脱走
あさひが部屋から消えたという一報を持ってきたフィンに、瑠璃は詰め寄る。
「どういう事ですか、フィンさん!?
確かあさひは四六時中監視されているはずですよね」
ジェイドが答えを求めるようにフィンへと視線を向ける。
「ルリの言う通り部屋の前に兵を常駐させていました。窓はあるものの外は直ぐ崖になっているので、ただの人では抜け出せないと思っていましたが、今日文官の者がナダーシャでの話を求め部屋に入った時にはいなかったそうです」
もう同級生達の魅了の効果が切れる頃だろうと、再びナダーシャでの話を全員に聞く予定だった。
本来はジェイドが聞きに行く予定であったのだが、直前で話を聞くだけなら他の者で十分だろうと言い、話が噛み合わないあさひとは話したくない為あさひの方だけ文官を行かせることにしたのだ。
「代わりに下働きの娘がいたとのことです」
「下働きの娘?」
瑠璃はきょとんと首を傾げる。
それはジェイドにも予想外の事で僅かに目を見張り「どういう事だ」と眉間に皺を寄せた。
「その下働きの者が、逃がす手伝いをしたようです。
自身の下働きの服と通行手形を渡して入れ替わり、代わりに下働きの娘がその場に残ったということです」
「知り合いか?」
あまりに無謀だ。誰かが入ってくれば直ぐにバレる。
軟禁されている者を逃がすとなれば、罰は免れられない。罰を被ってでも逃がすと言うことは面識があるのかとジェイドは思ったのだが。
「いえ、面識は無かったようです。ただ……」
フィンは言い辛そうに言葉を途切れさせ、苦虫をかみつぶしたような顔で続けた。
「娘は陛下に会わせろと。あの女は偽物だ、本物の竜妃は自分だと、そう発言しております。
調べた所、少し前にアゲット殿の命令でヨシュアが連れて来た娘のようです」
「竜妃?」
その聞き慣れない言葉に瑠璃が首を捻りジェイドを見ると、ジェイドは頭痛がするかのようにこめかみを押さえていた。
アゲットの命令でヨシュアが連れて来たのは、ジェイドが一度会った気になる娘を探す過程で、似た容姿の娘が奴隷商人に連れて行かれたとの情報で救出した者だ。
だが、ジェイドが望んだ娘は既に隣にいる。
ジェイド自身がそれを認め、アゲットもそれが瑠璃だと知り、その後は何も言って来る事はなくなったのだが、どうやら娘の方にも何かしらの勘違いが起こっているようだ。
「ヨシュアを呼べ。その娘の事はヨシュアに任せる」
「既に向かわせております」
「ジェイド様、竜妃って何ですか?」
「竜妃は竜王の妃という意味だ」
「ジェイド様の妃……。
それってジェイド様が会いたくてヨシュアが連れて来たって人ですよね。………会いに行かなくて良いんですか?」
ジェイドが望んだ女性だと聞いていた瑠璃は少し不安になりながら問う。
「必要ない。そもそもその娘である筈がないからな」
「そうなんですか?」
「ああ。それに私にはルリがいるからな。他の女は必要ない」
ふわりと柔らかく瑠璃に微笑みかけるジェイド。
瑠璃は愛玩動物としてだと己に言い聞かせつつも、頬が赤くなることは止められなかった。
瑠璃にきちんと気持ちが伝わっていない事に気付き、行動ではなく言葉で伝える事にしたジェイドと、それでも尚ペットへの愛情だと勘違いする瑠璃。
双方の食い違いはまだ埋められていない。
「陛下、いちゃつくのは後回しに」
この緊急事態に呑気な王に呆れたようにフィンが声を掛ける。ジェイドはそれをふんと鼻を鳴らす。
「分かっている。早く見つけなければ色々とまずいしな」
「まずいって何がですか?」
瑠璃の疑問に答えたのはフィンだ。
「現在ナダーシャの王と神官の引き渡しの為に、第三区に元穏健派の貴族が多数訪れている。
その上、ナダーシャとの戦争で捕虜となっていた兵士達が、第十一区に集められているんだ。
どちらも戦争の引き金となった巫女姫に恨みを抱いている。
もし見つかれば、ただではすまないだろう」
「ただではすまないって………」
その光景を思い浮かべた瑠璃は背筋がぞっとした。
「下働きの娘の通行手形ならば、第六区より上には行けないだろう。
なら、行くならば下か。全く迷惑な」
貴族ならば己がいる場所を理解し、どれだけ怒りを感じていても、口は出しても手を出すことはないだろう。
だが、兵士はそうはいかない。捕虜となった者はその殆どが農民で、感情に流され暴動のような状況を引き起こしかねない。
「現在各区間を閉鎖し、移動が出来ないようにしております。ですが………」
「既に十一区に入っていたら面倒だな」
「はい。捜索隊は出しておりますのでじきに見つかると思います。後は彼等と会わないよう祈るしかありません」
「探索の魔法はどうした」
「それが、風の精霊達が呼び掛けに答えてくれず、自力で探すしかない状況です」
そう言ってフィンは瑠璃へと視線を向ける。
はっとした瑠璃は空に向かって「コタロウ!」と叫んだ。すると、どこからともなくリンを頭に乗せたコタロウが、空から降りてくる。
「コタロウ、あさひを探して。コタロウなら出来るでしょう?」
『何故?』
「えっ何故って……?」
そんな返答が返ってくると思わなかった瑠璃は言葉に詰まる。
『我はルリの願いならば何でも叶えたい。
だが、ルリはあの女が嫌いだろう?それなのに何故助ける?どうなっても自業自得だと我は思う。
だから助けようとするルリの気持ちが我には理解できない』
「っ、確かに私はあさひが嫌いよ、もう会いたくないってぐらい。
でも、嫌いだけど憎んではないの。危険だって言うのに、ざまあみろって放置するなんて私には無理。
だからあさひを探して。お願い」
両手を合わせコタロウにお願いする。
どうしてあさひの為に自分が必死にならなければいけないのだと、思う自分がいるのも確かだ。
これがナダーシャの王や神官ならば放置一択だが、やはり幼少期から一緒にいたという僅かな情が確かにあるのだ。
あさひだけではない。瑠璃を消そうとした同級生達にも、同じ事をやり返すかと聞かれれば否と言うだろう。
もう帰れないあちらの世界を知る者同士、それだけで親近感というか非情にはなりきれない説明しきれない感情がある。
瑠璃の揺れない強い意志を感じたコタロウは、どこか仕方なさげに「ルリがそれを望むなら」と了承を示した。
コタロウを中心にふわりと風が舞う。
『どうやら第十一区にいるようだ』
「よりによって」
顔をしかめ舌打ちしそうなジェイドが吐き捨てる。
***
あさひは行く当てもないまま、城の中を歩き回っていた。
瑠璃に会いたい。だが、瑠璃のいる場所は分からず、取りあえず脱出に協力してくれた女性に教えられたまま第六区から出て地上に向かって下へ下へと歩いていた。
時々建物と建物の間の長い廊下前の門で兵に止められたが、女性から渡された人差し指程の大きさの銀のプレートを見せれば苦も無く通された。
そのまま歩き続けていると、ガヤガヤとした部屋の前に通り掛かった。
扉はなく中が見渡せる。恐らく食堂だろうその場所で、多くの人達が食事を取っている。
そう言えば食事をする前に出てきた事を思い出し、中から漂ってくる匂いと相まって急激にお腹が減ってきた。
そして急に不安になった。
ここから出て食事をどうやって手に入れれば良いのかを。
これまではナダーシャの城で手厚く遇され、不便な生活の今でさえ時間になれば食事が運ばれてくる。だが、これからは?
ここには父も母もいない、唯一頼れる瑠璃も。そして、共にこちらの世界に来た元同級生達も別の部屋に連れて行かれどこにいるか分からない。
あさひただ一人。
瑠璃の言っていた言葉が蘇る。ここに頼れる者はいない、あさひ一人の力で生きていかなければならない。
なら食事を得るために働けば良いのだと、直ぐに結論が出たが、どうやって探すかさえこの世界を知らないあさひは分からない。
そんな先の見えない不安が恐怖を呼び、その場から動くことが出来なくなった。
その場に佇んでいると、食事を取っている一人の男と目が合った。
そしてその男は何かを思いじっとあさひを注視した後目を見張り、怒りの形相となって突然声を上げた。
「お前、あの巫女姫じゃねえか!?」
その男の叫びで、食事を取っていた全ての者達が男の視線の先にいるあさひへと顔を向ける。
あさひは喜んだ。自分を知っている人がいることに。あわよくば瑠璃の居場所を教えてくれたり自分のこの状況を改善できないかと。
だが、呑気なあさひとは違いこの場の雰囲気は険悪になっていく。
「おい、本物か?」
「ああ、間違いない。戦争の時に近くで顔を見たからな、あの女の顔を忘れるもんか」
「あの服装、城の下働きの服じゃねえか?
俺達の仲間を何人も死に導いておきながら、自分は平然と暮らしてたってか?ふざけんじゃねえぞ」
「何が繁栄に導く巫女姫だ!」
じりじりとあさひに迫る男達。
その顔は怒りと殺気に溢れ、他人の感情に鈍いあさひも身の危険を感じた。
そして弾かれたように身を翻し駆けだした。
「逃げたぞ」
「追え!!」
「俺達や仲間の苦しみを思い知らせてやる!」
多くの男達も食事を止めあさひを追い掛ける。
恐怖に顔を引き攣らせ息を切らしながら廊下を駆けるあさひ。
それも長くは続かず、足がもつれ倒れ込んだ。
はっとして後ろを振り返れば、直ぐ後ろに男達が迫っていた。
「お前のせいでっ」
「ち、違っ、私のせいじゃない。あれは王様が」
「お前も戦争に賛成してたんだろ。お前が望んでいるからって穏健派の人達が排除され戦争が起こったんだ!」
「だって、瑠璃ちゃんを助ける為に必要だったから」
声を震わせながら、必死で己の正当性を訴えるが、その言葉は彼らには逆効果だった。
「何でお前の友達を助ける為に俺達が命を掛けなきゃいけねえんだ!!
俺達にだって家で待っている家族がいるんだぞ!」
「えっ、だって……」
これまであさひが望めば、その願いは叶えられた。
だから、今回も当然手を貸してくれるものと思っているあさひは、何でと返されその答えに窮した。
「だってじゃねえ、俺はこの戦争で弟を亡くしたんだ!」
「きゃあ!」
男達が手を伸ばしたその時、あさひの周囲に風が起こりあさひの周りに見えない壁を作った。
「うわっ、なんだこれ」
「気にするな、壊せ!」
どんなに手を伸ばしてもあさひまで手が届く事は無く、一定の距離を置いて男達は足止めを食っていた。
しかし、あさひは安堵などしていなかった。
目の前で血走った目であさひを睨む男達に囲まれ、届かない距離を詰めようと見えない壁に体当たりしてははじき飛ばされる者、血が出るのも構わず殴り続ける者。
そんな光景が目の前で起こり、安心など出来ない。
むしろ少し距離を置いて見ることで恐怖は増している。
「ひっ、誰か……」
そんなあさひの助けを求める声が聞こえたわけではなかったが、群衆の後ろから竜王国の兵士達が駆け付け、男達を一人ずつ引き剝がしていく。
人と人の隙間からそれが見えたあさひは、漸く安堵しその場で気を失った。




