お試し期間
それはとある日、食堂でのバイトが終わり帰ろうと食堂を出て少ししての事だった。
「はっ?あのごめんなさい、もう一度言って貰えますか?」
我が耳を疑った瑠璃は、もう一度目の前の人物へと問い掛ける。
「うん、付き合って欲しいんだ」
そう答えるのは、犬の耳と尻尾が生えた獣人の男性で、年齢は瑠璃より少し年上に見える。
恥ずかしそうにはにかむ、見るからに好青年そうな男性。突然呼び止めた彼から再び発せられた言葉は先程と同じもので、瑠璃の聞き違いではない事を確認した。
しかし、言葉通りに受け取る瑠璃ではない。
「………それって、どこかに付いて来て欲しいとかそういう」
「ち、違うよ!君が好きなんだ、だから恋人になって欲しいって意味だよ」
よくあるオチではないかと疑った瑠璃が確認してみると、慌てて否定される。
そこで漸く自分は告白されていることを知った。
戦勝祝いも終わり、いつも通りの日常が戻って、瑠璃も食堂でのバイトを再開して少ししての事だった。
何でも前々から食堂で元気よく働く瑠璃に好意を抱いていたが、ここ最近瑠璃の姿が見えず気になっていたそうだ。
そこまで気になるならいっそ告白しちゃえという周囲の後押しで今日に至ったらしい。
食堂の常連だった彼のことは、瑠璃も顔見知りで何度も言葉を交わした事があったので、まさかという驚きが大きかった。
そして、何度も顔を合わせていながら微塵も気付かない自分は、案外鈍いのか?と己を顧みてみた。
「それで、どうかな?取りあえず今度デートとか」
期待と不安に揺れる獣人の彼に返事をして、瑠璃は急ぎ城へと帰る。
「ユークレースさんいますか!?」
ジェイドの執務室へと向かうと、目的のユークレースだけではなく、いつもの面子が揃っており、飛び込むように入ってきた瑠璃に目を丸める。
「いるわよ。そんなに慌ててどうしたの?
一応ここは、竜王陛下の執務室なのよ、もっと静かに入ってきなさい」
「うっ………ごめんなさい、ジェイド様」
ジェイドは気にするなと苦笑を浮かべた。
「それで、何か用があるんでしょう?」
「はい!ユークレースさんなら、今時の女の子の流行な服装を知っていると思って。教えて欲しいんです」
「そりゃあ勿論知っているけど、突然どうしたの?」
ユークレースの問いに瑠璃はうふふと含み笑いをし「デートに誘われたんです!」と嬉しそうに答えた。
ユークレースはぎょっとする。
「誰に!?」
「食堂の常連さんで、犬の亜人のジェット君っていう子です。
今日告白されたんです。取りあえずお試し期間って事でデートに行こうって。
こっちの世界にはそんなのがあるんですね」
まずは二週間と、まるで通販商品のようなその話を言われた時は瑠璃も驚いた。
「……魔力が強いほど魔力の相性による影響が強いからね。
魔力のある亜人では、お互いの相性を確認するお試し期間を作るのが一般的なのよ。
って、そんなことより、お試し期間を受けたって事はルリはその男にそれなりに好意があるって事よね?」
恐る恐るユークレースが問い掛ける。
「まだ好きというわけではないですけど、ジェット君は純朴そうな好青年で、きっと将来良い旦那様になると思うんです!」
「だ、旦那………!」
「犬の獣人なので、生まれてくる子供もきっともふもふで可愛いと思うんです!」
「子供ぉ!?」
力強く答える瑠璃に、ユークレースはよろよろと近くにあった椅子に腰掛けると、頭を抱えた。
冷や汗がユークレースの背を流れる。
告白されて舞い上がる瑠璃は置いておき、ユークレース達は恐ろしくてジェイドの方へと視線を向ける事が出来なかった。
「ルリ、それほど急いで結婚相手を見つける必要はないのではありませんか?
あなたはまだ若いのですし」
どうにか考え直させようとするクラウスだったが……。
「でも、早く家族が欲しいんです。
私だけの家族……私の帰る場所が……」
少し伏し目がちに寂しそうにそう話す瑠璃に、誰もそれ以上駄目だとは言えなかった。
元気そうな姿しか見ていないが、突然家族と引き離された瑠璃の状況を考えれば、家族という存在に並々ならない強い思いを抱いてもおかしくはない。
誰も何も声を掛けられずにいると、徐にジェイドが立ち上がり「少し休憩する」と一言言い放ち、瑠璃の手を取り共に執務室から出て行った。
瑠璃とジェイドが出て行くと、一様にユークレースへと非難がましい視線が投げかけられる。
「ルリを食堂で働かせたのは失敗だったのではありませんか?」
クラウスの言葉にフィンとアゲットは無言ながらその眼差しは同意している。
クラウス達が時々瑠璃の姿が見えなくなる理由を知ったのは、極々最近の事だ。
その時からジェイドをはじめ、クラウス達も働くのを止めさせようとしたが、瑠璃は頑なに拒否している。
愛し子の行動を制限出来るはずもなく、取りあえず様子見という答えが出たのだが、こんな事なら泣き落としてでも止めるべきだったと、後悔と共に働き口を斡旋したユークレースを恨みがましく感じてしまう。
「しょうがないじゃない。働きたいって言うルリを止めることなんて出来ないわ。
唯一出来るのは信頼する者の側で働かせる事位よ。
ルリに好意を持つにしても、まさかルリがそれに応えるなんて思わないじゃない!」
それはまあ確かに、とクラウス達も同意した。
元々ユークレースの元で働いていた女性で、人となりをよく知り、尚且つその娘の旦那は一時竜王国の軍にもいた事があり、腕が立つ。
瑠璃を守りつつ、接客業をしたいという瑠璃の望みを叶えるのにはもってこいの場所だった。
よくよく考えてみれば、変装しているとは言え容姿が良く、愛し子となるほど精霊に好かれる魔力を持つ瑠璃に、興味を持つ男が現れないはずはない。
そうは思っていてもさして問題はないだろうと、ユークレースは少し甘く見ていた。
瑠璃とジェイドとの魔力の相性は良い。誰もが切望する唯一と言って良いほどに。
これまで猫だと思っていたから外れていただけで、番になり得る人間だったという時点で、ジェイドの花嫁として最も相応しい。
その上ジェイドのあからさまな構い方から、瑠璃にも当然ジェイドの気持ちが伝わっていると誰もが思っていた。
竜族の愛情表現である、給餌行動も見せていたし。
だが、如何せん瑠璃はこちらの世界の者ではなかったのだ。
竜族特有の愛情表現も、魔力の相性が結婚相手として最重要項目であることも全く知らなくても不思議ではない。
恐らくジェイドも、全く伝わっていなかったことに驚愕していることだろう。
もしこのまま瑠璃がその獣人の男と恋仲になどなってしまったら………。
「私、首が飛ぶかもしれないわね………」
竜族の番への執着は尋常ではない。
まだ番というわけではないが、ジェイドの様子から番と変わらない思いを見せ始めている。
きっとジェイドは、原因の一つとなったユークレースを視界に入れる事すら拒否するほど怒り狂うだろう。
「その前に、その男の首が飛ぶかもしれんぞ。ユークレースのように職ではなく物理的に」
アゲットの言葉に暫しの沈黙が落ちる。
そして弾かれたようにユークレースが声を上げる。
「フィン、ヨシュアよヨシュアを呼んで!
すぐにその男の事を調べさせて!」
「わ、分かった」
そしてクラウスとアゲットは神妙な面持ちで話し合っている。
「いざとなれば保護して国外に逃亡させましょう」
「逃がすなら、陛下に対抗出来る力を持つ獣王の所がよいのではないか?いや、霊王の方が仲裁には向いているか……?」
「いやしかし、それでは下手したら国家問題に発展するかも……」
執務室が大混乱に陥っている頃、瑠璃はジェイドに連れられ庭園へとやって来ていた。
ジェイドは瑠璃の手を離し少し離れると竜体へと変化する。
竜族は人によって竜体の時の体の色は違う。
基本的に人体の時の髪の色と同じで、ジェイドは漆黒の竜だ。
竜体へと変わる理由が分からない瑠璃は不思議そうにしながら成り行きを見守っている。
「どうしたんですか、ジェイド様?
突然竜体になったりして、どこかにお出掛けですか?」
『ルリに面白いものを見せようと思ってな』
そう言うと、ジェイドはその大きな翼を上に向け羽ばたかせた。
大きな風が起き、一気に上に昇っていく。それと同時に、ジェイドの体からパラパラと何かが剥がれ落ちていき、それらは風により舞い上げられていったがすぐに地上へと降り注ぐ。
その何かは太陽に反射し、煌めきながら雪のように舞い落ちる。
「うわあ、綺麗」
幻想的な光景に瑠璃は子供のようにはしゃいだ。
ジェイドも、嬉しそうに笑みを浮かべる瑠璃を満足そうに見つめている。
全て地上に落ちきるのを見届けると、瑠璃はしゃがんで一つ手に取った。
「これ何ですか?………鱗?」
透明で色のないそれは、鱗の形をしていた。
だが、魚の鱗のように薄いものではなく、厚みがあり、一見すると宝石のように見える。
ジェイドの体から剥がれ落ちたのを見ていたのですぐに鱗と気付いたのだが、漆黒の色を持つジェイドの鱗とは思えない透明な鱗に、瑠璃は不思議に思う。
『ああ、鱗だ。竜族は定期的に鱗が生え替わり古い鱗が落ちる。まあ、人で言う抜け毛みたいなものだな。
古い鱗だから色も抜け竜族にとってはゴミのようなものだが、他の種族からは重宝され、高く売れる。
武器や防具に加工したり、装飾品にしたりな。
竜族の小遣い稼ぎだ』
驚くことに、力によっていつでも交代する可能性のある竜王も給料制らしく、こうして鱗を売ってお小遣いを稼いでいるらしい。
力の強い竜族の鱗程質が良く高く売れるようで、ジェイドやフィンの鱗は予約待ちが出来るほど人気があり、小遣いどころではない金額が稼げるそうだ。
欲しければいくらでも持っていっていいと言うので、折角だからと足元に落ちていた数個を拾う。
「ありがとうございます、ジェイド様」
顔を上げジェイドへと視線を向けた瑠璃はあるものに目を止めた。
「あれ?ジェイド様、そこだけ色が違いますよ。前はありましたっけ?」
心臓辺りの一部分だけが周囲の色と異なっていた。
以前、チェルシーの家から王都へ帰る時には無かった気がする。
それとも気が付かなかっただけだろうか。
そんな事を思っているとジェイドはその大きな唇で、器用に心臓の上にある一枚だけ色の変わった鱗を剥がし、瑠璃に渡す。
「まるで宝石みたい」
形は地面に散らばる鱗と同じ形だが、翡翠のように美しい色彩を持つそれは、宝石にしか見えない。
加工されたものではなく原石のままの宝石のようだ。
人体に戻ったジェイドは、細身のチェーンのネックレスを取り出す。
真ん中には球体を半分に切ったような小さなガラスがついており、瑠璃から色の変わった鱗を受け取るとその半球の中に入れ、同じ大きさの半球で蓋をし火の魔法で溶かし封じる。
出来上がった鱗の入ったガラス玉がついたネックレスを瑠璃の首へとかける。
「えっ、私に貰えるんですか?」
「お守りだ。肌身離さず持っていると良い」
「わあ、ありがとうございます。
これってジェイド様の瞳と同じ色ですね」
ガラス玉に入った、ジェイドの瞳と同じ翡翠の石のような鱗を貰い、瑠璃は嬉しそうに破顔した。
ジェイドは窺うように瑠璃を見た後、何故か一瞬残念そうな表情を浮かべ、苦笑した。
そのジェイドの反応に何かあるのかと問おうとした時、ジェイドを通した向こうから、焦った表情で走ってくるフィンの姿が目に入ってきた。
「あっ、フィンさん」
「何かあったようだ」
振り返ったジェイドは、途端に表情を険しくする。
「陛下!あのあさひという女の姿が消えました!!」
飛び込んできたその報告に、瑠璃はギョッと目を見開いた。
「なんですってぇー!?」
上ずった瑠璃の叫びが庭園に響いた。




