ひと騒動
翌日の歓迎パーティーが行われる日、瑠璃はのんびり起きて朝食を取った。
その横にジェイドの姿はなく、精霊によると瑠璃が起きる前に部屋を出ていったようだ。
どうやら四カ国のトップ同士で朝食を取るためのようだ。
起こしてくれれば良かったのにと思ったが、瑠璃の前ではできない政治の話をするのだろうと察する。
食事を運んできた霊王国の人に聞くと、歓迎パーティーは夕方から行われるので、それまで自由にしてくれていいと言われた。
自由にと言われると途端にどうしていいか分からなくなる。
さすがに外に出掛けるわけにはいかないだろう。
とりあえず部屋で過ごしていたが、すぐに手持ち無沙汰になり、ふと外を見るとなんとも気持ちよさそうな青い空が広がる。
「日なたぼっこといきますか」
『さんせーい』
『わーい』
『僕も行くー』
喜ぶ精霊達を連れて部屋の外に出ると、そこには護衛のためにとユアンが立っていた。
「あれ、ユアンいたの?」
「当たり前だ。お前を護衛しなければならないからな」
「ありがとう」
他にもいる竜族の護衛にもお礼を言う。
「どこか行くのか?」
「うん。外が気持ちよさそうだから日なたぼっこしに」
「なら一緒に行く」
そう言ってから少し沈黙した後、ユアンは他にもいた霊王国の兵士に何かを話していた。
その兵士が離れていったのを確認してから、瑠璃に近付いてくる。
「どうかした?」
「どうせなら昼食も外で取れるように頼んだんだ」
「おお! さすがユアンってば気が利くわね」
「ふふん、当然だ」
ユアンは得意げに胸を張る。
コタロウにリンに精霊達。そしてユアンを引き連れて中庭に行く。
自然のありのままにあるような庭だが、決して草がぼうぼうの荒れたものではなく、きちんと手入れをされている。
洗練さはないが、とても自然体の穏やかな気持ちでいられる。
どこか、森に住むチェルシーの家を思い起こされた。
大きな木の下の木陰で、横たわったコタロウに寄りかかり、リンや精霊とまったりしていると、向こうの方から複数の女性が歩いてくる。
ユアンが警戒心を露わにする中、瑠璃はのほほんとしていると、その女性の中に昨日のスピネルの姿を発見した。
できればあまり話したくない相手だったが、向こうは瑠璃の気持ちなど知るよしもなく、真っ直ぐ向かってくる。
そして、コタロウをベッドに、横になる瑠璃の前までやってきた。
そうなると、さすがに寝ているわけにもいかず身を起こす。
「なにか?」
「お願いします。ジェイド様と別れてください」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
複数の女性を引き連れて何を言うのかと思えばよりによって別れろなどと。
セレスティンならば激昂しているところだが、瑠璃は怒りより呆れの方が上回った。
「嫌よ」
「えっ……」
驚いた顔をされたことに瑠璃が驚いた。
「いや、別れてくださいって言われて別れるまぬけいないでしょう」
周りでユアンや精霊達がうんうんと頷いている。
その反応を見て、瑠璃は自分が正常であることに安堵した。
スピネルは目を潤ませて両手を握り締め、華奢な肩をさらに小さくする。
その弱々しい姿は男なら守りたいと思わせるのかもしれない。
だが、瑠璃に通用するはずもなく、また、精霊達どころかユアンにも通じない。
一様に、冷めた眼差しを向けている。
だが、その一方で、スピネルが連れて来た女性達はスピネルを守るようにスピネルを囲む。
これではまるで瑠璃が虐めているようではないか。
「ジェイド様は私を迎えに来てくださると言ったのです。あなたがジェイド様の伴侶などと何かの間違いです。ジェイド様を返してください」
これにはさすがの瑠璃もムカッときた。
「ジェイド様は物じゃないわ。返して下さいって何? いつあなたの物になったのよ」
「私……そんなつもりじゃ……」
わっと泣き出すスピネルに、周りの女性達が慰めの言葉を次々掛けていく。
「大丈夫ですか、スピネル様?」
「なんて酷いんでしょう」
「スピネル様のお気持ちを考えられないんでしょうか」
「泣かないでくださいまし、スピネル様」
いったいなんの茶番を見せられているんだと、瑠璃は遠くを見つめた。
そして、振り返ったユアンと目が合うと、互いに頷き合う。
よし、逃げよう。
瑠璃はユアンと以心伝心し、さっと立ち上がるとゆっくりと離れようとした。
しかし、すぐに気付かれる。
「ちょっと、どこに行こうというのですか!?」
「スピネル様を泣かせておいてなんて冷たい方なんですか?」
瑠璃に対し怒りをぶつける女性達に、瑠璃はあれ? と思う。
霊王国は基本的に精霊信仰の篤いお国柄だ。
獣王国とは少し違うが、精霊を信仰しているので、精霊に愛される愛し子への扱いもそれは丁寧だ。
城内でも、王であるジェイドよりも手厚くしてもらっている。
それだというのに、この女性達から愛し子への尊敬の念や敬愛は感じない。
どういうことだと考えていると、先にユアンがキレた。
「貴様らどういうつもりだ。この方は我が竜王国の愛し子。その愛し子に対してどれだけの無礼を働いているか分かっているのか!?」
お前が言うなと瑠璃は思ったが、口にはしなかった。
なにせ当初ブラコンをこじらせて散々瑠璃に無礼を働いたユアンである。説得力は皆無だったが、彼女達が知るはずもなく、瑠璃は無言を貫いた。
空気は読めるのである。
一瞬怯んだ女性達は、すぐに強気に言い返してくる。
「愛し子だからなんだというのです!」
「スピネル様は筆頭貴族のご令嬢ですよ!」
どう考えても一国の貴族より愛し子の方が偉いのだが、彼女達はまるでスピネルの方が偉いかのような言い草。
「だからなんだ! 筆頭貴族如きで愛し子への無礼が許されるとでも思うな。このことは霊王に抗議させてもらう! それ相応の処罰は覚悟することだ」
「処罰って……」
霊王の名前を出して始めて彼女達は怯えを見せた。
そして、助けを求めるようにスピネルに視線を向けると、スピネルが前に出てくる。
「彼女達を虐めるのは止めてください。愛し子がそんなに偉いと言うのですか!?」
これにはぽかんとするユアン。
瑠璃も呆気にとられたが、瑠璃にはこういう輩に耐性があった。
そう、あさひである。
とんちんかんな主張を繰り返すあさひを知るおかげで、我に返るのも早かった。
「偉いかって言えば偉いわよ。それこそ一国の王を跪かせることができるぐらいにはね。それなのにあなた達の態度は何? 霊王の顔に泥を塗るような真似をして、本当にあなた達は霊王国の国民なの? 市場で働く人達の方がよっぽど愛し子というものをよく分かってるわ」
「私達は貴族です。町で働くような庶民と一緒にするなど無礼ではありませんか!」
まさに言葉も出ない。
そして、瑠璃は気付く。
「……ヤバいかも、ユアン」
「えっ、何がだ?」
瑠璃はチラリとコタロウとリンを見る。
それに釣られて視線を向けたユアンには、怒り心頭のコタロウとリンが見えた。
だが、ユアンが見えたのはコタロウとリンという実態を持つ精霊だけ。
ユアンには見えていない周囲の精霊達は、今まさに飛び付かんばかりに戦闘態勢に入っている。
『やっちゃうー?』
『やっちゃおう』
『やっちゃうべきだよー』
『べきべき』
ユアンには聞こえていないが瑠璃の表情で色々と察したのだろう。
「ヤバいのか? ヤバいのか?」
「とんでもなく……」
二人してあたふたする間にも、精霊がどこからともなく集まって来るではないか。
それを、目の前の女性達は分かっていない。
見えていないことに、この時になって瑠璃は始めて気付く。
「愛し子なんて、しょせんでまかせでしょう!? 精霊なんて見たことありませんもの。そんなものに頼って偉そうにするなんて、ジェイド様のこともそうやって脅しているのではありませんか!?」
「おい、黙れ!」
焦ったようにユアンが怒鳴るが、それはスピネルの目には図星を指されたからのように見えたらしい。
「ああ、そんなに動揺するなんて、やっぱり愛し子なんていないんだわ。可哀想なジェイド様。騙されているなんて」
さらに精霊が集まってきて、もう収拾がつかなくなっている。
『ルリを虐める奴は成敗』
『ルリを悪く言う奴には鉄槌』
『ルリを嘘つき呼ばわりする奴は沈める』
「わー、駄目駄目!」
今にも飛びかからんとする精霊達を抑えていると、天の助けがやってくる。
「そこで何をしている」
やって来たのは、霊王国の愛し子であるラピスだ。
「精霊達が怒ってるから何かと思えば……」
ラピスは、父親譲りの鋭い目つきでスピネル達を睨み付ける。
『こいつルリを虐めたー』
『こいつ精霊なんていないって言ったー』
『愛し子は嘘吐きだってー』
その精霊達の言葉でなんとなく察したラピスは改めて睨み付ける。
「お前達がどう思おうと他国の愛し子への不敬は許されない。馬鹿なお前達のためにもっと分かりやすく言ってやる。彼女は竜妃。竜王の正妃である彼女への無礼は竜王国への叛意とみなされる。不敬罪で捕らえられたくなければ、すぐに去れ!」
「……っ」
スピネルは一瞬悔しそうに顔を歪めたが、すぐにラピスに向かって一礼してから去って行った。
ほっと安堵する瑠璃に、ラピスが謝罪する。
「俺の国の者がすまなかった」
「ううん。助けてくれてありがとう。ラピスが来てくれなかったら……」
未だに不満そうな顔をしている精霊達を見て、瑠璃は苦笑を浮かべる。
大惨事一歩手前だった。
「ねぇ、もしかして彼女達は精霊が見えてないの?」
「ああ、恐らくな。霊王国は竜王国と同じで亜人と人間の割合は半々ぐらいだ。さっきの奴らは人間で、魔力はないから精霊も見えていない」
「でも、霊王国の人達は精霊も愛し子も信じてるのに、どうしてあの人達はあんな感じなの?」
「霊王国も一枚岩じゃないってことだ。国民はほとんどが精霊を信じ信仰し愛している。だから愛し子である俺にも、まるで家族のように親しげに接してくれる。だが、中には見えないものを疑う信仰心の低い者だっているんだ。先程の女達の家やスピネルがそうだ。あそこは親からして精霊を信じていない」
「えっ、それって問題ありじゃないの? 彼女の親って筆頭貴族なんでしょう? 貴族をまとめてる人が精霊も愛し子も信じてないって」
「いや、モルガ家と言っても、モルガ家の当主は問題ないんだ。その正妻と子供も。けれど、スピネルの親である側室は他国から来た人間で、目に見えない精霊を信じていない。そんな母親に過保護なほど可愛がられて育ったから、スピネルも母親の影響を受けて、同じように精霊はいないと信じきっている。さらにそんな環境下で願えば何でも叶う育てられ方をしたから、世界は自分を中心に回ってると本気で思ってるタイプだ。悪意なくそう思ってるのが、なおたちが悪い」
「なるほど」
真正面からジェイドと別れろと言ってきたのも、それまで願えば叶ったからだと考えれば納得がいく。
「それにしても、ずいぶん詳しいのね、ラピスは」
「俺は愛し子だぞ。その気になれば情報はいくらでも手に入れられる。まあ、スピネルに関しては、スピネルの母親がしつこく俺の正妃にしたがったから、どんな奴か調べたおかげで詳しいんだ」
「ラピスの正妃を狙うとか、もしかしてかなり野心的な母親?」
ラピスはこくりと頷いた。
「竜王が迎えに来るとかいう話も、その側室が子供のスピネルを洗脳して信じさせたと言われても俺は疑わないぞ」
どうやら霊王国は霊王国で、色々と問題を抱えているようだ。
それからついでにラピスも加えて昼食を取り、あったことをアウェインに話すと、深々と頭を下げられた。
ラピスが助けてくれたので大丈夫だと告げたが、このままおとがめ無しというわけにもいかず、後ほど霊王から処罰を与えることとなった。
とりあえず歓迎パーティーにスピネルは出席させないようにモルガ家当主へと通達がなされた。
おかげで歓迎パーティーは粛々と行われ、楽しい時間を過ごすことができた。