覚悟の皇帝
コタロウの風の力も借りた強行軍だったので、帝国に着いた頃には全員ヘトヘト。
瑠璃はもちろんのこと、体力のある竜族ですら疲労の色を隠せないでいた。
しかし、そのおかげであり得ない早さで帝国へとたどり着くことができた。
それこそ、出迎えた帝国側の人間が驚いたほどに。
あらかじめ話を付けていたのか、帝国の宮殿に着くや、ジェイドは皇配のコランダムとの面会が叶った。
「竜王陛下。それに愛し子様も、遠いところお越しくださりありがとうございます」
「面倒な挨拶はなしにしよう。それよりもアデュラリアは?」
そうジェイドが問うた瞬間、コランダムの表情が暗くなる。
「あれからさらに状態は悪くなり、今やベッドから起き上がることもできません。……どうして彼女がこんなことに」
「竜の血は効かなかったのだな?」
「はい。いただいたすべての薬を与えましたが、効果はすこしもなくて……。もう他に方法がありませんっ」
悲しみをこらえるように顔を覆うコランダムから感じる悲壮感に、最悪の事態を連想させる。
「申し訳ありません。こんな時こそ私がしっかりせねばならないのに」
「いや、気にするな。アデュラリアに会うことは可能か?」
「はい。息子達と医師、それと少数の女官以外は面会謝絶にしておりますが、竜王陛下が来られたらお通しするようにと妻から頼まれております。今会われますか?」
「ああ」
本来なら、皇帝ともあろう人物に、やって来てすぐ会うなどできるはずがない。
しかし、面会のための手間をかけている時間が惜しいほどに、アデュラリアに時間がないと言われたかのようだった。
皇帝の部屋に入ったのは、瑠璃とジェイドとクォーツの三人。いや、セラフィも入れたら四人か。それ以外にはリンとコタロウも一緒だ。
先程から姿を見せているセラフィは、しきりにコランダムの様子を気にしており、チラチラと視線を向けては難しい顔で何かを考えているようだった。
皇帝の部屋はジェイドの部屋とあまり大差はない。あえて言うなら少し色合いが華やかな気がするのは、アデュラリアが明るい色を好むからだろう。
「アデュラリア、様子はどうだい? 竜王陛下達がいらしてくれたよ」
コランダムが心配そうにアデュラリアの眠るベッドを覗き込む。
ボソボソと小さな女性の声がしてきたが、あまりにも弱々しく消えてしまいそうな小さな声で、ベッドから少し離れたルリには内容を聞き取れなかった。
「分かった。起こすよ、アデュラリア。つらかったら言うんだよ」
そう言ってゆっくりとコランダムがアデュラリアの上半身を起こすと、クッションを背に置いて座らせる。
そして、ジェイド達に場所を譲るようにコランダムが場所を空けた。
瑠璃も見える位置まで近付くと、アデュラリアの顔色は血が通っていない人形のように真っ白だった。
肌に張りもなく、少しの間でかなり年を取ったように見えるほど、疲れた顔をしている。
「ジェイド、よく来てくれたな……」
話すのもやっとなのか、ゆっくりとした話し方。
それでも、周りを心配しないように無理矢理に笑顔を見せるアデュラリアを、とても強い人だと瑠璃は感じた。
「愛し子と竜王と前竜王がそろって見舞いに来てくれるとは、なんとも果報者よ……くっ」
苦しそうに胸を押さえたアデュラリアを、コランダムが慌てて支える。
「アデュラリア!」
しかし、アデュラリアは手を上げてコランダムを制する。
「大丈夫だよ。死にかけだが、まだ死ぬまで時間はある」
「なんてことを言うんだ。死ぬなんて軽々しく言わないでくれ。君がいなければ私はどうしたらいいんだ」
悲しみに染まる顔をしているコランダムの頬をそっと撫でるアデュラリアは、慈愛に満ちた表情をしていた。
「大丈夫だ。まだ一緒にいる」
「っっ」
見ていられないというようにクォーツが視線を外す。
きっと、コランダムと自分とを重ね合わせているのだろう。セラフィを失う絶望に打ちひしがれる過去の自分と。
そんなクォーツを見ていたセラフィがふわりとアデュラリアの前に立つ。
「一つだけあなた達が一緒にいられる方法があるわ」
はっと上げたコランダムのその顔には期待が浮かんでいた。
「私のように物に魂を移せば、死んだとしてもこれまでと同じように愛する人と一緒にいられるわ。それは魔女の使う呪術を使うのだけど、成功率は半々。けれど成功すれば……」
「アデュラリアと離れずにすむのですね!?」
「ええ。肉体は失うけれど、ここに残れるわ。私のように」
「アデュラリア、聞いたかい!?」
コランダムは希望に胸を躍らせたような明るい顔でアデュラリアを振り返る。
しかし、アデュラリアはあまり嬉しそうな顔をしていなかった。むしろ……。
「アデュラリア、どうしてそんな悲しげな顔をしているんだい?」
コランダムが案じるように頬に手を滑らせる。その手を取って、アデュラリアはコランダムを見つめた。
「コランダム。私にその方法は必要ない。私は死を受け入れよう。それが世界のあるべき姿だ」
「どうして!」
悲鳴のようなコランダムの声が部屋に響く。
そんな中、リンがセラフィの周りをくるりと飛び、セラフィの提案を否定した。
『私もその方法には反対ね。というか、無理だわ』
「リン、どうして? こうして成功しているセラフィさんがいるじゃない」
『魂を現世に残すにはね、それなりのリスクがあるのよ』
瑠璃の問いに対して、リンはセラフィの霊体を羽でペシペシと叩いた。
『この光ってるのが見える?』
リンが言うように、セラフィとリンの羽との接触部分がキラリと光った。
「うん」
『これはね、光の精霊が彼女の魂を守っている証よ』
「どういうこと?」
『そもそもね、魂というのは肉体から離れたら輪廻の輪の中に入るものなのよ。けれど時々その輪から外れ現世に残る者がいるの。そんな魂は少しずつ魂を消耗し、最後には消えてしまうのよ』
「えっ!」
これには瑠璃だけでなく、セラフィを何より大切にしているクォーツも冷静ではいられなかった。
「セラフィは大丈夫なのかい!?」
『彼女は本当に運がいいわ。長年時の精霊の空間の中にいて、図らずも時の精霊の力の庇護下にあったおかげで魂が守られていたようよ。そして今は光の精霊が彼女の魂を守っている。だから彼女はこのままここにいても魂が消耗することも消えることもない』
それを聞いてほっと安堵の息を吐くクォーツ。瑠璃もその言葉に安心した。
『けれど、そっちの皇帝は別よ。セラフィのように魂を守ってくれる精霊がいない。そんな状況で魂を現世に留まらせておいたら、死より酷いことになるわ。肉体の死は次の生へと引き継がれるけど、魂が消えてしまったらそれで終わり。次も何もあったものじゃない。完全なる消滅を意味しているわ』
「そんな……」
『だから私はその方法はお薦めしないわね』
ここまで言われて、魂を残そうなどと言える者などいなかった。
ただそこには、憔悴したコランダムの姿があるのみだ。
誰もがかける言葉をなくす中、アデュラリアだけがコランダムに声をかける。
声を出すのもつらそうにしながら、必死に声を絞り出した。
「ありがとう、コランダム。そんなにも私を愛してくれて、私はなんと幸せ者だろうか。皇帝になって数十年。共に歩んできてくれてありがとう」
「なにを……何をそんな遺言のようなことを言うんだ。やめてくれ……」
「愛しているよ。これからもずっと」
そう言って、アデュラリアは幸せそうに笑ったのだった。




