アルマンの正妃
その頃の獣王国では大変なことが起こっていた。
帝国から帰ってきたアルマンを出迎える、臣下達の中には獣王国の愛し子であるセレスティンの姿があった。
「おかえりなさいませ、アルマン様」
「おう」
アルマンはおざなりにセレスティンに手を挙げて挨拶すると、すぐさま見つけた女性に駆け寄る。
「パパラチア~」
緩く編まれた長い三つ編みを垂らしたその女性は、にっこりと微笑んでアルマンに手を広げる。
「アルマン様」
喜んでその体を抱きしめるアルマンは破顔する。
そのデレデレと笑み崩れた顔は、威厳のある獣王としてはアウトである。
セレスティンを始め、周りの臣下達もやれやれという顔をしていた。
そんな周囲の反応にも気づかず、アルマンの目にはパパラチアという女性しか見えていない。
「俺がいない間元気にしてたか?」
「はい。お腹の子も元気ですよ」
パパラチアのお腹は大きく膨らんでいた。
「最近ではよく動くんです」
「俺の子だからな。元気いっぱいに決まってる」
優しい表情で大きなお腹を撫でるパパラチアを、アルマンもまた幸せの絶頂にいると言わんばかりに優しい顔で見つめる。
彼女は、これまでたくさんの妃がいながら空席となっていたアルマンの正妃になった人物だった。
自身のお腹からアルマンに視線を向け、にこりと微笑むパパラチアに、アルマンはたまらずといった様子で抱きしめた。
「俺の嫁がかわいすぎる……」
心の声が盛れ出しているアルマンに抱きしめられて苦しそうにしたパパラチアを見て慌てたのは、セレスティンや正妃付きの世話係だ。
「アルマン様! そのように力いっぱい抱きしめてはお腹の子にさわります! 離してください!」
アルマンからパパラチアを救出すべく、セレスティンが二人を引き剥がす。
ほっと息を吐くパパラチアを、セレスティンは心配そうに窺う。
「パパラチア様、大丈夫ですか?」
「は、はい。愛し子様。ちょっと苦しかっただけです」
パパラチアからアルマンに向いたセレスティンは、目を吊り上げてアルマンを叱責する。
「アルマン様! ただでさえ馬鹿力なのですから、手加減を覚えてください。母子になにかあったらどうするおつもりなのですか! もうすぐ臨月なのですから、気を遣いすぎるぐらいがちょうどいいのですよ!?」
「す、すまん……」
セレスティンの迫力にアルマンもタジタジだ。
しかし、竜王国に比べると、王の持つ権力が大きい獣王国において、獣王に強く意見できるのは愛し子であるセレスティンぐらい。
必然と窘めるのはセレスティンの役割となっていた。
「あの……愛し子様。あまりアルマン様を叱らないであげてください」
眉尻を下げて庇うパパラチアに感激するアルマンを冷たく横目に見てから、セレスティンは腕を組む。
「パパラチア様、甘やかしてはいけませんよ。今が大事な時なのですから、しっかり躾ておかなければお子ごと潰されてしまいます」
「セレスティン、お前俺をなんだと思ってるんだ……」
アルマンは複雑そうな顔をする。
「いくら俺でもそこまで考えなしにうごかねえよ」
「だといいんですけれどね。パパラチア様を連れてきた時のことを思うと、どのあたりに深いお考えがあったかお聞きしたいです」
「うっ……」
冷ややかな眼差しを向けるセレスティンに、アルマンは言葉を詰まらせる。
アルマンは獣王として即位して以降、たくさんの妃を娶りはしたものの、正妃は決して決めなかった。
そんなアルマンが、ある日突然視察から帰ってくると、パパラチアを連れて戻ってきた。
そして、その場で正妃にするぞと臣下達に宣言。
その時の騒ぎといったら、蜂の巣をつついたかのようだった。
どうやら視察に行った場所でパパラチアに会い、一目惚れしたらしい。
今回の視察はずいぶん長くかかっているなとセレスティンは思っていたが、その間アルマンは視察そっちのけでパパラチアを口説いていたらしいと知り、セレスティンはなにをやっているんだと呆れた。
普通なら獣王からの求婚されれば考えるまでもなく受け入れそうなものだが、パパラチアはとても控えめな性格で、アルマンの妃の多さに尻込みして拒否されていたようだ。
アルマンの妃達はアルマン自身が望んで迎え入れたわけではなく、国内にいるそれぞれの部族や派閥のバランスを取りつつ、臣下に勧められた中でアルマンの妃になることを望んだ者を妃としていた。
それゆえ、すべての妃には平等に接していたが、アルマンが女好きであることは間違いない事実であった。
以前より、セレスティンはアルマンに対し、女性関係をきちんとしていないと本命ができた時に信用してもらえないと、口を酸っぱくして苦言を呈してきた。
くしくもそれが現実となった形だ。
しかし、ようやく知った本気の恋。
拒否されてそこで諦める潔さはアルマンにはまったくなかった。
最後はもう粘り勝ちで、求婚を受け入れてはもらえていなかったが、どうにかこうにか宮殿に連れてくることだけは許されたとか。
一応宮殿には来たものの、まだパパラチアは信用されていないと嘆くアルマンに経緯を説明されたセレスティンは、今までの行いの悪さの結果だと冷たくあしらった。
とりあえずはセレスティンの世話係として宮殿に置くことになったパパラチアに、アルマンはめげずにアプローチをし続け、最終的に首を縦に振らせることに成功し、この時ばかりはアルマンも子供のように喜んでいた。
しかし、ここで問題が生まれる。
アルマンは当然のように正妃にするつもりでいたのだが、難色を示す臣下が思った以上に多かったのだ。
その理由として挙げられるのが、パパラチアが移民だということ。
ただの移民なら問題はなかったのだが、元の国が隣国ファガールだというのがかなり問題視されたのだ。
獣王国とファガールの仲の悪さは周知の事実であり、そんなファガール出身のパパラチアを正妃とするのは如何なものかと、反対意見が続出。
獣王の発言力が強い獣王国において、アルマンの行いを真っ向から否定するほどに、ファガールとは緊張状態が続いていた。
中には、パパラチアをファガールからの刺客ではないかと邪推する者まで出る始末。
パパラチア自身も歓迎されていないことを肌で感じており、自分は相応しくないと身を引こうと考え出してアルマンを慌てさせた。
さすがに見るに見かねたセレスティンが臣下達を説得することに。
とりあえずはパパラチアが刺客ではないことを精霊達に調べてもらうことで証明し、アルマンがいかに真剣であるかを説明して二人の仲を後押しした。
愛し子は政治に関与してはいけないという決まり事を破らない、ギリギリを攻めた形である。
セレスティンの説得もあって、無事にパパラチアが正妃と認められた。
そうなると当然お披露目をとなるのだが、時同じくしてパパラチアの妊娠が発覚。
もちろんアルマンの子である。
アルマンにはこれまで子がいなかったため、一転して臣下達も歓迎ムードへ。
アルマンの第一子。
次代の獣王となるかもしれない子を宿していると分かって、懸念するのはたくさんいるアルマンの妃達だ。
みずからアルマンの妃に志願してくるような、自己主張の大きな女性達である。
気が強く、妃同士での争いやいがみ合いも多い。
それをアルマンはこれまで、自分を巡って戦うなんてかわいい奴らだなどと面白がっていたが、そんな気の強い女達が、アルマンの子を宿すパパラチアに絡まないはずがない。
パパラチアが害される可能性があると考えて、ようやくアルマンはもっと妃達を躾ておくのだったと後悔したが今さらであった。
このままではパパラチアが嫌がらせの集中砲火を浴びせられかねない。
嫌がらせで済めばいいが、下手をすると母子共に葬り去られる可能性も十分にあった。
赤子が生まれるまではパパラチアの存在は隠し、セレスティンの宮殿で面倒を見ることとなった。
これを知るのは主だった臣下とセレスティン。
そしてセレスティンとパパラチアの世話係だけである。
他の四大大国の王にすらまだ話してはいなかった。
疑っているわけでも信用していないわけでもないが、秘密を知っている者は少ないにこしたことはない。
セレスティンの宮殿は精霊への信仰心が特に厚い者で占められているため、セレスティンの意に反する行いをする者はまずいない。
下手にアルマンのそばに置いておくよりずっと安全な場所だった。
そうして秘密にされたまま出産も間近に迫っている中、アルマンはわずかな暇を見つけてはセレスティンの宮殿に通っていた。
もちろんセレスティンが目的ではなく、パパラチアに会うためだ。
安楽椅子でゆったりと座るパパラチアの横にしゃがみ、お腹にそっと触れるアルマンは、獣王という威厳をどこかに落としてきたかのようにデレっとしている。
時々動くお腹に我が子の存在を感じ、これまで感じたことのない感情が芽生えていく。
「今の俺なら、一人しか愛さない竜族の気持ちがよく分かる」
女好きであることは間違いないのだが、一生を捧げてもいいと感じるぐらい、アルマンはパパラチアを愛していた。
それは獣王としての役目で娶った他の妃達へ抱く感情とはまったく違っていた。
こんなにも穏やかな気持ちになろうとは、恋とは馬鹿にできないものだなと実感するアルマン。
「まあ、アルマン様ったら」
クスクスと笑うパパラチアを、アルマンの優しい眼差しが向けられる。
恐らくアルマンのその表情を見ただけで、妃達は嫉妬の炎が燃え上がり、パパラチアに敵意を向けていただろう。
パパラチアをセレスティンに任せた判断は間違っていなかった。
そうでなかったら、きっと血の雨が降ったに違いない。
そんな平和でしかない空気の中、割り込んできたセレスティン。
「アルマン様、どうやら緊急の会議をしたいと申しておりますよ」
「あ? なんだよ、愛し子のお前を伝言役に使ったのか? どこのどいつだ」
愛し子を崇拝するこの国ではありえない対応だ。
「誰のせいだと思っているんですか。パパラチア様との時間を邪魔したら、相手を殺さんばかりの目つきで不機嫌になるので私に涙ながら頼み込んできたのですよ」
アルマンの不興を買わない唯一と言っていい存在。
いや、今はパパラチアという最愛もいるので、唯一とは言えないかもしれないが。
「どうやらかなり緊急事態のようですから、早く向かってください」
アルマンはちっと舌打ちしてから、仕方なさそうに立ち上がり、パパラチアの頬を一撫でする。
「そっこーで終わらせてくるからな」
「お仕事頑張ってください」
名残惜しそうにしながら会議室へ向かったアルマンは、不機嫌さを隠そうともせず上座へと座った。
すでに主要な臣下はそろっている。
「なんの用だ。俺は忙しいんだ。つまんねぇ話だったらぶん殴るぞ」
冷や汗ダラダラの臣下の一人が立ち上がり、恐る恐る話始める。
「隣国ファガールが戦争の準備を始め、国境沿いに兵を集めております」
ざわつく室内。
初耳だった臣下もたくさんいるようだ。
対するアルマンはさほど驚いてはいなかった。
「あそこが戦争を仕掛けてくるのは初めてじゃないだろ」
「愛し子様がお生まれになってからは初めてでございます」
「そうだったか?」
アルマンは首をひねる。
「愛し子様がいる我が国に戦争を仕掛けるなど自殺行為です。さすがに相手も馬鹿ではないようですから」
「そうか」
セレスティンという愛し子は大きな抑止力となり、セレスティンの存在が周知されるようになってからはどの国も獣王国に戦争を仕掛けてきてはいなかった。
ただ、それ以前は頻繁にファガールが戦争を仕掛けてきていたため、アルマンも記憶が曖昧になっていた。
「じゃあ、どうして今になって戦争しようとしてるんだ?」
「そこまでは存じ上げませんが、いかがいたしましょう? すでにいつ国境を越えてきてもおかしくない状況です」
「だったらこちらも兵を差し向けろ。相手の数は?」
「一万人ほどです」
「ならこちらは三万人だ」
指示を出すアルマンに迷いはなく、サクサクと話は進んでいく。
「ったく、帝国も不穏な状況だってのに、こっちもかよ。そもそもセレスティンがいるのに、奴らは勝てると思ってやがんのか?」
「不可能だと分かりそうなのですけどね……」
思わず愚痴を零すアルマンに、他の臣下も苦笑する。
愛し子がいる、いないは、それだけ大きいのだ。
誰一人として獣王国側が負けるとは思っていない。
「余力があるようなら、無理やり参加させられた民がかわいそうだから、追い返す程度にしておいてやれ」
「かしこまりました」
その日の会議はそこで終わる。