エピローグ
帝国から帰ってきて数日。
まるで帝国であったことが嘘のように穏やかな時間が過ぎていく。
とりあえず瑠璃が先にしたことは、リディアとのお茶会である。
本当は帝都で帝国のお菓子を買ってきて一緒に食べたかったが、帝都観光をしたいと言える雰囲気ではなかったので仕方がない。
あんな問題があった後だ。
行くことを許されても、瑠璃自身が楽しむことなどできなかった。
これから後継者争いで荒れそうな予想だし、落ち着くまでは帝国に行くことはないと思われる。
下手に関わりを持って巻き込まれたら大変だから、ジェイドが許さないだろう。
できることなら、これ以上の血は流れないでほしい。
そんなわけで、代わりに王都の町にお菓子を買いに行こう! と思って外出しようとしたら、ジェイドから許可が出なかった。
番いが目の届かない所に行くのを嫌う竜族の習性は分かっているが、ちょっとぐらい良いではないかと思う。
以前、ルチルと一緒に王都の町にでたつもりが、一緒にギベオンも付いていったことを後で知ってやきもちを焼いているのだ。
またこっそりギベオンが付いていったら嫌だからという、なんとも心の狭い理由だった。
それを無視して出かけることは可能だが、後が怖いので、仕方なく城の料理人にお菓子をたくさん作ってもらい、それとお茶を持って空間の中に入った。
近くのテーブルにお菓子を置いてお茶の準備をしていたら、どこからともなくリディアが現れた。
『いらっしゃい、ルリ』
にっこりと微笑むリディアは、約束通り瑠璃がお茶会を開きに来てくれて嬉しそう。
「残念だけど、セラフィさんはクォーツ様とヤダカインに行ってていないから、今日は二人だけのお茶会ね」
『ええ、二人だけでもじゅうぶん嬉しいわ。セラフィはいつ帰ってくるの?』
「うーん。それがいつかは聞いてないのよ。しばらくかかるんじゃないかな?」
『それなら、それで、帰ってきた時の土産話が楽しみね』
ウキウキとしながら椅子に座ったリディアの前にお茶の入ったカップを置く。
『ふふっ、良い匂いね』
「帝国でお菓子は買ってこれなかったけど、茶葉だけは宮殿でもらってきたの。竜王国とはちょっと匂いも違ってて美味しかったから、リディアに飲んでほしくって」
『そうなのね。ありがとう』
ほっこりとした笑みを浮かべて、リディアはお茶を一口のみ『美味しいわ』と笑みを深くした。
「気に入ってくれたみたいで良かった」
瑠璃も席に座り、二人だけのお茶会が始まる。
自然と話す内容は帝国でのことになった。
『今回もルリは面倒ごとに巻き込まれたわねぇ』
「いやぁ、ははは……」
霊王国でも聖獣の問題に巻き込まれ、今回も。他にも過去を遡ればたくさんある。
もう笑うしかない。
「でも、全部私のせいじゃないわよ?」
『そうなのだけど、どうにもルリは巻き込まれやすいというか、そんな気がするわ』
「私もそれは否定できない……」
『そんなルリだから、なおのこと忠告しておくけど、しばらく帝国には関わらないようにね』
「そんなにヤバい?」
『私はそういうことに疎いけれど、外の精霊達は噂してるわね。良くない方向に行きそうだって。たくさんのものを見てきてる精霊達の勘はよく当たるのよ。だから気をつけてね』
「分かった」
『でないと、愛し子のルリが巻き込まれたりしたら精霊が大暴走しちゃうから。特に風のが嵐を巻き起こしそうね』
ぶち切れたコタロウの姿が目に浮かぶようだ。
そして、その隣にはコタロウを煽るリンがいそうである。
『最高位精霊の力を侮っちゃ駄目よ。その気になれば三分あれば国一つ滅ぼせちゃうんだから』
「三分って、カップラーメンじゃないんだから……」
けれど、そうか。そう聞くと、最高位精霊とはかなりヤバい存在だと再認識させられる。
そして、そんな火の最高位精霊を怯えさせるリシアとはいったい……。
「まあ、しばらくは城でのんびりしておくから大丈夫だと思う。ジェイド様が外に出してくれないんだもん」
仕事がひと段落したら、一緒に王都を回ってくれると約束してくれたが、先程執務室を覗いて来たが、当分片付きそうにない書類が積み重なっていた。
あれが終わるまではジェイドも動けないことを思うと、お出かけはしばらく先になりそうだ。
「そうそう、クォーツ様から頼まれてたんだけど、この間私が入れておいた血液と、第四皇子の空間にあった血液は、研究に使いたいからクォーツ様の空間に入れておいてくれって」
帝国の医師から回収した昆虫の研究者の血液は、瑠璃の空間へと入れておいた。
それに加え、第四皇子が持っていた血液も加えて回収しておいてほしいとクォーツから頼まれていたのだ。
それらは、ヤダカインで光毒虫の治療薬の研究に使うので、瑠璃が他人の空間に干渉できることを知ったクォーツが、自分の空間に入れておいてくれと言われたのだ。
毒に汚染された血液はとても危険なものだったが、パールは扱いにも慣れているし、治療薬のためと言われれば、誰からも反対意見は出なかった。
『そうなの。分かったわ。クォーツの空間に入れておけばいいのね?』
「うん。お願いね。まだ生きてる人の空間に入るのはプライバシーの侵害だから、私は入らない方が良いだろうし」
クォーツの空間の中に何が入っているか、ちょっと気になったが、後が怖ろしい気がするので見るのはやめておく。
「あー、でも、クォーツ様の空間ならセラフィさんも入ってこられるから、三人でお茶会できるわね」
『あら、そうね』
「外に出たらクォーツ様に空間の中を使って良いか聞いてみようかな」
『ええそうね。人数は多い方が楽しいもの』
リディアはニコニコと微笑むので、すぐに手紙を書こうと瑠璃は思った。
***
リディアとのお茶会を終えた瑠璃は、ジェイドの執務室へ。
部屋に入れば、書類に埋め尽くされた机でペンを走らせながら、げんなりとした顔で仕事をしていた。
「うわぁ、まだまだかかりそうですね」
五感に優れた竜族には珍しく、瑠璃が入ってきたことに気付かなかったようで、ジェイドは驚いたようにはっと顔を上げた。
そして、椅子を蹴飛ばす勢いで席を立つと、瑠璃をぎゅうぎゅうと強く抱き締めた。
「わっ、ジェイド様、そんなに力入れたら死ぬ死ぬ」
べしべしと腕を叩いて力が強いことを訴えると、少し腕の力が緩んだ。
ほっとした瑠璃にジェイドは真剣な顔をして言った。
「頼む、ルリ。猫になってくれ。モフモフの癒やしが足りない」
まるで、一世一代のプロポーズをするような真剣さで何を言うかと思えば、そんなこと。
瑠璃はがっかりとする。
「はいはい。分かりました」
瑠璃では仕事を手伝えないので、そんなことで役に立つというならと、やれやれという様子で腕輪を手に通した。
瞬く間に白い猫の姿になった瑠璃を、ジェイドは抱き上げ、蕩けんばかりの笑みを浮かべる。
「はぁ、久しぶりのモフモフ……」
染み入るようにしみじみとモフモフを撫でた。
『ほんと、ジェイド様って残念イケメンですよね』
優しい手つきで撫でられる瑠璃は半目になった。
『ジェイド様。猫の私と人間の私、どっちが好きですか?』
「何を言ってるんだ。それはもちろん……」
『もちろん?』
「えっと、もちろん……その……」
ジェイドの目が彷徨う。
そこは恋人としては人間だと即答して欲しいところだろうに。
嘘は吐けないらしい。なんとも素直なことだ。
瑠璃はじとっとした眼差しでジェイドを見た後、するりとジェイドの腕から抜け出した。
「あっ、ルリ!」
『ジェイド様にはモフモフ禁止です!』
まさに、がーんと激しいショックを受けるジェイドは、瑠璃に手を伸ばす。
「そんな! 待ってくれ、もう一度やり直させてくれ。今度は失敗しないから」
どこぞの男女の別れ話のようだが、中身はそんなに深くない。
ただ、モフモフを禁止された男がモフモフに触れないことに絶望しているだけだ。
『そんなに私より猫が好きなら、この腕輪はセレスティンさんに送っておくので、猫になったセレスティンさんを愛でればいいじゃないですか』
「待て、それは違うぞ。ルリだから意味があるので、他の猫が寄ってきても……嬉しいことは嬉しいが、ルリだからなお嬉しいわけで。それにセレスティンだと面倒なことになる」
それはフォローしているようでいて、微妙にフォローになってない。
『じゃあ、私は後腐れない女ってことですか!?』
「いやいや、そうではなく、猫は好きだが、それがセレスティンならモフモフはしない!」
『本当ですね? じゃあ、一度セレスティンさんで試しますよ? モフモフに飢えた状態でも猫のセレスティンさんをモフモフしませんよね?』
「……もちろんだとも」
『その間はなんですかー! 猫なら誰でもいいんですね!? 離婚です! りこーん!』
「それは駄目だ!」
その時、バンッと扉を開けてユークレースが入った来た。
「陛下! どうして仕事をしていないんですか。まだまだ仕事は残っているんですよ!」
「待て、ユークレース。私は今それどころではない。離婚の危機だ」
「こっちは国の危機です。離婚するなら仕事を終わらせてからにしてください!」
「誰が離婚すると言った!? 絶対に離婚はしない!」
『浮気者が何を言うんですか! ジェイド様の浮気者ぉぉ』
「誤解だ、ルリ。まだ浮気はしていないぞ」
『まだってことはこれからするんですね!?』
「ちがーう! どうしてそうなる!?」
ジェイドは焦っているせいか、弁明すればするほどどんどんドツボにはまっていく。
そんな様子を扉の隙間から見ていたリンとコタロウは、やれやれという顔をしていた。
『喧嘩しておるようにも見えるが、なんだか楽しそうだな』
『夫婦喧嘩は犬も食わないってルリの世界じゃ言うらしいわよ』
『むう? 犬が食えんのは当たり前だろう? どういう意味だ?』
『帝国と違って、竜王国は平和ねってことよ』
二精霊は、瑠璃達を生暖かい眼差しで見守った。