つかの間の休息
パールの治療薬を飲み始めて三日。
良薬口に苦しとは言うが、あれは苦いなんてものではなかった。
生き物が口にしていいものではない。
好奇心に負けて指先にちょんとつけて舐めてみたのだが、それだけで涙が止まらなくなったのである。
そんな薬を飲み続けている第一皇子は、飲んでは気絶し、起きては飲まされ再び気絶するという地獄のループをさせられた。
そのおかげで病は完治したと報告があったが、第一皇子にかなりのトラウマを植え付けることになったのは間違いないだろう。
気絶している間に、花畑の向こうから母上が手を振っていた、と何気に怖いことを口にしていたそうだ。
そんな風に皇子が薬と戦っていた時、コランダムの指示により調査が始まり、なんと第三皇子の部屋から死神と交わした契約書が見つかったのだ。
その内容は、皇帝と第一皇子を殺すために、食事に毒を盛るというもの。
そして、光毒虫に関する資料と共にそれがあったのだ。
当然それを第三皇子は否定したが、これ以上ない証拠だった。
しかし、瑠璃達は知っている。
ギベオンという生き証人により、死神がもう解散していることを。
そして、本当の死神は一人も殺していないことを。
つまり、その契約書は偽物ということになる。
その契約自体が嘘なのか、依頼は確かにされていて死神を騙った誰かと契約したのか、それは判断が付かなかった。
筆跡は第三皇子のものによく似ていたが、そんなものその気になればいくらでも偽装できるのだから。
誰かが第三皇子を貶めるために作ったとも考えられた。
犯人が分からぬ状況で、第一皇子が治ったことを知られたらまた狙われるかもしれない。
それ故、第一皇子は回復したが、それは秘されたまま、病で寝込んでいるように装うことになった。
それを知っているのは、第一皇子が薬を飲む現場に立ち会った者達だけだ。
他の息子達にも知らせないと、コランダムは選択した。
それは息子達を疑うことでもあるが、万が一ということも考えられた。
コランダムにとったら、苦しい判断だったろう。
再び光毒虫の被害者が出る可能性もあることから、パールと瑠璃達はまだ残ることとなった。
しかし、このまま待っていても、いつまでも帝国にいなくてはいけなくなってしまう。
せめて第一皇子が病になった原因だけでも分からないものかと皆が頭を働かせた末、帝国内で他に同じ病に倒れた者はいないのか探すこととなった。
そんなことができるのは、もちろん風の精霊しかいない。
ルリはコタロウに探してくれるように頼んだ。
「コタロウ、どう? 見つかりそう?」
『帝国すべてとなると時間がかかるので、とりあえず帝都内から探してみる』
「お願いね。コタロウが頼りだから」
『うむ』
コタロウはどこか誇らしそうな顔だった。
瑠璃に頼りにされていることがよほど嬉しいらしい。尻尾がぶんぶんと激しく揺れていた。
逆に、それを見ていたリンは不満そう。
『私だってルリの役に立っているもの~!』
そう言って瑠璃に突撃してくる、可愛いリン。
コタロウに嫉妬しているのだろう。
「ちゃんと分かってるから。いつも町に行く時付いてきてくれてありがとう」
『ふふん。コタロウの体の大きさじゃ、町には付いていけないものね』
ドヤ顔でコタロウをチラリと見る。
『む~。今ルリの役に立っているのは我なのに……』
「そんな対抗心燃やさなくても、いつも同じぐらい二人に感謝してるから……ひょわっ」
微笑ましくありつつも、ちょっと困ったように笑っていた瑠璃は、急に体を持ち上げられて変な声が出た。
どうやら瑠璃を抱き上げたのはジェイドのようで、何やらこちらも不満そうな顔をしている。
「えっと、なんでそんな顔してるんですか?」
「分からないか?」
「まったく」
すると、さらに不機嫌そうな顔に。
「ルリが愛し子なのは分かっているし、配慮しているつもりだが、最近少し私との時間をおろそかにしていないか?」
「そうですか?」
「そうだ!」
断言されてしまったら、瑠璃としても否定しづらい。
「そもそも、まだ私達は新婚と言って良い時期なのだぞ。それなのに、次から次へと問題は起こるし、ルリは精霊達に構ってばかりだし、さらにはギベオンなんていうお邪魔虫まで増えてしまって」
「いや、それを連れ帰ってきたのはジェイド様ですから」
自分に文句を言われても瑠璃も困ってしまう。
「やはり、虫は消すべきか……」
「冗談ですよね!?」
目がマジなのである。竜王国にいるギベオンに、逃げろ! と手紙を送るべきか迷ってしまう。
「コタロウ殿、捜索にはまだ時間がかかるのでしょう?」
『うむ』
「では、それまでルリを独占させていただきます」
そう言うや、瑠璃を抱き上げたまま寝室へと歩みを進めるジェイド。
コタロウの不満そうな顔が見えたのを最後に、扉はパタンと閉まってしまった。
そして、二人っきりとなった寝室で、ベッドに降ろされ瑠璃の横にジェイドが寝転ぶ。
「やっと二人っきりだな」
不敵に口角を上げ、瑠璃の髪をくるくると指でもてあそぶ。
そんな緊張感から解放されたかのようなジェイドのくつろいだ表情に、瑠璃もジェイドの隣に寝転んだ。
見つめ合うと自然とお互いに笑みが浮かんでくる。
帝国に来てからというもの、ずっと精神を張り詰めたような空気感だったのが、パールという救世主により、ようやく緊張を緩めることができるようになったおかげだろう。
まだ問題が解決したわけではなかったが、少しぐらいこんな時間を過ごしても誰かに文句を言われることはないはずだ。
「ジェイド様には猫の姿の方が良いんじゃないですか?」
そろそろジェイドのモフモフ欠乏症が発症してもおかしくない頃合だと思ったのだが……。
「いや。猫の姿のルリも好きだが、今はそのままの姿でいてくれ。猫では潰してしまいそうで怖いからな」
次の瞬間にはそっと引き寄せられて、ジェイドの腕に抱き締められていた。
瑠璃はすぐ側に感じるジェイドの温もりに、頬を寄せる。
「なんだか、ジェイド様とこうしてるのも久しぶりな気がしますね~」
「まったくだ。ルリにはルリを好きな者が多すぎる。これほどクォーツ様の気持ちを理解したことはなかったぞ」
「クォーツ様の気持ちですか?」
「ああ。ルリを部屋に閉じ込めて自分以外に会わせたくない」
「えぇー。それは勘弁願います。部屋でじっとしていられるタイプじゃないですから。セラフィさんはほんとにすごいですよ。私には絶対無理です」
「ああ、それはじゅうぶん理解している。瑠璃なら三日で逃げるだろうな」
まるでやんちゃな子供を持った母親のように嘆息するジェイド。
その反応は失礼ではないだろうかと瑠璃は思う。
「だが、それぐらいの気持ちだということは覚えておいてくれ」
そう言うと、ちゅっと頬にキスを落とす。
「ちゃんと分かってますよ?」
「分かっているようで分かっていない気がする。もしルリが私の心を読めたら、きっと全力で逃げ出す自信がある」
「なんですか、それ」
瑠璃はクスクスと笑った。
ジェイドがどれほどのことを考えているか分からないが、ちょっとやそっとのことで逃げない自信はあるつもりだ。
そんな簡単に逃げるなら、もっと早くに逃げている。
「ジェイド様が私の心を読めたらきっと安心してくれると思いますよ」
それぐらいには、瑠璃だってジェイドのことが好きなのである。
「確かに私は愛し子だから、精霊達が側にいることが多いですけど、ジェイド様のことを忘れた日なんてありません。言っておきますけど、ジェイド様が思ってる十倍はジェイド様のこと好きだと思いますよ」
そして今度は瑠璃の方からジェイドに触れるだけのキスを贈る。
別れを決めたアデュラリアの笑顔を見た時に瑠璃は思った。
自分も最後の瞬間はあんな風にジェイドに笑いかけてあげたいと。
ただただ愛に満ちあふれたあの表情。
ジェイドの記憶に残る自分はそんな笑顔であってほしい。そう思ったのだ。
だから瑠璃は微笑んだ。たくさんの笑顔をジェイドの心に刻んでもらうために。