再会
祖父と両親が城を出て、少し賑やかさがなくなってしまった城内。
寂しくないと言えば嘘になってしまうが、世界を隔てて離れているわけではない。
そう思えば少し気持ちも楽になった。
だが、やっぱり寂しくなると猫の姿になって存分にジェイドに、擦り寄って甘えた。
何故猫の姿なのかというのは、ただ人間だと恥ずかしいからである。
それなのに猫の姿になるとそんなもの気にならなくなるのだから不思議だ。
まあ、ジェイドもモフモフな猫に甘えられて嬉しそうなのでウィンウィンである。
そんなこんなで霊王国へ出発する日が近付いていたある日。
クラウスが瑠璃に手紙を持ってきた。
『私に手紙ですか?』
「ええ。……実は、あなたにお渡しするか悩んだのです。ルリとは因縁のある者からですし。ですが、陛下はルリが判断した方がいいだろうと」
猫の姿でジェイドの膝の上に乗っていた瑠璃が見上げると、ジェイドと目が合い頷いた。
『誰からですか?』
クラウスは一瞬躊躇った後、口にした。
「ルリと共にこの世界に召喚された者の内の一人です」
『え!?』
瑠璃と共にナダーシャにより連れて来られたのは、あさひと中学の時の同級生が四人。
彼らは遠いアイドクレーズという地へと送られ、そこで住み込みで働いている。
アイドクレーズはフィンの両親が領主として治める土地で、竜王国の食糧庫とも言われる豊かな農地が広がる。
年中なにかしら農作物が収穫されるので、常に人不足ということで彼らは送られた。
そこは出稼ぎなどの人も多く、頼る者のいなくなった彼らにとっては決して悪くない環境である。
彼らが送られてしばらく時が経った。
最近では思い出すことも減り、瑠璃の中では過去のこととなりつつあったのだ。
それが今になって接触を図ってくるとは。
少し瑠璃に警戒心が生まれる。
『まさか、あさひからじゃあ……』
「いえ、もう一人いた女性の方からです」
それを聞いて安堵する。
あさひからだったら、きっとその場で焼き払っていたかもしれない。
いや、怖いもの見たさで読んだかも。
なにはともあれ、あさひでないなら問題ない。
『読みます。手紙をください』
「どうぞ」
クラウスが机の上に手紙を置く。
それと同時に、ジェイドに腕輪を外され人間の姿に戻った。
「読むなら人間の方がいいだろう?」
「ありがとうございます、ジェイド様」
そう言って膝の上から降りようとしたが、後ろからがっちりとお腹に腕を回される。
無言で目で訴えたが離す様子はなく、瑠璃は諦めてその状態で手紙を開いた。
そこには決して長くない簡単な文章が書かれている。
会いたいということ。今王都にいること。そして……。
「えぇ!」
思わず瑠璃は驚きの声を上げた。
後ろから手紙を覗いていたジェイドだが、日本語で書かれているので内容は分からない。
「どうした?」
「結婚するそうです」
「ふむ、それはめでたいな」
「それで、その報告のために一度会いたいようです」
「ルリはどうしたい?」
瑠璃は少し考えた。
正直彼女とはあまり話したことはなく、むしろあさひの魅了の影響で敵意を向けられていた印象が強い。
まあ、それもあさひの魔力を封じたことで魅了から覚め、瑠璃に謝罪をし瑠璃はそれを受け入れた。
それだけの関係で特に親しい間柄ではないのだが、数少ない元同郷。
会って話をするのも良いかもしれないと思った。
あさひの現状も少し気になったからというのもある。
「会ってみます」
「ならばその様に手配しよう。その者はどこにいる?」
「王都の宿屋にいるみたいですね。手紙の裏に泊まってる場所が書かれてます」
それはこちらの世界の言葉で書かれていたので、クラウスに見せるとすぐに彼女と連絡を取ってくれた。
そして、城の一室で顔を合わせることに。
部屋には瑠璃の護衛として不必要なほどの人員が配置された。
ジェイドの過保護が発揮されたのかと思ったが、愛し子を不確かな者と会わせるなら当然の措置だった。
瑠璃の横にはフィンが睨みをきかせており、入って来た彼女はフィンを見てビクビクしている。
「えーと、決して噛み付いたりしないので、そこに座って」
「え、ええ」
怯えながらも瑠璃の向かいの椅子へ座る。
元同級生の彼女は、少し大人びたような顔立ちになっており、肌は健康的に焼けていた。
心なしか、たくましくなったように見える。
「久しぶり」
何を言うかと迷った末、当たり障りのない言葉が口から出た。
彼女もどこか懐かしさを感じるように目を細め「久しぶり」と口にした。
無駄な話で盛り上がれるほど、お互いにお互いを知らない。
話はすぐに本題から入った。
「あのね、私結婚することになったの」
「手紙にも書いてたね。驚いた」
「そ、そうだよね。私も未だに信じられなくて。彼ね、同じアイドクレーズの領主様の所で働いてるの。同じって言っても、あっちは領主様を直々に補佐をしていて、農地で働く私達を管理するような立場だから、私のような下っ端とは全然違ってて、私にはもったいないような人なの」
頬を染めながら結婚相手のことを話す彼女のことを、瑠璃は微笑ましく見つめた。
「真面目で優しい人なの。結婚を前提に付き合って欲しいって言われた時はまさかって思って……。私もいいなって思ってた人だったから……」
「そっか」
「……でも、でもね。結婚するなら森川さんの許可を取らなきゃって思って、待ってもらってるの」
「私の許可? どうして?」
瑠璃には分からない。
彼女が結婚したいと思ったならすればいい。
別に瑠璃の許可など必要ないと思うのだが、彼女は違った。
「私がしたこと。あれはあさひさんの魅了によるものだったのかもしれないけど、確かに私がしたことだから、けじめを付けないと」
彼女は膝の上でぐっと手を握り締めて、眉を下げて笑った。
「こんなこと、森川さんにとったらいい迷惑なのかもしれないけれど、ちゃんとしないと私は胸を張ってあの人の手を取れないから……。だから、ごめんなさい」
そう言って彼女は深く頭を下げた。
「あなたを殺しかけ散々なことをした私だけど、幸せになりたいと思うことを許して下さい」
正直言うと、そんな昔のこと瑠璃はすっかり忘れていた。
彼女に言われて、そんなこともあったなと思い出したぐらいだ。
確かに当時は許せなかった。
魅了から覚めた彼らの謝罪を受けることはできても、許せるほどの心の余裕はなかった。
けれど、それからの瑠璃はジェイドの庇護の元、たくさんの大事な人達に出逢い過去の嫌なことなど忘れるほどに充実した生活を送っていた。
だから、彼女がここまで気に病んでいるとは思いもしなく、そのことに驚いた。
きっと彼女達も新しい生活でそれなりに楽しくやっているだろうと思っていたのだ。
けれど、瑠璃を殺すように仕向けたという事実は、予想以上に彼女の胸の中に後悔と懺悔の念を残したのかもしれない。
もしかしたら、他の三人の同級生も。
そんな彼女に瑠璃が言えることはこれだけだ。
「私、結婚したの」
「う、うん。知ってる。竜王様とよね?」
「そう。ジェイド様はとっても優しくて私を大事にしてくれる。ジェイド様だけじゃない。私の周りにいるたくさんの人が優しく接してくれて、私にとっても大切な人達よ。そして、そんな人達に囲まれて私は幸せだわ」
元同級生の彼女は、瑠璃が何を言わんとしているのかとじっと顔を見つめる。
「だから、あなた達のことなんか全然思い出したりしなかった」
「そ、そう……」
わずかに彼女の表情が沈む。
自分が来たことは迷惑だったのではないかと思っているのかもしれない。
そんな彼女に瑠璃は告げる。
「だから、気にしなくていいのよ。確かに過去には色々あったけど、そんなこと忘れてしまうぐらい私は幸せだから。あなたも幸せになっていいの」
はっと顔を上げた彼女に瑠璃は笑みを向けた。
「結婚おめでとう」
そう言えるほどにたくさんの時間が流れたことを、瑠璃も、そして彼女も気付いた。
彼女はホロリと涙をこぼし、泣きながら笑った。
「ありがとう」
涙を流す彼女にハンカチを渡し、瑠璃は問い掛けた。
「他の三人はどうしてるの?」
三人とは、勿論あさひ以外の同級生の男達だ。
「一人は、お金を貯めていつかこのファンタジーな世界を旅したいって言ってた。もう一人は、一緒に働いてるうさ耳の獣人に恋してるみたい。向こうもまんざらじゃなさそうだから、いつ恋が叶うか、同僚達の賭けの対象になってるわ」
自然とその場に笑いが産まれる。
「二人もこの世界を満喫してるみたいで良かったわ」
「うん。……ちなみにあさひさんのこと、聞く?」
おずおずと問い掛ける同級生に、瑠璃は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「うっ……。聞きたいような、聞きたくないような……」
好奇心が頭を出しては引っ込んだりと忙しい。
「うーん」
瑠璃は唸りながら少し考えた後、「一応教えてくれる?」と告げた。
「えーと、あさひさんはなんて言うか、あさひさんっていうか……」
「うん。予想はしてた。でも、さすがに世間にもまれて改心……まではしなくとも、多少の常識は身に付けたんじゃないの?」
「最初はかなりひどかったよ。仕事しないし、文句ばかりだし、人に仕事押し付けようとしてくるし」
その様子が目に浮かぶようだ。
「けど、領主様の奥方にしこたま怒られて、特別カリキュラムを組まれてだいぶましになったかな」
「特別カリキュラム……」
瑠璃は隣にいるフィンを見上げる。
「えっと、すみません、フィンさん。なんだか迷惑かけたようで……」
元同級生の彼女は、何故フィンに謝るのか分かっていないようなので、瑠璃が説明する。
「このフィンさんはアイドクレーズの領主様の息子なの」
そう言うと納得したようだった。
「領主様にも奥方様にも良くしていただいています。本当にありがとうございます」
そう言って彼女はフィンに頭を下げた。
「礼は両親に。私は何もしていない」
生真面目らしいフィンらしくそう断る。
「はい。それは勿論です。いつも感謝し通しです。今回王都に行くことも奥方様が提案してくださったことなんです。そんなにも気に病んでいるなら直接謝りに行けと。紹介状まで書いてくださって」
「そうか」
若干、フィンの威圧感が緩んだような気がする。
再び瑠璃と元同級生は向かい合って座る。
「まあ、そのおかげで多少常識は身に付いたようなんだけど、やっぱりあさひさんはあさひさんっていうか。元々の性格は変わってないから、森川さんは会わない方がいいと思うよ」
瑠璃とあった瞬間、はっちゃけるあさひが目に浮かんで、瑠璃はこめかみを押さえる。
「忠告感謝するわ。アイドクレーズに行く機会があっても、あさひには会わないように気を付ける」
「それが賢明だと思う」
瑠璃と元同級生は、視線を合わせ、静かに溜息を吐いた。
きっと、同じ場所で働く元同級生達の方が今はあさひに悩まされているのだろう。
そう思うと、瑠璃は同情を禁じ得ない。
アイドクレーズの領主夫婦、特に奥方には、今さらではあるがなにかお礼を送っておくべきかもしれないと瑠璃は思った。
胃薬がいいかもしれない。
「ま、まあ、なんとかやってるみたいで良かった。王都にはいつまでいるの?」
「森川さんと話もできたし、少し王都を観光してからアイドクレーズに戻るつもり。実は彼も一緒に来てるの」
「えっ、そうなの?」
「うん。本当は今日も付いてくるって言われたんだけど、私自身でけじめをつけたかったから、宿で待ってくれてる」
「なら、ちゃんと返事しないとね」
からかうようにそう言うと、元同級生は頬を染めながらはにかむように笑って頷いた。
元同級生との再会は、思った以上に話が盛り上がり、あっという間に時間は過ぎ去った。
そして、別れの時。
「ありがとう、森川さん。会ってくれて。肩の荷が下ろせた気がする」
「どういたしまして。また王都に来たら寄っていって」
それが中々難しいことは両者分かってのことだ。
同郷の者とは言え、愛し子である瑠璃に、ただの庶民の彼女が簡単に会えるはずがない。
それでも、また会いたいと瑠璃は思った。
「ええ、必ず。それか、森川さんがアイドクレーズに来たら教えて。他の三人にも会わせたいから」
「分かった。その時は手紙を出すから」
最後には二人共笑顔で別れることができた。