異世界人
部屋に入れば、椅子に座っていた十代後半ぐらいの年齢の少女が弾かれるようにして立ち上がった。
そして、ジェイドの顔を見て頬を染めた。
その気持ちはよく分かるが、妻としてはなんとも複雑な心情だ。
「そなたが愛し子と名乗り出た者か?」
「はい! そうです。鈴木珊瑚って言います!」
黒目黒髪という瑠璃にはとても馴染みのある日本人顔の少女に、この世界では珍しい色合いだなと思うと共に気になったその名前。
「にゃう? (すずき?)」
この世界では珍しい響きであり、瑠璃にとっては懐かしく感じるその名前。
「あっ、鈴木は名字で珊瑚が名前です。こっちの世界の人は名字とかあまりないですよね。なので珊瑚って呼んでください」
さらに続けられた少女の話に瑠璃はぎょっとする。
こっちの世界と言ったか、今この少女は。
いや、早とちりは駄目だと瑠璃はジェイドの腕の中でじっとした。
「そなたは自分が愛し子だと名乗り出たようだが、それに間違いはないのか?」
「はい、きっとそうだと思うんです。いえ、間違いないです! だって、こっちの世界では精霊に好かれる人を愛し子って言うんでしょう? 村の人が言ってたもの。私たくさん精霊と友達になったから絶対にそうだって思ったの。異世界に来た時はどうなるかと思ったけど、そんな特別な人間だなんて、私は選ばれてこっちの世界に召喚されたんだわ。私ってばラノベの主人公みたい……」
うっとりと話す珊瑚に、瑠璃は激しい衝動を抑えきれない。
「にゃうにゃうにゃう!」
瑠璃はジェイドの腕を肉球でバシバシと叩いた。
「ルリ?」
「あら、可愛い猫ちゃん。お兄さんが飼ってるんですか?」
瑠璃はジェイドから飛び降り、ズボンの裾を噛んで引っ張り、部屋の外へと連れ出す。
「どうしたんだ、ルリ?」
『ジェイド様、あの子私と同じあっちの世界の人間じゃないですか?』
「そう言えば、こっちの世界だとか、他にもよく分からないことを言っていたな」
ラノベだとか異世界だとか、瑠璃の世界の言葉である。
そしてあの日本人らしい顔立ちと名前。
『愛し子かどうか確認した後でいいんで、ちょっと聞いてみてください』
「分かった」
再び部屋へと戻ったジェイドは早速本題に入る。
「精霊を連れていると聞いたが……それで全部か?」
「はい」
珊瑚の周りには三人の下級精霊がいる。
どれも水の精霊のようで、普段自分の周りにいる精霊を考えたら、かなりしょぼい人数だ。
しかし、周りにいた下位精霊とは別に、珊瑚の肩には小さなリスがいた。
そのリスにリンが近付いていく。
「わあ、何これ!? クリオネが飛んでるー。しかもでかい」
リンを見て『クリオネ』などと呼ぶ時点で、地球の人間だと言っているようなものだった。
この世界の人はリンを見てもクリオネなどとは言わないのだから。
リンはじーっとリスを見つめると、リスではあり得ないお辞儀という行動を取った。
『ふーん、この子が言ってた水の精霊ね。確かに高位精霊だわ。まあ、私とは比べるまでもないけれど』
自慢を交えながらリンは瑠璃のところに戻ってきた。
「クリオネがしゃべったぁ! もしかしてその子も精霊?」
驚く珊瑚を放置して、ジェイドはリンに問いかける。
「愛し子ではないと思われますか?」
『ないない。水の高位精霊に気に入られたから、それに釣られて何人かの下位精霊が付いてきてるだけのただの人間よ。ルリと同じ愛し子だなんてとんでもないわ』
バッサリと否定するリンに、驚くでもなくジェイドは頷いた。
そして、珊瑚に向き直って告げる。
「申し訳ないが、そなたを愛し子と認めることはできない」
「えっ! どうしてよ!?」
珊瑚は納得がいかないのか、身を乗り出して不服を申し立てる。
「精霊に好かれるのが愛し子なんでしょう? こんなに精霊を連れてるじゃない。それに契約だってしてるし」
「確かに高位精霊と契約しているようだが、精霊と契約したからといって愛し子とは限らない。それにそなたが連れているのは水の精霊だけだろう」
「それがなによ!」
「ある一属性の精霊に好かれる者は少なからずいる。この城の中でもな。水の精霊に好かれているがそれだけだ。愛し子とは到底言えない」
「えぇ!」
「そんなことより一つ聞きたい。そなたはこの世界の人間ではないのか?」
ようやく聞いてくれた質問。それに対して、珊瑚はなんてことないようにさらりと答えた。
「ええ、そうよ。私は元々日本ってところで暮らしてたんだけど、学校から帰ってたら気付くと辺鄙な村のど真ん中に寝ててたの。家に帰ろうにも、なんか村の人達と話が噛み合わないし、竜王国なんて全然知らない国だって言うじゃない。それですぐに気付いたのよ。これっていわゆる異世界転移なんじゃないかって!」
珊瑚は目をキラキラさせて語る。
「しかもこっちには魔法なんてのもあるし、テンション爆上がりしてたら、村の水源になってる泉にいたこの子にコーラをあげたのね。そしたら契約しようって言うから、よくわからないけど良いわよって。そしたら、それまで人を煙たがってた村の人達が急に優しくなってね、それで愛し子のこととか聞いたのよ」
「なるほど」
ジェイドが瑠璃を見下ろせば、瑠璃もジェイドを見上げた。
なんとなく状況が理解できた。やはりこの少女は瑠璃がいた世界から来たようだ。
しかも同じ日本人とは、どれだけの偶然なのか。
そもそも人がこちらに来られるぐらいの入り口が開くことは滅多にないというのに、それに巻き込まれるとはなんたる不運。
しかし、珊瑚はあまり今の状況を嘆いているようには見えない。
「ねぇ、本当に私は愛し子じゃないの?」
「ああ」
「ええー、そんなの絶対おかしいわよ。あなたじゃ話にならないから、もっと上の人出してよ」
「私がこの国の王だ。自分で言うのもなんだが、この国で一番偉い」
「えっ、お兄さんが!?」
見えないのは無理もない。
ジェイドは見た目年齢二十代。一国の王をしているにはとてもじゃないが若すぎる。
実際は百歳を優に超えるのだが、異世界から来た珊瑚が知っているとは思えない。
「ああ。だが、愛し子でないならこれ以上の話は必要ない。諦めて帰れ……と、言いたいところだが、帰る場所はあるのか?」
「……ない。あるわけない」
珊瑚は沈んだ声でそう小さく返事する。
帰る場所がなくて当然だ。本来帰るべき場所は二度と帰ることができないのだから。
それは瑠璃とて同じこと。幸い瑠璃の場合は家族がこっちに来てくれたから一人ではない。
それでも少しは珊瑚の気持ちを理解できているはずなので、瑠璃はジェイドの服をちょんちょんと引っ張った。
瑠璃に視線を落としたジェイドは、分かっていると告げるように瑠璃の頭を優しく撫でてから珊瑚に向かって口を開いた。
「そなたを愛し子としてこの城に迎え入れることはできない。だが、その精霊に好かれる体質と高位精霊と契約を果たした事実は今後何かの役に立つかもしれない。そこで提案だが、侍女としてこの城で働く気はあるか?」
ジェイドの言葉を理解するのに少し時間が必要だったのか、少しの沈黙が落ちたが、内容を理解すると目を見張り何度も大きく頷いた。
「ちゃんと働くというなら、衣食住の保証はしよう。時には契約している精霊の力を借りるかもしれないが、それでもいいか?」
「は、はい!」
「真面目に働かない場合は容赦なく出ていってもらう。それは心してくれ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる珊瑚に、ジェイドは一つ頷いてから瑠璃を抱っこしたまま部屋を出る。
「これで良かったか、ルリ?」
『はい。ありがとうございます』
瑠璃はお礼を言うと共に、ジェイドの頬にキスを贈る。
猫の姿なのでくすぐったそうだったが、猫好きなジェイドにはじゅうぶんなご褒美となったようだ。