フーリエル来訪
王都の町で存分に買い物をして帰ってきた瑠璃は、歩きすぎてその日は早くに就寝。
いつジェイドがベッドに入ってきたかも分からないほどに爆睡していた。
そして翌朝、体を揺すられて目が覚める。
「う~……」
眠気と戦いながら目を開ければ、ジェイドが朝の日を背に瑠璃の横に座っていた。
髪をさらりと撫でられ、ジェイドの顔が近付き、触れるだけのキスをされる。
それでもまだまだ瑠璃の思考はぼんやりとしたまま。
「なんですか、ジェイド様。いつもより起きるの早くないですか?」
まだ寝たい瑠璃は睡魔に誘われるままに目を閉じようとした。
しかし、無理矢理ジェイドに抱っこされ、そのままバルコニーに連れ出されてしまう。
容赦なく朝日が瑠璃を起きろと責め立てる。
すると、クスクスとたくさんの精霊達の笑い声まで聞こえてくるではないか。
頼むから寝かせてくれ……と瑠璃は意識を手放そうとするが、精霊達はそれを許してはくれない。
『ルリはおねむみたい』
『ルリ起きてー』
『きっとルリは驚くよ』
『うん。絶対びっくりする』
そんな声を聞いて、仕方なく目を開けた瑠璃の目に飛び込んで来たのは、大きなクジラの群れ。
瑠璃は一瞬まだ夢でも見ているのかと思った。
だってそうだろう。竜体となったジェイドよりも大きな水色のクジラが、空にたくさん浮かんでいるのだから。
大きなクジラは王都の町の空を覆い尽くさんばかりに群れをなして飛んでいる。
「は? えっ、何? 夢?」
眠気もどこかへ吹っ飛んでいった。
目を丸くして驚く瑠璃を、ジェイドは微笑ましく見つめている。
「えっ、ジェイド様、あれなんですか?」
「昨日王都の町を楽しんできたのだろう? あれがフーリエルだ」
「空飛んでますよ? 海じゃなくて」
「ん? フーリエルは空を飛ぶ魔獣だぞ。逆に水は苦手なはずだ」
「私の知ってるクジラと違う……」
いや、そもそも魔獣と言っていた。海の生き物だというのは完全に瑠璃の思い込みだ。
リンが使っているクリオネの体だって、空を飛ぶではないか。
なら、クジラが空を飛んでいたっておかしくはない。
竜族なんてものがいるファンタジーな世界なのだから。
あまりの大きさに少し怖さを感じたが、フーリエルはただ空を飛んでいるだけのように見える。
「フーリエルは人を襲ったりしないんですか? 魔獣なんでしょう?」
「確かにフーリエルは魔獣だが、とても大人しい生き物だ。ああして飛び続けることで空気中の魔力を取り込んで生きている。大きい上に群れで行動するから、初めて見る者は少し怖がるが、いたって無害な魔獣だから観光客もたくさんやって来る。フーリエルを見ると小さな幸せがやって来ると昔から言い伝えられているんだ」
「へぇ、なんか縁起物みたいですね」
町の人達がこぞってフーリエルのグッズを売りたがるのも分かる気がする。
迷信かもしれないが、誰もがその小さな幸せにあやかりたいのだろう。
しばらく見ていると、フーリエルはゆっくりと海の方向へと向かっていった。
「行っちゃいましたね」
「あれは第一陣だ。第二陣、第三陣といくつかの群れに分かれて行動するから、これ以降も見られるだろう。次に来た時には竜体になってもっと近くに寄ってみるか?」
「大丈夫なんですか?」
「ああ。さっきも言ったが、大人しい魔獣だからな。並んで空を飛ぶぐらいでは襲われたりはしないから安心するといい」
「襲って来ることもあるんですか?」
「たまに空を飛べる亜人の愚か者がフーリエルにちょっかいを出して、尾ひれでぶん殴られたり体当たりされたりすることはあるな。まあ、自業自得だ」
「えっ、それマズくないですか?」
あんな巨体に体当たりなんてされた日には、ぺしゃんこになってしまう。
きっと大型トラックが猛スピードでぶつかってきたより衝撃があるはずだ。
しかも空の上での出来事なのだから、普通なら地面に落ちて命はない。
「その愚か者とは、たいがい若い竜族だから死にはしない」
「あぁ、それなら大丈夫ですね」
無駄に体が頑丈な竜族である。体当たりされてもそのことを笑って喜びそうだ。
それにしても、縁起の良い生き物になんてことをしているのか。
しかし、頑丈な竜族を弾き飛ばしてしまえるほどなのだから、フーリエルというとは大人しいが弱い生き物ではないのだろう。
瑠璃は小さくなっていったフーリエルを見送りながら、小さな幸せが訪れることを心の中で祈った。
だがしかし、この後やって来たのは、小さな幸せなどではなく、小さな嵐だった。