戦争 1
フィンの遥か前方には、ナダーシャの軍が陣取っていた。
その数はおよそ十数万人。
見渡す限り人で埋め尽くされ、ナダーシャの旗がそこかしこに掲げられている。
対する竜王国軍は僅か千人。
にも関わらず兵達の表情は絶望ではなくやる気に満ちあふれている。
怯えと恐怖、竜王国までの長い道のりを徒歩で歩いてきた肉体面と、これから竜族と戦わなくてはならないという精神面の両方の疲れで、倒れてしまいそうな者が多くいるナダーシャの兵とは真逆だ。
と言うより、竜族の兵はやややる気があり過ぎる。
このままではまずいと思ったフィンは、前線の兵達に向かって声を張る。
「いいか!決してやり過ぎるなよ。
あの兵達のほとんどは国の命令で強制的に連れて来られた何の力もない一般市民だ。
説得すればこちらにつく者も多くいるはずだ。
そして巫女姫と呼ばれる娘と、王子には決して近付かず、場所の報告と足止めだけするんだ。
お前達では殺してしまいかねないから、別部隊を送る」
重ねて「必要以上にやり過ぎるな!」とフィンが叫ぶと、「おおー!」と拳を上げ肯定する叫びを上げるものの、彼等の表情を見る限り血が上り、本当に聞いているのか激しく不安にかられる。
「不安だ………」
前線の兵は竜族で占められている。
本当は武力を落として、竜族以外の亜人で相対するという話も出たのだが、それを竜族の兵が「俺達にも戦わせろ-!」と抗議。
戦闘狂を野に放つなど、危険すぎるという反対意見が出たが、竜王国の軍の上層部は政治面同様竜族が多く、反対しきれなかった。
そこで、ジェイドがフィンを前線に送ったのだ。
竜王に次ぐ力を持つフィンならば、戦いに頭が一杯になり、暴走した竜族を止められる。
ナダーシャとの戦闘の為ではなく、味方を倒す為というのが何とも情けないが、複数の竜族が暴れた場合フィンやジェイドのように力ある竜でなければ対処できない。
一抹の不安を抱えながら、戦争が開始。
戦争の勝敗は呆気ないものだった。
最初はあまりの人数の差に、勢いづいていたナダーシャの軍だったが、ちぎっては投げちぎっては投げと一気にナダーシャ軍の中央まで突破される。
巨石を投てきしても拳で砕かれ。攻撃魔法を放っても防御もせず直進。槍を放っても刺さる前に魔法で弾かれる。
一振りで十人を吹き飛ばし、魔法まで駆使する竜族。もう人数差などあってないようなものだった。
あまりの竜族の強さに多くの兵が戦意喪失していた。
このままでは一方的な虐殺だ。
だが、あまりに弱すぎる人間に、我を失う程戦争に夢中になってはなかったのか、比較的冷静に戦っていた竜族の兵達は、生まれたての小鹿のように足を震わせる者を除外し、向かってくる兵だけを淡々と相手した。
そして、後方支援を請け負う竜が、空を旋回しながらナダーシャの兵達に投降を呼びかける。
命の保障を約束するその言葉に、元々嫌々戦争に参加した者達は、自国の敗北を悟り続々と武器を捨てていく。
もう勝敗は決した。
成り行きをずっと見守っていたフィンは、深い溜め息を吐いた。
「呆気なさすぎる………。本当にナダーシャの王は勝てると思って戦争を仕掛けてきたのか?」
他意があって戦争を仕掛けてきたのではと疑ってしまう程の、速さだった。
その結果、不完全燃焼状態に陥った竜族は、不満と鬱憤が溜まり、発散しきれなかったものを味方にぶつけ始めた。
そこかしこで始まった喧嘩にフィンは再び深い溜め息を吐く。
喧嘩位ならばいつもの訓練と同じようなものなので好きにさせていると、王子と巫女姫を発見したという報告が入り、その場を別の者に任せ駆け付ける。
竜体となり低空飛行で飛んでいくと、一カ所ぽっかりと空間が開けた場所があった。
中央に数人の人と、それを取り囲むように、竜王国の兵が取り囲んでいる。
その場所に降り立ち、人型に戻るフィン。
怯え身を震わせる身なりの良い男。恐らくこれがナダーシャの王子だろうとフィンは見当を付けた。
そしてその横には、勝ち気にも周囲を睨みつけている、少女と女性の間位の年齢の娘。
こちらも戦場には似つかわしくない、上質で動きにくそうなひらひらとした服を着ている。
その後ろに王子同様怯えた表情をしている、戦闘員ではなさそうな数人の男女。
「巫女姫というのはどの者だ?」
フィンが問うと、概ね予想通りだった、こちらを睨み付けている娘が一歩前に出た。
「私よ!あなた達ね、瑠璃ちゃんを連れ去った誘拐犯は。
瑠璃ちゃんを返して!!」
誘拐という言葉は、取り囲んでいた竜王国の兵にも聞こえ、僅かな動揺が走り顔を見合わせる。
そしてルリという名に愛し子を想像した者は少なくない。
だが、愛し子がみすみす誘拐される筈がないとすぐに思い至り、傍観する。
「我々は誘拐などしていない」
「嘘よ」
「本当だ。ルリは誘拐ではなくルリを邪魔に思ったナダーシャの者に身一つで放り出され、我々はそんなルリを保護しただけだ」
「そんな言葉で騙されないんだから!」
理解して貰おうと話をしたいが、話にならない。
そもそも話を聞こうという意志はなく、彼女の中で竜王国は悪というのが決定事項として存在している。
戦争に向かう前に、瑠璃から『あさひは自己完結するくせがあって人の話を聞かないので、説得するのは不可能だと思います』と言う言葉を思い出し、フィンは嘆息した。
全くその通りだ。
本当なら騙されている事を自覚させ、自分の意志で竜王国に来てもらうつもりだったが、この分では説明しても納得はしないだろうと、フィンは判断した。
フィンは周囲の兵に向かい「捕らえよ」と命じる。
フィンの命を受け、周囲の兵達がじわじわと距離を詰める。
決して強くない魔力。武器すら持たぬ身。彼らを守っていた兵もすでに捕縛した後で、彼らを守るものは何一つない。
だから、油断していた。抵抗したとしても取るに足らないと。
あさひが腰に結んでいた袋から、何かを取り出し勢い良くフィンに投げつけた。
それは拳より小さい透明な石だった。
最後の抵抗か。だがその石が何か分からないので、取りあえず魔法で結界を張り防御しようとした。
石はフィンの張った結界に当たり弾かれる。と誰もが思っていた。だが、石が結界に当たると結界が石の中に吸い込まれるようにして消えた。
「なっ!」
驚愕に目を見開くフィン。
直後、遥か後方にいた兵に爆風が届く程の大きな爆発が起こった。
辺りは砂煙が立ち込め、視界を真っ白に染めた。
***
一方その頃、瑠璃は。
予定通りナダーシャの城へと潜入を開始していた。
人の来ない城の外側の植え込みに身を潜め話をする瑠璃とヨシュア。
「いいか、ルリはここで待ってるんだぞ」
『ええ-。私も行きたい』
「駄目だって。ルリに何かあったら俺がぶっ殺されるから」
そう言ってヨシュアは、瑠璃の周囲にいるコタロウや精霊達へと視線を向ける。
「だから、ルリは大人しくしてろ。
それに戦いなんて出来ないだろう?本業に任せとけ」
『はーい』
渋々瑠璃は大人しく従う。
王と神官の為に、爪の準備も万全。だが、出鼻をくじかれた気分だ。
そんな瑠璃の横でヨシュアは、他の兵達に指示を出している。
てっきり瑠璃とヨシュアだけで潜入するのかと思っていたが、城を落とすのに人数が足りないだろうと呆れられた。
すでに諜報員が数人ナダーシャの城に潜入しており、その人達が兵や城内で働く者を一カ所に集めるよう誘導した後、合図を待ち外で待つ兵が突入する手筈になっている。
『ふむ、少し混乱しているようだ』
じっと目を瞑り静かにしていたコタロウが目を開ける。
『見えるの?』
『我は風の精霊。空気のある場所全てに我の目は届く』
『おお、コタロウ凄い。今どんな状況?』
瑠璃に誉められたのが嬉しいのか、得意気になって話し始める。
『城内は確かに兵が少ない。
王は玉座の間にいる。このうろちょろ動き回っているのは竜王国の者だな。
突然大きな配置換えが行われ、軌道修正に追われているようだ。
だが、予定通り進んでいる』
コタロウの話に聞き入っていると、いつの間にか側にヨシュアが来ており、他の兵達もこちらに視線を向け話を聞いていた。
「おい、聞いたか?全員突入の準備しとけ」
計画はされていても、予定通りに進むものではない。
現に予定していた時間を大きく過ぎており、かといって見に行くわけもいかない。
城内の状況を確認しようにも、何故か風の精霊が城内に行きたがらないのだ。
諜報員を信じて待つしかない状況に、不安と焦りからいらいらとした空気が流れていたが、きちんと作戦が遂行されていることに、皆安堵の表情を浮かべると、突入に向け表情を引き締めた。
『むっ?』
『どうしたの、コタロウ?』
『城内に神官の姿が見えぬな』
「なら神殿にいるのか?」
ヨシュアが、城の隣の建物を指し示し問い掛ける。
コタロウは言われた建物の内に意識を集中させるが、そこには地位の低い神官達のみで、高位の神官達がいない。
『あちらにはほとんど神官は残っていない。と言うより高位の神官はナダーシャ国内にその姿が見えない』
「ああ!?どういう事だよ。逃げたのか!?
いや、そんな報告は入ってないぞ……」
ここに来て、王に続く最重要対象となる者達がいない事に、ヨシュアは大いに慌て声を荒げる。
このまま作戦を実行すべきか考え直す必要が出てきた。そして逃げたのなら後を追い捕まえる必要がある。
だが、ナダーシャ国内にいないのなら、それも不可能だ。
『落ち着け。我は見えないと言っただけでいないとは言っていない』
その言い回しにヨシュアも瑠璃も首を傾げる。
「言っている意味が分かんねえんだけど?」
『城内の一カ所に、我にも見えづらい場所がある。
あの不愉快な気配。あれは………』
その時、待ちに待った合図があった。
コタロウの話も気になるが、今は作戦を遂行する事を優先させた。
「よし、突入!」
ヨシュアの声で、一斉に兵が城内へと入っていく。
しかし、瑠璃はコタロウ達とその場でお留守番。
瑠璃が漸く城内に入った時には、武装は解除され王も捕縛と、全てが終わっていた。
だが、やはり神官の姿は見当たらなかったようだ。
『ヨシュア、私はこれからどうすれば良いの?』
「まずは、ルリの荷物の確保と召喚魔法の破壊だな。
…………あと、さっきコタロウが言っていた見えづらい場所があるって話だけど」
ヨシュアがコタロウに問うような視線を向ける。
『場所は地下だ。何故か精霊の力が届きにくい』
途端にヨシュアの眼差しが鋭くなり、眉をしかめる。
『そこに何かあるの?』
「ああ。今向かっている場所にルリ達を召喚した部屋があるんだ」
瑠璃は当時の事を思い出して、疑問が浮かんだ。
『あれ?でも私達が召喚された時にいた部屋は地下じゃなかったけど?』
「その真下に、召喚魔法の魔方陣があるんだよ。
なあ、精霊の力が届きにくいってのは、俺が風の精霊に城内を見てきてくれって言った時に嫌がった事と関係あるのか?
どうして届きにくい?そんな事ありえるのか?」
『ありえない。精霊の存在しない場所、精霊が行けない場所などない、本来ならばな』
最初に召喚された部屋に向かい暫く歩いていると、コタロウ以外の精霊達が歩みを止め。それ以上先に進もうとしなくなった。
『どうしたの、皆?』
『もう無理ー』
『力が抜けるの』
意味が分からず、コタロウを見る。
『お前達はそこにいろ』
付いて行きたそうにしていたが、どうあってもそれ以上先には進めないようで、残念そうにしながら瑠璃を見送った。
少し歩みを速めながら、コタロウが話し始める。
『魔法とは精霊に助力を請い使う。
他に自身の魔力だけで使える、肉体の強化や魅了などの魔法もあるが、大きな効力を持つ魔法は精霊の助力なくして発現しない。
だが、人間には精霊が見える者が少なく、精霊を信じていない者が多かった。
我らは、我らを信じぬ者には手を貸さない。
そこで人間達はその昔、強制的に世界から力を奪う事を考えた』
コタロウの話を聞き、考え込んでいたヨシュアに、思い当たるものがあった。
「聞いたことあるぞ。たしか、精霊殺しの魔法とかって……」
『精霊殺しって………』
その不穏な名前の魔法に、瑠璃の顔が強張る。
『精霊は願いに応え、その者の魔力に応じた力を貸す。
だが人間は魔力が少なく、精霊殺しの魔法は、その分の魔力も世界から搾り取る。
その魔法が使われる周囲に力の弱い精霊がいた場合力を吸収され消える。
それ故、精霊殺しと呼ばれるのだ。
魔力量の少ない人間が生み出した邪道と言える魔法。
精霊の意志を無視したその魔法は、時の流れの中で消え失せていたと思っていたが、誰かが、過去の資料を解き明かしたのだろう』
『だったら、コタロウも離れてなきゃ!
コタロウが消えるかもしれないのに』
『我は大丈夫。
人の身で制御出来る魔法には限度がある。
力の弱い精霊は力を奪われても、最高位たる我の力を奪う程の魔法は、存在しない』
その言葉に瑠璃は安堵する。
そしてコタロウはヨシュアへと視線を向ける。
『思っていたより大きい力を感じる。人手を増やした方がいいかもしれぬ。
精霊が近付けないという事は、今まさに魔法が使われているという事。
精霊も魔力もその魔法に吸収されるので、お前達竜族も魔法が使えない』
「まじか!?」
『我はルリを守るから、そちらにまで気を回せぬやもしれん』
ヨシュアは急いで人員を補強する。
魔法が使われているという事は、使っている誰かがいるということだ。
最小限の人手を捕縛した者達の監視に回し、その他の者達が揃ったところで、召喚された時に初めて瑠璃がいた部屋の扉を開ける。
中には予想に反し誰もいなかった。
そこで部屋の中を全員で調べていくと、壁にうっすらと切れ目があった。
そこをヨシュアが竜の力で手加減無しに蹴り飛ばすと壁が崩れ、地下に続く階段が現れた。
『おおー、隠し階段』
忍者屋敷のような仕掛けに、瑠璃は思わず感心してしまう。
「よし、行くぞ。ルリはどうする?」
『勿論行く!』
安全の為には待っておくべきなのかもしれないが、ここまで来て置いてけぼりは嫌だ。
瑠璃の答えが分かっていたのか、ヨシュアは仕方が無さそうに苦笑を浮かべる。
念の為瑠璃を真ん中に、松明が照らす薄暗い階段を降っていく。




