精霊の力
早朝の森の澄んだ空気をいっぱいに吸い込み、深呼吸する。
「なんて清々しいのー」
『しいのー』
『のー』
瑠璃の周りでは同じように瑠璃の真似をして伸びをしている精霊達。
チェルシーにお世話になり始めて数日、帰れないという寂しさはあるものの、あさひに煩わされない晴れやかな日常をのびのびと堪能していた。
一人暮らしとは思えない大きな家の数ある部屋の一つを使わせて貰い始まった生活は、驚きで一杯だった。
まず始めに魔法を教わろうと意気込んだが、教えて貰った方法はあまりにも呆気なさ過ぎて目を剥くものだった。
一般的によく使われる精霊の力を借りる方法は、基本的に頭で思い浮かべ、精霊に頼むよう祈るだけとの事。
拍子抜けするような簡単さだが、魔力の波長や量によって、思い浮かべていた物が実際に魔法として発動するとは限らない。
そこは精霊にいかに好かれる波長であるかに掛かっていると言っても過言ではないそうな。
その点、瑠璃はチェルシーもお墨付きの精霊に好かれる波長の持ち主で、精霊に頼めば我先にと手を貸してくれるので、逆に威力が強すぎるとチェルシーに怒られ、今度は魔力の放出する量を制御するようにと厳命された。
それもようは慣れだと言われ、日々被害のでない魔法を発動するというのを繰り返している。
最初は、魔力って何?と思っていた瑠璃も、使い続けていく内に、魔法を使うと体から何かが僅かに抜けていく感覚を覚え、これが魔力かと存在を感じられるようになってきた。
未知のものと違い存在が分かると、抑えるのも何となく理解出来るというもので、時々失敗はするものの制御出来るようにはなってきた。
そうすると、日々の生活は劇的に変わった。
まずは居候するのだからと、言いだした掃除、洗濯、食事。
掃除は風でゴミを一カ所に集め、火で燃やし尽くす。
洗濯は浄化という魔法があり、洗濯機を使う時のように後で乾かす必要はなく、水が汚れだけを流し後には水滴も残らないという便利な魔法だ。
服や体にも使えるこの魔法は、出来ればもっと早く知りたかったと、森でサバイバル中、汗と汚れで散々な事になっていたのを思い返し悲しくなった。
食事は魔法とは違うが、精霊達が瑠璃を喜ばせようと森に自生している木の実や果物を沢山持ってきてくれ、チェルシーから何とも言えない表情をされた。
そんな瑠璃が朝早くしようとしているのは、ズバリお風呂!
いくら浄化の魔法によりお風呂は必要ないと言われても、やはり日本人として浴槽に浸かって癒やされたい。
浄化は比較的簡単な魔法で、水の適性が皆無でない限りほとんどの者が使えるので、竜王国には浴槽に浸かるという文化は無いらしいのだが、いかにお風呂が素晴らしいかをチェルシーに懇々と力説すると、熱意に負けたのか面倒くさくなったのか家の裏に作る許可をもぎ取った。
「ようし、作るわよ!」
『なにを-?』
『お風呂だって』
『お風呂ってなに?』
『分かんなーい』
小さめのログハウスと浴槽を出来る限り、詳細に思い浮かべる。
すると、地面から木の枝が何本も地面の土を割って生えてくる。
まるで意志を持っているように伸びる枝は、次第に形を取り、瑠璃の想像していたようなログハウスを作り出した。
想像通りの出来栄えにガッツポーズを取る。
「やった、魔法って万能!皆、本当に凄い」
『ほめられたー』
『僕すごい』
褒められた精霊達は嬉しそうに空をくるくると舞う。
早速木の扉を開け中に入ると、脱衣所とその奥の扉の先には高級旅館の個室露天風呂を彷彿とさせる、高級感漂う広々とした木のお風呂。
後はお湯を溜めればいつでも使える万全の状態。
興奮するなと言うのが無理な話だった。
直ぐに魔法でお湯を張り、脱衣所で服を脱ぎ捨て浴槽に飛び込み、久しぶりのお湯の温かさにうっとりとする。
そんな瑠璃の様子に興味を引かれたのか、精霊達もぷかぷかとお湯に浮かんでいる。
「極楽極楽」
瑠璃が朝風呂を堪能しているその頃、家の中ではチェルシーが届いた手紙を読んでいた。
竜王国で諜報員を務める孫のヨシュア。
ナダーシャの話をして数日だというのに、もう報告が上がってきていた。
内容はナダーシャの現状と巫女姫と予言の事。
瑠璃の話の通り、あさひに近い一部の者は異常な程の執着と心酔を見せてはいるが、ヨシュアによるとさほど問題では無いという。
確かに魅了を使っている形跡があり、故意かどうかまでは分かっていないが、あさひという者自体の魔力は脅威となり得る程の力では無いらしい。
人の中では魔力が多いようだが、始終魅了状態でいさせるにはそれだけ長い間あさひの側にいる者でなければ効果は出ず、出てもじきに消えていくという。
しかし、瑠璃の報告によると、あさひと少しでも関わると奴隷になったかのような状態になると言っていた。
この差は、生まれた時から魔力と馴染みの深いこちらの世界と、魔力という概念が存在しないあちらの世界では、魔力への抵抗力に違いがあるからだろうとチェルシーは思った。
あちらの人間は魔力への免疫がないから、効果が出すぎたのだろう。
薬でも、使い続ければ効きづらくなっていくように。
魅了されていないにも関わらず、ナダーシャの者があさひを持ち上げるのには予言が関係しているらしい。
予言の一文には、異界より現れた巫女姫により国は繁栄を極めるが、巫女姫の意に添わぬ扱いを行うと国を衰退へともたらす、とされていた。
だから、瑠璃があさひに危害を加えようとしたとなった時、魅了されていた王子以外も過剰に反応したのだろう。
それは瑠璃にとって不幸な事であっただろう、だが、チェルシーに取ってみては幸いな事だった。
以前から亜人に対して良い感情を抱いていないナダーシャという国。
人間である自分達より広大な領地を持ち繁栄している事を妬み、度々戦を仕掛けてきた事は数知れず。
そもそも亜人は何かしら能力に長けている者が多くいるのだ。その者達が能力を大いに振るえる国と、人間が一番だと言ってその能力を排除してきた国。
どちらの国が繁栄するかなど分かり切った事だった。
その分かり切った事を分かろうとせず、悪意だけを向ける国に、もし瑠璃が取り込まれていたらと考えただけでチェルシーはぞっとした。
竜王国は、この世界で最も魔力の強い一族である竜族の中から最も強い者が王となる。
種族の中で魔力が少ない人間でありながらその竜王に匹敵する魔力を持ち、多くの精霊から好かれている瑠璃。
精霊に好かれる者は時折現れるが、森で遭難しているのを助けたり食べ物を持ってきたりと、精霊自らが助けるような事は普通はないのだ。
精霊は世界の全てを管理する者。
可愛らしいなりをしているが、怒らせたら国すら簡単に滅ぼせる。
そして、精霊達は瑠璃に対して母が子を思うような深い愛情を持っているようにチェルシーは感じた。
恐らく瑠璃になにかがあれば、精霊達は必ず報復するだろう。
その瑠璃が、亜人を排除しようとしている国に取り込まれ、そこの考えを植え付けられていたら……。
人間達によって、亜人の虐殺が行われたかもしれない。
何より恐ろしいのは瑠璃自身がその事に気づいていないことだ。
それを肯定する一文が手紙の中にあった。
「さすがにこれは放置できないね」
チェルシーは立ち上がり、瑠璃の元へと向かった。
***
「はぁ、やっぱり日本人はお風呂よね。
あっチェルシーさん。
チェルシーさんもどうですか、気持ち良いですよ?」
久しぶりのお風呂から出てきた瑠璃の所に、やけに真剣な顔をしたチェルシーがやって来た。
「ルリ、ちょっといいかい?」
「へ?はい何ですか?」
怒られるような事を何かしたかなと、少し身構える。
「ルリはナダーシャで色々あったようだけど、ナダーシャを恨んでいるかい?」
「勿論!復讐が第一目標です!」
瑠璃は迷わず力一杯即答した。
するとチェルシーの声に僅かに緊張がはらんだ。
「復讐って、彼等をどうしたいんだい?」
「泣かせたい!土下座させたい!
これまでの迷惑の元凶あさひと、誘拐した王や神官、冤罪にした王子や同級生、私に蹴りを入れた兵士、全員一列に並べてグーパンチ入れたいです!!」
「あぁ……そうかい……」
チェルシーは呆れた視線を向けながらも、どこかほっとしたように見えた。
想像していたより、害が無さそうだと安心したのだろう。
「だったら、お願いがあるんだけどね」
「何ですか?」
「実はね、ナダーシャで突然魔法が使えなくなったんだよ。
精霊に呼びかけても全く応じなくなってね」
「どうして?」
その答えは瑠璃の周りを浮遊している精霊達からもたらされた。
『あいつらルリ虐めた』
『おしおきー』
『ルリ復讐って言ったからおしおき』
『ルリ虐める子はキラーイ』
次々に言い募る精霊達の話し方は軽いものの、言葉には怒りが見えた。
「魔法が使えなくなった時期とルリが森へ捨てられた日が合うのでまさかと思ったが、やはり理由はルリか」
『だってルリ怒ってた』
『復讐してやるって言ってた』
「私が言ったから?」
『うん』
誉めてとでも言うように嬉しそうに頷く精霊達に、瑠璃は嫌な汗が流れる。
「つまり、私のせいで精霊達がボイコットしていると………」
「この世界で魔法が使えないのは死活問題だ。
料理をするにも体を綺麗にするにも日常生活を送る為には精霊の力を必要とする。
まあ、人間は他の種族の中で一番魔力の少ない種族だから、ナダーシャでは神官をはじめとした一部しかまともな魔法は使えないが、それでもその精霊が力を貸さなくなった事でナダーシャは今大混乱に陥っているらしい。
ルリの復讐がナダーシャという国を滅ぼす程ではないのなら、精霊達を止めてはくれないかね」
復讐したいと思っている瑠璃だが、国を混乱させたり滅ぼすまでするつもりはない。
魔法が使えない位で国が混乱するのは、魔法の無い世界で育った瑠璃には想像しづらかったが、チェルシーが真剣だった為、直ぐに瑠璃は精霊達に止めるよう話した。
しかし、精霊達からは不満げな声が返ってくる。
『えぇぇ、なんでなんで?』
『ルリは復讐したいんでしょう?』
「まあ、そうなんだけど………。
そういうのは私の問題だから私の力でぎゃふんと言わせたいの。
だから、皆は手を出さないで」
『私達……迷惑……?』
可愛らしい精霊達にうるうると涙ぐまれ、瑠璃は「うっ……」とたじろいだ。
「そんなことないよ!皆には沢山感謝しているんだから」
『ほんと?』
「うんうん、いざとなったら皆にも協力してもらうから。今はまだ何もしないで、ね?」
『うん、分かったー』
チェルシーからの視線が痛いが、悲しそうな精霊達の機嫌が戻り、ほっとした。
チェルシーは仕方が無さそうにため息をつく。
「ルリ、あんたに一つ忠告をしておくよ。
今回の事で分かったように、あんたに何かあれば精霊達は簡単に動く。
今後あんたの力を利用しようとする者が現れるだろう。
私は知りうる限りの、知識をあんたに伝える。
だから、誰にも利用されないよう、何が正しくて何が悪いか自分で考え自分で判断するんだ」
「………私にそんな事を言っていいんですか?」
「どういう事だい?」
「だって森で彷徨って行く当ての無い私を拾ってくれたのはチェルシーさんです。返しきれない恩を感じています。
私はこの世界の常識も何も知らない赤子同然で、今ならチェルシーさんの都合の良い思想や善悪を植え込む事が出来る。
私も恩人であるチェルシーさんの言葉なら信じてしまうと思いますよ」
利用するチャンスなのにしないのか、と問う瑠璃に、チェルシーは苦笑する。
「確かに簡単かもしれないが、とても危険な事なんだよ。
洗脳される恐れがある事に気付くだけの聡さを持っている。きっと、精霊達を動かせる事の危険性が分かれば、精霊達が暴走しないようにするはずだ。
でも、それを分かって尚、自分の利益の事しか考えない愚か者はいる。
だから、あんたは誰かの思惑に左右されてはいけない。
それだけは絶対に忘れてはいけないよ」
「一応頭に入れておきますけど、そんなに精霊が凄いなら、誰かじゃなく私が精霊を使って世界征服ー!なんて事をし出したらどうするんですか?」
「そうならないように願っておくよ。
けれどルリは小心者そうだから、そんな大それた悪行はしないだろ。
なら、多少の悪戯ぐらいは問題ないよ」
「否定しませんけど、本当にチェルシーさんが言うほど精霊って危ないの?」
こんなに可愛いのにという声が聞こえてきそうな表情だ。
見た目もだが、話し方も幼いので瑠璃には精霊達が危険には見えなかった。
さらに、魔法が使えても便利だとは思うが、精霊に嫌われて魔法が使えなくとも生活出来るだろうにという思いもある。
「おいおい説明してあげるよ。
…………それより、なんだか騒がしいね」
突然あらぬ方向を見て眉をひそめるチェルシーに、瑠璃は首を傾げる。
「別に誰も騒いでないですけど?」
瑠璃の周りに居る精霊達も、今は静かにしている。
「ここじゃなく、結界の外だよ」
「結界?」
「この家の周りには不可視と他者が入れないようにした魔法が張られているんだよ。
この家に近づいた時に何か感じなかったかい?」
そう言われて思い返してみると、膜のような物を通り抜けた感覚の後、急にこの家を発見した事を思い出す。
「そう言えばここに来る時に何かを通り抜けたような感覚があったような………」
「本来なら結界に阻まれて入って来られないはずなのだけどね。
こういった魔法は使用者より魔力が強い者には効かないから、最初はびっくりしたよ。
しかも会った途端に倒れるんだからさ」
「…………ご迷惑お掛けしました」
チェルシーと共に結界の様子を見に行く。
来た時は気付かなかったが、魔力が分かるようになった今は、瑠璃にも魔力の気配から、そこに結界があることが分かった。
瑠璃が興味深げに結界を見ていると、騒ぎの元凶と思わしきものを発見した。
「………あっ!あの猛獣!
ていうか、私のかつら乗っけてるし」
チェルシーの家を発見する直前まで瑠璃を追いかけ回していた熊に似た体躯に猪のような顔とサソリの尻尾のような尾を持つ巨大な獣が、結界に向かって何度も突進を繰り返していた。
そして頭には、瑠璃が逃げる途中で落とした茶色のかつらを被っていた。
わざわざ拾ってきたのか………。
「まさか、お腹が減って追い掛けてきたのかも………。
チェルシーさん、逃げないと!」
チェルシーの服を引っ張り、逃げようとするが、チェルシーは動かない。
「お待ち、結界は私より魔力が強くないと通れないよ。
あの魔獣じゃあ無理だから安心しな」
「魔獣?」
「普通の獣と違い、魔力を持った獣の事だよ。
………でも変だね、今まであんな行動した事は無かったんだけど」
チェルシーが首を捻っていると、精霊達が口々に話す。
『あの子ルリの髪の毛持ってきただけだよ』
「襲いに来たんじゃ無いの?」
『違うよ-、ルリが落としたから拾ってきたって』
『襲ったりしないもん。
ずっと森でルリを守っていたんだから』
精霊達の説明によると、獣や魔獣の多く住むこの森で瑠璃が数日間無事で過ごせていたのは、この魔獣がこっそりと後を付け他から瑠璃を守っていたからだそうな。
瑠璃を恐がらせたくなくて隠れていたが、我慢しきれず目の前に現れ、案の定瑠璃を恐がらせ、瑠璃が逃げた為本能的に追いかけてしまったらしい。
興奮していたのは獲物を見つけたからではなく、嬉しさの余り感情が爆発しただけで、瑠璃の姿が見えなくなると我に返り、瑠璃の落としたかつらを拾って謝ろうと瑠璃が出て来るのを待っていたが、現れないので強硬手段に至ったのだとか。
忠犬並の甲斐甲斐しさだ。
「魔力を持つ者だから、精霊達と同じでルリの波長に惹かれたんだね」
「精霊達と意思疎通出来るなら、伝えて貰えば良いのに………」
そう口にしたが、直ぐに『忘れてたー』となんとも軽い返事が聞こえてきた。
結界を出て、警戒しながら近付くと、かつらの乗った頭をゆっくりと差し出し、瑠璃は恐る恐るかつらを受け取った。
「あ、ありがとう………」
瑠璃がお礼を言うと「ぶもぉぉぉ」と大きく鳴かれ、びくりと体をびくつかせる。
『ルリに頭撫でて欲しいって』
「えっまじ?」
自分より遙かに大きく、見たことも無い獣に近付くのはかなり怖く、出来れば遠慮したい。
だが、大きい体を小さく屈め、期待に満ちたキラキラとした瞳で見られれば嫌と言える状況ではなかった。
腰が引けながら魔獣の頭に手を伸ばし、そっと猪のような頭を撫でる。
甘えるような声を出し喜んでいるようだが、唸るような声は低くちょっと……いや、かなり怖い。
だが、固そうな見た目に反して、予想外に柔らかい毛だった。
「あっ、案外触り心地良いかも」
この日から、瑠璃の生活に大きなペットが一匹参加することになった。