天国から地獄
頭上には雲の無い青空が広がっている。瑠璃が居ることで多くの精霊が集まり、王都はかつて無いほど穏やかな気候が続いている。
しかも風と水の最高位の精霊であるコタロウとリンは、帆船を動かす為の良い風と、穏やかな海と天候をもたらし、天気に左右される港町にとっては、とても尊ばれていた。
おかげで王都の愛し子人気はうなぎ登りだ。
そんな快晴の王都はまさにデートに持って来い。
朝からテンション高めの瑠璃は、鏡の前でユークレースから調査した、王都で人気のレースを使った花柄の紺色のワンピースを着て、最終チェックの真っ最中。
瑠璃の首にはジェイドから貰った鱗のネックレスが輝いている。
準備万端になった瑠璃は、出掛ける事を伝えにジェイドの執務室へ。
「どうですか、男性の目から見ておかしい所はないですか?」
「ああ、とても可愛い。よく似合っている」
その時、一瞬瞳に剣呑な光を宿したジェイドには気付かず、褒められた事を喜ぶ瑠璃。
その後ろでは何か言いたげなユークレースやクラウスがいた。
「じゃあ、行ってきまーす!」
そして瑠璃が出て行った執務室では、何か言いたげだったユークレースが、
「陛下、どういうつもりですか?」
「何がだ」
「ルリの首にあるものです。あれは竜心ですよね。
まだ恋仲になっていないのに、あんな大事なものを渡すなんて。
しかも、ルリはあれを渡される事の意味を知っているようには思えないのですが」
「男避けには十分な威力があるだろ」
やはりそれが理由か、とユークレースもクラウスも何も言えない表情を浮かべる。
普通はそんな理由で渡すものでは無いのだ。あの鱗は生涯で一度しか手にすることが出来ないのだから。
これでもし瑠璃が他の男と恋仲にでもなったらと思うと、ユークレース達臣下ははらはらが止まらない。
とは言え、あれを持つ瑠璃に交際を申し込む亜人はきっと世界を探しても居ないだろうなと、楽しそうに身繕いをして出て行った瑠璃を不憫に思ったりもする。
竜に目を付けられたが運の尽き、頼むから他の男を好きになってくれるなと、ユークレースは心の中で祈るのだった。
***
瑠璃がジェットと出会った食堂は王都の隣町だが、今回はデートということで王都で待ち合わせをしている。
他国の中継地点でもある竜王国の王都には、他国の様々な物が売られており、これまでゆっくりと王都を見て回った事が無かった瑠璃は、デートあるなしに関わらず、食堂で働いて得た給金を使い倒す意気込みだった。
因みにリンもコタロウも城でお留守番だ。
瑠璃が待ち合わせの場所に行くと、既にジェットが待っていた。
予定より早めに着いたつもりだったが、あちらも今日の日を楽しみにしていて気が急いたようだ。
ジェットは瑠璃に気付くと、初夏の風がよく似合う爽やかな笑顔で瑠璃に手を振る。
(うん、やっぱり爽やか好青年だ)
自分の目に狂いはないと確信し、瑠璃はにっこりと微笑み近付いていく。
「こんにちは。いつもと雰囲気が違うね、凄く可愛くて」
「ありがとう」
「じゃあ、早速どこかに……行こう……」
それまで照れながらもにこにことしていた が、何かに気付いたように目を見開き段々と言葉が尻つぼみになっていく。
「どうかした?」
突然動きの止まったジェットを不思議に思っていると、ジェットは顔を歪めた。
そして激情を抑えるかのように目を閉じ、少しして再び目を開けると悲しげな表情を浮かべる。
「わざわざそんなものを見せに来なくたって、言ってくれればちゃんと諦めたのに………」
「えっ?」
瑠璃はジェットが何を言っているのか分からず困惑する。
「断られなかったから多少は好意を持ってくれているのかなって思ってた。
だから僕は今日をとても楽しみにしていたんだ。なのに………。
相手が居るならはっきり断って欲しかったよ」
「えっ、何処行くの!?」
何かを自己完結したジェットは、悲しげな表情のまま瑠璃を置いて走り去ってしまった。
瑠璃が伸ばした手が虚しく空を切る。
「えっ、………えっ?」
その場に一人残された瑠璃は、あまりに突然の出来事に呆然と立ち尽くすしかなかった。
(何何!?何が起こったの。待って待って、落ち着け私!取りあえず深呼吸よ)
すうーはあー、と深呼吸をしてみたが混乱は治まらない。
このデートに誘ったのはジェットだ。そして当の本人は何か瑠璃の分からない事を言い放ち瑠璃を置いて去ってしまった。
(えっ、私フラれたって事………?何で!?)
理由も分からないまま、瑠璃はふらふらと王都を彷徨う。
出掛けると言って明らかに浮かれた様子で出て行っておきながら、直ぐに帰るのは何とも情けなく感じたからだ。
(帰ったらユークレースさんに相談してみよう。
よし!今のことは忘れて王都観光だ!!)
ユークレースならば瑠璃の分からない理由を教えてくれるかもしれない。それを次に活かせば良いと、瑠璃は切り替えることにした。
この切り替えの早さが瑠璃が図太いと言われる所以だったりする。
いや、その場の雰囲気と乗りと焦りで了承しただけで、ジェットの事は顔見知りであるがよく知らないので、落ち込むほどの好意はそもそも持っていなかったとも言う。
王都の商店を見回っていく。
最近何かとお世話になっているリンやコタロウ、そしてチェルシーのプレゼントを買い、屋台で食べ物を買って食べたりと買い物を満喫しながら王都内を歩いていると、橋にさしかかった。
その橋の中間では、瑠璃の見慣れた人物がいた。
「ユアン?」
ユアンはどこか思い詰めた表情で、橋の下の海を眺めていた。
そのあまりに暗い表情に最悪の事態が頭を過ぎる。
「早まるなー!」
そんな叫びと共にユアンに駆け寄り、万が一が起こらないようユアンの体にしがみつく。
突然後ろから激突されたユアンは「うわっ!」と叫び、衝撃により前方に押し出されそうになり反射的に手すりにしがみつき事なきを得た。
ばくばくと激しく鼓動する心臓を落ち着かせながら、ユアンははた迷惑な闖入者をギッと睨み付けた。
「何するんだ!?落ちたらどうする!」
必死の形相のユアンの顔を見て、瑠璃は己が多大な勘違いを起こしていたことに漸く気づき慌てて離れる。
「えっ、あ、ごめんなさい。
てっきりユアンが身投げしようとしてるのかと………」
ユアンは不審そうな顔で瑠璃を見つめる。
「俺の名前を何故知っている。城の者か?」
ユアンの言葉で、そう言えばユアンは瑠璃が人間であることは知っているが、瑠璃の人間の姿は知らないことに気づく。
「そう言えばこの姿で会ったのは初めてだっけ。私瑠璃よ」
ユアンは口元を引き攣らせ、瑠璃に背を向け脱兎の如く逃げ出した。
「あっ、ちょっと……」
本日二度目の男に逃げられるという体験に、瑠璃の中に沸々と怒りが込み上げる。
瑠璃は拳を握り締め、逃げたユアンを追いかけた。
「何で逃げるのよ!!」
「お前こそ何で追い掛けてくるんだ!?
俺はもうお前とは関わらないと決めたんだぁ!来るな!」
謹慎期間中、瑠璃への苛立っていた気持ちなどほんの最初のことだけで、残りはフィンに迷惑を掛けた事をただ後悔し通しだったユアンは、もう瑠璃に近付くものかと心に誓った。
しかし、そんな事はお構いなしに、瑠璃が逃げるユアンを魔法を駆使し捕獲するのに時間は掛からなかった。
「つーかまえた」
「ひい、近付くなあ!」
うふふふっと笑う瑠璃を前に、まるでお化けに会ったかのような恐怖に引き攣る顔で後退るユアン。
「何よ、身投げを止めた命の恩人に対してその言いぐさは無いと思うけど」
「身投げなどはなからする気は無い!俺のことは放っておけ。
お前と関わるとろくな事が無いんだ」
はいそうですかと、言うことを聞く瑠璃ではなかった。
「ふーん。で、何で身投げしそうな顔であんな所にいたの?」
「俺の話を聞けー!」
「はいはい、じゃあ聞いてあげるから、ゆっくり話せる所に移動しましょ」
「ち、違うそういう意味じゃない」
まんまと瑠璃の手の平の上で転がされたユアンの体に瑠璃は風を纏わせ、その風を動かす事でユアンの体を操り強制的に近くの店へと連れて行った。
精霊魔法の適性が皆無のユアンが、愛し子の瑠璃に敵うはずもなく、早々に逆らうことを諦めた。
「で、何かあったの?」
「何度も言うが、お前には関係ない。
そもそも何故こんな普通に接している?俺は何もしていないお前に酷い言い掛かりをつけたのに、普通は怒るだろ。何かあっても無視するだろ」
「自覚あるんだ?」
ユアンは言葉に詰まりばつが悪そうに視線を逸らした。
瑠璃の言う通り自覚はある。
ただの八つ当たりだったのだ。それで瑠璃がけろっとしているから引けなくなり、更に言葉を重ねてしまった。
「大体さあ、ユアンはどうして私に敵意を向けるのよ。
何かしら理由がなければそんな事言わないでしょう。フィンさんだけが理由じゃないんでしょ?
暴言を吐かれた私には知る権利あると思うけど?」
それはずっとユアンから感じていたもの、ユアンは瑠璃に暴言を吐いた後、一瞬悲しそうな顔をするのだ。
そんな顔を見せられれば怒るというよりその表情の意味が気になる。
ユアンは叱られた子供が親の顔を窺うように瑠璃の顔をちらりと見た後、言い辛そうに口を開いた。
「………俺が人間と竜族のハーフだって事は知っているか?」
「うん」
「母は人間だった、そのせいか俺には精霊が見えなかった。他の亜人との間の子には精霊が見えるのにだ。
そのせいで散々苛められた。
だからお前が人間と知って兄さんから引き離したかった。俺のような子を兄さんに作って欲しくなくて。
あのタイミングで言えばお前への信用は無くなると思った。
竜族は一度伴侶となる者を選定したら他の者には見向きもしない。だからそうなる前に止めたかった。お前には申し訳なかったと今ならきちんとそう言える」
「ふーん。でもその理由は私が人間だって分かった後の行動の理由でしょう?それより以前は?」
「………ただの八つ当たりだ。
俺にはどうやっても精霊は見えなかった。
何度も呼びかけ、耳を澄ませ、いくら待っても彼らは俺の前には現れない。
それなのに、ただの猫が愛し子などといって精霊に愛される。
何の努力もなく、俺が欲しいものを手に入れている。それが許せなかった」
じっと俯きながらユアンは何かをこらえるように話し続ける。
「しかもうろちょろと城の中を散歩しまくる猫の護衛になったせいで、俺との時間が減らされて………」
結局はフィンに行き着くらしい……。
瑠璃は呆れた眼差しを向ける。
「兄さんはずっと俺を守ってくれていたんだ。
本当の兄弟のように接してくれて、精霊魔法の使えない俺を励まし、周囲の悪意の盾となってくれて、精霊魔法以外の戦う方法を教えてくれた。
兄さんは俺の恩人だ、それなのに………。それなのに俺は兄さんの足を引っ張って……俺は何て駄目な弟なんだあぁぁ!」
あらん限り声を上げ、机の上に突っ伏し泣き出したユアンに、瑠璃はぎょっと目を剥き、周囲の客も何だ何だと視線が集まる。
瑠璃は慌てて自分達の周りに見えない結界を張り、声を遮断した。
「俺には兄さんの弟と言う資格はない!それどころか合わせる顔も……。そんなことを思っていたらいつの間にか城を飛び出しいつも橋の上に、うっうっっ」
(ジェイド様、予想以上にあの罰は堪えていたみたいです………)
瑠璃はユアンの肩をぽんぽんと叩き、慰めながらそんな事を思った。
ユアンの話を聞いた結果、瑠璃はユアンの事を嫌いには思えなかった。
ちゃんと痛みが分かる人だ。
少ーしある人物に偏っている気がするが、ちゃんと誰かの為に動ける。
確かにユアンの言うように自分は何の努力もなく最初から精霊に守られていた。きっとユアンの苦しみを理解してはあげられないだろう。
ちゃんと反省し謝ってもらったし、水に流そうと瑠璃は思った。
取りあえず目の前のユアンを何とかしようと、瑠璃は動くのだった。




