地獄のマズさ
ぞろぞろ連れ立って第一皇子の部屋を訪ねれば、ソファーに座ったままの第一皇子が頭を下げて迎え入れた。
どうやら第一皇子は立つこともままならぬようで、「陛下方を迎えるのにこのように座ったままで申し訳ありません」と、謝罪から始まった。
相当つらいのか、顔からは血の気が引いているのが分かる。
そんな第一皇子の隣にはコランダムが立っていた。
「治せるというのは本当なのですか? 陛下からいただいた竜の薬も効かなかったのですが……」
すでにアデュラリアを亡くしているコランダムとしては、ジェイド達の言葉を信用しきれないのは無理もない。
ジェイドですら半信半疑なのだから。
「治せるかどうかは、私ではなく、ヤダカインの女王に聞いてください」
「ヤダカインの女王?」
不思議そうにするコランダムと第一皇子の前に、パールが歩み出る。
「病に冒されておるのはそっちの若い方じゃな。少し診させてもらうぞ」
そう言うや、針を取り出し、第一皇子の指に突き刺したのだ。
「痛っ。ちょっと何を……」
「黙っておれ。治療には必要なことじゃ」
抵抗する第一皇子の頭をべしりと叩き、指から滴り落ちた血を小瓶に集める。
集め終わると針で刺した指を念入りに布でグルグル巻きにした。
「しっかり縛っておれよ。その血から他人にも病が感染するからな。他の者を殺したくなければ絶対に他人に血を触らせるでないぞ」
ぎょっとする第一皇子は、しっかりと布が巻いているのを確認する。
そうしている間に、パールは血の入った小瓶を日の光に当てて確認する。
「ふむ。確かに光毒虫の毒に冒されておるようじゃ」
「息子は治るのですか?」
コランダムが心配そうに問いかける。
妻が死んで間もないのに、今度は息子が同じ病に倒れたのだ。
彼の心痛はいかほどか。
「ああ、これならば治る。お前は運が良い」
ほっと安堵の色を浮かべるコランダムと第一皇子。
しかし、コランダムの表情が暗く落ち込む。
「もしあなたが早く来ていたら妻も助かったのでしょうか?」
もしもの話をしたところで意味はないことは分かっている。
もうアデュラリアはいないのだから。けれどどうしても考えてしまうもしもの話。
まだ愛する妻を亡くした傷は治っていないのだ。
そんなコランダムにパールは告げる。
「正直、皇帝の病の状況を聞いた限りでは、治すのは不可能であっただろうな。この薬は初期症状の者にしか効かぬのじゃ。皇帝は発症して随分と時が経っておったと聞く。私が来たとしても手遅れであったろう」
「そう……ですか……」
がっくりと肩を落とすコランダムに、言葉をかけられる者はいなかった。
そんな中でパールだけが違った。
「私も……私も光毒虫によって愛する人を亡くした。その悲しみに耐えきれずたくさんの過ちを犯したりもした」
クォーツが静かに目を閉じる。
「だが、私の愛する人は決して不幸ではなかったと、今では思える」
コランダムは手で目を覆った。
「ええ、ええ……っ。そうですね。彼女も幸せそうに笑っていました……」
嗚咽をこらえる声が聞こえる中で、ジェイドはとても複雑そうな顔をしていた。
「ジェイド様?」
「女王のやったことは許すことはできない。だが、責めることもできない。私はまだルリを失ってはいないから、彼女やクォーツ様の気持ちを理解することはできないから」
「そんな気持ち、分からないのが一番ですよ」
「そうだな。だが、いつかは経験することになるのだろうと思うと、とても胸が痛む」
「……そうですね」
できることなら共に生き、共に死にたい。
けれど、それが不可能なことはだれもが知っている。
死は平等に訪れるのだから。
だからこそ、大切にしたい。共にいられるこの瞬間を。
瑠璃はそっとジェイドの手を握れば、強く握り返してくれた。
「お前の妻は助けられなかったが、息子のことは助けてやろう」
パールはクォーツに対して「持ってきたものを出せ」と命じるように頼むと、クオーツは「はいはい」と仕方なさそうに笑い、部屋にあるテーブルの上に空間からどんどん物を取り出していく。
「今から薬を作る故、しばし待て」
「よろしくお願いします」
コランダムと第一皇子はそろって頭を下げた。
そうして作業を始めたパールだが、何故か大きな紙に魔法陣のようなものを描き始めたではないか。
「えっと、クォーツ様。あれって薬を作ってるんですよね?」
一応の確認だ。
「そうだよ。光毒虫の治療薬は、呪術を組み合わせて作るらしいんだ。私にもよく理解はしていないんだけど、彼女は魔女として優秀だから、騙されたと思って見守ってやってくれ。精霊殺しは使われていないから安心していいよ」
「はい」
「それより問題は、何故ロイ皇子が皇帝と同じ病になったかだ」
パール以外の視線が第一皇子へと向かう。
「この病は光毒虫に刺される以外に、汚染された血液なんかを体内に取り込んでしまっても感染する。そこでロイ皇子に質問なんだけど、皇帝の血や体液に触れたり口にしたりしたことはあるかい?」
「いいえ。母上とは話をするぐらいで、接触する機会はありませんでしたから」
第一皇子ははっきりと否定した。
そうなると益々深まる疑問。どうして同じ病になったか。
「うーん。光毒虫がこの宮殿内にいるってことなのかな?」
そこで瑠璃が手をあげる。
「クオーツ様、それなんですけどね。実はその虫がいたら怖いので、コタロウに頼んで宮殿にその虫がいないか探してもらったんです」
「さすが風の最高位精霊だね。見つかったのかい?」
「それが、帝都にいる精霊を集めて調べてくれたんですけど、それでも見つからなかったって。ねえ、コタロウ?」
再度確認するようにコタロウに問いかける。
『うむ。念のため帝都にも範囲を広げてみたが、光毒虫は影も形もなかった。風の精霊で見つけられなかった以上、光毒虫に刺されたとは考えにくい』
「なら、どこかで光毒虫か、それに刺された者の体液なんかを取り込んだ可能性の方が高いか。けど、そんなもの偶然入るとは考えられない」
全員が頭の中に浮かべる疑惑。
「コランダム。ここから先は他国の私達では介入できない」
ジェイドの厳しい眼差しにコランダムは真剣な表情で頷く。
「分かっております。早急に宮殿内を捜索いたします。何者かが、ロイに毒を盛ったかどうか」
そんな話をしている間に薬が完成したのか、パールの「できたぞ」という言葉に注目が集まる。
瑠璃は興味津々にパールへ近付いていった。
「すごい。本当にできたんですね……うぐっ!」
瑠璃は顔を青くしてとっさに鼻を押さえた。
パールが持っていた薬が入っていると思わしき瓶は強烈な異臭を放っていた。
しかもどうやったらそんな色になるのかというヘドロ色の液体が、ボコボコと泡を噴いている。
「くっさっ」
思わず意識が飛びそうになる臭いに、ジェイド達も鼻を押さえる。
「パール、もしかしなくともそれが薬なのかい?」
鼻を押さえながら頬を引き攣らせるクォーツが問うと、何を当たり前のことを聞いているんだとと言わんばかりの表情で「他に何に見える」とパールは瓶を突き出した。
「女王様、それ飲むんですか?」
というか、飲めるのか?
一番気になっているだろう第一皇子に代わり瑠璃が恐る恐る問えば、返ってきたのは肯定。
「ああ。これを一日五回、三日間飲み続ければ完治する」
「一日に五回も!?」
瑠璃は心の中で悲鳴を上げた。
そして、誰もが気の毒そうな表情で第一皇子を見たのだった。
「ち、父上……」
「耐えろ、ロイ」
息子にすがるような目で見られたコランダムは、心を鬼にして鼻をつまみながら顔をそらした。
「そんなっ」
あんなものを飲んだら、別の要因で死んでしまう。
「さあ、ぐいっと飲め。一滴も残すなよ」
容赦なしのパールが瓶を口に押し付ける。
「ひぃ!」
第一皇子は逃げようとするも、父であるコランダムが羽交い締めにする。
「さぁ、女王陛下、遠慮なくやってくだされ」
「うむ。よかろう。ほれ、ほれ」
「うぐぁ……」
第一皇子は避けることも叶わず、未知の液体を口にしてしまう。
「なんとむごい……」
思わずといった様子でフィンが呟く。
がぼっ、ごぼっ、ぐえぇぇ。と、ありえない音が聞こえてくる。
確かに酷い絵づらだが、これはあくまで治療である。
そう、治療なのだ。
断じて拷問ではない。
強制的に飲み込まされた第一皇子は、すべてを飲み終えた瞬間に意識を喪失してしまった。
「よし、ちゃんと飲んだな。次は三時間後だ」
気を失っていた第一皇子はその言葉を聞かずにすんで良かったかもしれない。その言葉こそが彼にとどめを刺しそうだ。
「クォーツ様、あれほんとに治療薬なんですか? 皇子様死んでませんよね?」
「た、多分……」
パールを連れてきたクォーツも自信なさげである。
まさか治療薬があんな劇薬だとは思っていなかったのだろう。
しかし、知っていたとしてもあの薬を飲む以外に助かる方法はないのだから、第一皇子には死ぬ気で飲んでもらうしかない。
その三時間後、ようやく目を覚ました第一皇子は、再び激マズ薬を持ったパールに襲われることになる。
「ほれ、薬の時間じゃ」
「いやぁぁぁ!」
そんな第一皇子の悲鳴が廊下にまで聞こえてきたとか。