お説教
「だったら私から説明してあげるわよ、このバカ娘!」
怒り心頭な声で室内に乗り込んできた瑠璃。
会うつもりはなかったのだが、中から聞こえてきたあさひの言葉に我慢しきず中に入ってしまった。
突然入ってきた見知らぬ女に、フィンは一瞬動きを止めたもののすぐに我に返り、護衛としての務めを果たそうと動こうとした。
だが、「フィン待て」というジェイドの声にたたらを踏む。
何故という思いでジェイドを振り返ると、このぎすぎすとした場には相応しくない優しげな眼差しで侵入者を見ており、フィンは目を瞠った。
ジェイドの様子にはクラウスもアゲットも驚いていたが、直後にあさひが叫んだ言葉に更に驚きを深くする。
「瑠璃ちゃん!!」
そう叫びあさひは満面の笑顔を浮かべ瑠璃へと駆け寄る。
数年ぶりに会えた瑠璃の姿に喜び、抱き付こうと手を伸ばしたが、その手は瑠璃の後ろから入ってきたヨシュアに掴まれ阻止された。
あさひはヨシュアを睨み付ける。
「離して」
「だーめ。ルリを守れって命令だし」
「私は瑠璃ちゃんに何かしたりしないわ!」
ヨシュアを睨み付けるあさひと、ひょうひょうと気にも止めないヨシュア。
険悪な空気が流れる中、瑠璃は自分でも驚くほどひどく冷めた声が出た。
「あさひ、どうしてあんな事したの?」
「あんな事って?」
瑠璃に話しかけられたあさひは、瑠璃の表情を気にも止めず話しかけられた事を喜びぱっと表情を明るくした。
「ナダーシャの王達の口車に乗せられて、戦争を起こした事よ」
「だって、瑠璃ちゃんを助けるためには私だけじゃ無理だし………」
「助けるも何も、どうして私がいなくなった理由が竜王国だって言えるの?
あの時私は城にいたのよ。一番先に考えられるのはナダーシャの内部の人達でしょうが」
そういって、瑠璃は冤罪を着せられて森へ捨てられたことを一部始終話した。
ナダーシャ王と神官の企みと、先日の戦争で殺されるところだったことも。
それを聞いたあさひは漸く事態がのみ込めたようで、ショックを受けた。
「そんな………。酷い、私騙されていたのね………」
まだ魅了に掛かっている四人は痛ましそうにあさひを見るが、瑠璃はぐっと奥歯を噛み締める。
そして右手を振り上げ、渾身の力を込めてあさひの頬めがけて振り下ろした。
小気味良い音が部屋に響き、頬を叩かれたあさひは、じわじわと襲う痛みと赤くなってくる頬を押さえながら呆然と瑠璃を見た。
「瑠璃……ちゃん……?」
「あんたが……。あんたが酷いなんて言葉を口にするんじゃない!!
この戦争でいったい何人死んだと思っているのよ」
「それは、王様達がしたことでしょう?どうして私を怒るの?」
「確かに引き起こしたのは王と神官よ。でも、あんたがもう少し自分で考えることをしていたら何か変わったかもしれない。
おかしいと思わなかったの?
万が一私が誘拐されているとして、普通は先に交渉するでしょう?誘拐されたのに戦争なんて起こしたら私の身の安全は保障されないじゃない。
第一、見ず知らずの自国民でもない一人の為に国が戦争なんて起こすわけ無いでしょう。起こすって事はそこには何かしらの思惑があるに決まっているじゃない!別の世界からわざわざ人を呼び出すような国よ?」
「そんな難しいこと私に言われたって分かんないよ………」
その無責任な言葉で込み上げてくる怒りを、深呼吸でぐっと抑え瑠璃は続ける。
「大体、ナダーシャは誘拐犯と同じじゃない。そんな奴らの話を鵜呑みにすること自体危機感が足りなさすぎるっ」
「困っていたんだから仕方ないよ。
騙されていたわけだけど、その時は知らなかったし……」
「じゃあ何?困っていたら犯罪は合法だっての?
善意を強要するような奴らを信用出来るわけないでしょ!
いい加減自分で考えることを覚えなさいよ」
瑠璃の言葉に同意するように、ヨシュアがうんうんと頷いている。
冷ややかな眼差しで、あさひに理解させようとする瑠璃。
だが、罪悪感皆無なあさひの様子に、瑠璃はすうとそれまで感じていた怒りが引き、諦めが心を占める。
瑠璃はため息を吐き、あさひに理解させることを放棄した。
「もういい。
ここはこれまでのようにあんたの我が儘を聞いてくれる人なんていないんだから、嫌でも現実を見るでしょ」
「私我が儘なんて………」
瑠璃の厳しい言葉に、あさひは悲しげな表情を浮かべるが、瑠璃の知ったこっちゃない。
「帰れないんだから、もっとしっかりしなさい」
「それは王様達が言ったことで、何だかんだ言ってもゲームでは最後には帰れるから大丈………っ」
あさひの言葉を遮り、瑠璃は再び平手を未だ夢の中にいるあさひの反対の頬に振り下ろす。
二度も叩かれたあさひは涙目だ。
「っ、痛いよ瑠璃ちゃん……」
「そうよ痛いでしょう?魔法があっても、けもみみの人間がいても、ここはゲームの世界なんかじゃない現実よ。
ゲームのように都合よくはいかない、もう帰れないのよ」
瑠璃もそんな希望を抱かなかったわけではない。だが、生活していればここが現実だということは嫌でも分かる。
「ナダーシャの王も神官達もその地位を降ろされた。
ここには大使館もなければ向こうの常識も通じない。あなた達は、家族も親戚もいない誰一人頼る者のいないこの世界で、これからは自分の力だけで生きていかなきゃいけない。
ゲームのように飽きたから止めたは出来ないのよ。ずっと、死ぬまでこの世界で生きていかなきゃならないの」
どこか、自分自身にも言い聞かせているような瑠璃の言葉に、あさひ以外の四人ははっとしたように顔を上げ瑠璃を凝視する。
漸く現実というものを実感し始めたのかもしれない。
無理も無い、魔法というあちらでは非現実的な世界に突然連れて来られ、衣食住も保障され現実味がなかったのだろう。
瑠璃も、こちらに来て早々に森に捨てられて死にかけなければ、今でも現実味もなく生きていたかもしれない。
だが、あさひだけはどこまでもあさひだった。
「大丈夫。私は瑠璃ちゃんがいれば何処だって頑張れるもん!」
そう笑顔で告げるあさひに、何一つ伝わっていないと分かった瑠璃は、怒りも諦めも通り越し脱力した。
「言っておくけど今後私はあさひと関わる気は無いわよ」
「え……どうして?」
「どうして?逆に私が聞きたい。どうして私があさひの面倒を見なきゃいけないの?」
「瑠璃ちゃんにだけに面倒を見てもらうつもりはないよ。私もちゃんと頑張るし、協力して生きていこ」
邪気のない笑顔。瑠璃は心の中で勘弁してくれと呟いた。
「向こうでの生活を振り返ってみてよ。
いつだって自分の要求だけを押し通して、私の頼みは全く聞いてくれない。
それでよく親友だなんて言うわよ。ただの召使いじゃない。そんな都合の良い友人なんてごめんよ。
結局全ての面倒を押し付けられてる未来しか見えないのに一緒になんていたくない」
伝わらないあさひにはっきりと伝えると、泣きそうに表情を歪める。
「そんな、瑠璃ちゃんがそんな風に思っていたなんて………。言ってくれれば良かったのに、そしたら私も……」
言っただろうがっ!と瑠璃は心の中で怒りを爆発させた。
何度も言ったのに、聞こうとしなかったのはあさひだ。
これまで以上にショックを受けた様子のあさひに、未だ魅了に掛かる四人が口々に文句を言い始めたが、瑠璃の耳には雑音でしかない。
これ以上の会話に苦痛を感じ始めた時、瑠璃の心を読んだかのようなタイミングでジェイドが口を挟む。
「フィン、もう連れて行け」
ジェイドの命を受け、外で待機していた兵を中に入れ、連れて行くよう指示する。
あさひは最後まで瑠璃の名を叫んでいたが、瑠璃は一切そちらを見ず、あさひ達が退出すると、近くのソファーに倒れかかった。
もう疲労困憊だ。
「久しぶりのあれは、疲れる………」
会話にならないあさひとの会話を断念し、召喚される数年前から、瑠璃の方から話し掛けなくなり、あさひが一方的に話すだけとなっていた。
なので今日のように会話と言える言葉を交わしたのは本当に久しぶりだった。
だが、もう二度としたくないと思う程に疲れた。
「どうやったら、あんな子供が育つのかしら」
呆れたユークレースの呟きに、瑠璃は返答する気力も無く心の中で「全くだ」と同意した。
「ユークレースさん、お願いですからあさひを私に近付けないで下さいね」
「心配しなくても、あの子達は暫く監視の下、部屋に軟禁よ。
ルリが部屋に行かない限り会うことは無いわ」
「絶対行きません」
頼まれたって行くものか。
ふうっと一息吐くと、瑠璃は立ち上がりジェイドへと視線を向ける。
「遅くなったけど、ただいま戻りました」
「ああ、おかえり」
先程までの無益なやり取りで刻まれていた眉間の皺が無くなり、柔らかく微笑むジェイド。
そんなジェイドを瑠璃は笑顔ではなく、じとっとした眼差しで見つめる。
「…………ジェイド様、私が入ってきても動じていませんでしたね。
私の人間の姿を知っているユークレースさんは良いとして、他の皆は誰か分かっていなかったのに」
そう言えば………。と、ジェイドの反応が他と違っていた事に瑠璃以外も思い出しジェイドへと視線を向ける。
「もしかして、私が寝ている間に腕輪取りましたね?」
他に取る機会など無いと思った瑠璃はそう問いただす。
ジェイドは肯定も否定もしなかったが、あらぬ方を向き、瑠璃と合わせないその視線が全てを語っていた。
あれ程人間の姿を見たいとごねていたのに、言わなくなった理由を漸く知った。
「乙女の寝込みを襲うなんて最低です、ジェイド様!」
「人聞きの悪い。少し腕輪を外しただけで、その後ちゃんと付け直した。
私には国の責任者として、何かあった時の為にルリの姿を知っておく必要があったのだ」
開き直るジェイド。
責任どうこう言っているが、微妙に逸らされた視線が全てを台無しにしている。
ただ興味のままに動いただけだろうというのは、ここにいる誰もが分かっていた。
別に隠し通したかったわけでもないので、それ以上反論もせず、仕方が無さそうに一つため息を吐くに留める。
そして、瑠璃はフィンと、フィンの肩の上に乗るリンへと向かう。
「フィンさん、元気そうで良かったです。
皆を守ってくれてありがとう、リン」
『どういたしまして』
リンはフィンの肩から離れると、瑠璃の側に移動し頬に擦り寄り、瑠璃の肩へと腰を落ち着けた。
フィンは瑠璃の前で跪き、最上級の礼をする。
「ルリのおかげで部下達も全員助かった。全ての兵を代表して御礼を言わせてくれ。
ありがとう」
全員という言葉に瑠璃はほっと息を吐く。
前線にいた兵の多くは竜族で、瑠璃の顔見知りも少なくなかった。
誰一人欠けることなく帰って来られたのは、リンの存在があってこそ。
瑠璃はもう一度リンへと御礼を言った。
 




