秘薬
このまま鎮火されるかと思った噂だが、予想以上に広まっており、城内を歩けば居心地が悪いことこの上ない。
「よくあんな平気な顔をして」
「聖獣を殺すなんてとんだ愛し子もいたもんだ」
「陛下は罰しないのかしら?」
声を潜めているのだろうが、ばっちり聞こえている。
まあ、多くが半信半疑という感じで、本気で信じて陰口をたたいているのは極々小数だが、瑠璃の評判はそのまま竜王国の評判にも直結する。
どうにか早く名誉を挽回せねばならない。
そのためには聖獣の発見が一番だ。
そんなある日の夜中、猫の姿で城内を闊歩していた。
人間の時には見えなかったなんらかの情報を得られないかと思ったのだ。
精霊を引き連れて歩いていても警戒をされるだけ。
特に聖獣の体を持つコタロウは目立つ。
なので、リンだけを連れて他の精霊は置いていき、外に飛び出した。
最初コタロウや他の精霊は反対していたが、瑠璃にはコタロウが張った結界が常時付いているし、リンもいるからと納得させた。
歩いていると時々風が瑠璃の体を撫でる。
まるで瑠璃を守るようにまとわりつくそれは、きっとコタロウが遠くから見守っている証だろう。
側にいなくても側にいるというのはとても心強い。
たまに鉢合わせる兵士をやり過ごし、ウロウロしていると段々人気がなくなってきた。
少し遠くまで来すぎたかと引き返そうかと思った時、目の前を見知った人物が通り過ぎる。
『あれって、スピネル?』
『みたいね。あのムカつく顔は忘れようがないわ』
こんな時間に何をしているのかと後を追い掛ける。
スピネルは周囲を気にするようにどこかへ向かっている。
『あやしい……。絶対に怪しいわあの女』
『それってリンが彼女を嫌いだからそう見えるだけじゃないの?』
『だって若い娘がこんな時間に出歩いてるなんておかしいじゃない』
『まあ、人のこと言えないよね、私もだし』
『…………。それでも怪しいのよ!』
『リン、静かに。気付かれちゃう』
ハッとしてスピネルを窺うと、どうやら気付かれてはいないようで二人はほっとする。
『それにしてもどこに行こうとしてるんだろ?』
スピネルは隠れるように建物から外に出て、庭の方へ歩いて行くではないか。
こんな夜中の暗がりの中。
かろうじて見える暗い庭を歩いて行くと、小屋のような小さな建物が。
どうやら庭師が物置として使っている建物のようだ。
その裏手に向かうスピネルはふいに立ち止まる。
「いますの?」
スピネルが声を掛けると、ガサリと音がする。
誰かいるのかと思ったが、瑠璃の位置からは姿が見えない。
かと言って、これ以上近付けば気付かれてしまうかもしれない。
『リン。コタロウに相手の顔を確認するように頼んで』
『分かった』
少しして、リンから伝わったのか風がふわりと舞うのを感じる。
「いるならさっさと出てきてください!」
「悪かったよ。俺も身を隠すのに必死でさ」
声からして、スピネルが話している相手は男のよう。
年齢はそれほど老いてはいない。若い男性の声だ。
「とりあえず姿を見せて下さい。話がしづらいですわ」
「俺は慎重派でね。このままでいいだろ?」
「……まあ、いいですわ。それで、あれはどうしたのですか?」
「ちゃんと隠してるよ。見つからない場所にな」
「どこですか? 渡して下さい」
「おっと、それはまだだ。取引するにはちゃんと報酬がなければ」
「……今はありません」
「なら、交渉は決裂。聖獣は森に返すよ」
聖獣という言葉に、思わず瑠璃は声が出そうになったが、必死に飲み込んだ。
ここでバレるわけにはいかない。
「待って! 報酬はちゃんと用意します。ですので、先に聖獣を。私には秘薬が必要なのです」
「聖獣から取れる秘薬ってやつねぇ。聖獣からそんな秘薬が取れるってのは初めて知ったが、こんな危ない橋を渡ってまであれが欲しいなんて俺には理解できないね」
「あなたにはそうでも、私には必要なのです。以前の聖獣は手に入らなかった。せっかく世話係を味方にして毒を飲ませたというのに。この機会を逃したら私には後がないの」
「はははっ、怖い女。さすがの俺でもお前みたいな女はごめんだな」
「あなたにそう思われてもなんともありません。私にはジェイド様がいるのですから」
「はいはい。そこはどうでもいいさ。とりあえず報酬を持ってこい。話はそれからだ。次は三日後。その時に報酬を用意できないならこの話はなしだ。聖獣は森に返す」
「……分かりました」
そして、二人がいなくなるまでしばらくそこで待機していた瑠璃とリンは、ようやく動き出す。
『大変だ』
瑠璃は大急ぎでジェイドの元へと駆けていく。
部屋に戻れば、眉間に皺を寄せたジェイドが待っていた。
アウェインとアルマンと飲んでいたジェイドはほんのり顔を赤くしているが、そこまで深く酔っていないようだ。
二人と飲んで部屋に帰ってきたら瑠璃がいなくなっていたのだから、ジェイドが不満を表すのは仕方がない。
けれど、ジェイドのお小言を聞いてる場合ではなかった。
腕輪を外してもらい人間に戻った瑠璃は、ジェイドに必死で伝える。
「大変なんですよ、ジェイド様! 今すぐ霊王様の所に行きましょう!」
「もう夜中だ。明日にした方がいい。そんなことよりこんな時間まで猫の姿でどこに行っていたんだ。護衛もなしに出歩いては……」
「聖獣をさらった犯人が分かったんです!」
ジェイドはすぐに表情を変える。
「本当か?」
「はい。それで霊王様に話をしたいんです」
「分かった。すぐに面会の申請をしよう」
ジェイドは外にいる兵士にアウェインへの繋ぎを頼んだ。
その間に瑠璃はコタロウに問う。
「コタロウ、相手の顔は見た?」
すると、コタロウは沈黙の後、首を横に振った。
「えっ、どうして?」
『何故か見えなかった。まるで弾かれたように我の力が拒絶されたのだ。それ故に、後を追うこともできなかった』
『はっ? どういうこと?』
リンも予想外だったのかコタロウに詰め寄る。
『我にも分からぬ。聖獣が見つけられないことと関係しているのだろう。だが、あれはまるで……』
「まるで?」
『いや、まるで光の力に弾かれた時のような感覚がしたのだ』
「けど、光の精霊は今は竜王国だし、なにも知らないんでしょう?」
『うむ。そう言っていたし、それに嘘はない』
ますます分からなくなる。
だが、誘拐犯が男であることと、何かの力が作用していることは分かった。
そうしている内に霊王との面会が叶う。
部屋にはアウェインだけかと思いきや、ラピスの姿もある。
アウェインに勧められ席に着くと息つく暇もなく瑠璃は口を開いた。
「さっき城内を歩いてたらスピネルがいたんです」
「ルリ、ここは竜王国ではないのだから軽率な行動は……」
「もう、ジェイド様。話の腰を折らないでください。ちょっと黙ってて」
瑠璃はジェイドを切り捨てて話を続ける。
「そしたら人気のいない庭の方に出て行って、そこで誰かと待ち合わせてたみたいなんです」
「誰かとは誰だ?」
「それが、顔は見えなくて……。けれど、若い男の人の声でした。その男性と話をしているのを聞いていたら、その男性が聖獣を誘拐したと言ったんです」
「なに!?」
アウェインが前のめりになる。
「どこかに隠したと言ったんですが、場所までは言わなかったです。男性はスピネルと何らかの取引をしていたようで、スピネルが聖獣を誘拐するように頼んだようです。ですが、スピネルが報酬を払えなかったようで交渉は決裂。次の取引は三日後らしく、その時に報酬が支払えなかったら聖獣は森に返すと言っていました」
「つまり、スピネルが黒幕だったというわけか」
アウェインはショックが隠せないようで手を額に置く。
「それだけじゃなくて、スピネルは前回聖獣が殺された件にも関わっているようです。世話係を味方につけて毒を盛ったと言っていたので」
「スピネルはいったいどうしてそんなことを……」
「秘薬がどうとか言ってましたよ」
そう言うと、ジェイドは不思議そうな顔をし、アウェインとラピスは驚いた顔をした。
「スピネルがそう言っていたのか? 秘薬と」
「はい。ねえ?」
リンに視線を向ければ、確かに聞いたと同意するようにリンも頷いた。
「なんてことだ……。何故スピネルが秘薬のことを知っているんだ」
「あれでも筆頭貴族の娘なんだからさ。家に資料かなんか残ってて、そこから知った可能性だってあるんじゃないか?」
信じられないと驚愕するアウェインに、ラピスが冷静に諭す。
「えっと……。聖獣から取れる秘薬ってなんですか?」
そう問えば、アウェインとラピスは口をつくんだ。
どこか迷っているように見えるのは、できれば教えたくないないようなのだろう。
しかし、精霊にはそんなの関係ない。
『聖獣の死体からはね、特別な薬の元となる物が採れるのよ』
あまりにもリンがスルッと話すので、躊躇いを見せていたアウェインとラピスはぎょっとしている。
が、それでもリンは止まらない。
『昔はそれで聖獣が乱獲されて絶滅の危機にあったのを、この国が保護してるの』
「どんな薬ができるの?」
「あっ、ちょっと待ってくれっ」
リンには焦るアウェインは視界に入っていないようだ。
『人を操る薬よ』
あちゃーと言うようにアウェインは顔を覆う。
『秘薬を飲ませた相手を意のままに操ることができるの』
「それってかなりヤバイものじゃないの?」
『そりゃあ、ヤバいわよ。だからこの国では上層部の一部の者にしか秘薬のことは隠匿されているのよ。なのに、あの女が知ってたのが不思議ねってことよ』
「なるほど」
話を聞き終わってリンからアウェインに視線を向けた瑠璃は、そこで妙な空気になっていることに気が付く。
「どうかしましたか?」
「……水の精霊殿が言ったように、秘薬のことはごく一部の者しか知らない。だから、できれば教えたくなかったのだが……」
恨めしそうな目をリンに向けるアウェイン。
『あら、ルリは秘密を誰かにしゃべったりするほど口は軽くないから大丈夫よ』
ひょうひょうと言ってのけるリンに、アウェインも肩を落とした。
「ルリ、ジェイド。この件は極秘事項だからくれぐれも誰かに話さないでくれ」
「わ、分かった」
「はい……」
なんだかアウェインが不憫に見えた瑠璃とジェイドは素直に応じた。
改めて話を再開する。
「スピネルはどうしてその秘薬が欲しかったんですかね?」
『あら、決まってるじゃない。王に飲ませるためでしょう』
全員の眼差しがジェイドに向かい、ジェイドは頬を引き攣らせた。
そして、アウェインは何かを思い出した。
「そう言えば、以前聖獣が殺された後、ジェイドは会談で霊王国に来ていたな。もしかしたらその時に飲ませようと……」
しかし、その体はスピネルが手に入れる前にコタロウが手に入れた。
「間一髪ですね。ジェイド様。コタロウにお礼言っとかないと」
「ああ……。そうだな……」
どうもジェイドの顔色が悪い。
まあ、自分が標的となっていたかもしれないと聞けば当然か。
「それで、どうしましょうか? スピネルが犯人ってことは分かったんですが、実行犯の方はコタロウでも追えなかったようで、聖獣の場所は分からないんです」
「風の精霊殿が追えなかったのか?」
「みたいです」
アウェインとジェイドは揃って眉をひそめる。
ジェイドはいいが、アウェインがそんな表情をすると怖くて仕方がない。
それを口にはせず、大人しく待っていると、考えがまとまったらしいアウェインが口を開く。
「聖獣の居場所が見つからない以上、スピネルをすぐに捕らえるよりは泳がせていた方がいいだろう。次の取引は三日後だったか?」
「そうです、霊王様。確かにそう言ってました」
「ならば、その時に実行犯と共にスピネルを捕らえる。その間に証拠となるものもそろえ、万全の準備をしておく」
「私も手伝います!」
やる気満々で意気込む瑠璃にアウェインは苦笑を浮かべる。
「ありがたいが、それは遠慮しておく」
「えっ!?」
「これは霊王国の問題だ。他国の、それも愛し子を危険なことに巻き込むわけにはいかない」
「えぇー」
溢れんばかりのやる気がしぼんでいく。
「ルリ、アウェインの言う通りだ」
「ジェイド様まで」
『私もそれには賛成よ。コタロウでも追えない相手なんてなにがあるか分からないもの』
『我も同意見だ』
瑠璃はがっくりと肩を落とした。
しかし、自分に何かあって霊王国で精霊が大暴れ、なんてことになっては申し訳ないので、瑠璃は素直に退くことにした。