皇帝の病
瑠璃はさっと腕輪を出す。
「ジェイド様、猫の姿なら散歩してきていいですか? コタロウとリンも連れて行くので」
「うーん。そうだな。愛し子と分からねば接触しても来ないだろうが、大丈夫か?」
「はい!」
ということで、猫になりこっそり部屋から抜け出した瑠璃は、コタロウとリンを引き連れて宮殿内を歩く。
まるでヨーロッパの宮殿を思わせるここは、細部に至るまで細かな装飾がされていた。
霊王国の白亜の城は厳かで神聖な雰囲気で、獣王国の城はアラビアンな雰囲気だった。
竜王国もヨーロッパ風な内装だが、歴代の王がそうだったのか、帝国の宮殿と比べればシンプルで派手さはない。
むしろ機能性を重視しているようで、それはそれで暮らしやすいのだが、見て楽しめる帝国の宮殿は、観覧のためにお金が取れそうである。
トコトコと観光客のように周囲を観察しながら歩いていると、何やら人の言い争うような声が聞こえてきてそちらへと向かう。
ジェイドが知ったらまた危ないことに首を突っ込んでと叱られそうだが、このあふれ出る興味は抑えきれないのだ。
コタロウとリンも側にいるので大丈夫だろうとこっそり覗くと、それぞれ後ろにお付きの者を引き連れた二人の青年が話していた。
身なりからしてかなり高貴な身分にいそうな二人だ。
『誰だろあれ』
『うむ、あれが第一皇子と第三皇子だな』
『ああ、あれが問題児達か』
瑠璃からしたら、母親の大事な時に騒ぎを起こす問題児という認識だった。
『どっちがどっち?』
『背の高い黒髪の男が第一皇子で、背の低い方の赤毛の男が第三皇子だ』
『へぇ』
聞くところによると、皇子達はそれぞれ二才ずつ離れているらしい。
一番上が二十七才と聞いていたので、第三皇子は二十三才ということになる。
さすがアデュラリアの子達である。二人とも目鼻立ちの整った綺麗な顔をしていた。まあ、ジェイドほどではないが……。
そう思うのは妻の欲目ではないと思いたい。
「兄様いい加減強情を張らずに、相応しい者へあるべきものを渡してはどうです?」
「それは俺こそ相応しいと思わないか? 何せ俺が第一皇子だ。普通なら一番最初に産まれた俺こそが玉座に相応しい。そう思っている貴族はたくさんいる」
「年の順で君主を決めるなど古いのですよ。帝国には新しい風が必要だ。そのために古い慣習に囚われている貴族を一掃し、新たな帝国を築くべきだ」
「その意見には賛成だがな、なにごともことを急いて良いことなど一つもない。古き良きものを取り入れつつ新しくしていかねば」
「そんなことを言っていたらいつまで経っても変わりはしない!」
「強情なのはどっちやら。弟だからといって、目に余る行動を取るのであれば俺もそれなりの対処をしなければならなくなるぞ」
「もう皇帝になったつもりか? まだ母上は次代を指名していない。それこそが、第一皇子では不足という意味ではないのですか?」
「母上は慎重なだけだ。それに、今の母上に……」
瑠璃はそーっとその場を離れた。
『うーん。皇子達は特別仲が悪いわけではないって聞いてたけど、あれ完全に敵対してるわよね』
『どっちも皇帝の椅子を欲しがってるなら、どんなに仲が良くても敵対するのはしかたないわよ。人がそうして、それまで仲が良かった者と殺し合う場面なんてたくさん見てきたもの』
長い時を生きてきたからこそのリンのその言葉は説得力があるが、なんとも切ない。
アデュラリアのためにも、できれば息子同士で争っては欲しくない。アデュラリアもそんなことは望んでいないだろうから。
かといって、瑠璃に何かできるわけでもないし、何かしていいものでもない。
瑠璃は竜王国の愛し子で、竜妃なのだから。他国の継承問題に首を突っ込むわけにはいかない。
『こういうのをみてしまうと、竜王国のように力で王を決めるのは下手な争いを避けられて良いのかもね』
『あら、そうとも限らないわよ。力が強いだけの脳筋が政治を握ってみなさいよ。あっという間に国が潰れるわ』
『それも一理ある……』
『まあ、竜王国の場合は竜王に絶対的な権限を与えられているようでいて、重要な案件はすべて話し合いで決められるみたいだから、対策はしているのよね。国庫も、竜王にはちゃんと決められた予算があって、それ以上は自腹切らないといけないことになってるし。竜王の独断では国庫のお金も使えないのよ』
『そうなの?』
竜王国の竜妃でありながら政治のことはほとんど知らない瑠璃。
愛し子を政治に利用しないためにジェイドも周囲も瑠璃の前では政治の深い話はしないように気をつけているのだ。
『竜王国は人間や亜人の中では理性的な種族だから、大きな間違いは起こらないとは思うけど』
『理性的……?』
瑠璃はふと猫になった自分を前にしたジェイドを思い浮かべた。
しばらく猫にならなかっただけでモフモフ欠乏症を発症するジェイドの姿からは、理性という言葉がどうしても当てはまらなかった。
そして他の竜族も、モフモフを前にした時の興奮の仕方は理性を完全に捨てている気がしてならない。
だが、まあ、モフモフが関わらなかったら優しいいい人達であることは確かだ。
つまり、竜族に理性を捨てさせたかったらモフモフを投入すれば、最強とうたわれる竜王国を制圧できるかもしれないなと、そんなアホなことを考えてしまった。
瑠璃は宮殿を出て庭を歩いていた。
ここも建物に違わず色とりどりの華やかな花が目を楽しませてくれていた。
『それにしても皇帝様の病気は何が原因なのかな?』
そこでふと思う。
この世界の原初より存在する精霊達はこの病のことを知らないのかと。
『コタロウとリンは原因を知らないの?』
『知ってるわよ。あれは光毒虫っていう虫に刺されるか、その虫の体液を体内に入れてしまうとなるものよ。ほんとに希少で滅多に人前に現れないんだけど』
『えっ、知ってるの!?』
リンはさらりと言っているが、それはかなり重大な事実ではないのだろうか。
『なんでそれを早く言わないの!? 原因が分かってるなら治療法もあるかもしれないのに!』
『落ち着きなさいよ、ルリ。私達は原因を知っていても治す方法は知らないわ。この光毒虫に刺されると血が汚染されるのだけどね、この治療法は存在していないの』
『精霊でも分からないの?』
『精霊は薬なんて必要としないもの。あれは人が作り出したものだから精霊の知識の範疇にはないわ。もしかしたらどこかでは作られているかもしれないけれど、あいにくと精霊の情報網の中には存在していないわね』
『そんな……。でも、一応原因を教えないと』
『それならクォーツが言っているんじゃないかしら。ここの医師とも話をしていたし、セラフィは同じ病だったのでしょう? セラフィの側には光の精霊がいたのだから、当然光毒虫の存在を知っているわ。なら原因を教えていないはずがないもの』
クォーツは初めから知っていた? 光の精霊も。
知っていても治すことができなかったのだ。
『ルリも気をつけてね。この毒に冒された病人の血液も同じように毒となるから。まあ、きっとこのこともクォーツから宮殿の医師達に伝えられているでしょうけど』
『……ねぇ、何かないの? 治らなくても延命する方法とか』
『残念だけど、精霊も万能ではないのよ』
リンのその言葉は瑠璃に重くのしかかった。
それからしばらくしたある日。
愛する夫に見守られながら、アデュラリアは息を引き取った。