止め、コタロウの側に行きその柔らかい毛を撫でる。
元々死体とは言え、コタロウとリンが抜けて冷たくなっていく二つの体を見るのは辛かった。
だが、こうして元気に動いている二匹を見て漸く安心できた。
「私の両親には会えた?」
『直ぐに見つかったわよ。向こうの精霊の間では有名でね、その辺にいる精霊に聞けば一発だったわ』
『うむ、精霊が集まっていたので見つけるのも容易かった。
ルリの使いだと言えば快く迎え入れてくれた。ルリは母とよく似ていて直ぐにルリの母だと分かったぞ』
「そう……やっぱり見えてたんだ……」
分かっていた事だが、改めて聞くと何とも複雑な気分だ。
『ルリの世界には面白いものがあるのだな。
人間が大きな乗り物に乗って空を飛んでいるのを見て驚いた。ヒコウキと言うのであろう?』
『あちらの世界では全然私達が見える人がいないのね。それにも驚いたわ』
興奮気味に向こうであった事を話すコタロウとリンの言葉を瑠璃は笑みを浮かべながら聞いていた。
きっと精霊が見えるようになった今、あちらの世界を見たなら、きっと世界は変わって見えたのだろう。
もう見ることはできないのが残念でならない。
「私のお父さんとお母さんは、私の事を聞いてどうだった?」
『心配していたわ、急にいなくなったルリの事を。一応精霊達に別の世界に行った事は聞いていたみたいだけど』
「そう………」
それ以上は言葉が出て来なかった。
突然姿を消し、親に心配を掛けて。何と親不孝な娘だろうか。
そうは思っても、もう親孝行をしてあげることも出来ない。
『ルリの母から手紙を預かっているわ』
リンに差し出された一通の封筒を見て、瑠璃は息を呑んだ。
そのまま床に座り、緊張しながら封筒を受け取り、封を開け中にある手紙を広げる。
そこには瑠璃のよく知る母の字が書かれていた。
大人らしからぬ中学生が書いたような丸文字。変わらぬその文字に、瑠璃は小さく笑いつつ、安堵と共に涙がこぼれ落ちた。
「変わらないなぁ……」
手紙の中身は子供っぽい文字に反して、子を心配する母のものだった。
ちゃんとご飯を食べているのか、眠れているのか、怪我はしていないのかと。
それら一つ一つに、母に届かないと分かりながらも瑠璃は小さく大丈夫だよと呟く。
しかし、もう会えない子に対するというより、どこか旅行に行った子を心配するような、どこか軽い内容がその後に続き、楽観的な母らしい手紙だった。
止めどなく涙が溢れ、ほろほろと涙が手紙へと落ちていく。
滲んでしまった文字を慌てて手で拭うが、次から次へと涙が流れ、文字だけでなく視界を滲ませる。
「~っ、ううっ……」
会えなくてもせめて手紙だけでも出来れば十分だと、そう思ったが、やはり手紙だけでは足りないようだ。
逆に無性に母の顔を見たくなってきた。
瑠璃は顔を両手で覆い声を殺して泣いた。
泣いても仕方が無いと分かりつつ涙は止まってくれない。
その時、不意に後ろから誰かに抱き締められた。
反射的に振り払おうとするが、抱きしめる腕の力は強く身動きが取れない。
瑠璃が振り返ると、悲しそうに眉尻を下げるジェイドがいた。
「ジェイド様……どうして……?」
「精霊達が起こしに来た。瑠璃が泣いていると」
周囲を見回せば、先程までいたはずのコタロウやリンも精霊達もいつの間にか姿が消えていた。
「一人で泣くな」
「ジェイド様ぁ」
情けない声を出し体の向きを変え、ジェイドへと縋り付き、声を上げて泣いた。
「私ではルリの両親の代わりにはなれないが、ルリの両親の分もルリを愛そう」
瑠璃が落ち着くまで、ジェイドはずっと瑠璃を強く抱き締め頭を撫で続けた。
***
散々泣いた瑠璃の目は真っ赤に腫れている。
ジェイドは今日はずっと瑠璃の側にいようとしたものの、仕事があるからと瑠璃が送り出した。
代わりには朝からずっとコタロウとリンが側に寄り添い、他の精霊達も瑠璃の側に居るのだと主張するように瑠璃に貼り付いたり、周囲にふわふわと浮かんでいる。
皆一様に瑠璃を心配そうに見ている。
ある一人が綺麗な花を一輪瑠璃に持ってきた時に瑠璃が嬉しそうに笑った為、後を追うように皆が皆花を持って来て、部屋の中に花畑が出来上がっていた。
その上、どこから集まって来たのかいつも以上の精霊がやって来ていて、かなり広い部屋だというのに人数が多すぎてかなり狭く感じる。
一度様子を見に来たユークレースとヨシュアが、部屋の中を見た瞬間顔を引き攣らせ何も言わず去っていくという事があった。
その様子から見ても、尋常ではない数がこの部屋に集まっているのだろう。
だが、おかげで瑠璃は寂しさを感じず、穏やかな気持ちでいられた。
そんな賑やかな中で、瑠璃はもう一度手紙を読み返していた。
『また手紙を読んでいるのか?』
「うん、今なら落ち着いて読めそうだから」
最初は寂しいや悲しいという感情で一杯だったが、今なら嬉しいという気持ちだけで読むことが出来た。
それはちゃんと現状を受け入れる事が出来た証だろう。
『別に何度も読まなくたって、その内本人と話が出来るんだから良いじゃないって私は思うんだけど』
「…………は?」
理解できないといった声のリンの言葉に、たっぷりの沈黙の後、瑠璃は目が点になった。
その時、最初に手紙が入っていた封筒を触っていた精霊から声が聞こえてきた。
『あれぇ?ねえ、ルリ。まだもう一枚お手紙が入ってるよう』
「えっ?」
はいっと差し出された、手紙というより小さなメモを渡された瑠璃は、恐る恐るメモの内容に目を向けた。
「はあ!?」
そのメモには………。
《PS、今頑張って身辺整理しているんだけど、少し掛かりそうなの。
瑠璃の結婚式には間に合うと思うから、待っててね♡》
わなわなと手を震わせ、勢い良くメモを半分に破った。
「どおいうことぉぉ!?」
瑠璃の雄叫びが室内に響き渡った。




