プロローグ
竜王国から離れたとある場所では、瑠璃の祖父であるベリルが、先代獣王アンダルとの旅の途中であった。
ベリルの足元には、地の最高位精霊であるカイがトコトコとついて歩いている。
三白眼のカピバラの姿をしたカイは、初代竜王ヴァイトから名前を与えられ契約していた過去もあり、竜王国とも縁深い。
少し前までは瑠璃と契約していたが、ベリルの破天荒な性格を面白いと気に入って、あっさり瑠璃との契約を破棄し、新たにベリルと契約した。
面白いというただそれだけの理由で契約していくので、最高位精霊の中でもっとも過去の契約者が多い風変わりな精霊ではあるが、ヴァイトに名前をつけさせた時にもその場のノリで受け入れたというのだから、カイがどんな性格なのか察せられる。
精霊にとって名前をつけさせるのは、その相手に従属することを意味するというのに、なんとも軽い対応すぎると、時の最高位精霊であるリディアを呆れさせたとか。
ベリルと契約後は旅に出たベリルとアンダルと共に行動している。
愛し子でもあるベリルは、行く土地行く土地様々な場所で大歓迎された。
旅費は竜王国を出る際に竜王であるジェイドからたんまりともらっていたため問題はなかったが、愛し子を歓迎する人達にあれもこれもと貢ぎ物をされるので、せっかくもらったお金もあまり活躍の場がない。
向こうの世界では精霊の姿を見られる人間と出会ったことがなかったため、こちらの世界で多くの人が精霊を当たり前のように受け入れているのが、ベリルにはとても驚きであった。
魔力がなかったり、精霊との相性が悪い者などには精霊の姿が見えなかったりするので、信じていない者も一定数存在するようだが、精霊を信仰している国や種族が大半である。
見えないことが普通だった元の世界は、精霊と会話できる上に、弾丸の中を生身で突撃できるほどの人間離れした能力を持つベリルには生きづらい世界だった。
それは、瑠璃の母親であり、ベリルの娘のリシアも同じだったろう。
瑠璃が異世界に行ったと聞いて、ならば自分達も行こうと迷いなく即決したのは、そんな背景があったからだ。
巻き込まれた瑠璃の父親である琥珀には、多少なりとも申し訳ないと思っていたりするベリルとリシア。
琥珀はベリルやリシアとは違い、魔力もないまったく普通の人間だったのだから。
しかし、リシアと夫婦となり共に過ごしていくに従い、精霊と会話はできないまでも、姿は見えるようになっていった。
初めて精霊を目にした時の琥珀の驚きようは、思い出すだけで笑いが起こるほどに動揺していた。
けれど、おかげで精霊という存在がいるのだと認めさせることができ、リシアは琥珀が自分と同じ世界を共有できたことをたいそう喜んだものだ。
そんな元々は普通の人間だった琥珀なので、異世界に来るのは大きな葛藤があっただろうに、精霊達の話によると、外交官という元の職業を活かして上手く城で働けている。
リシアも好き勝手やって異世界生活を楽しんでいると聞き、ベリルも負けていられないなと、今日も今日とて元気に旅を続けていく。
人間でありながら竜族とも対等に戦えるベリルの体力は、アンダルも舌を巻くほど。
衰え知らずの体力でどんどん旅を進めていく。
常に宿に泊まれるわけでもなく、野宿も珍しくない。
けれど、元の世界でもサバイバル術を身につけていたベリルは文句一つ出るどころか、むしろ楽しそうにしている。
とはいえ、元の世界とは文明の発展の違いが大きい中での旅は慣れないことも多い。
けれど、そこは旅慣れしたアンダルが一緒にいるのでなんの問題もなかった。
さらには精霊という強い味方がいる。
これまでなら、人目のある中で精霊と楽しそうに会話などしようものなら、一発で変人扱いだが、元の世界のように周りの目を気にして精霊と話す必要もない。
それがないだけでもストレスがない上に、ベリルが見えている世界と同じものを周りが共有しているという充足感に嬉しくなる。
やはりこの世界に来てよかったと、何度思ったか分からない感想を抱きながらベリルはごきげんに毎日を過ごしていた。
そんな旅の途中で立ち寄ったとある町。
「今日はここで一泊するか」
「久々に宿で寝れるなぁ」
やれやれと息を吐くベリル。
だいぶ野宿にも慣れてきたとはいえ、やはりベッドで寝られる方がいいのは当たり前だ。
「そろそろ食べ物もなくなるから補充しとかねぇとな」
「もうないのか?」
町を訪れればなにかと貢物をしてくれるおかげでそう簡単になくなる量ではない食べ物が空間の中には入っているはずなのだが、目を丸くして問うベリルに、アンダルはじとっとした眼差しを向ける。
「誰のせいだ、誰の。お前が食いすぎなんだよ」
「そうか?」
「普通の人間が食う量じゃないぞ。竜族並みにばかすか消費しやがって」
「そうか、すまん。少し節制する」
「いや、まあ、それもお前がもらったものがほとんどだから、俺としても文句が言えんのだがな」
ベリルがいるだけで助かっているのは間違いないので、アンダルも強く言えなかった。
「少しの間この町に滞在して準備するとするか」
「そうだな」
急ぐ旅ではない。自由気ままに、行きたい時に旅に出る。
ベリル達はとりあえず宿を取ろうと宿泊先を探した。
町というが、竜王国の王都ほどの大きさはなく、向こうの世界のビルが立ち並んだ大都市を知っているベリルからしたら小さいという評価になってしまうが、それなりに栄えた町のようだ。
行き交う人が精霊をたくさん連れたベリルを見て、ある者は固まり、ある者は振り返ったりとしながら驚いている。
さすがにそんな人々の反応にも慣れたベリルは、無関心に目的地を探す。
「どの宿にすっかな~」
どの宿にするかは旅慣れしたアンダルの意見が優先されている。
人身売買が普通に容認されている国もある治安の悪い場所もあるので、見極めるのがとても大事だ。
とはいえ、力によって決まる獣王だったアンダルと、精霊が守る愛し子であるベリルを狙っても、逆にひどい目にあわされるのが関の山だ。
なので安全かというその点においてはあまり考慮されていない。
「おし、ここにすんぞ」
高級宿もある中、アンダルが決めたのは高くもなく安くもない中間のレベルの宿だ。
「いつもながら思うが、一国の王だったお前がどうしてこう普通の宿にするんだ? もっと高級宿に泊まりたくないのか?」
アンダルが選んだ宿に不満があったわけではないが、国の頂点として贅沢をしてきただろうアンダルの選択が疑問であった。
「分かってねえな。こういう中流レベルの宿の方が案外飯が上手くて気楽に過ごせるんだよ。高級宿なんて肩が凝るだけだ」
「そういうもんか」
確かに、これまでアンダルが決めた店の料理に失敗はなかった。
それを外観を見ただけで見分けられるのだから、すごいといったらすごい。
『なんでもいいから入ろうぜ~。腹減った~』
我先に宿の中に入っていってしまったカイの後について中に入った。
「しばらく滞在したいんだが、部屋は空いているか?」
店員はベリル達を見てひどく驚いた顔をして固まり、返事がない。
「おーい」
苦笑を浮かべてアンダルが声を大きくすると、宿の一階で営業していた食堂にいた人達の視線まで集める結果に。
そんな眼差しも無視して、店員の目の前で手を振ると、ようやく我に返って対応を始めた。
無事に宿を取れたベリル達はまず食事をすることに。
周囲からの視線を感じながら口にした食事は文句なく美味かった。
そうしてしばらく滞在していれば、ベリルの話は町の中に急速に広まっていき、わざわざ宿を探して貢物を持ってくる者まで出てきた。
断る理由もないので受け取り、旅の準備をしつつ町でしばらくの休息を取っていたある日、食堂で食事をしていると隣の席の話が聞こえてきた。
身なりからして商人のようだが、魔力がないのか、精霊との相性が悪いのか、ベリルの周りをうろちょろしているにも関わらず気にする素振りはない。
恐らく精霊が見えていないのだろう。
ただ、肉体を持つカイは見えるので、一緒に食事の席についている様子に最初少し驚いていたが、それだけだ。
商人達は特に声を抑えるでもなく、普通に話している。
「なあ、知ってるか? ファガール国の城内に突然人間が現れたんだってさ」
「ああ、聞いた聞いた。なんでも一人じゃなくて大勢だってはなしじゃないか。それも全員黒目黒髪だそうだ」
「全員親族か血縁者か? 黒目黒髪なんてただでさえ珍しい色合いなのに、全員同じ色だなんて」
「いや、違うっぽいぞ」
そんなやり取りをこっそり聞いていたアンダルが、同じく話を聞いて難しい顔をしていたベリルに問う。
「城内となるとそれなりに警備もしっかりしていただろうに、そんな場所に大勢の人間が現れるなんて……。お前と同じ転移者か?」
「分からないが、確かに向こうの世界で黒目黒髪は珍しくはないな。琥珀もそうだし」
ベリルは隣の椅子に立ち、前足をテーブルに乗せながら一心不乱にご飯を食べているカイに目を向けた。
「カイ、なにか知らないのか?」
そう尋ねると、カイは一旦食べるのを止めてから首をかしげる。
『さあ。俺に言われても困る』
カイはあっけらかんと答える。
「精霊同士は情報を共有できるんじゃないのか?」
『常に共有してるわけじぁねえよ。ちっさい精霊達はなんでもかんでも情報仕入れてしゃべりまくるから、うるさいんだよなぁ。だから普段は聞こえないようにしてる』
「そんなもんか」
いまいち精霊同士の記憶や情報の共有という感覚が分からないベリルは無理やり納得させるしかなかった。
だが、普段から自分の周りにいる精霊達のことを考えると、確かにおしゃべりのしすぎでうるさいと感じる時はあるとベリルも否定しない。
周りについてまわる数人の精霊だけでそうなのだが、世界に散らばるすべての精霊の声ともなると、きっと考える以上にうるさいに違いない。
そう思うとカイを責めるわけにはいかないなと、引きさがろうとした時、まだ続く商人達の会話が聞こえる。
「それがさ、その中に愛し子がいたって話なんだよ」
「さすがにそれはただの噂じゃねえのか?」
「さあ、真偽のほどは定かじゃないが、ファガール国が慌てて戦争の準備してるって話なんだよなぁ」
「なんだよ、急にきな臭い話になってきたな」
「まさかと思うが、愛し子を戦争に使う気か?」
「そこまでは分からんが、あまりファガール方面には近づかない方がいいかもしれんぞ。万が一本物の愛し子だったりしたらどんな災害が起きるか分かったものじゃないからな」
お酒が入っているからか、商人達は饒舌に話を続けていく。
その会話を聞き漏らさないように静かに食事をするベリル達だったが、段々アンダルの眉間のシワが深くなっていくのが分かる。
「なにか問題でもあるのか?」
問うベリルに、アンダルは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ファガール国は獣王国の隣の国だ。同じく亜人の多い国で、そのせいか昔から仲が悪くてな。何度も領地争いで揉めて戦争を起こしている。まあ、基本的に向こう側が勝手に敵対心燃やしてるだけなんで、適当にあしらっていたんだ。向こうは獣王国が四大大国と呼ばれているのが気に食わないらしい」
アンダルはグイッとお酒の入ったグラスを傾けて喉を湿してから、続ける。
「戦争をしかけてくるのは俺からアルマンに王位が引き継がれてからも変わらなかったんだが、セレスティンという愛し子が現れたことでようやく手を出さなくなったんだよ。さすがの奴らも愛し子は恐ろしいらしい」
くくくっと笑うアンダルだが、すぐにその表情は真剣なものへと変わる。
「だが、ファガール国にも愛し子が現れたとなったら、対抗できると攻めてきてもおかしくないな」
「なるほど」
「戦争の準備か……」
やはり元獣王として母国が気になるようで、アンダルは沈黙する。
ベリルはこちらに来てから最初の友人となった男のため、一肌脱ぐことにした。
「カイ、情報を集められるか? ファガール国と、愛し子の存在について」
『ん~。俺は風のと違ってあんまり調べものは得意じゃないんだけどなぁ』
「そこをなんとか頼む」
『まあ、やってやってもいいけど……。念のためにルリに連絡しておいたらどうだ? 風のがいろいろ調べてくれるだろうし』
ベリルは顎に手を当てる。
「確かにそうだな。瑠璃も獣王国の愛し子とは仲がいいようだし、注意しておくように知らせておくか。だが、どうやって伝えるか悩むな……」
下級精霊は極端なほど伝言ゲームが苦手なのだ。
難しい話になればなるほど、変な方向へ間違って伝わりかねない。
「カイがコタロウやリンに伝えればいいんじゃないのか? コタロウとリンならどちらかは常に瑠璃のそばにいるし、伝えてくれるだろ」
『あー、んー、でもなぁ。俺もあんまり説明するの得意じゃないからちゃんと伝わるか分かんないぞ。それより手紙を書いて、それを空間の中に入れてリディアに届けてもらえばいいじゃん。リディアには伝えといてやるよ。それぐらいなら簡単だし』
「その手があったか」
ベリルは直接会ったことはなかったが、空間の中にいるリディアの存在は聞いていて知っていた。
空間の中にいる精霊というのに興味があって自分の空間の中に入ろうとしたのだが、全力で周りに止められてしまった。
リディアと契約している瑠璃以外は危険だということで。
「じゃあ、ちょっと書いてみるか」
ベリルはアンダルから聞いた話も含めて状況を紙に書き、それを空間の中に入れた。
「これでいいか?」
『おう。あとはリディアに渡すように言っとくぜ』
「アンダル。ついでにお前も息子に手紙を書いて送ったらどうだ?」
「中身も見ずに破り捨てられるのがおちだ」
即答するアンダルは苦笑する。
いったいどうしてそれほどまでに仲が悪いのか、ベリルもいまだに教えてもらっていない。
「まあ、なにかあっても同盟国である竜王国や霊王国がいるから心配無用だろう」
「だといいんだが」
ベリルはなんとなく嫌な感じがしたが、それをアンダルの前で口にするのははばかられたために心の中で止めておいた。