閑話
この世界には数え切れないほどの精霊が多くいるが、それらには位が存在する。
下位、中位、上位、最上位。最上位には12の精霊しか存在しない。
その12の中の水を司る精霊は旧知の元を訪れていた。
12の精霊の中で、最も気まぐれで執着がなく人嫌いな風の精霊。
その精霊がなんと人間に名前を付ける事を許したというのだ。
精霊にとって名を付けさせるというのは重大な意味がある。
個を認識するための名を付けた者はその個を縛り従属させる事が出来る。
ただの契約とは違う。契約はあくまで協力を約束するもので立場は対等。契約相手が嫌になれば精霊の方からいつでも契約を破棄出来る。
だが、名を付けた従属は相手の契約相手が死ぬまで続く。そして名を付けられた精霊は、たいていその付けられた名前をずっと使い続ける。
それだけ名前を付けるという事はその後の精霊にも大きな影響を及ぼすのだ。
だからそれは誰でも出来るものではない。下位の精霊ならば魔力の強い者になら強制することは出来るが、最上位である者にそんなことをすればその瞬間に命を落とす。
まあ、実際に強制的に従属させた場合は、上位の精霊が助けに向かう為従属させた者は只ではすまないだろうが。
風の精霊の場合は自分で何とか出来る為、その場で相手は命を狩られるだろう。風の精霊はプライドが高く自分を縛ろうとする者を絶対に許さない。
だが、それでも名を付けられたという事は、自由を好みプライドが山のように高いあの風の精霊が縛られる事を容認したという事だ。
これが驚かずにいられるものか。
水の精霊が話を聞いて会いに向かったが、それから二年が経ち、目的の人間はそこにはいなかった。
精霊は寿命がないので、どうにも時間の感覚が緩い。
人間は後に回し、風の精霊へと会いに行った水の精霊は愕然とする。いったいどうしてこうなったのか、孤高の風の精霊は、アホな忠犬へと変貌を遂げていた。
『あなたアホなの?風の精霊が風の属性も持たない魔獣の体なんか使ったら力が使えないのは当然でしょう』
現に念話すら使えなくなっている。
別に精霊同士はそんな力を使わなくとも意思の疎通が可能だが、念話が使えずルリと話が出来ないと落ち込む目の前の巨体の話を聞けば、呆れてしまうのも無理はない。
何故その体に入ってしまったのかというと、ルリをナダーシャの兵から守る為には、強くて大きい方が瑠璃は喜ぶと思ったようだ。
だが、瑠璃は強いより、もふもふで可愛いものの方が好きだったようだと、再び落ち込んでいる。
『風の、そんなに落ち込むなら早く体を変えてくればいいじゃない』
『我、風の違う。我コタロウになった。ルリが付けた名前、我だけの名前』
端から見ればぶもぶも、としか言っていないが、その様子は凄く嬉しそうだ。
いつもはつんとした雰囲気を持つ風の精霊の、見たこともない嬉しそうな様子に水の精霊は興味が引かれた。
『ねえ、名前ってそんなに嬉しいもの?』
『うむ、時のや他の名を持つ精霊が何故それほど名を大事にするのか分からなかった。でも今なら良く分かる。ルリに名を呼ばれるのはとても嬉しい』
『そうなの』
『お前も欲しいなら付けてもらえばいい。
きっとお前もルリを気に入る。時のが名を呼ばせる位だから』
名を持つ精霊に共通しているのは、その名を大事にしていて、名を呼ばせる相手を選ぶ事だ。名を呼ばせるということはそれだけ気に入っている相手だという証明でもある。
『へえ、彼女がねえ。
でも驚いたわ。あなたがそれだけ気に入っている相手なら、近付くなって言いそうなのに』
『ルリはこの世界で一人だ。今でも家族に会いたいと寂しがっている。
我はルリに笑って欲しい。
だから少しでもルリが寂しくないようにしたい。お前もいた方がルリも寂しくなくなる』
水の精霊とて従属させられるのは嫌だったが、この風の精霊の嬉しそうな顔を見て、あの風の精霊がここまで気に掛ける者なら名を付けさせても良いかもしれないと水の精霊は思った。
『そうね、一度会いに行ってみるわ。どうせならあなたみたいに体を持とうかしら』
そう言うと、何故か風の精霊が悔しそうに水の精霊を見る。
『何よ?』
『我も行きたい。でもルリから年寄りの竜族といて欲しいと言われた』
肩を落とす風の精霊に、本当に変わったわねと、しみじみとしながら観察する。
『その竜族に了承を取れば別に行っても良いんじゃない?
あなたは念話が使えないようだし、私が言ってあげましょうか?』
その提案にぱっと顔を上げ、嬉しそうにサソリのような尻尾をぶんぶんと振り回す。
その時に周囲の草木が刈られていっている。
そして揃ってチェルシーの元へ向かい説明すると、彼女もコタロウが精霊だとは思っていなかったのか少し驚いた顔をしたものの、瑠璃の元へ行く為にここを離れる事を了承した。
風と水の精霊はその場で別れ、水の精霊は瑠璃の元へ。
そして風の精霊、コタロウは瑠璃好みの体を探しに、霊王国へと向かった。
事前の調査は完璧。
瑠璃が好きそうなもふもふを持つ種族が、霊王国の王都にいる。
湖の上に浮かぶようにそびえ立つ白亜の城。その後方には聖域と呼ばれる深い森があり、コタロウの目当てはそこにいる聖獣と呼ばれ神聖化されている生き物。
見た目は狼に似ているが、狼より何倍も大きな体躯、その体を覆う白く輝く毛は聖獣の名に相応しく神々しさを感じ、ふわふわで滑らかそうな毛並みだ。
瑠璃が喜びそうだと、コタロウは満足そうにしながら、異変に気付き集まってきたかの者達を見つめた。
風の力を強く感じる彼等は非常に知能が高く、コタロウの存在を見極めると服従するように地面に伏せ、敵意がないことを示す。
そして彼らの中で一番大きな体をした長らしき者が前へ出る。
コタロウが新しい体として聖獣の体を欲しているという意思を伝えた所、つい最近一族の者が亡くなったので、使うのならばその者の体を使って欲しいと返答があった。
『それは美しい毛を持っているのか?』
コタロウとしては毛並みが一番重要なポイントだ。その条件が満たされないのなら意味がない。
必要ならば目の前の者達を狩るつもりでいるコタロウに彼らから是という返事がある。
なんでも最近毒によって殺された仲間がいるのだという。
好奇心旺盛な若者が、警戒せず毒を口にしてしまったのだと。
一番の毛並みとはいかないが、若々しく、毒で亡くなったので体は綺麗なままだという。だから、一族には手を出してくれるなと付け加えられた。
コタロウは思案した。
ルリの為にはより毛並みが良い方が好ましい。
だが、まだ大人になる前の若者の体は他の者より一回りほど小さく、可愛いものが好きなルリには、あまり大きすぎるよりは小さい体の方が良いだろうとコタロウは思い、彼らの提案を受け入れた。
森の中にある神殿の祭壇の上に寝かされた一匹の白い狼。
確かに他の聖獣よりも一回りほど小さい。だが、生きていないのが不思議なほど綺麗な体だ。
コタロウはこれまで使っていた巨体から抜け出し、祭壇に眠る体の中へと入っていった。
その瞬間、中身を失った大きな巨体はずどんと大きな音を立ててその場に倒れ、入れ違いに祭壇に眠っていた真っ白な聖獣がゆったりと起き上がった。
自分の新しい体を見回してコタロウは喜びをふさふさの尻尾を振ることで表現する。
まだ体に違和感があるがすぐになれるだろう。力も使えるようになった。
これで漸く瑠璃の元に行けると、コタロウは非常に機嫌が良い。
話によれば瑠璃は今白猫として暮らしているようだ。
『白い毛、ルリとおそろい。それにこのもふもふならきっとルリも喜ぶ』
自分にぎゅっと抱きつく瑠璃を想像し、コタロウは嬉しそうに遠吠えした。