あれよあれよという間に
晴れて思いが通じ合った二人に、誰よりも喜んだのはアゲットだ。
今にも小躍りしそうなほど、その足取りは軽い。
嬉しさのあまり方方に話して回ったアゲットのおかげで、城中へと話が回るのにそう時間は掛からなかった。
きっと王の結婚が正式に発表されるより前に国中に広がっていることだろう。
一方、アゲット以外の側近は嬉しさよりもどこかほっとした表情を見せた。
「ルリが了承してくれて本当に良かったわ」
「ええ。このままでは陛下は一生番を得ることが出来なくなるところでしたから」
口々に安堵の言葉を発するユークレースやクラウスに、ジェイドと相思相愛になっても猫の姿になっている瑠璃が首を捻る。
『でも婚姻の儀っていうのをしなければ、色が薄れるって。そして次の番が現れたら、また色が変わるって聞きましたけど?』
「はいぃ!?陛下、瑠璃にそんな嘘付いてどうするんですか!もしそれでルリが断ってしまったらどうするんですかっ」
ユークレースは目を剥いてジェイドへと非難するような視線を向ける。
『嘘なんですか!?』
瑠璃も驚き、ユークレースと揃ってジェイドを見る。
「確かに色が変わっても婚姻の儀を行わなければ次の番を得ることも出来ます。
ですが、一度体から切り離されてしまった竜心は元には戻らないので、次の番を得ることも出来ないのですよ」
クラウスの説明に、瑠璃は目を丸くしてジェイドを見上げる。
ジェイドは苦笑を浮かべ瑠璃の頭に手を置いた。
瑠璃が責任を感じないように、瑠璃が断りやすいようにと。それがジェイドの優しさだと知った。
『私が断っていたらどうするんですか……』
嘘を吐かれた事への非難の言葉の中には、ジェイドの無謀さへの呆れと、優しさへの愛おしさが含まれていた。
「私は誰かと違って鈍くはない。勝算もないのに替えの利かない竜心を引き剝がしたりしない」
『鈍い!?それって誰のことですか!』
「ルリに決まっているだろう。
城内の他の者には私の気持ちは伝わっていたのに、気付かなかったのは当の本人だけなのだからな」
『仕方ないじゃないですか、私は竜族の常識なんて全く知らないんですから。
それにジェイド様には気になる女性がいるって………はっ!そう言えばそのジェイド様が気になって探していた女性はどうなったんですか!?』
心外だと言わんばかりに、毛を逆立て抗議する瑠璃は、件の女性の事を思い出した。
ジェイドを信じていないわけではないが、その女性が今現れでもしたらややこしい事態になるのではなかろうか。
そちらの女性はどうなったのかとジェイドを問い詰める。
「ああ、その話はまだ解決していなかったな。
ルリ、隣の部屋の衣装棚から黒い服を持ってきてくれ」
『黒い服ですか?』
不思議に思いながら、ジェイドの膝から飛び降り隣の部屋へと向かう。
執務室の隣は続き間となっており、そちらはジェイドの仮眠室となっている。
服を持ってくるには猫の姿は小さいので、腕輪を外し人の姿に戻ると衣装棚を物色する。
黒い服は一着しかなかったので直ぐに見つかったのだが、全身真っ黒な服。フードもありフードには顔を隠す為の布の部分もある。
他の竜王の衣装が並ぶ中でそれだけ異様さが際立っている。
その異質な服を見た瑠璃はどこかで見たような気もしたが、思い出せない。
思い出しそうで思い出さないもやもやとした気持ちで、服を持ってジェイドの元へと戻る。
「これですか?」
「ああ、それだ。見覚えはないか?」
「うーん。あるようなないような………」
あるような気もするが、とんと出てこない。
唸るが中々思い出さない瑠璃を待ちかねたジェイドがヒントを出す。
「ルリが王都に来た時、二人組に追われなかったか?その時にその服を着ていた者と会っただろう?」
王都に来た時の事を順を追って思い出していく。
猫になる切っ掛けとなった事件だ、直ぐに思い出せた。
そしてその時に途中で割り込んできた不審者のことも。
「あっ、あの時の不審者の服装と同じですね。
髪の毛を見られて、やけに興味津々だったので奴隷商人かと思って逃げたんです。
でも、どうして似た服装がここに……」
ジェイドに問い掛けようとして苦笑いを浮かべるジェイドの顔を見た時、ジェイドの瞳と、記憶にある不審者の男の瞳とが重なった。
「………まさか、ジェイド様だったんですか?」
「ああ、そうだ。そして私が気になったという女は、その時に会った白金色の珍しい髪の女だ」
「えっ、じゃあ私を探していたって事ですか?」
「ああ、そうだ」
「私がジェイド様の気になっていた人?」
「そうだ」
中々呑み込む事が出来なかった瑠璃だが、ジェイドは嘘を言っている様子もない。
瑠璃は自分が最初からジェイドの想い人であったこと、ジェイドに気になる人がいると聞いたときに嫉妬していた事を思い出し、それが自身の事だったと判明して恥ずかしそうに俯いた。
その時ふと視線を感じた瑠璃が振り返ると、にんまりとほくそ笑むアゲットが生温かい視線を送っていた。
「な、なんですかアゲットさん?」
「いやはや仲がよろしくて、結構結構。
一時はこのまま独り身で一生を過ごされるのではないかと。私が何を言っても陛下は聞こうともして下さらなくて……。
本当に良かった。ルリには感謝してもしきれぬうぅ、うっうっ」
笑顔が一転、ハンカチ片手に号泣し始めたアゲット。
これまでいかに彼がジェイドの相手探しに苦労したかが窺える。
ひとしきりつらつらとジェイドへの恨み言を涙ながらに訴えた後、気が済んだアゲットは顔を上げ。
「………で、婚姻の儀はいつになさいますか?」
「うえぇ、結婚!?」
漸く互いが好き合っている事を確認した所だというのに、もう結婚の話が出て瑠璃は目を剥いた。
「まだ結婚なんてしませんよ。早すぎます!」
「ええ!そうなのですか、陛下?」
同意を求める瑠璃と、信じられないといった表情のアゲットの視線がジェイドへと向かう。
あいにくジェイドはアゲット側の意見のようで不満そうに瑠璃を見る。
「私と結婚するのは嫌なのか?
私はそのつもりで竜心を渡したつもりでいたのだが?」
「いえ、嫌なわけじゃ………。恋人期間を吹っ飛ばして結婚っていう事に躊躇いがあるだけで」
「だが、ルリは早く結婚したかったのではないのか?あの男と会う前にそう言っていただろう。
それとも、あの男とは結婚を考えられても私とは無理だとでも言うのか?」
あの男という言葉に一瞬疑問が浮かんだが、直ぐにふられたジェットのことを思い出した。
それにしても彼には悪いことをしたなあと、後々になって瑠璃は申し訳ない気持ちになった。
最初は誘っておきながら一方的に置いて逃げるなどなんて酷い奴だと思ったが、デートを了承しておきながら、竜族の番の証である竜心を持ってデートの場に現れたのだから、さぞかし驚いた事だろう。
竜族を敵に回すかもしれないのだから。
客観的に見て酷いのは、相手がいながらデートを了承した瑠璃の方だ。
いつか誤解を解いて謝罪をしなければと瑠璃は思った。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。それよりも全く目が笑っていないジェイドの刺すような視線に、ひやりとしたものが流れる。
そんな目を向けられた事が無いので動揺していると、必死で何かジェスチャーで訴えるユークレースの姿が目に入ってきたが、何を伝えようとしているかは全く分からない。
ふとユアンから聞いた言葉が蘇る。竜族は嫉妬深いと。
そしてその後ユアンと会った時にも、竜族は直ぐに嫉妬するから他の男の話は禁句だと助言も与えられていた。
これがそうかーっ!と瑠璃は内心絶叫した。
ジェイドからやきもちを焼かれた嬉しさよりも本能的に危機を感じた瑠璃は、一転して発言を覆す。
「そ、そんなわけないじゃないですか。
勿論ジェイド様と結婚したいです!」
瑠璃のその言葉を聞き、穏やかな顔になったジェイドに瑠璃もほっとする。
そしてアゲットはぱあっと表情を明るくさせた。
流された気はしないでもないが、まあ、竜心が何かを知り、受け取ると決めた時にいずれは結婚も視野に入れた覚悟はその時に決めていた。
少し予定が早まっただけだと思えばまあいっかと、嬉しそうに口角を緩めるジェイドを見てそう思う瑠璃だった。
「早速手配じゃーい!」と意気揚々飛び出していったアゲットに続き、他も自分達のすべき事の為に動き始めた。
竜王の結婚は、国内外の要人を招く国家行事だ。すべき事は沢山ある。
ジェイドと二人っきりとなった室内。
瑠璃は再び猫になろうと腕輪を通そうとしたが、その手をジェイドに取られる。
「私と二人っきりの時はその姿のままでいてくれ」
とろけるような甘く微笑むジェイドに、瑠璃は恥ずかしそうにしながら小さく頷いた。
ジェイドは瑠璃を抱き上げると、横抱きにしたまま自分の席へと戻り座る。
猫だと気にしないのだが、どうにも人の姿だと急に恥ずかしくなり、ジェイドの顔をまともには見られず自然と俯き加減になってしまう。
瑠璃の頭上からジェイドの言葉が降ってくる。
「結婚と言っても暫くは先のことだ。
何せアゲットが張り切っているからな。準備にも時間が掛かるはずだ。
だからそれまでに気持ちを決めてくれれば良い」
それは先程結婚を強引に進めようと追い込んだ人と同一人物とは思えない優しい声色だった。
「………ジェイド様はずるいですね。
強引に事を進めようとしたかと思うと、私の意思も尊重してくれる」
結果的に自身の主張を通しても、その中にはきちんと瑠璃の気持ちも考慮してくれている。
瑠璃を大切にしてくれているのを知れば、文句など言えないではないか。
「竜族は番を手に入れる為なら何でもする。
だが、そのせいでルリに嫌われたくはないからな」
「それ位では嫌いませんよ。ちゃんと竜心が何かを分かって受け取ったんですから」
瑠璃はずっと気になっていた事があるのを思い出した。
「そうだ。一つ聞きたいんですけど、私がジェイド様と結婚したら私は何をしたら良いんですか?」
竜王という大国の王の妃となれば、ジェイドのように何かしらの国に関わる仕事をする必要があるはずだ。
こちらの常識すら危うい自身に務まるのか瑠璃は不安だった。
そんな瑠璃の不安に対し、ジェイドの返答は一言だ。
「何も」
至極簡潔な言葉に瑠璃はぽかんとしてしまう。
「いやいや、何もって事は無いですよね?
だって王様の奥さんですよ。何かお仕事ありますよね?社交とか外交とか政治とか……」
「まあ、普通は王妃ともなればそれに見合う仕事が与えられる。
だがな、ルリが愛し子である時点でそれらは必要ない。
外交や社交と言っても、不用意に大事な愛し子を他国の者の前に出すわけにはいかないし、国政にも関わらせられない。
それは竜王国だけではなく他国も同様だ。
愛し子が政治に関われば、周囲は愛し子の顔色を窺い、愛し子の要求通りに政策を押し進めてしまう。
それでは独裁政治になり、国が混乱してしまうからな」
「じゃあ私はどうすればいいんですか?」
「これまで通りルリのしたいように毎日を過ごせば良い。
ルリがこの国に存在しているだけでこの国にとって益となっているのだから、誰も文句は言わない」
良いのかなあ?という戸惑いを含んだ心の声が聞こえていたようで、ジェイドは最後の言葉を付け加えた。
「それに、そもそも竜族は番をむやみに人前には出さない。
嫉妬深いと言っただろう?だからこの城にも既婚の竜族の女性は少ないし、過去の竜妃も滅多に人前に姿を出さなかったり、公の場に一切出ないことも珍しくはなかったそうだ」
城で働いている竜族も、男性はどの世代も平均的にいるのに対し、女性は若い、もしくはチェルシーのように歳がいっている未婚や未亡人が大半だ。
それは嫉妬深い竜族の男が、番を外に出したがらないかららしい。
「………じゃあ、私も食堂で働くのは止めた方が良いですか?」
「私としてはルリをずっと側に置きたいから、そうして欲しいが、先程も言ったようにルリがしたいように過ごせばいい」
瑠璃の意志に任せるとは言うものの、ジェイドからは辞めて欲しいという懇願が透けて見える。
万が一このまま食堂でのバイトを続けて、何かあればジェイドは怒るだろう。
竜王国には他国からも沢山の人がやってくる。竜心を知らない者がもし瑠璃にちょっかいを掛けてきたら………。
食堂で働き続けたいが、そのせいで食堂の人に迷惑を掛けるのは申し訳ない。
周囲の安全と平穏の為にも止めた方が良いかもしれないと瑠璃は辞める決意をした。
 




