竜心
言葉を重ね試行錯誤し、何とかユアンの気持ちを浮上させる事に成功した瑠璃。
そして改めて謝罪され、それを受け入れた瑠璃は少しほっとしていた。
やはりフィンの弟とは仲良くしたいという思いがあったからだ。
ユアンの顔には瑠璃への憎々しげな表情も、先ほどまでのどんよりとした表情もなく、どこかさっぱりとしていた。
元気になったのは良いが、今度は……。
「ーーっという事があってな。どうだ兄さんは素晴らしいだろう。他にも………」
「あーはいはい。フィンさんが凄いのは分かったから」
まだ続きそうだったフィンの自慢話に、瑠璃は慌てて話を中断させた。
お詫びの品という注文した料理をつまみながら、向こうの世界での生活や召喚されてからの生活、猫になった経緯を話していく。
話していく内に段々と打ち解けていった瑠璃とユアン。
予想外にも、はっきりとストレートに言葉を発するユアンとは気があったようだ。
ユアンもそう感じるのか、態度が気安く砕けていくのが分かる。
もう少し早く関わりに行っておけば良かったかと後悔する。しかし、延々と続く兄自慢は勘弁して貰いたい。
「お前も苦労してきたんだな………。
そう言えばお前は一人で出掛けてきたのか?不用心だろ」
「だってデートするつもりだったんだもの、人なんか連れてこないわよ。
好青年そうな犬の亜人の子だったんだけど、訳分からない事を言ってどっか行っちゃったのよね。酷いと思わない?」
飲み物を飲んでいたユアンは、うぐっという変な声と共に飲み物を詰まらせ盛大に咳き込んだ。
「大丈夫?」
何やってるんだかという表情で背中を摩る瑠璃に、ユアンは涙目になりながら
「はあ!?何でって、お前殺されたいのか?人間と違って竜族は嫉妬深いんだ。
他に取られるぐらいなら心中するっていう者も過去にはいたんだぞ。
どういうつもりか知らないが、竜心をもらいながら他の男に気のあるふりはしない方がいいぞ」
「竜心?何それ」
聞いたことのない単語にこてんと首を傾げる瑠璃。
本当に分かっていなさそうな様子に、ユアンも瑠璃がとぼけている訳では無さそうだと察する。
「もしかして何も知らないのか?」
頷く瑠璃。
ユアンは瑠璃が首から下げているネックレスを指差す。
正確には、ネックレスに付いたガラス玉の中にあるジェイドの鱗を。
「その鱗が竜心だ。竜族の男が生涯に一度だけ手にできる鱗を竜心と呼ぶ。
そんなものを着けているからその男も逃げ出したんだ。殺されたくないからな?」
「へぇ。逃げられた理由は分かったけど、どうしてジェイド様が彼を殺すのよ」
「…………本当に何も知らずに渡されたんだな。しかも陛下のか!」
ユアンは可哀想な子を見る目で瑠璃を見ながら竜心と、竜心を与えられる事の意味を教えた。
それを聞いた瑠璃は、呆然として鱗の入ったガラス玉を手に取り、その後信じられなかった瑠璃は何度もユアンに問いかけ直し、いい加減嫌気がさしたユアンに「本人に聞きに行けば良いだろ」と言われ、店の外に出て竜体に戻ったユアンは瑠璃を掴んで城へと戻った。
「あら、随分珍しい組み合わせね。和解したの?」
城についた瑠璃は偶然ジェイドの執務室から自分の部屋へと向かうユークレースと会った。
ユークレースは一緒に居る瑠璃とユアンの姿に目を丸くしたものの、嬉しそうに僅かに表情を緩める。
しかしユアンの事は聞いてもデートはどうしたのかと聞かない辺り、ユークレースはどうなるか分かっていたという事だ。
苦々しく思いつつも、今重要なのは別のこと。
「ユークレースさん、ジェイド様は執務室ですか!?」
「ええ、お仕事をされているわよ」
気迫のこもった瑠璃に、ユークレースは一瞬戸惑ったものの直ぐに事情を察し、恐らく話したであろうユアンへと視線を向ける。
その間に瑠璃はジェイドの執務室へと歩みを進めていた。
「話したらまずかったか………?」
「いいえ、どうせ直ぐに知ることになっただろうし問題ないわよ。
それより急に仲良くなって何があったが聞かせて頂戴」
ユアンはユークレースに捕まり連れて行かれた。
***
一人執務室に向かった瑠璃は、執務室の扉をノックした後中からの返事が来る前に中へと突入した。
「返事が返る前に開けてはノックした意味が無いぞ」
そう苦笑するジェイドに構わず、瑠璃は扉の正面にあるジェイドの仕事机を回りジェイドの隣へと立つ。
「ジェイド様、少しお話があるんですけど」
への字口でどこか不機嫌そうな瑠璃の意に沿い、ジェイドは室内にいた者に視線で退出を促す。
そして全員が退出し、瑠璃とジェイドだけとなった執務室で、ジェイドは瑠璃の方へと体を向けた。
「話とは何だ?」
瑠璃は首から下げていたネックレスを外しジェイドの前へ差し出した。
「………どうしてお守りなんて嘘言ったんですか」
「嘘は言っていない。男避けのお守りだ」
悪びれもせず言い放つジェイドに、瑠璃はむっとした表情を浮かべる。
「どういうつもりだったか知りませんが、こんな大事なもの受け取れません!」
そう言ってジェイドの目の前に持っていくがジェイドは頑なに受け取ろうとしなかった。
「これはジェイド様の番の人に渡す大切な鱗なんでしょう?
ジェイド様が私を心配してくれるのは有難いですが、これはペット同然の私じゃなくて、ジェイド様の愛している人に渡して下さい」
竜心とはお守りではなく、番に渡す瑠璃の世界で言う結婚指輪のようなものだ。
結婚指輪のようなものだが、そこに含まれる重さは比べものにならない。
竜心。生涯でただ一度体から剥がす事が出来るその鱗は、生え替わる他の鱗と違い二度と生えては来ない。
そして竜族の男は、その鱗によって婚姻の儀を行った者との間にしか子を儲ける事が出来ないのだ。
そんな大事な物をよりによってジェイドを忘れようと努力している己に渡すのだから、切ないやらムカつくやらで感情は荒れまくっている。
そんな瑠璃の思いを余所に、ジェイドは瑠璃のペット発言に僅かに目を見開いた。
「ペット?………なるほど、すれ違いの大本の原因が何処にあるかよく分かった」
額に手の平を当て深い溜息を吐くジェイドは瑠璃にある質問をした。
「ルリの世界では恋人や結婚相手をどういう基準で選ぶ?」
「えっ、急にそんなことを聞かれても……。
一般的には性格とか、価値観が合うとかですかね?」
「まあ、そうだな。確かにそういう基準も重要だが、こちらの世界では魔力の強い者ほど魔力の相性で相手を決める。
ルリは私と一緒にいると心地良いと言っただろう?」
「はい……」
改めて聞かれると、どこか気恥ずかしさがあるが、ジェイドの側はとても心地が良い。
それが魔力の相性だということは、既に聞いている。
「私もそうだ。ずっと離れたくないと思うほどルリの側はとても居心地が良い。
そんな側にいるだけで心地良いと感じる程魔力の相性が良い相手と巡り会える者は本当に少ないんだ。
ましてや相手も同じように感じるとは限らないから、ルリと出会えた事は奇跡にも等しい。
嬉しい事ではあったが、私は同時に絶望した。番を持てないのではないかと」
そう言い、ジェイドは少し悲しそうに眉を下げた。
更にジェイドは続ける。
「先程も言ったが、竜族のように魔力の強い種族は魔力の相性で相手を決める。
今後私の前に女性が現れても、どうしてもルリと比べてしまうだろう。
例え番を見つけたとしても、ルリ以上に大事に出来ないのではないかと思った。
そして、何度ルリが猫じゃなく人間や亜人だったらなと思ったかしれない」
ジェイドの澄んだ瞳が瑠璃を射抜き、どきりと瑠璃の心臓が跳ねた。
「ルリが人間と知ってどれほど嬉しかったか分かるか?
私がルリをペットのように思っていると?
そんな筈がない。ルリ自身が先程言っただろう。竜心は番だけに渡す大事な物だと。
どんなに大事だろうと、ペットに竜心を渡したりはしない」
「えっあの、それって………」
瑠璃は大きく目を見開いて、呆然とジェイドを見つめる。
そんな瑠璃をくすりと笑い、ジェイドは引き出しから以前瑠璃が美味しいと言っていたお菓子を取り出し、一粒手に取り瑠璃の唇へと押し当てた。
何故ここでお菓子?と思いながらもお菓子を口にしたその時。
「ルリ知っていたか?こうして食べさせるのは竜族の男の愛情表現で、番とその子にしかしないと」
今度こそ瑠璃は絶句した。あまりに驚き過ぎて、口の中にあったお菓子を噛まずに飲み込んでしまった。
その驚き方で、瑠璃が竜族の給餌行動を知らなかった事を知ったジェイド。
己の詰めの甘さを感じながら、更に畳み掛ける。
「私はペットにこんな事をするつもりはないぞ。
これは愛する者への大事な愛情表現だからな」
もう瑠璃の顔は真っ赤だ。
「あの………でも、私との相性が最高とは限らないんじゃないですか?
ジェイド様が私を魔力の相性で決めたと言うなら、もっと最高の人がいたらその人が良いってなるかも。
それにジェイド様は王様で私はただの一般庶民で……」
恐る恐る瑠璃は問い掛けた。
かなり勇気のいる質問ではあったが、今聞かなければこれが原因でずっと悩みそうだった。
「愛し子の時点で一般庶民とは大きく違うと思うぞ。寧ろ王よりも立場は上だ。喜ばれる事はあっても非難する者はいない」
そう言うジェイドは、未だ愛し子の価値を分かっていない瑠璃に少し呆れた様子だ。
「竜心はある条件がなければ色は変わらない。
それは番と認める者が現れた時だ。
色が変わったのはルリが猫ではなく人間であると知りその姿を見た後から。
その時点で私はルリを番にすると決めていた。
そして竜族は決して浮気をしない。生涯、竜心の色を変えた番一人を愛する。他にそれ以上の相性が良い者が現れたとしてもだ」
だから何も心配はいらない。と、ジェイドは瑠璃の頬に手を寄せる。
「でもそうだな……。私の気持ちを聞いても、ルリがその竜心を返すと言うならそれも致し方ない。
私も無理強いするつもりはない。ルリに他に好きな男がいるならそれも仕方が無いだろう」
そしてジェイドはゆっくりと瑠璃の手にあるネックレスを掴もうと手を伸ばす。
しかし、ジェイドの手がネックレスに触れようとした時、瑠璃がスッと体を後ろに引き阻止した。
「い、嫌です………。返したくありません」
竜心の入ったガラス玉を両手でしっかりと握り。ふるふると首を横に振り拒否を示す。
「同情はいらないぞ。竜心は色を変えてもそのまま婚姻の儀をしなければいずれ色が薄れ、また新しい相手を見つければ色が変わる。
だから瑠璃が責任を取る必要は無い」
「嫌です。同情なんかじゃありません。
………私ジェイド様が好きですから」
ありったけの勇気を振り絞って、想いを口にすると、ジェイドが優しく目尻を下げる。
「本当に良いのか?
竜族は嫉妬深いぞ。嫌になったからといって人間のように離婚という方法は存在しない。
他の男に目を向けようものなら、相手の男を殺してしまうかもしれない。ルリの行動を縛り付ける事もあるだろう」
「構いません。どんと来いです」
「後戻りは出来ないぞ?」
「はい……っ」
短い返事を言い終わる前に瑠璃は立ち上がったジェイドに腕を引かれ抱き締められていた。
「まだ言っていなかったからな、愛しているよ。ルリ」
「私も好きです……」
恐る恐るジェイドの背に腕を回しながら瑠璃も言葉を返す。
瑠璃には一杯一杯だったその告白も、ジェイドは少し不服だったようだ。
「………そこは愛していると返すものだ」
「善処はしますけど、今は羞恥心が勝って。すんなり言うにはもう少し時間が欲しいです………」
「まあ、時間は沢山ある」
ジェイドは瑠璃の顎に手を添え上を向かせると、ほんの少し触れる口付けを落とし、直ぐに離れた。
「これからはこちらも慣れて貰わなくてはな」
口角を上げるジェイドの顔を呆然と見ていた瑠璃は、処理できる許容を超え腰が砕けた。




